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第三章 能登にて
二、佐為と再び
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「だから! 俺は人間は喰わないって言ってるだろ!」
「なんだい? 女が嫌だというから、せっかく美味そうな子どもをかどわかしてきたっていうのにさぁ」
「そんな簡単に人をかどわかすもんじゃないぞ! さっさと返してこい!」
「じゃああたしが食べるよ」
「喰うなよ! お前、人間じゃなくて低級の妖を喰って生きてるって言っただろ!」
「だぁって、勿体無いじゃないか、こんな美味そうな子ども……」
「だから駄目だって言ってんだろ! さっさと戻してこないと、もうこっから先一緒に行かないからな!」
「えぇ? ……ったく、分かったよ。返してくりゃいいんだろ、返してくりゃあ」
千珠は、紅玉が子どもを抱えて消えてゆくのを見届けると、がっくりと脱力した。
「文化が違いすぎるな……」
さすがに紅玉は足も疾いため、順調に能登までやっては来たものの、千珠のためといっては人をさらってきたり、見たこともない不気味な妖を狩ってきたりするのだ。
最初は丁重に断っていた千珠も、段々と腹を立て始め、先のような言い争いになったのである。
一人になり、嗅いだことのある匂いに気づいて、千珠はふと顔を上げた。
「やっぱり、千珠!」
「……佐為?」
すぐそこにある古びた屋敷の影から、一ノ瀬佐為が駆け寄ってきた。驚き顔が、みるみる嬉しそうにほころぶ。
「千珠! ああ、本物だ!」
佐為は千珠にがっしりと抱きついてきた。千珠はぎょっとしながらも、自分よりも少し背の高い佐為の身体を抱きとめる。
「佐為、ここには検分で?」
「うん、そうなんだ。でも全然、鼻が利かなくてさ。もういらいらして調子が悪くて、落ち込んでたんだ。でも千珠の顔が見れて嬉しいよ」
佐為は千珠から身体を離すと、手を握ったままにっこりと笑った。鋭かった目が糸目になり、柔らかい表情に変わる。
「おや、やはり千珠さまでしたか」
風春も現れた。彼も笑顔で嬉しそうに、千珠の方へと歩み寄ってくる。
「全くもって、陰鬱な天気で。どうも気が塞いでしまっていたのですよ。なぁ、佐為」
「ええ。二人きりな上に、仕事もはかどらないから、もうぴりぴりして……」
「ぴりぴりしてたのは佐為だけだろう」
「あ、そうでしたね」
千珠は、久方ぶりに出会う陰陽師の二人を懐かしく感じた。特に佐為には妖の血が流れており、千珠にとってはどこか近しい存在である。
「舜海や柊さんはどこにいるの?」
佐為はあたりを見回しながら、そう尋ねた。千珠の表情が、一変して固くなる。
「え、一人なの?」
佐為は不思議そうにそう言うと、ぎゅっと唇を結ぶ千珠の顔を覗き込む。
「何か訳ありみたいだね。まぁ、僕らが来るなって言ってるのに来ちゃってるところを見ても、訳ありだけど」
「まぁ、こんなとこで立ち話も何ですし、この屋敷の中へどうぞ。ここは陰陽師衆で使っている屯所なので」
「ああ……ありがとう。それが……道中に連れができてさ」
千珠が言いにくそうにしているのを見て、佐為はにやりと笑った。
「女かい? 全く、宇月というものがありながら、本当に油断も隙もない男だな」
「女といえば女なんだけど……」
千珠は、紅玉に出会ってからのことを二人に伝えた。そして、彼女の求婚を断るために、男にしか興味がないということになっているということも。
佐為はそれを聞くと、腹を抱えて笑い出した。風春も苦笑しながら、佐為を嗜める。
「まあ……そういう事なら、話を合わせましょう。しかし、紅玉といえばここから西の山岳地帯を治めるという名のある妖怪です。そんな大妖怪をそんな風に扱うとは、罰当たりな方ですな」
「……いや、こんなに笑ったの、いつぶりかな」
佐為は涙を袖で拭いながら、ようやく口をきいた。千珠は憮然として佐為を見る。
「全く、面白がりやがって」
「まぁいいじゃない。協力してくれる妖がいるなんて思っていなかったから。でも、僕らを見て帰っちゃわないかな」
「それならそれで、願ったり叶ったりだよ」
千珠は肩をすくめた。
そこへ、当の紅玉がふわりと宙を舞って現れた。佐為と風春は、艶やかな紅玉の美しい姿を、ぽかんと口を開いて見上げていた。
すらりと背が高く、赤紫色に金糸の織り込んである見事な着物の胸元をはだけ、たっぷりとした赤茶色の髪の毛を結い上げて、美しい金色のかんざしを髪に飾り、真っ赤な細い唇をしている紅玉の姿。妖なれど、さながら花魁のような出で立ちである。
