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第二部
第16話
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テロの発生は現場だけではなく、エクス社にも混乱を巻き起こしている。
冷静さを欠いた人々はここでもテロリストが襲撃するのではないかと怯えている。携帯電話に下ろしていた視線。
それが彼らがテロの情報を手に入れる事ができた理由である。
勿論、『牙』の隊長を務めるマルコも一早い情報の取得は出来ていた。
『牙』の隊員が把握した瞬間に焦りを含んだ息が聞こえたことも。
「スミスくん」
沈痛な影のある面持ちで口をへの字に曲げたスキンヘッドの男がマルコを呼んだ。
「……ヘイズ社長」
「これから私は社内放送を行う。『牙』の隊員には誘導をお願いしたい。エクス社社員も協力して対応する」
「分かりました」
この様な惨事が引き起こされる事が完全に想定されていた訳がなかった。大事な祭典がここまで破壊されることになると誰が思っていただろうか。
「ロバーツ、ブラウン、ミッチェル、モーガン」
通信を繋ぐ。
「エクス社本社に残り、観客の誘導を行う」
指示を伝えると、一番に返って来たのはベルの物だった。
『マルコ隊長。アタシはスタジアムの方へ向かってます』
「……分かった」
文句はつけられない。
彼女の思考を優先すると言うつもりもなかったが、事件のあった現場の方が人員を必要とするのも確かだ。
それをベルが理解しているかどうかはマルコには知る事はできないが、彼女も愚かではない。
『分かりました』
普段のゆったりとした声ではないことからシャーロットの緊張が伝わる。
『あの団長。ミアさんは……?』
オリバーからの質問にマルコは答えられない。
「……分からない。兎に角、我々にできる最善を尽くす。モーガン、そちらは任せた」
緊急の事態に誰もが最善を選ぶことは出来ない。それは公的な人間であったとしてもだ。最適を選ばなかった彼らを、ただ否定するという事を許して良いかも分からない。
『牙』の隊員と通信を行なっていると。
『エクス社、代表取締役のエイデン・ヘイズです。開催を予定していた本年のエクスフェスティバルは中止する事を宣言します。観客の皆様は近くのスタッフの誘導に従って行動してください』
社内放送が響いた。
人々のどよめきが強まって、空気は歪みを見せ始める。この日を楽しみにしてセアノに訪れた者もいる。
だと言うのに。
「皆さん、落ち着いて行動してください」
誰だって不安で、心のざわつきを抑えられない。
「あのっ!」
だからこそ、無神経なのか神経質なのかも分からないが人は自分本意な質問を投げかける。
「息子は……無事なんでしょうか」
答える術を持つ人間は誰一人としてこの場にはいないというのに。女性のたった一言が原因で波紋が広がっていく。
「…………」
大丈夫ですから。
と、簡単に言っても良いものか。
分かりません。
などと言ってこの女性は納得するだろうか。
「教えてください!」
女性は答えを急かす様に叫ぶ。
「一先ず、落ち着いてください」
今日、この日はアスタゴ合衆国史に残る、最悪の一日となる。
誰もが忘れ得ない一日に。
ーーそして、ただ一人が笑っていた。
スタジアムの中から人影が飛び出す。
「大丈夫か! アイリス!」
白色のパワードスーツを身につけた茶髪の青年男性が頭部装備を外した状態で空色の髪の少女の元に駆け寄って来た。
無事だ。
頬の筋肉が緩んだ。
「アーサー……」
顔が青白く染まっている。
スタジアム内に居た青年、アーサーは選手待機場に居たため、外の様子を伺う事はできなかった。
スマートフォンに表示されたニュースを目にして彼は恋人の事が心配となり慌てて飛び出したのだ。
中学からの付き合いで、高校の時からこの関係になった。初めての恋人を彼は大切にしたいと本当に思っていたのだ。
「良かった……」
本当に。
アーサーがアイリスを抱きしめる両腕の力が強くなる。ずっと自分を支えてくれた彼女が死んでしまったらと考えると、何もかもが込み上げてきて心の中がグチャグチャになってしまう。
「アーサー……。うん、大丈夫だよ」
アーサーが心配してくれる。
アイリスにはこれだけが今の自分を肯定する理由だ。
アーサーがいれば良い。
アーサーが自らを思ってくれている。
