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第二部
第15話
しおりを挟む「フィリップ」
「…………っ」
背後に立った男の気配を感じ取り銃口を真後ろに向けた。フィリップの握る銃は例え、『牙』を装備していたとしても貫通させることのできる殺傷能力を持つ。
だが、向けられた男、オスカーは一切の動揺を見せない。
「終わりだ」
倒れた人々に真っ赤に染まった光景。
「ーー救え、なかった」
後悔が湧き上がる。
また、力が足りなかった。手が届かなかった。血だらけの世界で、また嘆くだけなのか。
「……何のためにボクはっ」
「前を向け、フィリップ。オレ達にも救えた命がある」
血を流しながらも、未だ活動を続ける者が居た。小さな少年が、大きな男が、若い女が。
「救えなかったなんて言うなよ。今、生きてる人間はお前が助けたんだ」
フィリップに言い聞かせ、オスカーはゆっくりと近くにいたアダーラ教徒の格好をした男の元に近づいて布を取り去ろうとして手首を握られる。
押しのけようと思えば出来たはずだ。
ただ、お互いの正義をぶつけ合う必要はない。どちらもアスタゴという国を守ろうとしているのだから。
大人しくオスカーは右手を下げた。
「…………はあ」
「すみません。これ以上は警察の領分です」
警察以上の実力を持つ『牙』という組織は警察と軍の狭間に立つ、何とも言い難い立場の役職であった。
ただ、彼らに求められたのは実力。危険性の高い任務に就くことも少なくない。
「貴方達のお陰で救われた命があります。お疲れ様です」
警察官の男性から敬礼が送られた。
何もかもが終わり、消火が始まり焦熱の地獄は少しずつ消えていく。
血に染まっていく両手の平をフィリップは幻視していた。
「ごめん……母さん、父さんっ」
救いたかった。
今度こそは守りたかった。奪っていく人間を許したくないのに。
「おじさん……泣いてるの?」
腕に包帯を巻いた少女がフィリップに話しかける。怪我は軽い物だったからだろうか。顔色は悪いが死は見えない。
「キミは?」
「私は大丈夫。きっと、お母さんも助かるから」
「……ごめん、ボクのせいで」
「……皆んな泣いてるの。沢山の人が泣いてるの。子供も、大人も」
「…………」
少女は何処か壊れたように笑って、自嘲するかのように見えて痛々しい。
「ねえ、私はさ。家族が助かって、自分の大事な人が誰も死ななくて良かったって思ってるんだ。それって、もしかして薄情なのかな?」
「……ボクには分からないよ」
「そっか」
「でも、キミは間違ってない。キミはそれだけ家族を大事だと思えたんだ……」
だから、喜んで良い。
「キミは家族に愛されていると、そう思ってたんだ」
彼女の感情は、誤りなどではない。
フィリップは肯定する。彼女は家族を愛している、家族に愛されているのだと。
「フィリップ、行くぞ」
「はい」
「負の面だけに目を向けるなよ」
「……はい」
フィリップの背中を右手で軽く叩くと、オスカーは歩き始める。
確かに救えたモノは小さくとも、そこにあった。
爆発から一分程か。
アリエルとエマの前に現れたアダーラの戦士達の姿。
誰もが似た様な格好をして、統一感がある。
「エマ……!」
仲間の無事を確認するために名前を呼ぶ。
「大丈夫」
煙が晴れた中、ぼやけて見えたエマの姿。安全は確認できた。周囲は他二方の入り口前と変わらない。
「…………」
アリエルの心はどうしてか静かな物だった。
荒ぶるほどの怒りを抱いた様な物ではなく、穏やかに次への対処を考えていた。
血だらけの世界、わずかに晴れぬ煙の向こうから、たった一人がアリエルに向かって高速で走ってきて右手に逆手持ちしたサバイバルナイフを上向きに振り抜いた。
「中々……」
完全に見切ったアリエルに刃先は擦りもしない。その刃が当たったところで『牙』に身を包まれた彼女の身体を傷つける事はできないだろう。
「何のつもりなの」
「神の為だ……」
鋭い視線がアリエルに向けられた。
「勝てるとでも?」
アリエルが構えを取れば、相手も構えを取り再び駆け出した。銃口を向けてトリガーを弾こうとするが、柔らかく上から押さえつけられ銃の向きをズラされる。
「っ」
「どうした、撃たないのか?」
出来るわけがない。
彼女の持つ銃は殺傷能力に於いて危険極まりない物だ。
ただの拳銃だったとしても、もしもを考えて仕舞えば撃鉄は弾けない。
「私の、自由でしょ!」
銃を押さえつけていた男の身体をショルダータックルで吹き飛ばす。
