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『――君は、僕に誰を重ねているのかな……』
それを言ったのは、サヴィーだ。
彼は、執事養成学校に通っていた折、宿舎で同室を与えられていた、当時の俺が親しく付き合える友人の一人だった。
正式にサイラーク家の執事を目指す気があるなら、と、執事養成学校への入学を勧められたのは、俺が十二歳の頃だった。
それを勧められるにしては、年齢的に少し早すぎるようにも思われた。しかし、後になってから考えてみると……それもこれも、おそらくはカンザリアでアルディーン王子を預かるという話が、この頃から持ち上がっていたからではないだろうか。まがりなりにも王子殿下を迎えるにあたり、間違っても粗相があってはならない、そのため少しでも早く一人前の執事としての振る舞いを身に付けるようにと、俺は言外に周囲から求められていたのだろう。
その学校は、国内に幾つかあるそれらの中で最も名の知れた、歴史もそれなりにある名門で、祖父、父、兄二人と、三代にわたって世話になっているという、我が家からしても決して縁の浅からぬ学び舎であった。…となれば、俺がここで学ぶのも当然だろうことは間違いない。
この頃にもなれば、こまっしゃくれて可愛げのなかった俺の性格も、まあまあ成長して大人になってきていて、以前ほど悲観的な考え方はしなくなっていた。
なにより、本当に尊敬できる素晴らしいご主人様と巡り会えた、どうしても護ってあげなくてはならない弟分も出来た、これらのことが大きかったのだろう。
もはや家業を手伝うことにも何ら抵抗はなく。むしろ、ちゃんとした執事として、晴れて親子となった旦那様とコルトを、これからもずっと微力ながらでもお支えしていきたい、という想いの方が大きかった。
だからこそ、二つ返事で、執事養成学校への入学を決めたのだ。
随分と遠方にあるそこへ入学するにあたり、その間カンザリア島から離れなくてはならないことには、僅かながらの躊躇いはあったけれども。――とはいえ、いずれにせよ学校は全寮制だ。たとえ近場に住んでいたとしても、離れなければならないことに変わりはない。
少しの躊躇いなぞ振り払える程度には、立派な執事になって主家を助ける、という具体的な目標を得た俺の決意は固かった。
不在にする間、俺とコルトとで担当していたレイノルド様の身の回りのお世話については、祖父が来て当たってくれることで話は纏まった。カンザリアにいる旦那様に代わり、バーディッツ領主の任を現地で代行していた祖父だったが、そちらは俺の長兄と次兄に任せることになった。もともと、レイノルド様がカンザリアへと移住するのと入れ替わりに、フェルドにいた長兄がティルケルへと移り、祖父の補佐を受けながら独り立ちすべく仕事を学ぶことになっていた。二年も経てば、もう兄一人に任せても大丈夫だと、そう祖父も判断したのだろう。また丁度、既に執事養成学校を卒業し他家へと修行に出ていた次兄の年季明けにも重なった。兄弟二人で当たれば自分がいなくても何とかこなせるだろう、心置きなくバーディッツを離れられたと、そう祖父は笑って言っていたものである。
よって十三歳になった年に、俺は後顧の憂いも無く、晴れて執事養成学校の学生となったのだった。
そしてサヴィーと出会った。
それは、まだ入学したての頃のことだ。
宿舎で同室を与えられた者同士として最も近くにはいたものの、まだ俺とサヴィーの間には遠慮がちな距離があり、交わす会話も当たり障りの無いものばかりだった。そもそも俺もサヴィーも、そこまで人懐っこいタイプではないし。出会ったばかりの人間と、これからどのように距離を縮めていったらいいものかを、お互いがお互いで計りかね、キッカケらしきものを探っていた頃だったのかもしれない。
そんな時、一日の授業を終えて寮へと戻る途中、複数の同輩に絡まれているらしいサヴィーの姿を見かけた。
どう好意的に見ても、友達同士で仲良く話している…なんて風には見えなかったため、すかさず俺はサヴィーに声を掛け、そこに割って入るようにして無理やりその場から彼を連れ出した。