縋る様に抱きしめて、彼女はアーサーを話したくはないのだ。彼を自らのモノにしたくて仕方なかったのだから。
「大丈夫だから……」
怖かったのは確かだ。
ただ、無事で居て、そして彼が喜んでくれる。ならば、心を占めていくのは喜びと独占欲だ。
ーーああ、これで…………。
良いのかもしれない。
何かを犠牲にしたのかも。あれは全て彼女が悪かったのだ。アイリスのモノを奪おうと誘惑したから。
今もふとした瞬間に彼女の顔がチラついて、忘れるなと告げてくる。
「…………五月蝿い」
彼女の漏らした小さな声は誰にも聞こえない。抱きしめる恋人にも。
最初に仕掛けたのはお前だ。
だからこれは私が守るためにした事なのだと、アイリスは自らに言い聞かせる。
彼女の心を、倫理観を守る為に。
「そうだ、怪我はっ!?」
「平気だよ」
ぱっと、彼は密着させていた体を離して、アイリスの肩や腕を触って確認するが、別にどこにも痛い所はない様だ。
誰もが助かったわけではない。
「運が良かったんだよ」
爆発も爆風も彼女から離れた場所で発生した。だから助かった。
「……そう、だな」
今更になって、アーサーには大切な人の無事を喜ぶ事が正しい事なのかが分からなくなる。手放しで喜んでしまっていいのか。
他の人は。
「…………」
誰も彼らのことなど気にしていなかった。祈りを捧げる者がいて、嘆く者がいる。誰もが感情の発露に必死だ。
誰かを気にかける程の余裕などないのだろう。
ただ、こんな混乱の中でも必死に動く黒色のパワードスーツの姿の三人の女性が遠目に見えた。
『この度の事を……誠に残念に思う』
アスタゴ合衆国において、彼の名前を知らぬ者は居ないだろう。
イルメア州セアノ、エクス社のスタジアムで起きた大型トラックを使用したテロ事件に悲壮感を漂わせながら重たく薄桃色の唇を開くのは、この国の代表とも言えるロナルド・テイラー大統領である。
皺だらけの顔は彼が生きてきた年数を感じさせ、今は悲しみからか一層に皺を深くする。
髪の色素は抜け落ちてしまったのかと思える白髪、所々に薄紫の髪が見えるがどちらが元々の髪色なのかは分かりもしない。
白色の髭が顎を覆う様に生えている。髪と髭の途切れ目が分からないように繋がっている。それでも髭は整えられており見苦しいと言う印象は与えない。
既にあの事件から二週間が経過したというのに。いや、経過してしまったからこそか。一命を取り留めた者、命を散らしてしまった者が明確となってしまったが故に。
深く悲しみ。
嫉妬を覚える。
嫌な空気がイルメア州民の心を覆った。
『だが、我々は常に諦めずに立ち向かってきた。時代を見てもそれは明らかな筈だ。我々には力がある! 逆境に立ち向かう力が!』
だから。
彼が言う言葉は決まっていた。
『これは我々とアダーラの民、アンクラメトらとの戦いだ!』
大統領が戦う事を宣言してしまった。
アスタゴを襲った脅威を始末してしまう為に。
『私はアスタゴの正義の、一人の民として! 彼らを、アスタゴを脅かす悪を! 必ず倒す事を君達に約束しよう!』
痛いほどに伝わってくる彼の気持ちに、多くの民はロナルドの宣言が成就する事を祈ったはずだ。
「…………」
オリバーとアリエルが二人きりで大統領の宣言をテレビ画面で見ていた。
「…………」
暫しの無言。
顔を合わせることも出来ないほどに『牙』のメンバーも心を折られている者もいた。それぞれの活動に精を出す中、偶然にこの場に居たのがアリエルとオリバーであった。
テーブルを挟んで対面する男女。
以前に、オリバーがアーノルドらに椅子にされた場所。
今は静かなものだ。
小さな息が多分に混じった声でアリエルが切り出した。
「オリバーさんは……」
「うん?」
「大丈夫なんですか?」
「……大丈夫って言っていいのかは本当に悩むけどね」
軽々しく大丈夫と言って仕舞えば、誰かしらの命を軽視したことになるだろう。誰にも見られていないはずだから、言ってもいいかとはならないものだ。
気にしすぎ、などとは言えないだろう。
「フィリップさんは……どうですか?」
「……無理だよ。話しかけられる雰囲気じゃない」
「そうですか」
「エマちゃんも、ベルさんも……そこはいつも通りか」
「…………」
「俺のダメージは比較的に薄いんだよ。別に誰かが死ぬところを見たわけじゃないんだ。大切な誰かを失ったわけでも……。だから、他の誰よりも悲しんだらいけないんだと思うんだよ。俺より悲しむべき人の方が多いだろうから」
