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東方領 メルソにて
<07>蛮行、許すまじ
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明け方まで作業部屋を片付けながら探したが、やはり工具は見つからなかった。
もう一つ見つからないものに気付いて、シャンテナは瞼を閉じた。
世界が回っているような錯覚がある。体力的な限界がきていた。それでなくとも、昨日はかなりきつい作業を連続したのだ。余力はもうない。
顔を洗い、髪を結い直すと、それだけで気分が少しましになった。
「クルト」
呼びかけに、埃まみれで作業をしていた青年がぴょこりと顔を上げた。
「見つかりました?」
「話があるの」
問い返す間も与えず、シャンテナは居間へ戻った。
食卓の椅子に腰をかけ、クルトにも向かいの椅子をすすめる。
「シャンテナさん、話って?」
クルトの目の下にはくまが出来ていた。
仕事ではないのだから、手伝う義理も無いのに彼は一晩中付き合ってくれたのだ。命まで救ってくれた上に。
ここまでしてもらってはもう、禁忌だ不信だなどと言う余地はなかった。
シャンテナは懐から小さな金の半円の板を取り出し卓上に置いた。
昨夜出掛けに、用心にと帯出したアーメインの水晶庭の部品の一部である。
クルトの顔色がさっと変わった。
「これをどこでっ? フラスメンに奪われて、行方知れずになっていたのに」
興奮した様子で、彼は卓に身を乗り出す。
シャンテナは意を決して、話し始めた。
アーメインがクルトの前にこの家に来た事。
シュプワ氏が二つの水晶庭の連作を作らせていた事。
二つに刻まれていた意味ありげな魔法文字について。
クルトが来ると同時にアーメインが姿を消した事。
そして今現在、工具だけでなく、アーメインが持参した契約書が見つからない事。
「途中で……、あなたが国璽のことを話したとき気付いたの。こっちのも国璽に関する何かだってことは。けれど、あなたとアーメインは全くばらばらに行動している。もしかすると、あなたたちは違う勢力の人間なんじゃないかと思った。それだったらアーメインが、あなたの来訪と同時に姿をくらましたことも頷けるわ」
「気付いていたら、なんで教えてくれなかったんですか、このことを!」
責める声に、シャンテナは強い視線で返した。
「言ったはず。私にとっては王族もフラスメンも同じ。それにあなたが言葉通り、王太子殿下の部下とは信じきれなかった。むしろ、委任状を持ってないあなたのほうが、怪しいくらい」
横面を打たれたような顔をして、クルトがうつむいた。シャンテナは早口に続けた。
「でも今は違う。あなたたちも脅迫してきたけれど、あいつらはそれ以下の最低なことをした。職人の魂に手を出した」
怒りで、握りこぶしが震えていた。
そう、奴らは手を出してはいけないものに手をだしたのだ。
シャンテナが命よりも大切にしている銀の工具に。許されない蛮行だった。職人の魂を、土足で踏みつけた。加えて、工房をここまで滅茶苦茶にされたのだ。先日買ったばかりのたがねも床に転がり、踏み荒らされていた。これだけも、シャンテナの中では死罪に値する。
最愛の伴侶たちを容赦なく踏みつけられて、怒らぬ人間がいるだろうか。
「だから、復讐するわ。あなたには恩を返す」
半円の金板を見つめ、シャンテナは言った。
静謐が部屋を支配する。
黒と灰色の双眸が、音もなく言葉を交わした。
「あなたが必要だというなら、これをあなたにあげるわ」
「シャンテナさん、あなたはこれがどんなものかわかっていますか?」
「国璽にたどりつくための手がかり」
クルトがゆっくりと首を横に振った。赤い髪の毛がふわりと揺れる。
「これが国璽そのものなんです」
「これが……?」
薄っぺらな金の板の表面には、よく見ると蘭が浮き彫りになっている。
それは確かに精緻を極めており、シャンテナの技量をもってしても、模倣は容易ではないだろうが――。