そのまま自分たちの部屋へと帰ってきて……そうして教えてもらうこととなった。この学校のこと、そしてサヴィーのことを、色々と。
「声を掛けてくれて助かったよ。ちょうど面倒くさいと思いかけていたところだったんだ。どうもありがとう」
部屋に戻るや、そんなふうに礼を言ってきた彼の、どこか慣れている風にもうかがえる様子に。思わず「これが初めてじゃないのか?」と尋ねてしまった。
すると彼は、うーん…と、少し困った風に微笑み。
続いて、こんなことを言った。
「ああやって面と向かって来られたのは、『初めて』といえば初めてなんだけど……でも、いずれはこうなるとは思っていたから。思いのほか早くバレたみたいで、ちょっとだけビックリはしたかな」
「…どういうことだ、それ?」
「ああ……じゃあ、つまり、君は知らないんだね?」
「何を?」
「僕のこと――というか、こういう学校で僕みたいな存在がどう扱われるか、っていうこと」
君も、それを知っていて僕を避けているのかと思ってた。――そんなことまで付け加えられては、自然と俺の眉も寄る。
避けていたようなつもりはなかったのだが……会話の糸口が見つからず、結果的に無愛想な態度を取ってしまったのかもしれない、それを何らかの偏見をもって避けていたから、などと勘違いされるのは心外だった。
「別に避けてもいないし、会ったばかりのおまえのことなんざ知りもしない。変な誤解をするのはやめてくれ」
「…だろうね、いま理解したよ。すまなかった」
「ならば、そんな誤解をした理由を教えてくれないか。それを知らないことで、また変に誤解を招きたくはないしな」
「んー…そしたら君、本当に何も知らないでココに来たんだねー」
「だから、それは何の話だよ?」
「そんな様子じゃ、僕らが二人部屋を使ってる理由すら、何も知らなそうだ」
俺たちは、寮では二人部屋を割り当てられていた。
というのも、俺に関しては、入学にあたりレイノルド様の認めてくださったサイラーク伯爵閣下直々の推薦状があったからだ。――そして同様に、サヴィーにも。
まがりなりにも、ここは国内で最も名門と名高い執事養成学校。卒業生が引く手数多である、ということは当然、学校側も名門家をはじめとした貴族との繋がりが深くなる。またこの学校には、俺と同じく、代々貴族に仕える執事一家の一員も、ごろごろ入学してくる。そういった背景から、既に仕える主家を持つ――つまり入学の時点から既に貴族との繋がりを得ているような学生は、一般の執事志願の学生と比べて一段上の待遇をもらえることになっているのだとか。おそらくは、ご推薦いただいた学生は丁重に遇していますよ、という、推薦状を書いた貴族への学校側の意識的なアピールなのだろう。
それがゆえの二人部屋だった。貴族と何ら関わりの無い通常の学生であれば、四人部屋か六人部屋を使っているらしい。
「…それが何だっていうんだ?」
説明されてもなお、意味がわからないと首を傾げる俺を、「わからないかなあ?」と、サヴィーはくすりと鼻で笑った。
「君は、随分と恵まれた環境で育ってきたみたいだね。――つまり、この学校で二人部屋を使っているような輩はさ、選民意識が強い鼻持ちならない奴ばかり、ってことだよ。あいつらみたいな、さ」
付け加えられた『あいつら』とは……先刻サヴィーを取り囲んでいた奴らのことだろうか。
「たかだか執事の家に生まれた、っていうだけのことでしかないのに、ヘタに貴族との繋がりがある分、この学校の中ではデカイ顔していられるんだよね。それこそ貴族なみにさ。――だから尚更、僕みたいな人間を蔑んで、いいように従わせようとするんだよ」
同じように、貴族からの推薦状を得て入学したというのに……寮で二人部屋を与えられる学生は、二種類の人間に分けられてしまう。
それは、貴族に仕える執事の家系に生まれた者と、それ以外の者。
俺は前者で、サヴィーは後者だ。
その違いは何か? と問うなれば……つまり後者は、貴族に買われた者、だと、いうことになるのだろうか―――。
「もともと僕は男娼だから」と、それを事も無げにサヴィーは語った。