勝手な義務感で彼は自らの感情を殺してしまっている。
自分は悲しむ立場にいる人間ではないのだと言い聞かせているのか。本気で思い込んでいるのか。
「アーノルドさんも、クリストファーさんも、フィリップさんも。俺より傷ついてるよ。目の前で何かを失うって言うのは、あの人達にとって最悪な事態だ」
正義を心に誓うフィリップに取って、警察官であった過去を持つアーノルドとクリストファーに取って。
悪に目の前で命を奪われると言うことは特に。
守れなかったと言う後悔と、自分が救えなかった命への罪悪感に押しつぶされてしまいそうなのだろう。
「あの人達は誰よりも善人だから」
「そう、なんですか……」
「善人なあの人達よりももっと傷付いてる人もいる。傷って言って良いのかも、立ち直れるかも分からない。復讐をしたいと思えるのかも、さ」
「復讐?」
何故、復讐なのだろうか。
復讐という言葉に良いイメージを持つ者は少ないだろう。
アリエルが首を傾げれば、オリバーは神妙な面持ちで語り始めた。
「復讐っていうのはさ、別に悪い事ばかりじゃないんだよ。……憎いとか、恨めしいとか、そう言うので人間は動けるんだ」
人間の行動の多くは感情によって決まる。感情があるからこそ人は行動を起こす。腹を立てたから何かを殴りつける、蹴りつけると言った行動に移す。
悲しいから泣いて、嬉しいから笑う。
「……何かをしたいっていうのは、人間が生きるための理由なんだよ」
「…………」
「今のミアさんにとって、その理由があるかが俺には……」
何と言えば良いのか、オリバーには分からなくなってしまったのだろうか。最後を有耶無耶にする。
ただ、彼の考えは間違っていなかった。
彼女の行動の柱となっていた愛を与える対象を丸々、削り取られてしまったのだから。心に空いた大きな空洞をどうしたって埋めることはできない。
誤魔化すことのできない喪失感。
泣き腫らした後で心には何も残らない。空っぽになってしまった人間が生きていたいと願うことはあるのだろうか。
何も分かりはしない。
他人に彼女の感情など理解できる訳がない。下手な同情や慰めなどと言うモノは彼女を傷付けるだけだ。
触れて仕舞えば、崩れると分かっているのに誰が容易に手を触れようなどと思えるのだろう。
『ーー我らの国は、テロには屈しない!』
力強い言葉が点けっぱなしのテレビから鳴り響いた。
冷静さを欠いた人々はここでもテロリストが襲撃するのではないかと怯えている。携帯電話に下ろしていた視線。
それが彼らがテロの情報を手に入れる事ができた理由である。
勿論、『牙』の隊長を務めるマルコも一早い情報の取得は出来ていた。
『牙』の隊員が把握した瞬間に焦りを含んだ息が聞こえたことも。
「スミスくん」
沈痛な影のある面持ちで口をへの字に曲げたスキンヘッドの男がマルコを呼んだ。
「……ヘイズ社長」
「これから私は社内放送を行う。『牙』の隊員には誘導をお願いしたい。エクス社社員も協力して対応する」
「分かりました」
この様な惨事が引き起こされる事が完全に想定されていた訳がなかった。大事な祭典がここまで破壊されることになると誰が思っていただろうか。
「ロバーツ、ブラウン、ミッチェル、モーガン」
通信を繋ぐ。
「エクス社本社に残り、観客の誘導を行う」
指示を伝えると、一番に返って来たのはベルの物だった。
『マルコ隊長。アタシはスタジアムの方へ向かってます』
「……分かった」
文句はつけられない。
彼女の思考を優先すると言うつもりもなかったが、事件のあった現場の方が人員を必要とするのも確かだ。
それをベルが理解しているかどうかはマルコには知る事はできないが、彼女も愚かではない。
『分かりました』
普段のゆったりとした声ではないことからシャーロットの緊張が伝わる。
『あの団長。ミアさんは……?』
オリバーからの質問にマルコは答えられない。
「……分からない。兎に角、我々にできる最善を尽くす。モーガン、そちらは任せた」
緊急の事態に誰もが最善を選ぶことは出来ない。それは公的な人間であったとしてもだ。最適を選ばなかった彼らを、ただ否定するという事を許して良いかも分からない。
『牙』の隊員と通信を行なっていると。
『エクス社、代表取締役のエイデン・ヘイズです。開催を予定していた本年のエクスフェスティバルは中止する事を宣言します。観客の皆様は近くのスタッフの誘導に従って行動してください』
社内放送が響いた。
