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第二章 青葉にて
三、珠緒
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「へぇ、男の子なの?」
佐為と槐は、千珠が門下のものに稽古を付けている様子を見学した後、千珠の息子を見にきていた。
「てっきり女だと思っていたのですが、男の子でした」
と、子どもを抱く宇月がにっこりと笑う。
千珠と宇月は、城内に住まいを与えられている。千珠は立場上城を出るわけにはゆかぬし、何かと仕事も多いためだ。
宇月の腕に抱かれている子どもは、じっと大きな目で、見たことのない大人を観察するように見つめていた。
「齢は?」
と、佐為。
「二つですよ」
「可愛いなぁ、本当に。名前はなんて言うの?」
「珠緒、といいます」
「へぇ、可愛らしい名前だな」
縁側でほのぼのとやり取りをしている佐為と宇月を、屋内で千珠は槐とともに眺めていた。
槐は、そっと兄の横顔を見る。
愛おしげに子どもと妻を見つめるその姿からは、戦いの匂いなど少しも感じられなかった。
ふと、初めて千珠を見た頃を思う。都での戦いで傷つき、ぼろぼろになった状態で、千瑛の屋敷で休んでいたあの時のこと。
なんと美しい人だろうと、幼心に強烈に印象に残っている。
次に会った時、それは千珠が自分を妖の手から救い出してくれた時だった。
地獄のような風景の中、自分の前に突如現れた白い背中に守られて、槐はその生を永らえた。
いつもいつも、千珠のとなりには戦いがあった。
それが今は、穏やかな暮らしの中で幸せそうに微笑んでいる。槐はどこか、ほっとした。
「幸せそうですね、兄上」
「ああ、そうだな。幸せだよ、とても」
「父上が聞いたら、飛んできますよ。何でもっと早く教えてくださらなかったのです?」
「……宇月の体調がよくなかったもんでな。今年になって、ずいぶん元気になってくれた」
「そうだったんですか」
槐は義姉の小柄な背を見つめた。長く伸びた黒髪をひとつに束ね、佐為と笑い合っている横顔は輝いていた。
千珠の愛を一身に受け、可愛らしい子どもに恵まれた宇月は、女としてとても満ち足りていて美しいと感じた。
「お産が辛かったのですか?」
「それもあるけど……珠緒はどちらかというと、俺の妖力を強く帯びて生まれてきたんだ。だから宇月の身体にはかなり負担をかけた。……本当に、すまないことをした」
「そうなんですか……」
少し翳った千珠の表情に、槐も眉を下げる。
「それでも、今はとてもお元気そうですね。安心しました」
慌ててそう言うと、千珠も微笑む。
「まぁな。強い女だ。そんな目にあっても、我が子は可愛いと言ってくれるのだから」
「流石でございます」
宇月はふと二人を振り返ると、珠緒を床に立たせて二人の方へ歩いて行くように言った。珠緒はおずおずと母の手を離れると、ゆっくりと歩いて向かってきた。
珠緒は二つにしては小柄で、足取りもまだおぼつかないように見えた。しかしその顔はすでに美しいまでに整っており、そのまま千珠を小さくしたかのような可憐さだ。
肩につくかつかないかほどの長さの髪の毛は薄茶色で、目も同じように明るい茶色をしていた。
「おいで、珠緒」
千珠が声をかけて手を伸ばすと、珠緒は嬉しそうに笑って歩み寄ろうとした。心は逸るが足はそれに付いて行かない様子で、畳の上に珠緒はびたんと倒れてしまった。
「ああっ。泣いちゃいますね」
槐が声を上げると、千珠は苦笑して言った。
「この子はあまり泣かないんだ。それに、言葉も喋らない」
「え?」
むくりと起き上がった珠緒は、大きな目でじっと千珠を見上げた。千珠は珠緒の前に膝をつき「立てるだろ? ほら、おいで」と両手を差し伸べた。
何度か瞬きをして、珠緒は両手をついて立ち上がると、千珠の腕の中に倒れこむようにして抱きついた。
