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血族たちの元へ

<38>対峙するとき

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 休むことなくシャンテナは地下道を歩かされた。疲労で膝が笑い、足のまめがつぶれた箇所が焼けるように痛む。

 やがて入った場所とは違う出入り口から地上へ出ると、背後の男たちと同じ様な武装した者たちが数人待機していた。彼らは何か話し合ったあと、手荒くシャンテナに目隠しをし、用意してあった馬車に押し込んだ。
 
 座席に転がされたシャンテナは身を起こそうとしたが、思い切り即頭部を殴打されて、呻いてその場に倒れ臥す結果となった。意識が朦朧とする。
 馬車が走り出したのか、車体が揺れた。

「どこへ行くつもり」

 無駄とはわかっているが問いかけてみる。やはり、答えはなかった。代わりに、座席から落ちているふくらはぎを強かに蹴られた。黙っていろということなのだろう。唇を噛んで、悲鳴を押し殺した。
 
 父に手を上げられたことはなかった。厳しい人だったが、シャンテナを頭ごなしに怒鳴ったりするような人でもなかった。その怒り方は静かで、母に怒鳴られるよりも恐ろしかった。あれより恐ろしいことはそうないと思っていた。

 初めて命の危険を感じたのは、工房を襲撃されたときだ。あのときはクルトがいた。毒を盛られたときも、馬車を襲われたときも。
 
 今、目隠しをされた状態で、腕を拘束され、いつ殺されてもおかしくない状況にあると考えると、ひとつひとつの暴力が、父の怒りやこれまでの襲撃よりもずっとずっと恐ろしいものに思えた。当然だった。父の怒りに殺されることはないし、クルトがいれば、助けてもらえるとわかっていたのだがから。その時とは状況が違う。
 
 シャンテナはできるだけ身を小さく屈めて、馬車の揺れが止まるのを待った。

× × × × ×

「降りろ」

 どれほど走っただろう。
 馬車が止まり、シャンテナは襟首を掴まれ起こされた。そのまま、突き飛ばされてまた体勢を崩す。
 頬を襲ったじゃりっとした感触に、それが地面なのだと悟った。じんとした痛みが生まれる。擦過傷は確実だ。

 またも髪を掴んで立たされ、引っ張られた。抵抗せずについていく。
 きっと、早朝なのだろう。空気はまだ夜の冷たさを残しているが、目隠し越しにかすかな太陽の光を感じる。

 髪を引く手が少し緩まり、シャンテナは立ち止まった。
 男たちのささやきがかわされ、ぎいっと蝶番がきしむような音が聞こえた。再び歩き出す。建物の中に入ったのだ。空気が暖かい。

「階段だ。気をつけろ」

 短い警告があった。
 シャンテナは、恐る恐る爪先で階段を探る。あまり高さのない階段があった。

「ぐずぐずするな」

 後にいた別の男が、背中を小突いてきたので、シャンテナは可能な限り急いで階段を登った。
 かつん、かつんと靴音が反響する。階段は螺旋を描いているようだ。音の反響から、天井はかなり高いところにあると知れた。まるで、塔を登っているような気がする。
 時折躓きながら階段を登り、再び制止され、足を止めた。

「失礼します。例の娘を連れてまいりました」

 男がしゃっちょこばった声でそう言った。ばさりと、何か――重たい布がめくられるような音がして、暖気がいっそう強まった。
 背中を押され、一歩中へ踏み込む。足下の感触が違った。先ほどまでの、石の硬質なものではない。ふわふわとした、何かやわらかいもの。そう、毛足の長い上質の絨毯のような感触。

 急に、視界がひらけた。目隠しが外されたのだ。突然の光に、シャンテナは顔を背ける。

 足元は、臙脂色の上等そうな絨毯に覆われていた。肩越しに盗み見た背後の壁には、分厚いタペストリーがかけられている。あれが先ほどの階段に繋がっていたのだろう。隠し通路に違いない。
 前後を固めていた兵が、シャンテナの顎を掴んで強引に前方を向かせた。小さな人影が、清涼な朝日を受け入れる窓を背にして、そこにある。
 
