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16 識月君の想い
しおりを挟むアゲハとミツカゼが喫茶店で攻防を繰り返している頃、識月はジンをデートに誘った。
六月は梅雨時。
ゲームの世界でも梅雨になるので、町では傘祭りが行われていた。
町の中央に十字に存在する大通りには、空を埋め尽くす色とりどりの傘がぶら下げられている。傘と傘の隙間各所にランプがぶら下げられ、傘の色に照らされて淡く通りを照らしていた。
「わぁ、綺麗だね。」
見上げて微笑むジンに、識月は嬉しくなって笑った。
「何か飲み物を買って休もう。」
夜の雨は少し肌寒い。
ジンは甘いものがいいと言うので、ホットカフェオレを買ってきた。自分用にはコーヒー。
ありがとうと礼を言う表情は穏やかで、識月にとってジンと過ごす時間が一番休息になっていた。
ベンチに座って見上げると、夜空を隠す雨雲ではなく、乱雑に重なり空を埋め尽くす傘が広がり、降る雨が識月達を濡らすことは無い。
仮想空間だからこそ出来る事なのだろう。
父である皓月が何を思って『another stairs』を作ったのか教えてもらったことは無い。十中八九叔父の雫の為とは思うが、父親がゲームをしている姿なんて思い浮かばなかった。
でも最近は思う時がある。
識月はジンを見つけた。
毎日会いたい、毎日この笑顔を見たい。
一目惚れとはこういうものなのだろうか。
映像の中で見た微笑みを、誰に咎められることなく見たかった。
それがもし自分に向けられたらと、そう期待して近付いた。
最初は戸惑って少し警戒していたのに、最近のジンは優しく微笑んでくれる。
アナザーの中で関係が進んだわけでも無いので、きっとリアルの方で個人的に何かあったのだろうと予測している。
それが何か知りたいとは思うけど、そこまで踏み込む勇気もない。
ジンが誰なのか分からない。
ジンは識月の本垢を見ているので、識月が誰かは知っているだろうが、自分の方はジンの本垢を知らない。
父の会社の人間か、それに関する関係者か………。ギルド月雫にはそんな人間しかいないはずだ。
知りたいとは思うが、知って近付ける人間でなかったどうする?
「………わっ!」
タタンッ……。傘と傘の隙間を縫って、水滴が滑り落ち、ジンの頭に降ってきた。
冷たさにヒャッと肩をすくめるジンの悲鳴に、識月の意識は戻ってくる。
恥ずかし気にジンは微笑んでいた。
頬に流れる雨水は、涙のように滑り落ちていく。
滑らかに顎へ伝う水滴を目で追いながら、手を伸ばして親指でその粒を押し潰した。
「ねえ、ジン。現実で会うことがあれば、今のこの時間のように俺と一緒にいてくれる?」
そのまま顎を持ち上げて視線を合わせる。真実を知りたくて、いつもあやふやに誤魔化されるので、本当の事を言って欲しくて、黒い瞳をじっと見る。
ジンは目を大きく見開いて、識月を見ていた。
日本人特有の茶色がかった瞳ではなく、黒い瞳。
この色が本物かどうかは分からないけど、もしこうやって笑い合うことがあった時、分かるような気がした。
「俺が、父親の会社をちゃんと継いだら、ジンは、いる?」
どんな姿でもいいから、いて欲しい。
リアルではこんな事誰かに懇願する事はない。誰からもお前はアルファだろうという目で見られるから、気を抜いたことは無い。
「こんな………、子供みたいな事…、ごめん。」
ジンはくすりと小さく笑った。
その表情はどこまでも識月を許してくれる。
「まだ、君は子供の年齢だよ?」
ジンはそう言いながら、子供にするように識月の頭をゆっくりと撫でてくれる。
「…………君さえ許してくれるなら、僕はきっと君の隣にいるよ。」
優しく諭すように、ジンはゆっくりと言葉を紡いだ。
顔を近付けていっても逸らされないので、チュッと軽くキスをする。
心から安堵で嬉しくて顔を綻ばせると、ジンも優しく見つめながら微笑んでくれた。
翌日の昼休み、僕達は屋上のテラス席に来ていた。
外はなかなかの土砂降りなので、上がってきた生徒はまばらだった。
「………ほう、それは惚気かっ。」
今日の鳳蝶のお弁当は小さかった。
何やらデジャブを感じる。