人々のどよめきが強まって、空気は歪みを見せ始める。この日を楽しみにしてセアノに訪れた者もいる。
だと言うのに。
「皆さん、落ち着いて行動してください」
誰だって不安で、心のざわつきを抑えられない。
「あのっ!」
だからこそ、無神経なのか神経質なのかも分からないが人は自分本意な質問を投げかける。
「息子は……無事なんでしょうか」
答える術を持つ人間は誰一人としてこの場にはいないというのに。女性のたった一言が原因で波紋が広がっていく。
「…………」
大丈夫ですから。
と、簡単に言っても良いものか。
分かりません。
などと言ってこの女性は納得するだろうか。
「教えてください!」
女性は答えを急かす様に叫ぶ。
「一先ず、落ち着いてください」
今日、この日はアスタゴ合衆国史に残る、最悪の一日となる。
誰もが忘れ得ない一日に。
ーーそして、ただ一人が笑っていた。
スタジアムの中から人影が飛び出す。
「大丈夫か! アイリス!」
白色のパワードスーツを身につけた茶髪の青年男性が頭部装備を外した状態で空色の髪の少女の元に駆け寄って来た。
無事だ。
頬の筋肉が緩んだ。
「アーサー……」
顔が青白く染まっている。
スタジアム内に居た青年、アーサーは選手待機場に居たため、外の様子を伺う事はできなかった。
スマートフォンに表示されたニュースを目にして彼は恋人の事が心配となり慌てて飛び出したのだ。
中学からの付き合いで、高校の時からこの関係になった。初めての恋人を彼は大切にしたいと本当に思っていたのだ。
「良かった……」
本当に。
アーサーがアイリスを抱きしめる両腕の力が強くなる。ずっと自分を支えてくれた彼女が死んでしまったらと考えると、何もかもが込み上げてきて心の中がグチャグチャになってしまう。
「アーサー……。うん、大丈夫だよ」
アーサーが心配してくれる。
アイリスにはこれだけが今の自分を肯定する理由だ。
アーサーがいれば良い。
アーサーが自らを思ってくれている。
縋る様に抱きしめて、彼女はアーサーを話したくはないのだ。彼を自らのモノにしたくて仕方なかったのだから。
「大丈夫だから……」
怖かったのは確かだ。
ただ、無事で居て、そして彼が喜んでくれる。ならば、心を占めていくのは喜びと独占欲だ。
ーーああ、これで…………。
良いのかもしれない。
何かを犠牲にしたのかも。あれは全て彼女が悪かったのだ。アイリスのモノを奪おうと誘惑したから。
今もふとした瞬間に彼女の顔がチラついて、忘れるなと告げてくる。
「…………五月蝿い」
彼女の漏らした小さな声は誰にも聞こえない。抱きしめる恋人にも。
最初に仕掛けたのはお前だ。
だからこれは私が守るためにした事なのだと、アイリスは自らに言い聞かせる。
彼女の心を、倫理観を守る為に。
「そうだ、怪我はっ!?」
「平気だよ」
ぱっと、彼は密着させていた体を離して、アイリスの肩や腕を触って確認するが、別にどこにも痛い所はない様だ。
誰もが助かったわけではない。
「運が良かったんだよ」
爆発も爆風も彼女から離れた場所で発生した。だから助かった。
「……そう、だな」
今更になって、アーサーには大切な人の無事を喜ぶ事が正しい事なのかが分からなくなる。手放しで喜んでしまっていいのか。
他の人は。
「…………」
誰も彼らのことなど気にしていなかった。祈りを捧げる者がいて、嘆く者がいる。誰もが感情の発露に必死だ。
誰かを気にかける程の余裕などないのだろう。
ただ、こんな混乱の中でも必死に動く黒色のパワードスーツの姿の三人の女性が遠目に見えた。
『この度の事を……誠に残念に思う』
アスタゴ合衆国において、彼の名前を知らぬ者は居ないだろう。
イルメア州セアノ、エクス社のスタジアムで起きた大型トラックを使用したテロ事件に悲壮感を漂わせながら重たく薄桃色の唇を開くのは、この国の代表とも言えるロナルド・テイラー大統領である。
皺だらけの顔は彼が生きてきた年数を感じさせ、今は悲しみからか一層に皺を深くする。
髪の色素は抜け落ちてしまったのかと思える白髪、所々に薄紫の髪が見えるがどちらが元々の髪色なのかは分かりもしない。
白色の髭が顎を覆う様に生えている。髪と髭の途切れ目が分からないように繋がっている。それでも髭は整えられており見苦しいと言う印象は与えない。
既にあの事件から二週間が経過したというのに。いや、経過してしまったからこそか。一命を取り留めた者、命を散らしてしまった者が明確となってしまったが故に。
