上 下
13 / 25

第13話 家から、遠くへ遠くへ。

しおりを挟む
「あれ?」

 目が覚めた時、俺はACID-JAMの楽屋ではなく、見覚えのある部屋の中に居るのに気付いた。
 換気扇が普段より大きな音を立てている。風がずいぶん強いらしい。

「よぉ、起きたか。ずいぶんよく寝てたな」

 雑誌を眺めていたトモさんと、バドワイザーの缶が目に入った。
 そしてその時、そこが彼の部屋だということに、俺はようやく気付いた。
 灰皿には煙草の吸いがらがない。この人はそうだ。だいたい人が寝入っていたり、体調が悪い時には煙草を吸わない。
 俺はぱっと身体を起こした。

「え? 何で俺ここに居んの?」
「ああ、天気予報が」

 天気予報? いきなり出てきた単語に俺は眉を寄せた。

「何か台風が東京を直撃するとかどうとかで、ACID-JAMも今日は終わると早々閉めたんだよ。で、お前はよく寝てるから」

 そう言えばそうだった。

「―――すみません」

 俺は起き上がりながら言った。すると彼の乾いた大きな手が、すっと伸びてきて俺の額に触れた。

「まだ熱いな」
「あ、大丈夫。俺もともとそんな体温低くないし……」

 だがその言葉に説得力はなかった。彼の手を外すと、俺は寝かされていたベッドから降りようとした。

「電車、止まらないうちに帰るから」
「お前今、何時だと思ってんの?」

 呆れた顔で彼は壁の時計を指した。時計の針はとうに終電の時間を過ぎていた。
 ぺん、と俺は自分の額をはたく。
 立ち上がろうとした俺は案の定、ふらり、とよろけた。慌てて彼の手がそれを支えた。

「熱がまだ高いんだから、寝てろ。それとも俺に遠慮でもしてるのか? やめろよ似合わない」
「遠慮なんかしてない」

 遠慮じゃない。習慣だ。たいていの風邪は高熱が出ても、一人で下げて治した。
 人に心配をかけるのが嫌だった。心苦しいのだ。
 それが親兄弟であってもそうだ。人が自分のために何かをしてくれるというのは、ひどく慣れないものであり、居心地の悪いものだった。
 だったら、ここで無理にでも平気な顔をして帰ればいいのだ。

「本当に大丈夫。いつも―――」
「何が、いつも?」

 珍しいな、と俺は思う。彼の顔は何となく怒っているように見えたのだ。

「熱なんて、だいたいぐっすり寝込めば、勝手に下がるから――― 別に誰かの手を煩わせることなんかないんだ」
「お前、いつもそうしてきたの?」

 え? と思わず俺は問い返していた。
 怒っていたはずのトモさんは、何かひどく悲しそうに俺の髪に手を突っ込んだ。
 頭がぼんやりしていたから、なかなか彼の言っていることの意味が取れない。

「そうしてくれる人がいなかったのか?」

 ああ、そういう意味か。

「違う、そういう人は居たよ。家にはいつも誰かしら居たから…」

 そうだ。それはいつも俺が勝手にそうしていただけなのだ。
 だってそうだ。母親も父親も、祖母も、歳の離れた兄貴も俺に関してはいつもこう言った。手の掛からない奴だ、と。
 そうだろうか、と時々俺は考えた。
 そしてそうかもしれない、と思うことにした。家族に心配をかけるのは嫌だった。
 ただでさえ旧家という奴は、周囲の目がうるさいのだ。親戚だって多い。
 それだけで、親は何かと気を張っているのは子供心にも判った。
 だとしたら、子供としては多少なりとも親の負担を軽くしてやりたいと。
 そういうふうに理屈づけはしなかったにせよ、思うのではなかろうか。それに。