つもりが、感覚が薄い。手応えがない。
「……避けた?」
アリエルの目の前に立つ男の戦闘技能は優れた物だ。紛れもなく一級のもの。
傲慢とも思えるがアリエルは自らの能力に自信を持っていた。父親に鍛えられたのだから、弱い方がどうかしていると思っているから。
「やるな……。完全に避けたつもりだったんだが」
ただ、彼には少なからず効果があった様だ。重心の小さな傾きから脇腹あたりへの痛みでもあるのだろうと、アリエルは考える。
「エマ……」
アリエルは歯噛みする。
早くこの男を処理して、仲間の元へ。だが、簡単な話ではなかった。
「安心しろ。お前の仲間なら死ぬ事は無い」
当然だ。
『牙』を身につけた彼女が負けることなどあり得るわけがない。
「…………もういいか」
何を思ったのか、男は小声を漏らしてから戦線離脱を開始する。
スモークグレネードが投げ込まれて視界を眩まされる。
「……居ない」
煙が晴れて仕舞えば、もう男はこの場には居なかった。
「そうだ、エマっ!」
思い出してエマのいる方向へ向かえば何の問題もなく、戦場に彼女が立っている。
「ーー大丈夫だよ、アリエル」
仮面がアリエルを向いた。
エマのパワードスーツは少しばかり赤く染まっていた。
「それよりも……」
殺戮をもたらす者達は粗方、片がついた。ただ、地獄と形容すべき光景に変わりはない。先ほどから鳴り響くサイレンはこの場に駆けつけようとする警察車両と、救急車両の二種類。それは、戦いの終息を告げるけたたましいデュエットの様に思える。
気にするべきは、だ。
「まだ生きてる人を見つけて……」
エマの元に駆け寄ってくるアリエルには傷のようなものは見られない。見た目においては寧ろエマの方が痛ましい。
と言っても、エマの体を染めたのは彼女の内から溢れた血ではなく、敵対者が溢した血だ。証拠にパワードスーツが斬られたような後は見えない。
「うん」
アリエルが言われた通りに怪我人の保護をしようと駆け出そうとすると、もう一言。
「慎重に」
注意の声が掛けられた。
「分かった!」
エマも落ち着いて対処を始める。
怪我をした少年を見つける。皮膚が焼け爛れているが、生きている。この傷は少年の人生を歪めてしまうものかも知れないが、それでも生きている。
「おねえ、ちゃん……」
少年の無事な左手を優しく、エマは左手で握りしめる。どうすれば良いのか、どう振る舞えば良いのか、エマにはわからない。
妹も弟もいた事はないから。
もし、ミアであったのなら分かったのだろうかと迷いながらも。
「おねえちゃん……」
どこか安らかな顔になって、次の瞬間に背後から肩を叩かれる。
「すみません、その子を運びたいのですが」
「はい」
手を離せば、少年がどこか寂しそうな顔をしたように見えて、また一つだけ姉のように振る舞う。
「大丈夫、貴方は強いから……」
きっと彼は助かるだろう。
少年が救急車に運び込まれたのを確認してエマはまだ終わっていないと意識を戻す。
「ほら、エマ。アタシの助けはいるかい?」
聞き覚えのある声に振り向けば『牙』に身を包んだ女性が立っている。
おそらくベルだろう。
ただ、何故こちらに来たのか。
「ベル。貴女はオスカー副団長の所に行くと思ってた」
そう思われても仕方がないだろう。
常に彼女の行動の念頭にはオスカーという男がいたのだから。
「……フィリップが居るからね」
どうにもフィリップと会うのは気不味いらしい。あんな事があった後だ。
だとしても暴走機関車だとも思えるベルの振る舞いとしては考えられないものだ。
「変な物でも食べた?」
エマの発言は、何とも失礼な物だった。
言われたベルは顔は見えないが、声の荒げようで何となくどのような顔をしているかは分かった。
「何でも良いでしょ! ほら、アリエルが必死にやってるんだ!」
よく分からない。
エマの知っているベルという人物と差異がある。少しずつ、彼女も変わってきている。アリエルという存在によって。
凝り固まった環境を、アリエルという未知は変える事ができた。
「手伝いに来たよ!」
被害者を助けようと奔走するアリエルにも声を掛ければ、出会ったばかりの時からは想像もできないように話をしている。
「ありがとうございます、ベルさん!」
分担をして、彼女達は最善を尽くす。
エマも黙って見ているだけではならないと彼女達の方へと歩み寄った。
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