身体から始まる契約結婚

高殿アカリ

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二人きりになったところで、私はそっと床に降ろされた。
 
「ごめんな」
「……いえ」
 
無言の時間が気まずい。
 
それに何より、やっぱり私に気付いていない様子にやたらと腹が立った。
胃がむかむかして、このままこの場から立ち去ろうとしたときだった。
 
彼が口を開いたのは。
 
「俺は名取航。このホテルもそうだが、NATORIホテルグループの代表だ。で、お前は?」
 
首を傾げる姿もやたらと色っぽい。
って、そうじゃなくて。
 
え?
今、この人は何と言ったの?
 
「……NATORIホテルってあの⁉」
 
驚いていると、不貞腐れたように唇を尖らせた名取さんが私にせっつく。
ちょっとだけ可愛いかもと思ってしまったのは秘密だ。
 
「で? お前の名前、教えてくんないの?」
「あ、えっと。片山伊織、です」
 
「よし、じゃあ伊織。俺と結婚しないか?」
 
ぐいっと腰を持ち上げられて、私の身体が高く浮遊する。
わっと身体のバランスを崩し前かがみになると、目の前に彼の顔が現われた。
 
そこには柔和な笑顔があった。
だけど、銀の瞳だけはどこか冷たさを残していて、私は見かけの笑顔に騙されなかった。
 
もう誰かにいいように利用される人生なんてまっぴらごめんなのよ。
 
この人、一筋縄ではいかないタイプね。
さすがNATORIホテルグループの代表ってところかしら。
 
だから、私はしっかりとした声でこう言った。
 
「いいえ、貴方と結婚はしないわ」
 
すると、彼はすっと笑顔を引っ込めて私を地面に降ろした。
 
ほらね、やっぱり嘘だった。
真実を見抜けた自分に得意げになっていたから、彼がとても楽しそうに私を見ていたことには気付かなかった。
 
彼は私にもう一度、プロポーズをする。
ただし今度は私の耳を傾けさせる力があった。
 
「それなら、契約結婚ならどうだ?」
「契約?」
 
首を傾げた私に彼は意地悪そうな笑みを見せた。
 
「お前は俺の防波堤になってくれ。NATORIグループの名が欲しくて俺のことを狙う女が多くて困ってんだ」
「ふぅん。それで、私に何かメリットはあるの?」
「俺のものがすべてお前のものになる。お金も権力も、そしてこの身体も」
 
彼の手が私の腰回りを撫であげる。
ぞくりと震えたのは期待などではない、はずだ。
 
「つまり、一生遊んで暮らしていけるということ?」
「あぁ、伊織が望むのならば」
 
彼の指が私の濡れたままの髪をいじる。
 
「悪くないわね」
 
楽しそうな笑顔を彼に向けながらも、私の内心は荒れていた。
 
結局、この人にとっては私が結婚相手でなくても構わないのだろう。
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