逃避録

桜舞春音

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5 謀反

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 未咲はいつも、言葉を探していた。

 幼い頃からそう。相手が何を思っているかとか、だからどうするとか。そういうを探していた。目には見えないのに、目に見えるものより重い言葉。間違えれば追試や退学では済まされない責任ある言葉。
 気づいたら手は動いている。言葉を探すために開いていた掌が見つけた答えを離さぬよう握られる。そしてそのまま、答えを見れないまま、いつも誰かを傷つけて。

 また、やっていた。

 類を、和を、れおんを。そして、充を。傷つけていた。

「ごめんなさい、私っ
「言うな」
 それを止めたのは、所長だった。
「それ以上言うのはよせ、未咲。お前は芯のある教育者だ」
 その彼もつらそうな表を浮かべている。

 そうだった。
 それが、この世界のルールだった。

「……少し、いいかい」
 未咲は言われるがままついて行った。

 所長は典型的な仕事人の格好をしている。黒のスーツに青のネクタイ、暗い色の革靴に深くたたんだ皺。

 事務室に通されると、そのまま車のキーを管理していた入れ物を渡された。

 ひどい有り様だった。
 キーはぬかれ、無惨にもGPSは粉々。どんな野蛮人が現れたというのか。

「爽伸の姿が見えない」
「え?彼女が?」
「ああ。なにか知らないか?」
「いいえ……」
「本当か?
「……疑うんですか」
 未咲は怪訝する。

「だって二人は幼馴染なんだろう?君をこの職に誘ったのは爽伸だそうじゃないか」
 未咲はまた言葉を失う。

 そうだ。たしかにそうだ。
 仕事を辞めた……辞めることになったあの頃、久しぶりに遊んだ爽伸から誘われて始めたのがこの仕事だ。
 前の仕事に就いたときは給料にしか眼中になかったけど、自分の過ちに気づいたからにはそうも言っていられないと奮って始めていたんだ。

 なのに、私はまた―

「それで、どうなんだ?爽伸は」
 所長の声で、未咲は現実に帰還する。
「……」
 沈黙。
「いえ」
 未咲は声を少し張った。
「彼女ははしていないと思います」
 再びの沈黙。
「そうか。ならいいんだ」
 所長は変わらず模範的なリズムの足音を響かせて去る。

  
「未咲先生」
 類が呟いた。限りなく小さな声だ。
「謝らなかったな」
 充が返すと、類は首をふる。
「苦しんでた」
「え?」

「苦しい人の、顔してた」

 苦しい人の顔。
 それがどんな顔かはわからなかった。

「ねぇ」
 類の細い手が充に伸びる。
「どうしたの、けが」
 手当を始めてくれるみたいだ。
「和にやられた」
 
 蒲郡和。
 彼は未咲のお気に入りだった。
 確か親をなくしたとか。BADROOMからの脱出計画に誘ったいつメンで唯一出たくないといったのは彼だ。

「なんでケンカしたの」
 類が手慣れた手つきで絆創膏と消毒をしながら問う。
「……誘ったんだ。来ないかって。そしたら、ここが俺達の家だからって。家出はしたくないって」
「へぇ」
「出ていったら未咲先生は悲しむし、捜されて戻ったらもっとひどいことされるからって」
「うん」
「おれ、かっとなっちゃって、つい
「もういい」

 沈黙が包む。
 その沈黙には、言葉が綴られていた。

「それ以上言わなくて、いいよ」 
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