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ゆっくりとソファに降ろされて、温かなぬくもりが離れて行く。
身体に力が籠もってしまい、固く閉じた瞼も開けられない。
「エリザベス。」
穏やかな呼び声に、叱られるのでは無いのだと分かった。それでも未だ力を抜けずにいると、
「エリザベス、頼む、私を見てくれ。」
ジョージの思いも掛けない懇願めいた言葉に、ゆっくり瞳を開いた。
力み過ぎた為か視界がぼやけたまま部屋を見渡すも、ここが何処なのか分からない。
侯爵邸を訪問する時は客室に通されていたし、幼い頃には子供部屋があった。
何処となく父の執務室に似ている。
壁を覆う書棚に重厚な机。今いるソファも深い臙脂の質の良い布が貼られて、程よい硬さが心地よい。などと考えている場合ではない。どうして今、ジョージに覗き見られているのか。
目を合わせられずに、周囲に視線を逃してしまうと、
「ふむぅ」
両頬を大きな掌に包まれて強制的に視線を合わされてしまった。
「エリザベス。私を見てくれ。」
エリザベスより節くれだった骨太の親指で頬を摩られる。
余りに顔が近過ぎて、逆に焦点が合わない。
「悪かった。怖がらせるつもりでは無かったんだ。」
吐息が唇に触れる。
何も答えられず沈黙するエリザベスに、
「エリザベス。私から逃げないでくれ。」
縋る様に呟く様に、ジョージはエリザベスに懇願する。
漸く焦点の合ったエリザベスが榛の瞳を見つめ、頬を両の手で包まれたまま僅かに頷いてみせると、まるで壊れ物に触れるような口付けを落とされた。
抵抗をされなかった事を許されたと思ったのか、触れるだけの口付けを、一つ、二つ、それから小さく息をついて、ジョージは眉を苦しそうに顰めた。
その表情にエリザベスは、ジョージが泣いてしまうのではないかと不安になって、
「ジョージ様?」大丈夫?と聞く前に再び唇を合わせられる。
燃えるような飲み込まれる様な、目の眩む様な口付けだった。
漸く離された唇に、はっと息を吐いて足りない空気を呼吸する。
もう何度目なのか分からぬまま唇ごと飲み込まれる口付けに、喘ぐ呼吸ももどかしい。
頬を抑えていた掌の片方は頭の後ろに回されて、細い項(うなじ)を掴まれる。
掴まれているのにその手がとても優しくて、涙が滲んだ。それが、攻めるような口付けに喘ぐ涙なのか、心を寄せる男からの愛撫に魂が揺さぶられてなのか、もう自分でも分からない。
そうして、互いの唇が境界が無くなって一つになったようで、終いには背中と腰を支えられていた。
熱い掌が背から腰に滑るのを感じながら、初めての口付けは濃厚な接触に涙が滲むほど苦しいのに、幸せなのだと身体が震えて教えてくれた。
心の内にとじ込めて固く閉めた筈の蓋は、いとも容易く外れてしまって、もう二度と嵌める事は出来ないだろう。
もうこの幸せに目を瞑って、知らない振りなど出来はしない。
涙を滲ませはあはあと喘ぐ。
酸欠でぼぉっとする思考が戻ってくれると、再び頬を包まれて顔ごと上向かせられた。
近過ぎて鼻と鼻がくっついて、ふっと笑ってしまったエリザベスに、
「エリザベス。」
もう何度目なのか、ジョージが名を呼ぶ。
こんな甘い声で名を呼ばれるのは初めてで、瞳を閉じてたった今聴いた甘やかな声音の余韻を味わう。
「エリザベス、聞いてくれるか?」
そう問われて
「はい」
と答えるのがやっとだった。
「私の妻になってくれないか」
そんなあり得ない願いにも、
「はい」としか答えられなかった。
時が過ぎるのを忘れて温かな胸の中に囲われる。いつかの馬車の中の様に。
違うとすれば、音の無い静かな部屋にいて、耳を押し付けた熱い胸からトクトクと鼓動の音が聴こえていた。耳の奥まで響いて聴こえて、ジョージの心臓がここにあるのだと教えてくれた。
コンコンコン、と扉をノックする音に我に返る。
はっと、顔を上げれば榛の瞳がこちらを見つめていた。
動こうとしないジョージに、どうしたのかと思っていると、再び扉をノックされる。
「ジョージ様。エリザベスお嬢様のお迎えがお待ちになっております。」
扉の向こうからセブルスの声が聴こえて、同時に「チッ」とジョージが舌打ちをした。
え?舌打ち?
