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梅折りかざし、君を恋ふ 〜後宮の妃は皇子に叶わぬ恋をする〜
第三話
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梅見の宴の翌日のこと。
梅華殿の琳伽の元に突然届いたのは、皇帝からのお召しの報せであった。皇帝が、宴で舞を披露した琳伽を目に留めたらしい。
琳伽が後宮に入ってから、既に五年の月日が過ぎていた。
妃の一人でありながら、妃ではない。
いつしかそんな錯覚をしていた自分に気付き、琳伽は唇を噛んだ。
夜になり、支度を整えた琳伽は皇帝の居所である宮に向かう。後宮の端の端にある梅華殿から皇帝の宮までは、灯りを持った侍女についてしばらく歩かねばならない。
途中、しとしとと降る雨音に紛れた小さな物音に振り返ると、東宮殿の遊廊に佇む影があった。
(あれは……逞峻様)
琳伽が皇帝に召されたことを耳にして急いで来たのか、肩で息をしながら立っている。まだ夜は肌寒い季節だというのに、薄衣一枚の寝着姿であった。
琳伽が想像した通り、彼はもうあの頃共に梅の花を愛でた逞峻ではなかった。背は伸び、少年時代のあどけさは消えていた。
きっと今なら、琳伽の手の届かないほど高い所にある梅の花にも、易々と手が届くだろう。
(見ないで)
皇帝の元に向かう姿を、逞峻には見られたくない。
琳伽は侍女が持つ傘の陰に顔を隠し、逞峻に背を向ける。
止まりたくとも止まれない。
止めたくとも止められない。
足早に歩く琳伽の傍で、咲き始めたばかりの梅の花が雨に濡れていた。
◇
「朱花。輿の準備ができたかどうか、様子を見てきてくれる? 私も少し一人で、この梅華殿に最後の別れをしたいの」
「かしこまりました。また後程お迎えに参ります」
侍女の朱花を行かせたあと、琳伽は雨の降る内院に出た。
木の幹に手を当て、緋色の梅を見上げる。
二十歳の頃に皇帝から見初められ寵愛を受けたが、琳伽は子を産まなかった。子がいる妃は、後宮から出ることは叶わない。
(私にもし前皇帝陛下の子がいれば、このまま後宮に残されて逞峻様の近くに居られたのだろうか)
雨に濡れた梅の花にそっと触れながら、琳伽は逞峻の顔を思い浮かべた。琳伽が二十六になったということは、逞峻は二十歳。
この場所で梅の花を愛でた頃の逞峻は、琳伽に梅の簪を贈った逞峻は、もういない。
「張徳妃様、準備が整いました」
戻ってきた朱花が、琳伽に向かって礼をする。琳伽はもう一度梅を見上げ、それから朱花に向き直って笑顔を作った。
「朱花、ありがとう。参りましょう」
琳伽が一歩踏み出したその時、ふとそれまで降っていた雨が止まった。驚いた琳伽は、そのまま空を見上げる。
琳伽の目に入ったのは空や雲ではなく、傘だった。
梅華殿の琳伽の元に突然届いたのは、皇帝からのお召しの報せであった。皇帝が、宴で舞を披露した琳伽を目に留めたらしい。
琳伽が後宮に入ってから、既に五年の月日が過ぎていた。
妃の一人でありながら、妃ではない。
いつしかそんな錯覚をしていた自分に気付き、琳伽は唇を噛んだ。
夜になり、支度を整えた琳伽は皇帝の居所である宮に向かう。後宮の端の端にある梅華殿から皇帝の宮までは、灯りを持った侍女についてしばらく歩かねばならない。
途中、しとしとと降る雨音に紛れた小さな物音に振り返ると、東宮殿の遊廊に佇む影があった。
(あれは……逞峻様)
琳伽が皇帝に召されたことを耳にして急いで来たのか、肩で息をしながら立っている。まだ夜は肌寒い季節だというのに、薄衣一枚の寝着姿であった。
琳伽が想像した通り、彼はもうあの頃共に梅の花を愛でた逞峻ではなかった。背は伸び、少年時代のあどけさは消えていた。
きっと今なら、琳伽の手の届かないほど高い所にある梅の花にも、易々と手が届くだろう。
(見ないで)
皇帝の元に向かう姿を、逞峻には見られたくない。
琳伽は侍女が持つ傘の陰に顔を隠し、逞峻に背を向ける。
止まりたくとも止まれない。
止めたくとも止められない。
足早に歩く琳伽の傍で、咲き始めたばかりの梅の花が雨に濡れていた。
◇
「朱花。輿の準備ができたかどうか、様子を見てきてくれる? 私も少し一人で、この梅華殿に最後の別れをしたいの」
「かしこまりました。また後程お迎えに参ります」
侍女の朱花を行かせたあと、琳伽は雨の降る内院に出た。
木の幹に手を当て、緋色の梅を見上げる。
二十歳の頃に皇帝から見初められ寵愛を受けたが、琳伽は子を産まなかった。子がいる妃は、後宮から出ることは叶わない。
(私にもし前皇帝陛下の子がいれば、このまま後宮に残されて逞峻様の近くに居られたのだろうか)
雨に濡れた梅の花にそっと触れながら、琳伽は逞峻の顔を思い浮かべた。琳伽が二十六になったということは、逞峻は二十歳。
この場所で梅の花を愛でた頃の逞峻は、琳伽に梅の簪を贈った逞峻は、もういない。
「張徳妃様、準備が整いました」
戻ってきた朱花が、琳伽に向かって礼をする。琳伽はもう一度梅を見上げ、それから朱花に向き直って笑顔を作った。
「朱花、ありがとう。参りましょう」
琳伽が一歩踏み出したその時、ふとそれまで降っていた雨が止まった。驚いた琳伽は、そのまま空を見上げる。
琳伽の目に入ったのは空や雲ではなく、傘だった。
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