「男娼なんかを身請けしようっていう貴族でもさ、そのくせやっぱり世間体とかも気になるんだろうね。せっかく手に入れたのだから、常に自分の側に置いておきたい、でも、男娼を囲っているだなんて知られるのは外聞が悪い、てことで、“執事”っていう立場を利用するのさ。執事であれば、主人の側で陰日向なく寄り添っていたとしても、何ら不思議なことでも無いだろう? とはいえど、実の無い名ばかりの執事じゃあ、ただの男娼だとバレてしまう可能性も高くなる。だから、自身が“最も重用する執事”とするに相応しい箔を付けさせるために、推薦状まで書いて執事養成学校に放り込む、っていうワケだね。これで、ちゃんとした学校を出た優秀な執事だから側に置いて重用しているんだぞ、っていうイイワケが立つ。――まあ、ようするに僕も、そのイイワケに見合う名前だけの執事となるために、ここに入学させられた、っていうことなんだけどさ」
どうだい滑稽だろ? と、あっけらかんと笑うサヴィーほど、俺は暢気には笑えない。
「まさか、そんな理由で執事学校に入ってくる人間がいるとは思わなかった……」
「うん…まあ、それが普通だよね」
普通なら、ね…と、再び繰り返した彼の表情に、今度は苦笑いが浮かべられる。
「執事を目指して普通に入学してくる学生なら知らないことをさ……でも、親兄弟みんな執事で、みんなこの学校に通ってました、っていう、あいつらみたいな輩は最初から知っているんだよ。どういう手段を使ってんのか知らないけど、僕みたいなのをわざわざ炙り出してさ。在学中、仲間内の“公衆便所”にでもするつもりでいるんだろうね、きっとさ」
「――な…んだ、それ……!」
「あっち向いてもこっち向いても男ばっかり、って環境は、軍隊とそう変わらないじゃない。なら、やることもそう変わらないよね。どっか手近で性欲処理する方法は見つけておかないと、って」
「だからって……出自はどうあれ、この学校に入った以上は皆、同じ目標を持った同志だろうが……!」
「そんなふうに言ってくれる人の方が珍しいよ。ホント君みたいな人、珍しい。そもそも僕ら年齢もそう変わらないし、ひょっとしたら君も僕と“同類”なんじゃないか、って、さっきまで勘繰っていたくらいだもんね。――ていうか、僕ら男娼あがりはさ、まあそこそこ若いうちに身請けされるから、このくらいの年齢で学校に放り込まれるのも当然といえば当然だし、年齢からバレてしまう、ってこともあったりするんだけど……だから逆に、君やっぱり珍しい方なんじゃないの? 執事一家の生え抜きでも、早くても入学してくるのは十五~六歳あたりからでしょ? だから、さっきのあいつらもさ、君のこと僕に探り入れてきてたよ。僕と違って、君には確証が持てなかったっぽいから」
「………マジでか」
思わずふつふつと鳥肌が立つ――も、改めてよく考えるまでもなく、俺のような平凡容姿の人間が、わざわざ身請けされるほどの男娼だなんて誰が思うか、というところにすぐに行き付く。
というのも、サヴィーを見れば一目瞭然だろう。並外れて眉目秀麗なレイノルド様や愛くるしさ満載のコルトを見慣れているが為に美しさの基準が一般に比べて高すぎると自負している俺の審美眼にさえ、彼も当たり前のように美形だと映っているのだから。
アクなく整った顔立ちはもとより、どことなく憂いを帯びているようにも見える微笑みと、ほっそりとした身体に纏っているどこか儚げな雰囲気が、男の庇護欲を刺激してやまないのかもしれない。貴族に身請けされるのも然もありなんと自然に納得できてしまうだけの美しさを、彼は有していた。
それもあったからこそ、彼の境遇が、本人曰く『思いのほか早くバレた』ということにも、繋がってしまったのかもしれない。
「僕みたいな人間のことなんてさ、あいつらみたいな輩には、所詮は男娼、程度にしか思われてないよ。どうせ学校を出たら主人のところに帰って股を開くんだろ、だったら今から慣らしておいてやる、ここで自分たちのために股を開け、…だってさ。笑っちゃうよね」
「さっきの奴ら、おまえにそんなこと言ってたのか……!!」
想像以上に下卑た言い草に、我知らず震えが走るくらいの怒りが込み上げてくる。
――コルトも……こんなふうに下衆な男どもから、謂われもない“暴力”を受けていたんだ……!!
