あの空へとけゆくバラード2

衣夜砥

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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を

p31

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「医者には相談しているのか」
「眠剤は貰ってる。でも薬の効き目が切れると、逆に神経が昂って目が冴えちゃって。なんか、そっちのほうがつらくって。あんまり使ってない」
 薬を使わなければ悪化する一方じゃないのかと思ったけれど、睡眠に関して苦労をしたことがないぼくが簡単に口にする筋合いではないだろう。
 唯輔が宗太に向かって頬を緩める。
「俺、お前たちの大学に勝手に入って、寝てたんだな」
「記憶にないの?」
 ぼくは訝しんで訊ねた。
「うん。人の声が聞きたくて家を出たんだと思うけど。でも、朦朧としてたからよく憶えていない」
 おいおいおい…と、ぼくはいよいよ理解に苦しんで目を見開いた。こんな危なっかしい奴が一人暮らしをしていて大丈夫なのか。この後の話では、唯輔は大学を目指して三浪中なのだとか。
 ちょっとばかり家庭が訳ありで一人暮らしをしているらしいが、宗太がそれとなく訊ねても詳しいことは話したがらない。ただ、部屋の家賃は親に出してもらっているし、金銭面では困っていないという。もっとも部屋の雰囲気からして、受験のための勉強をしているようには見えなかった。
「俺たちが帰っても大丈夫か。一人でいられるか?」
 宗太が心配する気持ちよく理解できる。生きるというシンプルなことにすら、あやうい何かが唯輔には潜んでいる。
「大丈夫だ、もちろん」
 満面に笑みを広げる。それは白薔薇が淡い光の下でホワリと咲き綻んだかのように繊細で、綺麗だった。唯輔は貴族風のゴージャスな見た目によらず、人懐こくて、いたいけな性格なのだった。宗太が真剣な口調で続ける。
「ちゃんと食え。何かあったら、いつでも連絡を遣せよ。お前、スマホ持ってるか?」
 長いことその存在を忘れていたかのような様子で手探りしながら、唯輔が枕元からスマホを取り出す。画面を開き、充電コードにつながれたままのそれを唯輔が差し出すと、宗太は自分のメールアドレスを手際よく入力した。
 ――あーあ、と、ぼくは落胆した。
 連絡先、教えちゃった。
 でも、仕方ないじゃないか。
 ぼくは自分に言い聞かせた。
 ぼくでさえ、唯輔を一人にするのは憚られる。宗太ならばなおさらだ。
 それにしても、彼の家族はいったいどうして、こんな半病人のような彼を一人暮らしさせているのか。事情があるというけれど、どんなものなのか。
 口にこそ出さないが、宗太だって同じように気になっていると思う。ただ、唯輔を慮って、傷つけないように触れない配慮をしているのだ。だから、ぼくがここでうかつに訊くこともできなかった。
「世話をかけて、悪かったね」
 ベッドでぼくらを見送る唯輔は痩せて儚く、やっぱりとても綺麗だった。
 アパートの敷地を出ると、宗太が固い声を出して小さく笑った。
「とんだハプニングだったな」
 それでも、笑いのトーンはいつになく沈んでいる。ぼくは複雑な気持ちで頷いた。
「だね」
 ぼくの短い返事に宗太は無反応だった。
 それからの帰途の間、ぼくたちはもう唯輔のことを話題にしなかった。ここにいない唯輔のことを口にするのは、まるで可哀想な人の噂話をするようでためらわれた。
 宗太は唯輔についてあれこれと思いを巡らせていたに違いない。
 そんな、ちょっと遠くを見るような、心ここにあらずな表情をずっとしていた。


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