「貴様が、エヴァンスの末裔か」

 大きな樫の机の向こうに、大仰な態度で座っている、小柄な老人。薄くなった白髪をなでつけ、襟の高い暗緑色の上着を着ている。酷薄そうな鋭く細い目は、水に染料を一滴垂らしたような透明に近い青で、白目は老人らしく黄身を帯びていた。唇は薄く、不機嫌そうに引き結ばれている。
 老人の目は炯々として、シャンテナを射竦めた。

「放してやれ」
「はっ」

 老人の一言で、男たちはシャンテナから離れ、一歩下がった。シャンテナは乱れた髪の合間から、老人を凝視する。老人はその視線をうるさそうに目を伏せた。
 
「不敬な。親から、上位の者への礼を教わらなかったのか」
「……あんたが誰だか知らない」

 横面を隣に待機する兵士に張り飛ばされた。口の中が切れたのか、鉄の味がする。シャンテナは殺意を込めて、老人を睨み直した。

「ふむ。悪くない面構えだ。さすがエヴァンス家の末裔ということか? 知らぬようだから教えてやろう。儂は、ギルバート・ヴィス・フラスメン。ベルグ王太子の摂政だ」

 フラスメンは薄く色の悪い唇を笑みの形にした。
 老い屈まった体は、それだけ見ればとてもこの国で政柄を握っているようには見えないが、眼光といい、その落ち着き払った態度といい、どこかあのベルグ王太子に通じるものがあった。

「私をどうする気」
「話してよいとは言っておらぬ」

 背後から何か棒のようなもので肩を打ち据えられた。膝が折れそうになるが、歯を食いしばって堪える。

「貴様の命運は、儂の気分次第だ」
「生かして連れてきたということは、用があるんでしょう? おあいにく様、お探しの品はすべて、私の手元には、ない」
「話す許可は与えておらぬと言った」

 今度は逆の肩を叩かれた。堪らず、シャンテナは膝をついた。痛みで息が荒くなる。汗が額に浮いた。

「貴様がなにひとつ、儂が必要としているものを持っていないことはわかっている。同行していた近衞の男が持っているのであろう。だが、どちらにせよ、貴様がおらぬことには、王太子には打つ手はない。お前の他の魔術師は、その力、その技術を失っているのであろう?」

 言う通りだった。首飾りから国璽を取り出せるのは、現状、シャンテナしかいない。たとえ、工具と首飾りが揃っていても、なににもならない。

「問われたら答えよ」

 フラスメンの言葉と同時に三たび、衝撃が背中に走った。
 絨毯に顔から突っ伏して、シャンテナは、それでもフラスメンを睨みつけた。老人は立ち上がると、杖を取り、鷹揚な足取りでシャンテナに歩み寄る。

「躾の必要がありそうだ」

 そして、老人は杖を徐に振り上げ、勢いよく振り落とした。

「うっ」

 鈍い音を立てて、背骨が軋む。その衝撃で肺が圧迫され、自然と呻き声が出た。立て続けに、もう一撃が降って来る。

 這いつくばる娘を、冷酷に見下ろして、フラスメンは杖を振るう。何度も、何度も。
 そして、老人は、垂れた瞼をぴくりとさせた。

 のたうっていたシャンテナが、仰向けになった。自分の意志で。
 普通なら、腹や顔を庇うために体を丸めて小さくなるだろうというのに、彼女は下からフラスメンを睨みつけて、視線を外さない。
 黒い瞳に、殺気と恐怖がない交ぜになっている。

 それは、老人の嗜虐心を十分に刺激したらしい。

「よほど、躾てほしいのか、貴様は」

 フラスメンはシャンテナの腹といわず顔といわず、いたるところを杖で殴った。

 シャンテナは呻き声を上げながら、ますますきつく老人を睨みつける。
 譲れないものがあった。それは自分の手だ。手は、彫金師の命だ。後ろ手で縛られている今、それを守るには仰向けの体勢で堪えるしかない。殴られて折られるなら、鼻でも頬でもかまわない。ただ、手はだめだ。手指の骨が無事でなければ、首飾りから国璽を取り出せない。
 
