絶食系男子の作り方

yoshieeesan

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絶対安全の方程式

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 都心から少し離れた地方都市にある総合病院。その研修医ルームには、まだ真新しい白衣をまとった若手医師たちが数名、忙しなくカルテを覗いている。そこに小山楓(こやま・かえで)の姿もあった。  
 楓は研修医一年目の二十五歳。色白で端正な顔立ちをしており、丁寧な言葉づかいと柔らかな物腰から、看護師をはじめとする女性スタッフの間で「ちょっとカッコいいよね」と噂になっている。実際、彼が廊下を通ると「小山先生、おはようございます」と笑顔で声をかける看護師が後を絶たない。本人は「いやいや、そんな……」と恐縮してしまうタイプだが、周囲からは好印象を持たれることが多い。  
 そうした“モテる”要素を備えていながらも、楓に彼女はいなかった。大学時代に交際の話が皆無だったわけではないが、実質的には「付き合いに至るか微妙でフェードアウト」というケースが多く、決定的に進展したことはない。言ってみれば“草食系”で、あまり恋愛に情熱を燃やすタイプではなかったのだ。  

 研修医としての生活は朝早くから夜遅くまで続く。救急外来での当直、各種検査の補助、先輩医師からの指導……目まぐるしい日々の中で、楓はひたすら学ぶことに専念していた。もともと恋愛体質ではない彼にとって、それはちょうど良い言い訳でもあった。  
「だって、こんなに忙しいんじゃ、デートの時間もないし……」  
 先輩や同期から「彼女いないの?」「モテるだろ?」と訊かれると、楓はいつも苦笑いでお茶を濁す。看護師からのアプローチをそれとなく感じることはあるが、彼は波風を立てないようにうまく距離を保っていた。  
 ある夕方、外来の受付カウンターでチェックをしていると、同年代の看護師・佐々木が「小山先生、今日の夜ごはん、一緒にどう?」と声をかけてきた。彼女は笑顔が魅力的な女性で、一部の男性職員からも人気がある。たいていの男なら舞い上がるシチュエーションだが、楓は内心たじろぐ。  
「すみません、先輩との勉強会があって……また今度、機会があれば」  
 実際に勉強会があるわけでもない。だが楓は、男女二人きりのシチュエーションを極力避けたいという思いが以前から強かった。断られた佐々木は少し残念そうな顔をしたが、「そっか、わかった」とすぐに笑顔を取り戻し、「また誘うね」と言って立ち去った。その姿を見送りながら、楓は胸の奥にかすかな罪悪感を覚えた。

 そんなある日の昼休み、楓は院内のカフェスペースでSNSを眺めていた。すると、何気なく開いた海外記事まとめサイトに「マイク・ペンスの妻以外の女性と決して二人きりにならないルール」──通称“ペンス・ルール”を取り上げた投稿が目に留まる。  
 そこには、アメリカの政治家マイク・ペンスが唱える「食事も含め、妻以外の女性と二人きりの空間をつくらない」「第三者の目がある環境でしか会わない」といった保守的な行動指針が紹介されていた。その理由としては“不倫やセクハラ疑惑の回避”、“浮気の誘惑を自ら遠ざける”などが挙げられている。  
「なるほど……」  
 楓はこの考え方に、不思議なほど共感してしまう。以前から彼は“女性と二人きり=トラブルのリスク”と漠然と感じていた。実際、医療の現場でも男女間の不要なトラブルを避けるために、二人きりの診察をできるだけ減らすといった対策を講じる例はある。特に昨今はSNSなどで些細なことが大きく拡散される時代。  
「こんなシンプルなルールがあるなら、俺も取り入れたらいいんじゃないか……」  
 何となく読み進めるうちに、楓の頭の中で“ペンス・ルール”が妙に大きな存在感を持ち始めた。

 それから楓は、いよいよ“ペンス・ルール”を意識して行動するようになる。看護師や女性医師と話すときは、あえて誰かもう一人を同席させたり、オープンスペースで会話したり。二人きりの食事やミーティングを極力避けることを徹底し始めた。  
 もっとも、病院内の業務では女性との連携が不可欠な場面が多い。夜勤帯のナースステーションや病室で、女性スタッフと二人で話をする必要があることもある。しかし楓はできる限りナースコールを自分以外の男性スタッフに頼んだり、「もしもう一人誰かいたら安心かな」と周囲に声をかけたりして、自分だけ女性と二人きりになるケースを“可能な限り”潰していったのだ。  
 すると周囲は少なからず戸惑う。これまで「ちょっとクールな草食系」と思われていた楓が、さらに一歩踏み込んだ防衛策を取りはじめたのだから。看護師たちは「小山先生、私のこと苦手なのかな?」「二人きりで話すの嫌なの?」と困惑し、同期の男性医師たちは「お前、極端すぎない?」と呆れ顔だ。  
 だが楓にとっては、トラブルを未然に回避できるならそれが一番いい。  
「リスクを抱えるくらいなら、最初から距離を置いたほうが絶対に安全だから……」  
 そう心でつぶやきながら、彼は自分の行動を正当化していく。