他人事だと、思うことは出来なかった。
サヴィーの受けたそれが、自然にコルトを思い出させた。コルトが抱えているだろう傷が、そこにぴったりと重なったような気すらした。
レイノルド様と出会う前のコルトが、どんな酷い目に遭っていたのかは……今では俺も、だいたいのことは聞いている。
ユリサナ帝国との戦争が終結したのち、カンザリア島を私有地として手に入れたレイノルド様が、そこに移住するつもりであることを、その心積もりを、俺たちに話してくれた時のこと。
聞いて即座に『旦那様に付いていく』と返答したコルトを気遣うような口ぶりで、『おまえはここに残って、これまで通りジークの手伝いを続けてくれてもいいんだぞ』と諭そうとした、そんなレイノルド様の、どこまでも心配そうな様子が気になって……後からこっそり祖父に訊いてみたのだ。――カンザリア島は何かコルトと関係がある場所なのか? と。
祖父も、あくまでレイノルド様から伝え聞いたことしか知らない、ということだったが……それでもいいからと、知っている限りのことを教えてもらった。
コルトは……レイノルド様が総督として赴任する以前のカンザリア要塞島で、性的虐待を強いられていた、と―――。
もともとコルトが喋れなくなったのは、母親を亡くしてからのことだったらしい。喉に外傷らしき跡などが無いことから、おそらく心の病なのだろうという話だった。
母を亡くし一人になったコルトを、兵士としてカンザリア要塞島に勤務していた父親が引き取り、当時そこの料理長として住み込みで勤めていた男のもとに預けられることとなった。彼が五歳の頃の話だ。
だが、それから間もなく、彼を引き取った父親も病を得て他界してしまう。再び一人になったコルトは、行く宛てもなく、そのまま料理長のもとに留まり、カンザリア要塞島で下働きの手伝いなどをしながら過ごすこととなった。
そのような生活の中で、彼が声を出せないことに味をしめた心無い兵士たちによる性的暴行を、コルトは頻繁に受けるようになる。彼の身を案じた周囲の大人たちは、もうこのようなことが起こらないようにと、なるべく彼を兵士に近付けないよう働く場を変えさせることにした。
そしてコルトは、カンザリア要塞島総督の側仕えとして仕えることとなった。
しかし、その総督もまた、コルトに無体を働いた兵士たちと同類だった。彼を夜ごと部屋へと呼び付け、一方的な性行為を彼に強要したのである。
幼いコルトは、それが自分の“仕事”であると身体に教え込まされてしまった。主人に対して“しなければならないこと”なのだと学習してしまったのだ。ゆえに、その総督がカンザリアを去るまで、それは続けられることとなってしまった。
新たな総督としてレイノルド様がカンザリア要塞島に赴任したのは、コルトが六歳になってからだ。
以降、彼の境遇に気付いたレイノルド様の計らいにより、ようやくコルトは救われた。サイラーク家に引き取られ、カンザリアからも離れることが出来、もはや暴力に怯えることの無い新しい生活を手に入れることが出来たのである。
しかし、だからといって……それで幼くして心に負った傷が、そう簡単に癒える筈もないだろう。――現に彼は、五歳よりも前に負った心の傷のために、未だに声を発することが出来ずにいるのだから。
その年頃の子供なら知らなくてもいい傷を、そして痛みを、身体と心の両方に、コルトは背負い込まされてしまったのだ。
心無い大人たちの勝手な欲を無理やりに押し付けられる、そういった望まぬ行為の数々を受け続けること……それは五歳のコルトにとって、一体どれほどの怖ろしさだっただろうか。
それを思うだに……腹の中から渦巻くような怒りが全身を走り抜け、行き場を失くしたそれが、ぎりぎりと軋んだ音を立てて胸を焦げ付かす。
何処へ持っていったらいいものかもわからず、ただ持て余しているだけだった、これまでずっと抱え続けてきた憤懣を……だから俺は今、そこに転嫁することにした。
ああいった下衆どもの手からサヴィーを護ってやることが出来るなら、過去コルトを傷付けた下衆どもへの憤りを、傷を抱くコルトに何もしてあげられない自分の不甲斐なさを、ここで昇華させられるかもしれない、と―――。
「そんな連中、相手にしてやる必要はないぞ! 何か言われても無視していればいいからな! もし嫌じゃないなら、普段から俺にくっついていればいい、風除けくらいにはなってやる!」
怒りのままに勢い込んでそれを言った俺を、少しの間だけ呆気に取られたように見つめていたサヴィーだったが。
やおら「本当に君は優しいんだね」と、くすりと笑って相好を崩した。
「そんなこと言われたら、どっぷり甘えたくなっちゃうじゃないか」
「甘えればいいだろ。同室の誼だ、遠慮すんな」
「こんなお人好し、初めて会ったよ」
「別に、そんなんじゃねーし……」
そうまでして彼を護ろうとしているのは、ただ自分の抱えている、やるかたない憤懣と罪悪感を少しでも軽くしたいがためのエゴでしかないのだ、と……どこか達観しているようなサヴィーには、それが見透かされてしまっているのかもしれない。そんなことを考えてしまったら後ろめたく、僅かながらにきまりの悪い想いも覚える。
「――じゃあ、さ……」
知らず知らず彼から視線を逸らしてしまっていた俺の胸元、ふとぬくもりをもった何かが触れて、咄嗟にびくりと身体が跳ねた。
そこに置かれたのは、サヴィーの掌、だった。
いつの間にか、そうやって触れられるほど俺のすぐ目の前に立っていた彼は、口許には相変わらず柔らかな笑みを浮かべていたけれど、でもどこか真剣な表情で、こちらを覗き込むように見つめていた。
「じゃあ、ニール。――君、僕のこと抱いてくれる?」
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