佐為と風春は何度も瞬きをして、紅玉が千珠にまとわりつくように空から降りてくるさまを見ていた。
「千珠、なんだいそいつらは? 何かいちゃもんつけられてんなら、喰ってやろうか」
紅玉は千珠の前に立ちはだかると、煙管を咥えて煙を吹いた。鼻のいい佐為がむせる。
「いい、いい。こいつらは俺の友人だ。陰陽師だ」
「はぁ? 陰陽師だと!? お前、こいつらは我々の敵だぞ? 祓われても知らぬぞ」
「こいつらはそういうんじゃないだってば。いちいち面倒な女だな」
千珠は面倒くさそうに紅玉にそう言うと、ため息をついた。
「あのな、もう山へ帰れよ。お前も陰陽師なんかと一緒にいたくないだろ?」
「何を言っているんだい? あたしは千珠が心配だから一緒にいてやってるんじゃないか。こいつらがおかしなことをしないように、見ておいてやるよ」
紅玉は千珠の肩にしなだれかかると、その赤い唇を千珠の耳元に寄せる。
たぷんと豊満な胸が揺れ、大きく開いた襟から零れ落ちそうになっている。しかし千珠には、そんな色仕掛けは通用しない。
「おい、近いって言ってんだろ」
「はいはい、まったく。これくらいいいじゃないか」
紅玉はぶつくさ言いながらも、千珠からふわりと離れた。そして、佐為と風春を交互に見比べる。
「ほう……お前、妖の血が流れているね」
と、今度は佐為の匂いを嗅ぐべく顔を近づけた。
「分かるんだ。さすが」
「お前もなかなか生意気な口をきくね」
「君があまりに千珠にべたべたするから、少し腹が立っている」
「おや、お前も千珠を気に入っているのかい? ふぅ~ん」
紅玉は面白そうに笑い、次は風春の匂いをくんくんと嗅いだ。妖とはいえ、あまり女に慣れていない風春は、一歩身を引いて顔を強張らせた。都にはこんなに露出の激しい女はいないのである。
「陰陽師か……なるほど、強い霊力だ。美味そうだな……」
「えっ」
「しかも、いい男じゃないか」
「い、いや……私は……」
「おや、お前は可愛いねぇ。どれどれ、味見をしてやろうか」
真っ赤になった風春にふわふわとまとわりつく紅玉に千珠はずかずかと近寄ると、袖を引いてぐいと引き離した。
「いい加減にしろ! これ以上俺を怒らせるんなら、本当に山へ追い返すぞ!」
「おお、怖い。ごめんよ、千珠。そんなに怒らないでおくれよ」
急に紅玉は猫なで声を出すと、眉を下げて千珠ににじり寄る。しかし、その顔はどこか嬉しそうでもあった。
「……色々と引き寄せるね、千珠」
佐為はため息混じりに首を振った。
「なんだい? 女が嫌だというから、せっかく美味そうな子どもをかどわかしてきたっていうのにさぁ」
「そんな簡単に人をかどわかすもんじゃないぞ! さっさと返してこい!」
「じゃああたしが食べるよ」
「喰うなよ! お前、人間じゃなくて低級の妖を喰って生きてるって言っただろ!」
「だぁって、勿体無いじゃないか、こんな美味そうな子ども……」
「だから駄目だって言ってんだろ! さっさと戻してこないと、もうこっから先一緒に行かないからな!」
「えぇ? ……ったく、分かったよ。返してくりゃいいんだろ、返してくりゃあ」
千珠は、紅玉が子どもを抱えて消えてゆくのを見届けると、がっくりと脱力した。
「文化が違いすぎるな……」
さすがに紅玉は足も疾いため、順調に能登までやっては来たものの、千珠のためといっては人をさらってきたり、見たこともない不気味な妖を狩ってきたりするのだ。
最初は丁重に断っていた千珠も、段々と腹を立て始め、先のような言い争いになったのである。
一人になり、嗅いだことのある匂いに気づいて、千珠はふと顔を上げた。
「やっぱり、千珠!」
「……佐為?」
すぐそこにある古びた屋敷の影から、一ノ瀬佐為が駆け寄ってきた。驚き顔が、みるみる嬉しそうにほころぶ。
「千珠! ああ、本物だ!」
佐為は千珠にがっしりと抱きついてきた。千珠はぎょっとしながらも、自分よりも少し背の高い佐為の身体を抱きとめる。
「佐為、ここには検分で?」
「うん、そうなんだ。でも全然、鼻が利かなくてさ。もういらいらして調子が悪くて、落ち込んでたんだ。でも千珠の顔が見れて嬉しいよ」
佐為は千珠から身体を離すと、手を握ったままにっこりと笑った。鋭かった目が糸目になり、柔らかい表情に変わる。
「おや、やはり千珠さまでしたか」
風春も現れた。彼も笑顔で嬉しそうに、千珠の方へと歩み寄ってくる。
「全くもって、陰鬱な天気で。どうも気が塞いでしまっていたのですよ。なぁ、佐為」
「ええ。二人きりな上に、仕事もはかどらないから、もうぴりぴりして……」
「ぴりぴりしてたのは佐為だけだろう」
「あ、そうでしたね」
千珠は、久方ぶりに出会う陰陽師の二人を懐かしく感じた。特に佐為には妖の血が流れており、千珠にとってはどこか近しい存在である。
