神が去った世界で

ジョニー

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第4話 邪教徒

第37話 邪教徒

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 昏い森の深く深く、奇怪に捻れた木々の海の奥を歩いて行くと、不自然なほど唐突に砂漠が姿を見せる。

 大陸も最北端に近い地で凍えるような寒風が吹き荒れる中に存在するその砂漠は、全ての生命の存在を拒否するが如く一切の動植物の存在を許さない。
 そして其の小さな砂漠の中央には『穴』が在った。深い深い穴。覗いたところで昏い闇しか見えないが、ジッと見ていると何かがドロリと動いている様な錯覚に囚われる。

 その穴の下、何処までも潜っていった先の奥底には、古い廃教会が建っていた。巡礼者も訪れる筈が無いその廃教会の聖堂には神体が祀られていた。
 原型はもはやどの様な姿だったのか不明の像には、大量の黒い蛇が纏わり付きその像の大半を隠してしまっている。所々から見える女性の顔は苦悶に満ちた者、怒りに満ちた者、嗤いを浮かべた者など、幾つもの表情が浮かんでいた。
 周囲には変色した大量の人や獣の死骸が転がっているが、悪臭を放つ事も無く腐敗する事も無く放置されるが儘である。

 そんな神像の前に屈み只管に祈りを捧げる者が居た。黒を基調として銀糸で飾り付けられたローブを身に纏う其の男は、一心不乱に世を呪う呪詛を吐き続けて居り、その姿には狂気が滲み出ていた。
 時折、目深く被ったフードから見える瞳は深紅に彩られており、深く瘴気に取り憑かれた者である事は疑う余地が無い。

「猊下。」
 狭い聖堂に低い声が響く。

 呪詛が止まり、赤眼の男はゆっくりと呼び掛けてきた入り口に立つ若い男を返り見た。
「・・・安らぎの時を妨げるとは、騒がしい事よな。」
「申し訳御座いません。」
 猊下と呼ばれた赤眼の男の言葉に、若い男は頭を下げる。
「猊下のお耳に入れておきたい事が御座いまして参じました。」
 赤眼の男は、神像に視線を投げる。
「アシャよ、我等が神はお嘆きの様だ。・・・失敗したか。」
「は。」
 アシャと呼ばれた男は頷く。そして言葉を繋いだ。
「公王暗殺の為に出向いたテグマルは術を発動させるも討ち死に。バゼルは功を逸り囚われて居ります。セロ公爵は全てを暴かれて幽閉。近々、内密に処刑されるとか。公都に入り込んだ同胞達も動きを止めております。」
「ほう・・・」
 赤眼の男は声を漏らす。
「術を発動させたにも関わらず成し遂げられなかったか。国に奈落の法術を破れる者が居るとはな。」
 男の赤眼がギョロリと動く。
「バゼルとやらは知らぬが勝手に動き囚われる者が居ようとはな。『ソレ』は神の思し召すところでは無かろう。」
「畏まりました。消しましょう。」
 アシャの物を捨てるが如き軽い物言いに男は頷いた。
「それにしても公爵とやらも見合わぬ男よな。儂自ら出向いては見たが、つまらぬ物よ。」
「消しますか?」
「・・・」
 赤眼の男は暫し沈黙で答えた。が、やがてアシャを見る。
「公爵はどの様になっている?」
「もはや正気では御座いませぬ。牢の中でブツブツと恨み言を繰り返して居ります。」
「心弱く、自我のみが肥大した奇形の魂故にな。フフフ・・・そうか。・・・連れて参れ、良き贄になってくれよう。」
「畏まりました。」
 赤眼の男は神像に向かい両手を挙げた。
「アシャよ。我等が女神のお目覚めもそう遠くは無い。御降臨のその時までにはお迎えの準備を整えて置きたいモノよな。」
「は。」
「・・・聖堂騎士団を呼んでおくが良い。彼等に軍の相手を任せる。」
 アシャは一礼した。
「畏まりました。全ては我等が女神『グースールの魔女』と大主教ザルサング猊下、御身の願われるが儘に。」
 そう言うと若き邪教徒は姿を消した。

「魔女・・・か。その様に呼ばれて『彼女達』はどう思うのかの。フフフ・・・良い良い。世に理を導くのなら、その前に荒れる大海を乗り越えるのも一興よ。」
 ザルサングは嗤う。
『在らざる者、此処に至りて名を成すは在りし日の幻影を追い求めるが故に。』
 奈落の法術に伝わる経典の一節を大主教は言の葉に紡ぐ。
「混沌の時代は過ぎようとも業は残り、許されざる罪の火は決して消えぬ。・・・そう言う事であろう?我が女神よ。按じられよ。その力と恨みは儂が引き継ぎます故に。」