 それだけではなかった。一瞬でも、この大嫌いな老人に、眼力だけでは負けたくない。ただいいように殴られてやるだけのつもりはなかった。

 やがて老人の息が上がり、杖が止まるまでシャンテナは耐えた。
 全身の感覚が危うくなっていた。あちこちが燃えるように熱く、または無感覚だった。何箇所か骨が折れているのは確実で、殴られた即頭部から流れ出た血が目に入り、視界が悪い。
 喘鳴をもらす娘を見下ろし、憤然とした老人が最後にもう一撃くれてやろうと、顔めがけて杖を振りかぶったときだった。

 建物が、大きく振動した。地震ではない。轟音が柱と壁を揺らしている。

「旦那様!」
「なんだ、こんなときに」

 泡を食って執事と思しき男が部屋に飛び込んできた。

「火事です! 地下の酒蔵から出火しておりますっ! 酒樽が破裂して……」
「急いで消火にあたれ」

 フラスメンは驚いた様子もなく、そう言っただけだった。だが、執事はなおもいい募る。

「火の勢いが強くて、とても手が付けられません! 既に一階にも火の手が回っております! 早くお逃げくださいませ!」
「ええい、なにをしておる」

 初めて声を荒げ、老人が執事を睨んだ。
 同時に、下階で派手な音がした。ガラスが割れる音、何かが落ちる音、走り回る人の足音、悲鳴。
 さらに、かすかにだが、きな臭さが漂い始めていた。鼻血を吹いているシャンテナには、嗅ぎ取れない程度のものではあったが。
 
 舌打ちして、老人は身を翻した。

「その娘も連れて来い。ただし、裏口から目立たぬようにだ」

 部屋に来るときと同じふたりの男が、まともに身動きもできないシャンテナの両脇に腕を差し入れ、その体を引きずり起こす。全身が痛み、シャンテナは呻いた。もがいたところで弱った彼女の抵抗など、鍛えた男たちの膂力の敵ではないに違いない。
 
「放……せっ」
「痛っ!」

 片方の男の腕に噛み付く。それが今できる精一杯の抵抗だった。

「早く連れてこい」
「この! 暴れるな!」

 フラスメンに叱咤され、もう片方の男が拳を固めた、その時。

 タペストリーの向こうで、悲鳴が上がった。
 分厚い生地を引き裂く勢いで、おそろいの武装の男が、部屋に転がり込んできた。彼は怯えきって、無様に床を這う。上腕から夥しい血を流していた。鋭利な刃物で切られたのが一目で分かる切り口である。指先に力が入らないのか、だらりとさせている。
 シャンテナを拘束していた男たちは、彼女を床に放り出して剣を抜いた。一様に、タペストリーを睨む。

 一閃。

 ちかりと一条の光が走り、シャンテナの右にいた男の剣が鈍い音を立てて弾かれた。体勢を崩した彼は、驚愕の表情を浮かべ、仰向けに倒れた。銀色に光る剣が、深々と眉間に刺さっていた。剣は、彼が持っているものと同じ意匠だ。フラスメンの私兵の支給品だろう。持ち主が倒れても、深くに刺さったその剣は、傾ぎもしなかった。まるでそこから生えているかのごとく。あるいは、墓標のように。
 
 斜めに断ち切られたタペストリーの下半分が、今更思い出したように、どさりと音を立てて床に落ちた。
 シャンテナは、全身の力を総動員してなんとか上半身を起こし、半分になってしまったタペストリーを、そしてその奥に続いている隠し通路を見つめた。

 誰かが立っている。

 顔はタペストリーに隠れて見えない。
 それでも、それが誰かわかっていた。
 目隠しの用を成さなくなった布が無造作にめくられる。
 鋭く光る、灰色の目。
 血の色をした髪。

 強い怒りを含んだ視線を、剣を構える最後のひとりに向けたのは、クルトだった。
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