「よしよし、よく頑張ったな」
珠緒を抱き上げて立ち上がった千珠は、その頬に頬ずりをして笑った。珠緒も嬉しそうに笑顔をうかべているが、声は出ていない。
千珠に抱きかかえられた珠緒はじっと千珠の目をみつめて、その頬を小さな手でぺたぺたと叩く。
「痛い。ほら、これが槐だ。俺の弟だよ」
つられて立ち上がった槐は、じっと珠緒の顔をのぞき込んだ。
確かに、人との合いの子で、妖の血は四分の一にまで薄まっているはずなのに、珠緒からはかなりの妖力が感じられた。陰陽師である宇月の血と相俟って、さらに強力になったのだろうか。
「兄上にそっくりだ。人形のように美しい子ですね」
「そうか? 笑うと結構、宇月に似てるんだけど」
「うん、僕は宇月に似てると思うけどな」
と、佐為。
「お前はいつも宇月びいきだからな」
と、千珠は笑った。
「全然喋らないの?」
と、佐為は茶を啜りながら宇月に尋ねる。
「いいえ、たまにえらくちゃんとした言葉を言うこともあるのです。だから頭ではよく分かっていると思います」
「へぇ。どうしたんだろうね」
「まぁいいさ、このまま何事も無く大きくなってくれたら、何よりだ」
千珠は髪の毛を引っ張って遊んでいる珠緒を抱きかかえたまま、宇月の隣りに座った。
すっかり夫婦らしくなった二人は、目を見合わせて微笑む。その幸せそうな絵に、佐為はなんだか照れてしまった。
「そういえば……舜海は? 何か静かだと思ったら、彼がいないんだ」
「あいつは青葉の寺に今は住んでる。山吹と一緒にな」
「え。そうなの?」
「山吹様は、雷燕の時の傷が癒えてからは、忍衆からは離されました。その身体では、動けないだろうと柊様がおっしゃって」
「まぁ……ひどかったもんな」
「舜海は二年前から、あの寺の住職だ。ようやく殺生をやめて僧らしい生活をするようになった」
「へぇ、じゃあ坊主頭なの?」
「想像できませんね」
と、槐も目を丸くする。
「いいや、相変わらずあのまんまだけどな。……山吹も最初は戸惑っていたけど、今は二人、仲良くやっているよ」
「そっかそっか、彼も落ち着いたわけか」
佐為はほっとしたような顔で、そう言った。
千珠と舜海の関係をよく知る佐為にとって、この二人の行く末は特に気になっていたのである。
収まるように収まっている様子を見て、佐為は安堵していた。
庭先に、すっと忍装束の小柄な影が二つ現れた。佐為は驚いて目を瞬かせる。
「千珠さま、国境の結界にわずかながら反応があったと、頭が申しております。見廻に行くようにとのことです」
「我々も同行いたしたいのですが、頭は千珠さまに聞くようにと申しておりまして」
目元だけが開いた、黒い忍装束の二人は、片膝をついて千珠の指示を待っている。佐為の表情を見て、千珠は笑った。
「この子たちは、柊の子だ。お前ら、名乗っておけ。この一ノ瀬佐為殿には、この国は色々と世話になっているからな」
「柊さんの子ども?!」
佐為は仰天して声を上げた。
「こんなに大きい子がいるの?」
「お前も芽衣殿は知っているだろ? あれからすぐ、子に恵まれたからな」
二人は口布を下げて頭巾を外した。
一人は男で、一人は女だ。
「お初にお目にかかります。忍頭、柊が長兄、白蘭と申します」
「私はその妹、白露と申します」
白蘭は齢七つ、白露は六つだという。年齢の割にしっかりとした言葉遣いと立ち居振る舞いに、佐為は感心していた。
「さすが、千珠で苦労したから、我が子はきっちりと育てたんだね」
「おい、どういう意味だ」
千珠が佐為を睨む。
「そのまんまの意味だけど。君たち、もう忍寮にいるの?」
「はい、生まれた時よりそこで育ちましたゆえ。あそこが我が家でございます」
と、白蘭ははきはきとそう答えた。
「珠緒もよく遊んでもらっている。……お前たち、見廻はいいから、今日も珠緒と遊んでやってくれ」
千珠はそう言って、珠緒を宇月に渡すと、立ち上がった。