 その言葉に神像が反応するかの如く身動いだ。


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


 その夜、王宮では騒動が沸き起こった。

「これは一体どう言う死に方だ・・・」
 兵士達が気色を失いながら、牢の中を見て呟いた。

 バゼルが放り込まれていた筈の牢の中は、血の海になって居り、まるで弾け飛んだかの如く無残な肉塊がそこかしこに散らかっているだけだったのだ。その牢の中央に苦悶に歪んだバゼルの頭が転がっていた。
「人の仕業じゃ無いぜ、こんなの。」
 現場を保存する為に残された衛兵達は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。

 そして重罪を犯した伯爵以上の貴族を閉じ込める為の塔牢からは1人の貴族の姿が消えた。

「セロ公爵が消えた?」
 騎士団長ゼネテスからの報告を受けてアスタルトは眉間に皺を寄せた。
「あの塔から姿を消したと言うのか?」

 不可能である。
 扉を除けば唯一の外界との繋がりとも言える小さな窓も格子が付いている。仮に何らかの方法で外したとしても、その先には20メートル下の石畳が待つだけだ。
 普通に考えれば、見張りの衛兵を買収して脱出したとしか考えられない。しかし、今回は衛兵では無く騎士を立たせている。事情を知る彼等が買収に応じる筈も無い。

 だが、一応アスタルトは問うた。
「見張りの騎士は調べたか?」
 ゼネテスは頷く。
「は。調べましたが、怪しい点は何も御座いませんでした。当騎士の希望もあり、明日、魔術院の調べにも応じさせる予定で御座います。」
「・・・そうか。」
 アスタルトは溜息を吐いた。

 一難去ってまた一難である。
 ――これではエリス嬢を誘うのも儘ならない。
 そんな場合では無い事は承知だが不満が湧かない筈は無い。
 彼とて健全な若い肉体を持つ男子である。気になると意識してしまえば美しい令嬢とひとときを楽しみたいと願うのは自然な感情だ。

「・・・明日、皆を招集してくれ。」
「は、畏まりました。」
 ゼネテスは一礼して下がった。


 翌日、集まったアスタルト、カンナ、ブリヤン、ウェストン、マリー、そしてシオンの6人の表情は浮かないモノだった。

「セロ公爵が姿を眩ますとはな。」
 ブリヤンの表情は厳しい。
 嘗ての政敵がもはや人格的に壊れてしまい敵では無い事は理解しているが、その存在そのものは利用価値が在るのも事実だ。
 現実的に考えた時、公爵個人の考えや力で牢を抜け出したとは誰も思っていない。となれば問題は誰が公爵を連れ去ったのかである。
 表立っての行動は起こさずともアスタルトの立太子を好ましく思っていない貴族は少数だが存在する。彼等の手に公爵の身柄が渡っていては厄介な事に成りかねない。

「行方を追う必要は在るでしょうな。」
 ブリヤンの言葉にアスタルトは頷く。
「うむ。見張りに立っていた騎士も魔術院の検査では異常は見受けられなかったそうだ。」
「・・・そしてもう1つの脱出口の候補である格子付きの窓にも異常は無かった。」
 2人は黙り込む。

「そう言えば・・・」
 ウェストンがマリーを見ながら口を開いた。
「昔、お前とパーティーを組んで行った・・・何て言ったか・・・そう、ヴァルテンベルグ遺跡で人を遠くに送る事が出来る魔法装置があったよな。」
 マリーは首を傾げていたが「ああ・・・」と思い出した様に呟いた。
「・・・そう言えば在ったわね、そんなことが。・・・ランクが違うから私は行きたくないって言ったのに『まあまあ、絶対に守るから』って誰かさんに無理矢理に引っ張って行かれた事が。」
 ジロリと視線を投げてくるマリーにウェストンは苦笑いする。
「だから、それはもう何度も謝ってるじゃないか。それよりも、ああ言った魔法が使われた可能性は在るんじゃ無いか?」
 2人の会話にアスタルトとブリヤンは黙って視線を向けて聞いている。
「・・・いや、あの手の魔法が何種類存在するか知らないけど、少なくともあの魔法では無いね。あれは広い場所と大きくて複雑な魔方陣が必要だし、10人単位の魔術師の魔力と同時詠唱が必要になる。牢屋がどのくらいの広さかは分からないけど外の騎士さんに気付かれないように実行するのは無理じゃないかな?」
 マリーが肩を竦めるとシオンはカンナに目を向けた。
「カンナは何か思いつく事は無いのか?」
「現場を見なければ、何とも言えないな・・・」
 カンナにもピンとくるモノは無いようだった。
「ふむ、ではこの後に皆には塔牢に来て貰おう。」
 頷いたアスタルトが一旦、話を締める。