深く悲しみ。
嫉妬を覚える。
嫌な空気がイルメア州民の心を覆った。
『だが、我々は常に諦めずに立ち向かってきた。時代を見てもそれは明らかな筈だ。我々には力がある! 逆境に立ち向かう力が!』
だから。
彼が言う言葉は決まっていた。
『これは我々とアダーラの民、アンクラメトらとの戦いだ!』
大統領が戦う事を宣言してしまった。
アスタゴを襲った脅威を始末してしまう為に。
『私はアスタゴの正義の、一人の民として! 彼らを、アスタゴを脅かす悪を! 必ず倒す事を君達に約束しよう!』
痛いほどに伝わってくる彼の気持ちに、多くの民はロナルドの宣言が成就する事を祈ったはずだ。
「…………」
オリバーとアリエルが二人きりで大統領の宣言をテレビ画面で見ていた。
「…………」
暫しの無言。
顔を合わせることも出来ないほどに『牙』のメンバーも心を折られている者もいた。それぞれの活動に精を出す中、偶然にこの場に居たのがアリエルとオリバーであった。
テーブルを挟んで対面する男女。
以前に、オリバーがアーノルドらに椅子にされた場所。
今は静かなものだ。
小さな息が多分に混じった声でアリエルが切り出した。
「オリバーさんは……」
「うん?」
「大丈夫なんですか?」
「……大丈夫って言っていいのかは本当に悩むけどね」
軽々しく大丈夫と言って仕舞えば、誰かしらの命を軽視したことになるだろう。誰にも見られていないはずだから、言ってもいいかとはならないものだ。
気にしすぎ、などとは言えないだろう。
「フィリップさんは……どうですか?」
「……無理だよ。話しかけられる雰囲気じゃない」
「そうですか」
「エマちゃんも、ベルさんも……そこはいつも通りか」
「…………」
「俺のダメージは比較的に薄いんだよ。別に誰かが死ぬところを見たわけじゃないんだ。大切な誰かを失ったわけでも……。だから、他の誰よりも悲しんだらいけないんだと思うんだよ。俺より悲しむべき人の方が多いだろうから」
勝手な義務感で彼は自らの感情を殺してしまっている。
自分は悲しむ立場にいる人間ではないのだと言い聞かせているのか。本気で思い込んでいるのか。
「アーノルドさんも、クリストファーさんも、フィリップさんも。俺より傷ついてるよ。目の前で何かを失うって言うのは、あの人達にとって最悪な事態だ」
正義を心に誓うフィリップに取って、警察官であった過去を持つアーノルドとクリストファーに取って。
悪に目の前で命を奪われると言うことは特に。
守れなかったと言う後悔と、自分が救えなかった命への罪悪感に押しつぶされてしまいそうなのだろう。
「あの人達は誰よりも善人だから」
「そう、なんですか……」
「善人なあの人達よりももっと傷付いてる人もいる。傷って言って良いのかも、立ち直れるかも分からない。復讐をしたいと思えるのかも、さ」
「復讐?」
何故、復讐なのだろうか。
復讐という言葉に良いイメージを持つ者は少ないだろう。
アリエルが首を傾げれば、オリバーは神妙な面持ちで語り始めた。
「復讐っていうのはさ、別に悪い事ばかりじゃないんだよ。……憎いとか、恨めしいとか、そう言うので人間は動けるんだ」
人間の行動の多くは感情によって決まる。感情があるからこそ人は行動を起こす。腹を立てたから何かを殴りつける、蹴りつけると言った行動に移す。
悲しいから泣いて、嬉しいから笑う。
「……何かをしたいっていうのは、人間が生きるための理由なんだよ」
「…………」
「今のミアさんにとって、その理由があるかが俺には……」
何と言えば良いのか、オリバーには分からなくなってしまったのだろうか。最後を有耶無耶にする。
ただ、彼の考えは間違っていなかった。
彼女の行動の柱となっていた愛を与える対象を丸々、削り取られてしまったのだから。心に空いた大きな空洞をどうしたって埋めることはできない。
誤魔化すことのできない喪失感。
泣き腫らした後で心には何も残らない。空っぽになってしまった人間が生きていたいと願うことはあるのだろうか。
何も分かりはしない。
他人に彼女の感情など理解できる訳がない。下手な同情や慰めなどと言うモノは彼女を傷付けるだけだ。
触れて仕舞えば、崩れると分かっているのに誰が容易に手を触れようなどと思えるのだろう。
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