「国境の結界ということは、なにかしら妖の類だろう。お前らにはまだ早い」
「そんな! いっつも千珠さまはそう言って連れ行ってくださらないのですから!」
と、白蘭が文句を言う。
「我らももう戦えます! 千珠さまのしごきにだって耐えているというに!」
と、白露もそれに倣った。
「無用な戦いはするなと言っているだけだ。俺が追い払えば済む問題かもしれないだろ。無駄な殺生は許さんぞ」
「……はい」
千珠のぴしりとした言葉に、二人はしゅんとなって頭を垂れた。宇月は微笑んで、裸足の珠緒を二人の方へと歩かせた。
「ほら、珠緒はお二人と遊びたがっていますよ」
確かに珠緒は嬉しそうに、白蘭たちの方へと手を伸ばし、そろそろ歩を進めていた。
「あら、たま、おいでおいで」
白露は嬉しそうに顔をほころばせると、珠緒に向かって手を叩いた。
「おい、その犬や猫みたいな呼び名、なんとかならないのか。宇月も何とか言ってやれよ」
髪を結い上げながら、千珠は文句を言う。宇月は笑って、
「まあいいじゃないですか、今のうちはそれで。珠緒も喜んでいます」
と言った。
「そうかな」
千珠はまだ不服そうである。
「時に千珠さま、そちらのお方はどなたです?」
白蘭が槐に目を留めてそう尋ねた。佐為の後ろに正座をしてことを見守っていた槐は、白蘭を見た。
「こいつは源槐という。都で神祇官をやっている男だ」
「初めまして。槐と申します」
白蘭と白露に対しても、槐は丁寧に頭を下げた。二人はどことなく千珠と面差しの似た槐を、しげしげと見比べる。
「さて、槐、お前はついてくるか?」
千珠は腰に刀を差し、槐を見下ろした。
「はい! 行きます!」
槐は顔を輝かせて、すっくと立ち上がった。それを聞いた白蘭たちは、
「えっ、おかしいじゃありませんか! なんでその新参者が!?」
「ずるい! 何で槐殿は良くて俺たちは駄目なんです!」
と、同時にぶぅぶぅ文句を言い始めた。
「ああもう、親子揃って五月蝿いやつらだな。槐は神祇官だと言ったろ? そういうのが専門なんだ!」
千珠は耳をふさぐようにしながらそう言って、ひらりと逃げるように外へ出ていった。
「そういうわけです。失礼」
槐は二人を見下ろして、勝ち誇ったように笑うと、千珠の後を追って駆けていった。
そんな成り行きを眺めていた佐為は、腹を抱えて笑い出した。
「あはは、見た? 今の槐の顔。都ではいつも真面目一辺倒で頑張ってるから、あんな顔しないんだけどね」
「まったく、千珠さまも、いつまでもあんな調子で。いつまでも子どもで困ります」
宇月は苦笑しながらも、楽しげにそう言った。
「でも千珠、とても楽しそうだ。僕、安心したよ」
「……私が臥せっている間、ずっと元気がなかったので、私も嬉しいですよ」
「千珠は宇月が大好きだもんな」
宇月は微笑むと、何だかんだと三人で追いかけっこをしている子どもたちを見ながら、言った。
「……私が臥せったのも、珠緒が話をしようとしないのも、自分のせいだと言っていたので」
「……へぇ」
「過去に殺めた数多の命と、その恨み……。自分だけ幸せになることを許すはずがないと、いっときは気に病んでおられました」
「そういう悩み方、千珠らしいといえば、千珠らしいけど……。そうか、それは辛かったね」
「そんな時、やはり舜海さまが千珠さまを叱咤して下さったのです。それからは、少しずつ千珠さまも元のように元気になられて」
「なるほどね。やっぱそういうときの舜海だな」
「はい。あのお二人は、今でも心でしっかりとつながっているのす」
「そうか」
佐為はきゃっきゃと声をたてている珠緒を見て、微笑んだ。
「術式の前に、彼にも会っておかなくちゃな。手伝ってもらわなきゃいけないし」
「今夜は佐為と槐さまの歓迎の宴を催すと光政様がおっしゃってましたし、夕刻には来られると思いますよ」
「お、本当かい? そりゃ嬉しいな」
「もっとも、絡み酒が治っていないようでしたら、私また佐為を縛りますから、覚悟してくださいませね」