こんな薄い金一枚では押印できない。
何より、国紋を押すはずの国璽の文様には二頭の踊る角馬と、それを囲う蔦が足りない。
卓上にクルトがもう一枚の金の板を添えた。
正円を描くこちらの板には、二頭の踊る角馬が掘り込まれているが、その下方はのっぺりとした平面が広がっている。
「もしかして……」
「この二枚は、元は一つの印。魔術師によって分かたれ、封印されたものです」
「たしかに、水晶庭師の技術でもそれは可能だけれど、こんな大事なものをぶつ切りにするなんて。しかもこれ、図柄からしてもう一つ部品があるわけね。国紋の蔦の部分の」
「はい。……それよりシャンテナさん」
丁寧に、布に二枚の金板を包み込み、クルトはそれを懐にしまった。
「俺と一緒に都に来てください。あなたを今ひとりにしておけない」
シャンテナの片眉がぴくりと動いた。
どういう意味か、すぐに理解できたからだった。
「あっちからすれば、部品を所持していて、しかも国璽を再生できる技術を持つ私は、始末したい」
「ええ、そうです。国璽を入手したいのはあちらも同じ。あれさえあれば、フラスメンはさらにその地位を盤石にできる。しかし、我々側に奪われるくらいなら、ないほうがいい。なにしろ、奴は無理に危険を冒し国璽を入手せずとも、すでに王太子殿下より強い力を持っているからです。だから」
「でも私はもう道具を失ってしまった。力は行使できないし、あいつらにとってはもう何の意味も持たない存在でしょう」
「あなたは……知りすぎてしまった。きっとあいつらはまた来ます」
卓上で拳になっているクルトの手の甲には、血の滲んだ包帯が巻かれている。
ひとりのときに襲われたら確実に死ぬ。それはシャンテナにもわかっていた。
しかし、ためらわずにはいられなかった。
彫金師としての仕事もある。
都は一度も行った事がない。
それに――もっと恐ろしい出来事が待ち受けているかもしれない。
「シャンテナさん。俺がちゃんとあなたを守ります」
場違いなほど明るく、力みなく、クルトがほややんと笑んだ。
最初はこの笑顔に苛立ちを覚えた。
だが今は何故か、無性に安心した。
もう一つ見つからないものに気付いて、シャンテナは瞼を閉じた。
世界が回っているような錯覚がある。体力的な限界がきていた。それでなくとも、昨日はかなりきつい作業を連続したのだ。余力はもうない。
顔を洗い、髪を結い直すと、それだけで気分が少しましになった。
「クルト」
呼びかけに、埃まみれで作業をしていた青年がぴょこりと顔を上げた。
「見つかりました?」
「話があるの」
問い返す間も与えず、シャンテナは居間へ戻った。
食卓の椅子に腰をかけ、クルトにも向かいの椅子をすすめる。
「シャンテナさん、話って?」
クルトの目の下にはくまが出来ていた。
仕事ではないのだから、手伝う義理も無いのに彼は一晩中付き合ってくれたのだ。命まで救ってくれた上に。
ここまでしてもらってはもう、禁忌だ不信だなどと言う余地はなかった。
シャンテナは懐から小さな金の半円の板を取り出し卓上に置いた。
昨夜出掛けに、用心にと帯出したアーメインの水晶庭の部品の一部である。
クルトの顔色がさっと変わった。
「これをどこでっ? フラスメンに奪われて、行方知れずになっていたのに」
興奮した様子で、彼は卓に身を乗り出す。
シャンテナは意を決して、話し始めた。
アーメインがクルトの前にこの家に来た事。
シュプワ氏が二つの水晶庭の連作を作らせていた事。
二つに刻まれていた意味ありげな魔法文字について。
クルトが来ると同時にアーメインが姿を消した事。
そして今現在、工具だけでなく、アーメインが持参した契約書が見つからない事。
「途中で……、あなたが国璽のことを話したとき気付いたの。こっちのも国璽に関する何かだってことは。けれど、あなたとアーメインは全くばらばらに行動している。もしかすると、あなたたちは違う勢力の人間なんじゃないかと思った。それだったらアーメインが、あなたの来訪と同時に姿をくらましたことも頷けるわ」
