清純派聖女は死んだ!

奥田たすく

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第一章 清純派聖女、脱出する

#25 イッシュ、一肌脱ぐ。①

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 祭りごとのピークは大抵メインイベントのある日だろうが、それは王都での話だ。
 周りの宿場町にはこれから王都へと向かう人と、観光を終え帰る人、どんどんと商品を運んでくる商人とがすれ違う今が一番ごった返している。

 そこを一人の女性が家へと帰ろうと四苦八苦していた。彼女の家はメインストリート中にあるものだからどうやっても人混みを避けられない。

 午前のうちならば人もそれほど多くないだろうという女性の読みは甘かった。しかしつい最近地方からここへと嫁いできた彼女がこれだけの人数の客を想像できなかったのも、そこをうまく進んでいけないのも致し方のないことだろう。普段ならば数分の距離が果てしなく感じて彼女は不安に駆られていた。

「わっ」

 遂に横から入って来た体の大きい男性が後ろからぶつかってきて、彼女は前につんのめる。新しく買ってもらった靴はまだ履き慣れず、バランスを立て直せずに彼女は目をつぶって衝撃に備える。

「おっと」

 しかしやって来たのは力強い腕に抱きとめられた感覚と、品の良い香水の香りだった。

「大丈夫ですか?」

 人の良さそうな、柔らかな声が降って来て彼女が見上げると黒髪に黒い瞳の男性と目が合う。甘い顔つきのその男性は彼女の期待を裏切らず優し気な笑みを作った。

「も、申し訳ありません」
「いえいえ、この人混みですから」

 そっと女性が体を離そうとすると男性は「あ、」と声を溢す。だからもう一度女性が軽く赤らめた顔を上げると、男性はふにゃりと困ったように笑っていた。紳士的だった印象が一気に幼くなって、女性は口元に手をやり瞬きを繰り返す。

「すみません、お急ぎですか?」
「あ、いや、でも、」
「僕の袖のボタンが、レースに引っかかってしまったようで」
「あ、」

 男性が周りを見渡して、女性と共に一旦脇道へと逸れていく。そこで男性はまた少し困ったように呻いて、しかしさほど迷うことはせず自分のボタンの方を引きちぎった。

「えっ、あの」
「お時間取らせてしまい申し訳ありませんでした。 取れましたよ」
「ですが、この後なにかご予定があったのではないですか?」

 男性は堅すぎないフォーマルな装いで、髪もきっちりとスタイリングされている。観光客でないことは確かだった。

「はは、一応、商談をさせていただきに来たのですが何分急なことでアポイントも取れていないものですから。 また出直しますよ」

 女性が彼を家まで招いてボタンを縫い付けると提案したのは、至極自然な流れだった。


      ***


「ほら、今時こんな志の高い方はなかなかいたものではありませんよ」
 
 助けると思って、ね? なんて若奥様が目をキラキラと輝かせるものだから、宿場町の町長も少しずつ態度が軟化してきた。

 ウィッグと目の色を変える目薬で変装をしたイッシュが、二人に気付かれないよう目を細めながら時計をうかがうと丁度昼を過ぎた頃だった。

 午前のうちにごった返すメインストリートの人混みの中から町長の若奥様を見つけ接触し、まんまと町長の屋敷へと転がり込んだイッシュは既に本題に入っていた。若手実業家といった風貌の彼は実年齢の17より3つ4つ上に見える。

 彼は奥様の方に多用した、へにゃりとした愛嬌を振りまく笑顔は封印して話を続けた。

「もちろん、あの集落の子供たちの労働力を独占したいという話ではありません。 特に今日のような祭りごとの際はご入用でしょう、こちらが彼らを縛り付けるということはしませんので、ご安心ください」

 町長は四十代くらいの男で、通された部屋の調度品を見ても羽振りがいいのが分かる。

 この町の人間にはあの集落の子供たちに十分な賃金を出すという発想がそもそもないので、そこが狙い目だとイッシュは考えていた。こちら側が縛り付けなくとも、労働力は金のある方へと流れていく。

 んんと唸りながら町長は組んでいた腕を解いて前傾姿勢になった。

「だがね、リチャード君。 君の話を信じたいのはやまやまなのだが、私にはその万能薬の生産なんていう夢物語が本当に実現可能なのか判断がつかないのだよ」
「その点も、問題ないかと思います」

 キタ、とイッシュは内心勝利を確信して、懐から一枚の名刺を取り出した。

 それはセムの服のあちらこちらに嫌がらせのように入れられていたアレックスの名刺だ。その名前を見て町長はピっと動きを止め、若奥様の方は声に出して驚いた。

 セムは宿で上着のみならず叩けばどこからでも出て来たそれをうんざりぎみに片っ端から捨てていたが、この名刺が交渉の場でどれだけの威力を発揮するかイッシュは知っている。

 アレックスは戦地で多くの人間を救った英雄であり、なおかつ治癒をギフトに頼り切っていたこの国でほとんど初めて薬学に身を乗り出し医師不足の現状を打破しようとしている庶民派の人間だ。
 特に戦地であの聖騎士を救ったという話はもはや伝説のように語られており、王都近くのこの町で彼のことを知らない者などいない。

「やっぱり優秀な方の元には優秀な方が集まるのねえ」

 イッシュは謙遜しながら困ったような笑顔を浮かべる。
 イッシュの言った経歴は全部と言っていいほどでっち上げだが、交渉の場ではいかに耳触りの良い物語を作れるかがキモだ。イッシュはわざと少し目を伏せて言いにくそうに、しかし誠意をみせようと口を開いたかのようにして話始める。

「恥ずかしながら、私はずっといかに効率的に生産、流通させ利益を得るかばかりを追い求めてきました。しかし薬品の流通に携わった際に彼と出会い、その献身的な働きに触れ今この国に必要なことはそれだけではないと気づかされたのです」

 クサいくらいのセリフだが、この奥様には丁度いいだろう。町長の方は、魔晶花の栽培が成功すれば直接その研究所と取引してもらって構わないと言えば眉が上がった。

 結局そのあと話はトントンと進み、後日アレックスがこちらに出向くということでまとまった。奥様が食事でもと粘ったが得意の困り笑顔で乗り切って、イッシュはさっさと町を出た。
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