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捧げ人
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それから十日程経った頃、サチは町の集まりに呼ばれ、大層な御馳走でもてなされた。大人たちは皆申し訳なさそうな笑顔を浮かべている。
『町長さん。一つ、えいですか?』
『うん。何なが?』
ぽつりと落とした問いに、町長がサチに一歩近づいて続きを待つ。
『捧げ人はこれからも続きますか?』
町長が周りの人間と顔を見合わせる。少しの間を置いて、彼の口が開かれた。
『サンジン様に守ってもらわんといかんき、続けられると思う』
サチは眉一つ動かさなかった。町長と目を合わせたまま、迷わず用意していた言葉を投げかける。
『ほいたら、私で最後にしてください。私がサンジン様にずっと仕えます。こんな思い、もう私で十分ですき』
サチの懇願に、町の男たちが皆顔を強張らせた。そんなことを申し出た者はいなかった。誰しもが諦め、泣くだけであった。町長が咳払いをする。
『分かった。けんど、もしも天災が続くことがあったら、その時は新しい捧げ人を探す』
『はい。お願いを聞いてくださり、有難う御座います』
まだサンジン様がどのような神か分からない。生贄が最後と言って聞いてくれるかも分からない。それでも、自分で最後になるかもしれないと思えば、心が幾らか軽くなった。
それから一週間、サチは家族と最後の時を過ごした。
もう家の仕事はしなくていいと言われた。自由な時間は増えたけれども、することはなく、弥一と一日の大半遊び回った。
町から食べ物を与えられた。これを保存しておけば家族が飢えずに済む。捧げ人になって良いこともあるものだと思った。母は泣いていた。
サンジン様へ捧げられる日の二日前から、食べ物を口に入れてはならず、許されたのは水のみだった。飢饉の時には一日何も食べられない日があったけれども、二日以上は初めての経験でお腹が空いて空いて、だんだんと口数が減っていった。
『僕のあげる』
弟に食べ物を差し出された時が一番辛かった。食べたくても食べられず、弟の気持ちを受け取ることが出来ず、彼の涙を流させたのが自分だということが悲しかった。
『サチ、皆で逃げよう』
あと一日と迫った日、父がそんなことを言った。嬉しかった。それだけでサチの心は満たされた。
もしも逃げられたとして、上手く行くのはほんの数年だろう。たった一週間で捕らえられてしまうかもしれない。そうなれば、サチはおろか家族全員が処刑される。見つからなくても、一生を人里から離れて逃げ回らなければならない。自分の為にそんな業を背負わせたくなかった。
『お父ちゃん、それはいかんちや。うちは平気やき』
『サチ……すまん……すまん……』
とうとう父が頭を床に擦り付けた。娘に頭を下げ、謝り続ける。サチが頼りない声で返す。
『なんちゃぁないちや』
父がこんなに涙を零すところを見たのは初めてだった。サチも一緒に泣いた。その間、弥一は母と別の部屋で寝ていた。
『準備は出来ちゅうが?』
『はい』
サチの家に駕籠を担ぐ数人の男と町長がやってきた。巫女服を着たサチが家を出る。これに乗ってサンジン様の山へ行き、祠の前に建てられた簡易の祭壇でサンジン様を待つことになっている。
駕籠に入る際、町長がぽつりと謝罪した。サチはそれに頷くだけだった。
まだ子どものサチでも分かる。町長だって、出来ることなら子どもを犠牲になどしたくはない。しかし、この地域の為には犠牲がいる。ずっとそうしてきた。急に止めることなど、一人の人間には出来やしないのだ。
駕籠の後ろにはサチの家族が続いた。七つの弥一には、今日でサチがいなくなることを理解出来ても、会えない哀しみを受け止める心は持ち合わせていなかった。
『うわぁん……』
小さな鳴き声は山に辿り着くまで聞こえた。サチは耳を塞いでしまいたくなったけれども、大切な弟の声を一つも漏らしたくなくて、唇を噛んでやり過ごした。
『ここからは一人で』
山の麓で駕籠を降りた。家族が駆け寄る。父と母がサチをきつく抱きしめる。弥一がサチの腹に腕を回した。サチの体がぽかぽか温かくなった。
──家族がこれからもお腹を空かせず暮らせますように。
自分がサンジン様に捧げられることで、家族の未来が保証されるなら安いものだ。
『お父ちゃん、お母ちゃん、弥一。いってきます』
そっと三人から離れると寒くなってしまったけれども、彼らの想いは十分受け取っている。これ以上望むのは贅沢だ。
『ねえね!』
皆に背中を見せると、すぐ後ろから弟が私の代わりに叫んでくれた。
『弥一……』
本当だったら、その幼い手を強く掴んで抱きしめたい。流れる涙を拭いたい。死にたくない。死にたくない。まだ、十二を数えたばかりなのに。