「気付いていたら、なんで教えてくれなかったんですか、このことを!」
責める声に、シャンテナは強い視線で返した。
「言ったはず。私にとっては王族もフラスメンも同じ。それにあなたが言葉通り、王太子殿下の部下とは信じきれなかった。むしろ、委任状を持ってないあなたのほうが、怪しいくらい」
横面を打たれたような顔をして、クルトがうつむいた。シャンテナは早口に続けた。
「でも今は違う。あなたたちも脅迫してきたけれど、あいつらはそれ以下の最低なことをした。職人の魂に手を出した」
怒りで、握りこぶしが震えていた。
そう、奴らは手を出してはいけないものに手をだしたのだ。
シャンテナが命よりも大切にしている銀の工具に。許されない蛮行だった。職人の魂を、土足で踏みつけた。加えて、工房をここまで滅茶苦茶にされたのだ。先日買ったばかりのたがねも床に転がり、踏み荒らされていた。これだけも、シャンテナの中では死罪に値する。
最愛の伴侶たちを容赦なく踏みつけられて、怒らぬ人間がいるだろうか。
「だから、復讐するわ。あなたには恩を返す」
半円の金板を見つめ、シャンテナは言った。
静謐が部屋を支配する。
黒と灰色の双眸が、音もなく言葉を交わした。
「あなたが必要だというなら、これをあなたにあげるわ」
「シャンテナさん、あなたはこれがどんなものかわかっていますか?」
「国璽にたどりつくための手がかり」
クルトがゆっくりと首を横に振った。赤い髪の毛がふわりと揺れる。
「これが国璽そのものなんです」
「これが……?」
薄っぺらな金の板の表面には、よく見ると蘭が浮き彫りになっている。
それは確かに精緻を極めており、シャンテナの技量をもってしても、模倣は容易ではないだろうが――。
こんな薄い金一枚では押印できない。
何より、国紋を押すはずの国璽の文様には二頭の踊る角馬と、それを囲う蔦が足りない。
卓上にクルトがもう一枚の金の板を添えた。
正円を描くこちらの板には、二頭の踊る角馬が掘り込まれているが、その下方はのっぺりとした平面が広がっている。
「もしかして……」
「この二枚は、元は一つの印。魔術師によって分かたれ、封印されたものです」
「たしかに、水晶庭師の技術でもそれは可能だけれど、こんな大事なものをぶつ切りにするなんて。しかもこれ、図柄からしてもう一つ部品があるわけね。国紋の蔦の部分の」
「はい。……それよりシャンテナさん」
丁寧に、布に二枚の金板を包み込み、クルトはそれを懐にしまった。
「俺と一緒に都に来てください。あなたを今ひとりにしておけない」
シャンテナの片眉がぴくりと動いた。
どういう意味か、すぐに理解できたからだった。
「あっちからすれば、部品を所持していて、しかも国璽を再生できる技術を持つ私は、始末したい」
「ええ、そうです。国璽を入手したいのはあちらも同じ。あれさえあれば、フラスメンはさらにその地位を盤石にできる。しかし、我々側に奪われるくらいなら、ないほうがいい。なにしろ、奴は無理に危険を冒し国璽を入手せずとも、すでに王太子殿下より強い力を持っているからです。だから」
「でも私はもう道具を失ってしまった。力は行使できないし、あいつらにとってはもう何の意味も持たない存在でしょう」
「あなたは……知りすぎてしまった。きっとあいつらはまた来ます」
卓上で拳になっているクルトの手の甲には、血の滲んだ包帯が巻かれている。
ひとりのときに襲われたら確実に死ぬ。それはシャンテナにもわかっていた。
しかし、ためらわずにはいられなかった。
彫金師としての仕事もある。
都は一度も行った事がない。
それに――もっと恐ろしい出来事が待ち受けているかもしれない。
「シャンテナさん。俺がちゃんとあなたを守ります」
場違いなほど明るく、力みなく、クルトがほややんと笑んだ。
最初はこの笑顔に苛立ちを覚えた。
だが今は何故か、無性に安心した。
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