「舜海や柊さんはどこにいるの?」
佐為はあたりを見回しながら、そう尋ねた。千珠の表情が、一変して固くなる。
「え、一人なの?」
佐為は不思議そうにそう言うと、ぎゅっと唇を結ぶ千珠の顔を覗き込む。
「何か訳ありみたいだね。まぁ、僕らが来るなって言ってるのに来ちゃってるところを見ても、訳ありだけど」
「まぁ、こんなとこで立ち話も何ですし、この屋敷の中へどうぞ。ここは陰陽師衆で使っている屯所なので」
「ああ……ありがとう。それが……道中に連れができてさ」
千珠が言いにくそうにしているのを見て、佐為はにやりと笑った。
「女かい? 全く、宇月というものがありながら、本当に油断も隙もない男だな」
「女といえば女なんだけど……」
千珠は、紅玉に出会ってからのことを二人に伝えた。そして、彼女の求婚を断るために、男にしか興味がないということになっているということも。
佐為はそれを聞くと、腹を抱えて笑い出した。風春も苦笑しながら、佐為を嗜める。
「まあ……そういう事なら、話を合わせましょう。しかし、紅玉といえばここから西の山岳地帯を治めるという名のある妖怪です。そんな大妖怪をそんな風に扱うとは、罰当たりな方ですな」
「……いや、こんなに笑ったの、いつぶりかな」
佐為は涙を袖で拭いながら、ようやく口をきいた。千珠は憮然として佐為を見る。
「全く、面白がりやがって」
「まぁいいじゃない。協力してくれる妖がいるなんて思っていなかったから。でも、僕らを見て帰っちゃわないかな」
「それならそれで、願ったり叶ったりだよ」
千珠は肩をすくめた。
そこへ、当の紅玉がふわりと宙を舞って現れた。佐為と風春は、艶やかな紅玉の美しい姿を、ぽかんと口を開いて見上げていた。
すらりと背が高く、赤紫色に金糸の織り込んである見事な着物の胸元をはだけ、たっぷりとした赤茶色の髪の毛を結い上げて、美しい金色のかんざしを髪に飾り、真っ赤な細い唇をしている紅玉の姿。妖なれど、さながら花魁のような出で立ちである。
佐為と風春は何度も瞬きをして、紅玉が千珠にまとわりつくように空から降りてくるさまを見ていた。
「千珠、なんだいそいつらは? 何かいちゃもんつけられてんなら、喰ってやろうか」
紅玉は千珠の前に立ちはだかると、煙管を咥えて煙を吹いた。鼻のいい佐為がむせる。
「いい、いい。こいつらは俺の友人だ。陰陽師だ」
「はぁ? 陰陽師だと!? お前、こいつらは我々の敵だぞ? 祓われても知らぬぞ」
「こいつらはそういうんじゃないだってば。いちいち面倒な女だな」
千珠は面倒くさそうに紅玉にそう言うと、ため息をついた。
「あのな、もう山へ帰れよ。お前も陰陽師なんかと一緒にいたくないだろ?」
「何を言っているんだい? あたしは千珠が心配だから一緒にいてやってるんじゃないか。こいつらがおかしなことをしないように、見ておいてやるよ」
紅玉は千珠の肩にしなだれかかると、その赤い唇を千珠の耳元に寄せる。
たぷんと豊満な胸が揺れ、大きく開いた襟から零れ落ちそうになっている。しかし千珠には、そんな色仕掛けは通用しない。
「おい、近いって言ってんだろ」
「はいはい、まったく。これくらいいいじゃないか」
紅玉はぶつくさ言いながらも、千珠からふわりと離れた。そして、佐為と風春を交互に見比べる。
「ほう……お前、妖の血が流れているね」
と、今度は佐為の匂いを嗅ぐべく顔を近づけた。
「分かるんだ。さすが」
「お前もなかなか生意気な口をきくね」
「君があまりに千珠にべたべたするから、少し腹が立っている」
「おや、お前も千珠を気に入っているのかい? ふぅ~ん」
紅玉は面白そうに笑い、次は風春の匂いをくんくんと嗅いだ。妖とはいえ、あまり女に慣れていない風春は、一歩身を引いて顔を強張らせた。都にはこんなに露出の激しい女はいないのである。
「陰陽師か……なるほど、強い霊力だ。美味そうだな……」
「えっ」
「しかも、いい男じゃないか」
「い、いや……私は……」
「おや、お前は可愛いねぇ。どれどれ、味見をしてやろうか」
真っ赤になった風春にふわふわとまとわりつく紅玉に千珠はずかずかと近寄ると、袖を引いてぐいと引き離した。
「いい加減にしろ! これ以上俺を怒らせるんなら、本当に山へ追い返すぞ!」
「おお、怖い。ごめんよ、千珠。そんなに怒らないでおくれよ」
急に紅玉は猫なで声を出すと、眉を下げて千珠ににじり寄る。しかし、その顔はどこか嬉しそうでもあった。
「……色々と引き寄せるね、千珠」
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