山へ入り、一度だけ振り返る。三人は手を振っていた。弥一の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。サチも振り返す。これが家族最後の時となった。
『町長さん。一つ、えいですか?』
『うん。何なが?』
ぽつりと落とした問いに、町長がサチに一歩近づいて続きを待つ。
『捧げ人はこれからも続きますか?』
町長が周りの人間と顔を見合わせる。少しの間を置いて、彼の口が開かれた。
『サンジン様に守ってもらわんといかんき、続けられると思う』
サチは眉一つ動かさなかった。町長と目を合わせたまま、迷わず用意していた言葉を投げかける。
『ほいたら、私で最後にしてください。私がサンジン様にずっと仕えます。こんな思い、もう私で十分ですき』
サチの懇願に、町の男たちが皆顔を強張らせた。そんなことを申し出た者はいなかった。誰しもが諦め、泣くだけであった。町長が咳払いをする。
『分かった。けんど、もしも天災が続くことがあったら、その時は新しい捧げ人を探す』
『はい。お願いを聞いてくださり、有難う御座います』
まだサンジン様がどのような神か分からない。生贄が最後と言って聞いてくれるかも分からない。それでも、自分で最後になるかもしれないと思えば、心が幾らか軽くなった。
それから一週間、サチは家族と最後の時を過ごした。
もう家の仕事はしなくていいと言われた。自由な時間は増えたけれども、することはなく、弥一と一日の大半遊び回った。
町から食べ物を与えられた。これを保存しておけば家族が飢えずに済む。捧げ人になって良いこともあるものだと思った。母は泣いていた。
サンジン様へ捧げられる日の二日前から、食べ物を口に入れてはならず、許されたのは水のみだった。飢饉の時には一日何も食べられない日があったけれども、二日以上は初めての経験でお腹が空いて空いて、だんだんと口数が減っていった。
『僕のあげる』
弟に食べ物を差し出された時が一番辛かった。食べたくても食べられず、弟の気持ちを受け取ることが出来ず、彼の涙を流させたのが自分だということが悲しかった。
『サチ、皆で逃げよう』
あと一日と迫った日、父がそんなことを言った。嬉しかった。それだけでサチの心は満たされた。
もしも逃げられたとして、上手く行くのはほんの数年だろう。たった一週間で捕らえられてしまうかもしれない。そうなれば、サチはおろか家族全員が処刑される。見つからなくても、一生を人里から離れて逃げ回らなければならない。自分の為にそんな業を背負わせたくなかった。
『お父ちゃん、それはいかんちや。うちは平気やき』
『サチ……すまん……すまん……』
とうとう父が頭を床に擦り付けた。娘に頭を下げ、謝り続ける。サチが頼りない声で返す。
『なんちゃぁないちや』
父がこんなに涙を零すところを見たのは初めてだった。サチも一緒に泣いた。その間、弥一は母と別の部屋で寝ていた。
『準備は出来ちゅうが?』
『はい』
サチの家に駕籠を担ぐ数人の男と町長がやってきた。巫女服を着たサチが家を出る。これに乗ってサンジン様の山へ行き、祠の前に建てられた簡易の祭壇でサンジン様を待つことになっている。
駕籠に入る際、町長がぽつりと謝罪した。サチはそれに頷くだけだった。
まだ子どものサチでも分かる。町長だって、出来ることなら子どもを犠牲になどしたくはない。しかし、この地域の為には犠牲がいる。ずっとそうしてきた。急に止めることなど、一人の人間には出来やしないのだ。
駕籠の後ろにはサチの家族が続いた。七つの弥一には、今日でサチがいなくなることを理解出来ても、会えない哀しみを受け止める心は持ち合わせていなかった。
『うわぁん……』
小さな鳴き声は山に辿り着くまで聞こえた。サチは耳を塞いでしまいたくなったけれども、大切な弟の声を一つも漏らしたくなくて、唇を噛んでやり過ごした。
『ここからは一人で』
山の麓で駕籠を降りた。家族が駆け寄る。父と母がサチをきつく抱きしめる。弥一がサチの腹に腕を回した。サチの体がぽかぽか温かくなった。
──家族がこれからもお腹を空かせず暮らせますように。
自分がサンジン様に捧げられることで、家族の未来が保証されるなら安いものだ。
『お父ちゃん、お母ちゃん、弥一。いってきます』
そっと三人から離れると寒くなってしまったけれども、彼らの想いは十分受け取っている。これ以上望むのは贅沢だ。
『ねえね!』
皆に背中を見せると、すぐ後ろから弟が私の代わりに叫んでくれた。
『弥一……』
本当だったら、その幼い手を強く掴んで抱きしめたい。流れる涙を拭いたい。死にたくない。死にたくない。まだ、十二を数えたばかりなのに。
山へ入り、一度だけ振り返る。三人は手を振っていた。弥一の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。サチも振り返す。これが家族最後の時となった。
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