「……はは、分かったよ。気をつける」
佐為は引きつった笑みを浮かべて、にこやかな宇月から目を逸らした。
佐為と槐は、千珠が門下のものに稽古を付けている様子を見学した後、千珠の息子を見にきていた。
「てっきり女だと思っていたのですが、男の子でした」
と、子どもを抱く宇月がにっこりと笑う。
千珠と宇月は、城内に住まいを与えられている。千珠は立場上城を出るわけにはゆかぬし、何かと仕事も多いためだ。
宇月の腕に抱かれている子どもは、じっと大きな目で、見たことのない大人を観察するように見つめていた。
「齢は?」
と、佐為。
「二つですよ」
「可愛いなぁ、本当に。名前はなんて言うの?」
「珠緒、といいます」
「へぇ、可愛らしい名前だな」
縁側でほのぼのとやり取りをしている佐為と宇月を、屋内で千珠は槐とともに眺めていた。
槐は、そっと兄の横顔を見る。
愛おしげに子どもと妻を見つめるその姿からは、戦いの匂いなど少しも感じられなかった。
ふと、初めて千珠を見た頃を思う。都での戦いで傷つき、ぼろぼろになった状態で、千瑛の屋敷で休んでいたあの時のこと。
なんと美しい人だろうと、幼心に強烈に印象に残っている。
次に会った時、それは千珠が自分を妖の手から救い出してくれた時だった。
地獄のような風景の中、自分の前に突如現れた白い背中に守られて、槐はその生を永らえた。
いつもいつも、千珠のとなりには戦いがあった。
それが今は、穏やかな暮らしの中で幸せそうに微笑んでいる。槐はどこか、ほっとした。
「幸せそうですね、兄上」
「ああ、そうだな。幸せだよ、とても」
「父上が聞いたら、飛んできますよ。何でもっと早く教えてくださらなかったのです?」
「……宇月の体調がよくなかったもんでな。今年になって、ずいぶん元気になってくれた」
「そうだったんですか」
槐は義姉の小柄な背を見つめた。長く伸びた黒髪をひとつに束ね、佐為と笑い合っている横顔は輝いていた。
千珠の愛を一身に受け、可愛らしい子どもに恵まれた宇月は、女としてとても満ち足りていて美しいと感じた。
「お産が辛かったのですか?」
「それもあるけど……珠緒はどちらかというと、俺の妖力を強く帯びて生まれてきたんだ。だから宇月の身体にはかなり負担をかけた。……本当に、すまないことをした」
「そうなんですか……」
少し翳った千珠の表情に、槐も眉を下げる。
「それでも、今はとてもお元気そうですね。安心しました」
慌ててそう言うと、千珠も微笑む。
「まぁな。強い女だ。そんな目にあっても、我が子は可愛いと言ってくれるのだから」
「流石でございます」
宇月はふと二人を振り返ると、珠緒を床に立たせて二人の方へ歩いて行くように言った。珠緒はおずおずと母の手を離れると、ゆっくりと歩いて向かってきた。
珠緒は二つにしては小柄で、足取りもまだおぼつかないように見えた。しかしその顔はすでに美しいまでに整っており、そのまま千珠を小さくしたかのような可憐さだ。
肩につくかつかないかほどの長さの髪の毛は薄茶色で、目も同じように明るい茶色をしていた。
「おいで、珠緒」
千珠が声をかけて手を伸ばすと、珠緒は嬉しそうに笑って歩み寄ろうとした。心は逸るが足はそれに付いて行かない様子で、畳の上に珠緒はびたんと倒れてしまった。
「ああっ。泣いちゃいますね」
槐が声を上げると、千珠は苦笑して言った。
「この子はあまり泣かないんだ。それに、言葉も喋らない」
「え?」
むくりと起き上がった珠緒は、大きな目でじっと千珠を見上げた。千珠は珠緒の前に膝をつき「立てるだろ? ほら、おいで」と両手を差し伸べた。
何度か瞬きをして、珠緒は両手をついて立ち上がると、千珠の腕の中に倒れこむようにして抱きついた。
「よしよし、よく頑張ったな」
珠緒を抱き上げて立ち上がった千珠は、その頬に頬ずりをして笑った。珠緒も嬉しそうに笑顔をうかべているが、声は出ていない。