僕の昨日の町デートの話を聞きながら、鳳蝶はお弁当の中身を突いていた。あまり食欲がないらしい。
「うう、だってあの識月君が甘えてくるんだよ?抗えないよ。」
まるで愛情を強請るように一生懸命なのだ。もう抱き締めてヨシヨシしたい。
「本垢明かして現実でやりゃいいじゃん。従兄弟同士は結婚も出来るしさぁ~。」
「ううう、でも、僕は綺麗じゃない。」
左耳の辺りを手で押さえてそう言う仁彩に、鳳蝶は困った顔をした。
「もうそんなに目立たないと思うけど…。」
鳳蝶にも仁彩の気持ちは理解出来た。
オメガは可憐で美しい者ばかりだ。少しでも欠陥があれば敗北者。
仁彩は火傷痕、鳳蝶は肥満だ。
「それでも、関係ないって言ってくれる人が現れる。もしかしたら従兄弟どのかもしれねーし、悪い方ばかり考えるのやめよーぜ。」
鳳蝶は態と明るく言い切った。
これは自分にも言える事だからだ。
「………うん、自分の話ばかりでごめん。それで、鳳蝶はまたお弁当小さいけど、もしかして………。」
鳳蝶はコクリと頷いた。
「実は青海君のこと……。」
「好きじゃねぇーー。」
仁彩は首を傾げた。
鳳蝶は嫌なものはとことん拒否するし、我も強い。嫌なら絶対関係を持たない筈なのだ。クラスメイトのアルファとなんて、いつバレてもおかしくない距離で、嫌なら絶対セックスなんてしないと思うのに。
「仁彩は?」
「え?」
「好きなのか?」
仁彩はお弁当を食べる手を止めた。
好きか?………うん、好きかも。
だって、あんなに目を輝かせて自分を見つめてくるアルファなんて初めてなのだ。しかもそれが、アルファの中でも特別上位にいる識月君だ。
「うん、好きなんだと思う……。でも…。」
識月君が好きなのは『another stairs』の中のジンだ。二十五歳のベータである自分だ。もしかしたら識月君は今まで家族に恵まれなかった愛情を、年上に見えるジンに求めているのではないかと思っている。
「もう少し、今のままでいたい。いつか、バレるだろうけど………。」
嘘つきなオメガが、ベータのフリしてアルファを騙すなんて心苦しいけど、それでほんの少しでも愛情を受け取ってくれるなら、嬉しい。
「何かあったらすぐ言えよ。オレは仁彩の味方だからな。」
「うん、僕も鳳蝶の味方だから困ったことがあったら何でも言ってね!」
ザァザァと雨音を聞きながら、二人で肘を突いて笑い合う。
誰も二人がオメガだなんて思わない。
そんな事は自分達がよく理解している。
でも、それでも僕達は今が楽しいからいいのだ。
六月の終わりがもうじき迫る頃、イベントの終局がやってくる。
集めた精霊の光玉は14万を超えた。
ハヤミ氏が集めた数は21万超え。今からドライアドに挑戦すると報告して来た。
「あー、早速やってるのか。どれどれ?…………消費量は8万ちょいちょいかぁ。後一個宝箱取りそうだな。」
スクリーンを開いてアゲハがぼやいた。
夜九時にログインして、喫茶店でドライアド討伐について作戦を立てる。
ハヤミ氏の討伐内容を元に精霊の光玉消費量を計算しようとなった訳だが、メンバー七人きっちりいるハヤミ氏のパーティーで8万以上使うとなると、自分達の五人パーティーではもっと必要になると言う事になる。
「ハヤミさんは後一回挑戦して獲得間違いなさそうだね。僕達は一個が限界と思うけど……。」
チラリと見ると、ツキ君はスクリーンを開いて何かやっていた。
僕の視線に気付いて、にこりと笑う。
「とりあえず他のパーティーに取られたくないから一個は挑戦しよう。」
「そうだねぇ、14万あれば流石に倒せるんじゃない?」
ツキ君の意見に、ミツカゼ君も同意した。
そうして直ぐに実行。
挑戦の仕方はスクリーンを開いてイベント欄を更に開くと、挑戦、というボタンがついている。それをポチッと押すだけだ。
「では頑張ろうか。」
フミ君の号令で僕は挑戦ボタンを押す。
視界が変わり、僕達五人は大木立ち並ぶ森の中に移動していた。
その奥には一際大きく空を覆い尽くす程葉を茂らせた巨木。
根元には目を瞑るドライアドが佇んでいた。
黄緑色の肌に濃い緑の長い髪、白く長いローブや手に持つ杖などの装飾品は、今回宝箱から出てくるであろう森の精霊装備だった。