「それに姉貴が熱出した時や、兄貴が家出した時の大騒ぎ見てたら、俺はそういうの、嫌だな、と思ったし――― 人の振り見て我が振り直せ―――」
「どういうこと?」

 彼は俺を再びベッドの上に座らせた。
 立っているのがしんどかったのだから、肩をちょっと押されただけで、どすん、と尻餅をついた恰好になってしまった。

「うちの姉貴は、頭とか結構いいし、優しいひとなんだけど、身体あんまり強くない人だったから――― 何かそういう時って、お袋さんって、すごいがんばって看病すんだよね。夜中にトイレとかに、子供の頃起きたりするじゃない。そうすると、そんな時間に起きてられたりすると――― 見てて辛くなっちゃって」

 彼の眉根がほんの少し、苦しそうに寄せられたように見えた。

「俺はだから、―――もし目を覚ました時に、お袋さんが俺のそばに居たりしたら、辛くなるだろうな、と思って」
「でもマキノ、それは当然だぞ? そういうもんなんだぞ? 子供は親に甘える権利があるんだ」

 彼は俺の横に腰を下ろした。

「うん、俺もそうは思うんだけど――― でも、嫌なんだ。俺のためにそうされるのって、俺には重いの。疲れるの」
「それじゃお前、俺にそうされたりすると、やっぱり心苦しい?」

 俺はうなづいた。うなづいていた。

「何かね。嬉しいって思う自分も確かに居るんだけど」

 肩をすくめてみせる。
 ああ何でそんなこと喋っているんだろう。これは熱のせいだ。酔っている。言うつもりはなかったのだ。
 だが事実だった。
 田舎から都心へ出てきたのも、どんな理由がくっついていようが、結局は家から出たかったからに他ならない。家から、遠くへ遠くへ。
 決して悪い環境ではないのに、どうしても、家とかその周りとかは、何かしら居心地が悪くて。
 そしてその理由を自分以外の誰かに求めてしまいそうで。
 そんな自分が嫌で。
 ふう、とため息をつく。自分でもびっくりするほどそれは大きなものだった。
 すると彼はその大きな手で俺の肩を引き寄せた。

「でもなマキノ、とりあえず今帰るなんて言っても俺は承知しないぞ」

 彼はきっぱりと言った。
 俺はうなづく。それは判っている。さすがに台風が来そうで、なおかつ終電も行ってしまった時間で、さすがにわざわざ帰ろうとは思わない。

「うん判ってる。けどトモさんは俺のこと気にせず、眠る時は眠ってよ。でないと、俺は心苦しい」
「それはそうだな」

 そして彼は手を伸ばして、灯を消した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?

おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。 『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』 ※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

姉らぶるっ!!

藍染惣右介兵衛
青春
 俺には二人の容姿端麗な姉がいる。 自慢そうに聞こえただろうか?  それは少しばかり誤解だ。 この二人の姉、どちらも重大な欠陥があるのだ…… 次女の青山花穂は高校二年で生徒会長。 外見上はすべて完璧に見える花穂姉ちゃん…… 「花穂姉ちゃん! 下着でウロウロするのやめろよなっ!」 「んじゃ、裸ならいいってことねっ!」 ▼物語概要 【恋愛感情欠落、解離性健忘というトラウマを抱えながら、姉やヒロインに囲まれて成長していく話です】 47万字以上の大長編になります。(2020年11月現在) 【※不健全ラブコメの注意事項】  この作品は通常のラブコメより下品下劣この上なく、ドン引き、ドシモ、変態、マニアック、陰謀と陰毛渦巻くご都合主義のオンパレードです。  それをウリにして、ギャグなどをミックスした作品です。一話(1部分)1800~3000字と短く、四コマ漫画感覚で手軽に読めます。  全編47万字前後となります。読みごたえも初期より増し、ガッツリ読みたい方にもお勧めです。  また、執筆・原作・草案者が男性と女性両方なので、主人公が男にもかかわらず、男性目線からややずれている部分があります。 【元々、小説家になろうで連載していたものを大幅改訂して連載します】 【なろう版から一部、ストーリー展開と主要キャラの名前が変更になりました】 【2017年4月、本幕が完結しました】 序幕・本幕であらかたの謎が解け、メインヒロインが確定します。 【2018年1月、真幕を開始しました】 ここから読み始めると盛大なネタバレになります(汗)

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

処理中です...