千珠に抱きかかえられた珠緒はじっと千珠の目をみつめて、その頬を小さな手でぺたぺたと叩く。
「痛い。ほら、これが槐だ。俺の弟だよ」
つられて立ち上がった槐は、じっと珠緒の顔をのぞき込んだ。
確かに、人との合いの子で、妖の血は四分の一にまで薄まっているはずなのに、珠緒からはかなりの妖力が感じられた。陰陽師である宇月の血と相俟って、さらに強力になったのだろうか。
「兄上にそっくりだ。人形のように美しい子ですね」
「そうか? 笑うと結構、宇月に似てるんだけど」
「うん、僕は宇月に似てると思うけどな」
と、佐為。
「お前はいつも宇月びいきだからな」
と、千珠は笑った。
「全然喋らないの?」
と、佐為は茶を啜りながら宇月に尋ねる。
「いいえ、たまにえらくちゃんとした言葉を言うこともあるのです。だから頭ではよく分かっていると思います」
「へぇ。どうしたんだろうね」
「まぁいいさ、このまま何事も無く大きくなってくれたら、何よりだ」
千珠は髪の毛を引っ張って遊んでいる珠緒を抱きかかえたまま、宇月の隣りに座った。
すっかり夫婦らしくなった二人は、目を見合わせて微笑む。その幸せそうな絵に、佐為はなんだか照れてしまった。
「そういえば……舜海は? 何か静かだと思ったら、彼がいないんだ」
「あいつは青葉の寺に今は住んでる。山吹と一緒にな」
「え。そうなの?」
「山吹様は、雷燕の時の傷が癒えてからは、忍衆からは離されました。その身体では、動けないだろうと柊様がおっしゃって」
「まぁ……ひどかったもんな」
「舜海は二年前から、あの寺の住職だ。ようやく殺生をやめて僧らしい生活をするようになった」
「へぇ、じゃあ坊主頭なの?」
「想像できませんね」
と、槐も目を丸くする。
「いいや、相変わらずあのまんまだけどな。……山吹も最初は戸惑っていたけど、今は二人、仲良くやっているよ」
「そっかそっか、彼も落ち着いたわけか」
佐為はほっとしたような顔で、そう言った。
千珠と舜海の関係をよく知る佐為にとって、この二人の行く末は特に気になっていたのである。
収まるように収まっている様子を見て、佐為は安堵していた。
庭先に、すっと忍装束の小柄な影が二つ現れた。佐為は驚いて目を瞬かせる。
「千珠さま、国境の結界にわずかながら反応があったと、頭が申しております。見廻に行くようにとのことです」
「我々も同行いたしたいのですが、頭は千珠さまに聞くようにと申しておりまして」
目元だけが開いた、黒い忍装束の二人は、片膝をついて千珠の指示を待っている。佐為の表情を見て、千珠は笑った。
「この子たちは、柊の子だ。お前ら、名乗っておけ。この一ノ瀬佐為殿には、この国は色々と世話になっているからな」
「柊さんの子ども?!」
佐為は仰天して声を上げた。
「こんなに大きい子がいるの?」
「お前も芽衣殿は知っているだろ? あれからすぐ、子に恵まれたからな」
二人は口布を下げて頭巾を外した。
一人は男で、一人は女だ。
「お初にお目にかかります。忍頭、柊が長兄、白蘭と申します」
「私はその妹、白露と申します」
白蘭は齢七つ、白露は六つだという。年齢の割にしっかりとした言葉遣いと立ち居振る舞いに、佐為は感心していた。
「さすが、千珠で苦労したから、我が子はきっちりと育てたんだね」
「おい、どういう意味だ」
千珠が佐為を睨む。
「そのまんまの意味だけど。君たち、もう忍寮にいるの?」
「はい、生まれた時よりそこで育ちましたゆえ。あそこが我が家でございます」
と、白蘭ははきはきとそう答えた。
「珠緒もよく遊んでもらっている。……お前たち、見廻はいいから、今日も珠緒と遊んでやってくれ」
千珠はそう言って、珠緒を宇月に渡すと、立ち上がった。
「国境の結界ということは、なにかしら妖の類だろう。お前らにはまだ早い」
「そんな! いっつも千珠さまはそう言って連れ行ってくださらないのですから!」