 それでも楓の好感度が下がるわけではなかった。むしろ、周囲の看護師や女性スタッフには「小山先生は絶対に変なことをしない」という安心感が生まれ、逆に声をかけられる機会が増えるケースすらあった。「あの先生と話してると安全だし、仕事を真面目にやってくれるから好印象」というわけだ。  
 その結果、「一緒に夜勤明けのご飯行きません?」などの誘いがさらに舞い込む。普通なら「モテ期到来」と喜ぶ状況に思えるが、楓はしっかり断る。  
「すみません、男性の同期と先に約束があって……」  
「二人きりは……ちょっと、遠慮しときます……」  
 そんなやり取りが続き、相手もなんとなく気を遣うようになっていく。「あ、やっぱり気にするタイプだし、やめておこうか」と。看護師たちは半ば諦め気味になり、「小山先生、モテるのに絶対落ちない」「何か大きな秘密でもあるのかしら」などと噂を交わす。  
 一方、楓は“ペンス・ルール”を実践することで、男女のいざこざや噂話から距離を取れることにますます安堵していた。元々あまり恋愛に意欲がなかった彼にとって、このルールは絶好の“盾”になっていたのである。  

 そんな楓の行動を、同じ研修医の同期・青野は少し複雑な気持ちで見ていた。夜勤中、スタッフルームのベンチで休憩する際、青野が声をかける。  
「なあ、小山。お前さ、最近さらに女性を避けてないか? 佐々木さんとか、ちょっと寂しそうにしてたぞ」  
「……別に避けてるわけじゃないよ。ただ、“二人きり”になるのが嫌なだけ。アメリカの政治家の話、前にネットで見てさ──ペンス・ルールっていうんだけど、それが理にかなってると思ったんだ」  
「理にはかなってるかもしれないけど、やりすぎじゃない? そこまでしなくても、フツーに接してれば問題なんか起きないだろ」  
 楓は苦笑して肩をすくめる。  
「そう思うのは青野みたいに積極的な人間だけだよ。俺は、下手に誤解を与えたり、疑惑をかけられたりして、医師としてのキャリアを棒に振る方がずっと怖いんだ。だったら最初から危険を避けたほうがいい」  
「……でもさ、それじゃあ彼女なんか絶対できないだろう?」  
「もともといないし、別にいいよ。今は研修の勉強が忙しいし、恋愛する余裕もないしね」  
 青野は「そっか」と言って黙り込む。楓の言葉に、もはや説得の余地はない。彼は“絶対安全”を求めるがゆえに、わずかなリスクすら負おうとしないのだ。

 それから楓はさらに徹底していった。メッセージアプリで看護師から個別に連絡が来ても、必要最低限の返答しかせず、「詳しい話は同じ部署の先輩を通してください」と付け足すこともある。新人看護師の指導などで二人きりになる場面があれば、必ず他の男性医師を呼び、共有という形をとる。自分が夜勤リーダーになるときも、なるべく女性と同時シフトを組まないよう上司に相談するほどだ。  
 そこまですると「小山先生、どうしたのかな」と懸念する声も出てくるが、彼の仕事ぶりは真面目で手際も良いので、上級医からは咎められない。むしろ「彼は極端なまでに慎重なんだな」という評価に落ち着き、病院内でも彼が“女性と二人きりにならない主義”であることは周知の事実となる。  
「小山先生、何やらかしても許されそうなくらい優しくてイケメンなのに、自分から何もしないんだもん。もったいないよね」  
「まあ、安全主義っていうか、自分ルールがしっかりしてるんだろうけど……」  
 看護師の休憩室ではそんな声がこぼれる。かつて「小山先生って素敵!」と好意を寄せていた女性スタッフも、今では「絶対になびかない人なんだ」と割り切るようになり、距離を取る者が大半になっていった。

 研修医一年目の終わりが近づく頃、楓は少しも寂しさを感じていなかった。アプローチされても深入りせず、トラブルの芽をすべて摘んでいる状態。ペンス・ルールを実践することで、どれだけ周囲に誤解されようと、彼自身は余計な悩みがない。それが何より楽なのだ。  
 ある早朝、徹夜の当直を終えて院内の廊下を歩いていると、今度はベテラン看護師の井上が「先生、お疲れさまです」と声をかけてきた。いつもはアクティブな井上も、夜勤明けで疲労の色が濃い。  
「先生、少しでも休んでいってくださいね。体が資本なんだから。あ、でもあまり二人きりになると先生に悪いかな……」  
 彼女は冗談めかして笑ったが、その言葉の裏には“楓の行動原理を理解している”という意図が見え隠れしていた。楓は「いえ、井上さんとなら大丈夫ですよ」と返しかけて、途中で言葉を飲み込む。結局「ありがとうございます、僕は大丈夫です」と小さな声で言って歩き去った。  
 こうして、彼はますます“女性から遠ざかる”“絶食系”の道を歩み続ける。周囲から誘われても、彼女ができそうなチャンスがあっても、すべてペンス・ルールの名のもとに拒絶する。その姿はある意味で徹底したリスク回避であり、楓にとって最も“安全”な選択だった。  
 孤独感はないのかと訊かれれば、「それほどでもない」と答えるだろう。そもそも大きな恋愛願望があったわけではなく、必要最低限のコミュニケーションで日々をこなしていけるなら、それで満足なのだ。  
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