「それとだが、シオン。」
 ブリヤンがシオンを見る。
「お前が捕らえてくれたバゼルだが、奴が死んだ。」
「?・・・処刑されたという事ですか?」
 シオンの問いにブリヤンは首を振った。
「いや、そうでは無い。獄中で死んだ。しかも死に方が異常なんだ。」
「異常とは?」
「何と言えば良いのか・・・。まるで身体が爆発したかの様にバラバラに吹き飛んでいるんだ。頭だけを残してな。」
「・・・何ですか、それは。」
 シオンは眉を顰める。
「そちらの方もついでに見て貰おう。・・・余り女性に見せるような物でも無いが、マリー殿とカンナ殿にも同行願いたい。」
 ブリヤンがそう言うと、現場に移動するべく全員は立ち上がった。

 アデルが幽閉されていた牢は塔の最上階であった。塔の下から見上げたシオンは呟く。
「なるほど・・・これじゃあ、フック付きのロープでも無い限り脱出は不可能だな。」
 飛び降りれば大地に全身を叩きつけられて即死だろう。

 階段を登り、牢の頑丈な鉄扉を開く。と、その途端
「!!」
 カンナとマリーは同時に跳び退り杖を構えた。
「どうした!?」
 男性陣も女性陣の反応に驚き、思わず剣の柄に手を置く。
「・・・。・・・何も居ない?」
「・・・のようだな。」
 マリーが呟き、カンナが頷く。

 女性陣が構えを解いたのを見て、男性陣も緊張を解いた。
「今のはどう言う訳か説明して貰えるかな?」
 アスタルトの問いにカンナが口を開いた。
「凄まじく濃い瘴気の臭いを嗅いだのでな、魔物でも居るのかと思ったんだが、只の残り香のようだ。」
「瘴気だと?」
 アスタルトは牢内を見渡す。
「何かが潜んで居るのだろうか?」
「いや、『今は』何も居ない。」
「今は・・・?では、昨晩は何かが居たという事か?」
「そう見ても良いくらいに瘴気が濃い。」
 カンナは牢内をじっくりと見渡す。その翠の双眸が僅かに光っているように見える。
「・・・昨晩、ここに何かが居たとして、もしそれが魔物では無く悪魔だったとしたら・・・事は容易い。」
「本当か?」
「ああ。悪魔の身体に公爵の身体を取り込んで、壁を抜け出し飛んで逃げれば良い。音も出ないだろうし、短時間で実行出来るだろうさ。」
 アスタルトとブリヤンは絶句する。そうも容易く実行出来る者が居ようとは。

 バゼルが居た牢を見てもマリーとカンナは似たような結論を口にした。強く瘴気と結びついた者が相手なら悪魔はその者の体内に侵入して、その身体を爆砕する事も出来るだろうと。

「この見せしめ、或いは挑発ともとれるような仕業は、いよいよを以て邪教徒が本格的に動き始めるという事でしょうな。」
 ブリヤンの言葉にアスタルトが頷いた。
「私は1度、陛下に報告をしてくる。其方達にはまた協力して貰う事も在ろう。その時は宜しく頼む。」
 アスタルトの言葉に全員は一礼した。

 解散した後、ブリヤンはマリーとウェストンを昼食に誘った。
 シオンとカンナは其れを見送り、城を出る。

「シオン。」
「なんだ?」
「ルーシーは今日はどうしている?」
「どうした、突然。・・・多分、今日はアカデミーに行っている筈だ。週に1回来る魔術院の講師の講義が在るそうだ。」
 シオンの言葉にカンナは思案する。やがて。
「・・・以前にも言ったが、ルーシーには気を掛けてやれ。・・・そうだな。今からでもアカデミーに行ってあの娘の気晴らしに街でも誘い出せ。」
「・・・」
 無言で自分を見つめるシオンにカンナは問い掛けた。
「なんだ?」
「珍しいな。お前がそんな事を言うなんて。」
「いいから行ってこい。」
「分かった。」
 シオンは笑うと走り出した。

「嬉しそうな顔をして。」
 カンナは微笑む。



「さて、私は1人寂しく寝るとするか。」
 カンナは伸びをすると、テクテクとシオンの家に向かって歩き始めた。


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