前線は攻撃系のアゲハ、ツキ、ミツカゼの三人が出る。
後方に神官職のフミが回復役として待機し、その少し前に僕が立つ。
僕の装備には攻撃MAX効果の天使の羽と、回復MAX効果のキラキラエフェクトが装備されている。弓で攻撃しつつエフェクトで全体回復をかけていけるのだ。
近付くとドライアドの瞳が開いた。
深い森の中を思わせる緑色の瞳。
僕はスクリーンからイベントリを開き、アイテム精霊の光玉を使用した。
一度開いたドライアドの瞳が、またウトウトと眠りにつく。瞳が開いたままだと、討伐に来たプレイヤーは魅了され森の外へ弾かれてしまい、攻撃が出来ないのだ。
精霊の光玉で眠らせ、寝ている間に攻撃しドライアドのHPを0にする。0になったら討伐完了となり宝箱が一つ出現する仕組みだ。
たっぷりと精霊の光玉を用意していないと、アイテム切れでドライアドの瞳が開き、魅了されて森の外に追いやられる。そうなると討伐失敗だし、使った精霊の光玉も戻ってこないので、討伐は月末最後に、アイテムを集めまくって挑戦するのが定石だ。
前回春イベ報酬の雷神の槍を持つアゲハが強いのは分かるが、ツキとミツカゼの攻撃も半端なく強かった。
二人とも回復二人いるパーティーという事で、攻撃特化させる為に武器のレベルを上げまくっていた。
精霊の光玉10万弱で無事ドライアド討伐完了してしまった。
ドライアドが消え、宝箱が空中に浮かぶ。
ツキ君が手を差し伸べると、宝箱はツキ君のイベントリに収納された。
宝箱が消えると同時に、僕達は元の場所、喫茶店の中へと戻ってくる。
宝箱を開けるのは最後にハヤミ氏と合流してという話になっていた。
「さて、後4万ちょいしか残ってないけど、どーするかねぇ~。」
ミツカゼ君がうーんとボヤいた。
「ハヤミ氏が後一個討伐すると賭けは負けなんじゃね?」
アゲハの問い掛けに、ツキ君は大丈夫と言った。
僕達に自分のスクリーンを見せてくる。
画面は『another stairs』のオークション画面。ツキ君が現在出品している画面が開かれていた。
「これ………、獣人黒兎?」
僕の言葉に、ツキ君はニコッと笑って頷いた。
「そう、今回の宝箱未開封と交換で出品した。」
最近実装された職業獣人。
基本的にどんな動物も網羅しているが、毛並みは同色しか存在しない。
猫なら白毛、犬なら芝犬っぽい茶色、鼠なら灰色、と色が固定されている。その中で、希少色として黒色が存在している。
『another stairs』でサブ垢を作成する際、運営からのプレゼントがあるのだが、ツキ君はなんとその希少色である黒兎をゲットしていた。
なんて運の強さだ!
僕なんて死神に似合いそうな不穏な気配っていう黒い霧を出すエフェクトだったのに!
「つ、着けないの?」
「……………着けない。」
兎だしね……。識月くんがウサ耳着けてたら着けてたで、すっごく似合うかもしれないけど、着けないのか………。
黒系獣人はまだ出回っていない。実装されたばかりというのもあるが、そもそもそんなに出てこないようで、全員初めて見た。
「お、凄い!もう来た。」
フミ君が興味深そうに声を上げた。
さっき出したばかりなのに申し込みが幾つか出て来たのだ。
オークションは全世界に繋がっている。
海外とのイベント共有や、アカウント渡航は禁止されているけど、オークションは繋がっている。
日本内で十個の宝箱が出る仕組みだが、海外の各所でも同じイベントをやっているので、そっちの宝箱があるのだ。
「ん、どれがいい?」
ツキ君は僕に画面を見せて来た。
「え?僕が選ぶの?」
狼狽えた僕に、うんと頷き返される。
運の良さそうなツキ君が選ぶのがいいと思うんだけど。
うーんと悩んで、一番上の人にした。
一番早く見つけて交渉して来たのだから、交渉権利が有ると思う。
僕がポチッとその人を選ぶと、アゲハが感心したように呟いた。
「お前ってこういう時の度胸あるよなぁ。」
「どゆこと?」
アゲハは何でもないと首を振った。
こうして戦う事なく僕達は宝箱二つ目をゲットしたのだった。
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