と、白蘭が文句を言う。
「我らももう戦えます! 千珠さまのしごきにだって耐えているというに!」
と、白露もそれに倣った。
「無用な戦いはするなと言っているだけだ。俺が追い払えば済む問題かもしれないだろ。無駄な殺生は許さんぞ」
「……はい」
千珠のぴしりとした言葉に、二人はしゅんとなって頭を垂れた。宇月は微笑んで、裸足の珠緒を二人の方へと歩かせた。
「ほら、珠緒はお二人と遊びたがっていますよ」
確かに珠緒は嬉しそうに、白蘭たちの方へと手を伸ばし、そろそろ歩を進めていた。
「あら、たま、おいでおいで」
白露は嬉しそうに顔をほころばせると、珠緒に向かって手を叩いた。
「おい、その犬や猫みたいな呼び名、なんとかならないのか。宇月も何とか言ってやれよ」
髪を結い上げながら、千珠は文句を言う。宇月は笑って、
「まあいいじゃないですか、今のうちはそれで。珠緒も喜んでいます」
と言った。
「そうかな」
千珠はまだ不服そうである。
「時に千珠さま、そちらのお方はどなたです?」
白蘭が槐に目を留めてそう尋ねた。佐為の後ろに正座をしてことを見守っていた槐は、白蘭を見た。
「こいつは源槐という。都で神祇官をやっている男だ」
「初めまして。槐と申します」
白蘭と白露に対しても、槐は丁寧に頭を下げた。二人はどことなく千珠と面差しの似た槐を、しげしげと見比べる。
「さて、槐、お前はついてくるか?」
千珠は腰に刀を差し、槐を見下ろした。
「はい! 行きます!」
槐は顔を輝かせて、すっくと立ち上がった。それを聞いた白蘭たちは、
「えっ、おかしいじゃありませんか! なんでその新参者が!?」
「ずるい! 何で槐殿は良くて俺たちは駄目なんです!」
と、同時にぶぅぶぅ文句を言い始めた。
「ああもう、親子揃って五月蝿いやつらだな。槐は神祇官だと言ったろ? そういうのが専門なんだ!」
千珠は耳をふさぐようにしながらそう言って、ひらりと逃げるように外へ出ていった。
「そういうわけです。失礼」
槐は二人を見下ろして、勝ち誇ったように笑うと、千珠の後を追って駆けていった。
そんな成り行きを眺めていた佐為は、腹を抱えて笑い出した。
「あはは、見た? 今の槐の顔。都ではいつも真面目一辺倒で頑張ってるから、あんな顔しないんだけどね」
「まったく、千珠さまも、いつまでもあんな調子で。いつまでも子どもで困ります」
宇月は苦笑しながらも、楽しげにそう言った。
「でも千珠、とても楽しそうだ。僕、安心したよ」
「……私が臥せっている間、ずっと元気がなかったので、私も嬉しいですよ」
「千珠は宇月が大好きだもんな」
宇月は微笑むと、何だかんだと三人で追いかけっこをしている子どもたちを見ながら、言った。
「……私が臥せったのも、珠緒が話をしようとしないのも、自分のせいだと言っていたので」
「……へぇ」
「過去に殺めた数多の命と、その恨み……。自分だけ幸せになることを許すはずがないと、いっときは気に病んでおられました」
「そういう悩み方、千珠らしいといえば、千珠らしいけど……。そうか、それは辛かったね」
「そんな時、やはり舜海さまが千珠さまを叱咤して下さったのです。それからは、少しずつ千珠さまも元のように元気になられて」
「なるほどね。やっぱそういうときの舜海だな」
「はい。あのお二人は、今でも心でしっかりとつながっているのす」
「そうか」
佐為はきゃっきゃと声をたてている珠緒を見て、微笑んだ。
「術式の前に、彼にも会っておかなくちゃな。手伝ってもらわなきゃいけないし」
「今夜は佐為と槐さまの歓迎の宴を催すと光政様がおっしゃってましたし、夕刻には来られると思いますよ」
「お、本当かい? そりゃ嬉しいな」
「もっとも、絡み酒が治っていないようでしたら、私また佐為を縛りますから、覚悟してくださいませね」
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