エリザベスがびっくりしている間に、大きな手がエリザベスの乱れた髪を整える。
その不器用な手つきさえ愛おしい。
タイムリミットをとうに過ぎて漸く扉を開れば、
エリザベスが見たことも無い苦々しい表情のセドリックが、セブルスよりも前になって扉が開くのを待っていた。
「なんだ、戻らなかったのか。」
先程の熱は何処に行ったのかという冷ややかな声でジョージが言うのを丸々無視して、
「エリザベス様、戻りましょう。」
穏やかな笑みを浮かべたセドリックが、エリザベスを促した。
あり得ない事に、セドリックはジョージへの断りも無く一歩部屋に踏み込み、そのままエリザベスに手を差し伸べる。
反射的にその手に手を乗せてしまうと、途端にキュッと握り込まれ、そのまま部屋から出されてしまった。
挨拶もままならぬまま、エスコートというには力強く手を引かれ、そのまま馬車まで連れられた。
ステップを上がる前に後ろを振り返るも、セドリックが立ちはだかって見せてくれない。
あれよあれよと云う間に馬車に乗せられて、示し合わせた様に御者が馬車を出す。
窓から玄関ポーチが見えている。
立ち尽くすジョージとその後ろにセブルス。
二人の表情は分からなかった。ただ立ち尽くすシルエットが瞳に残った。
漸く我に返って、向かいに座るセドリックを見る。
「エリザベス様、何か「な、何も、」被せたまでは良いが、後が続かない。
「何も心配ないわ。」
小声になってしまうも、そう答えた。
乱れた髪に紅く腫れた唇。そんな嘘は通りもしないのに、初心(うぶ)な娘は気付いていない。
「セドリック」少し逡巡してから
「ジョージ様に、妻になってと言われたわ。」
そう言えばセドリックは、
「エリザベスのお幸せを願っております。」
驚きからか、僅かに間を置いてそう言ってくれた。
あんなに怒って、部屋にも無断で入ってまでエリザベスを奪還したのに、妻となったら戻ってこないであろう主の愛娘に心からの祝福を贈る、そんな顔であった。
身体に力が籠もってしまい、固く閉じた瞼も開けられない。
「エリザベス。」
穏やかな呼び声に、叱られるのでは無いのだと分かった。それでも未だ力を抜けずにいると、
「エリザベス、頼む、私を見てくれ。」
ジョージの思いも掛けない懇願めいた言葉に、ゆっくり瞳を開いた。
力み過ぎた為か視界がぼやけたまま部屋を見渡すも、ここが何処なのか分からない。
侯爵邸を訪問する時は客室に通されていたし、幼い頃には子供部屋があった。
何処となく父の執務室に似ている。
壁を覆う書棚に重厚な机。今いるソファも深い臙脂の質の良い布が貼られて、程よい硬さが心地よい。などと考えている場合ではない。どうして今、ジョージに覗き見られているのか。
目を合わせられずに、周囲に視線を逃してしまうと、
「ふむぅ」
両頬を大きな掌に包まれて強制的に視線を合わされてしまった。
「エリザベス。私を見てくれ。」
エリザベスより節くれだった骨太の親指で頬を摩られる。
余りに顔が近過ぎて、逆に焦点が合わない。
「悪かった。怖がらせるつもりでは無かったんだ。」
吐息が唇に触れる。
何も答えられず沈黙するエリザベスに、
「エリザベス。私から逃げないでくれ。」
縋る様に呟く様に、ジョージはエリザベスに懇願する。
漸く焦点の合ったエリザベスが榛の瞳を見つめ、頬を両の手で包まれたまま僅かに頷いてみせると、まるで壊れ物に触れるような口付けを落とされた。
抵抗をされなかった事を許されたと思ったのか、触れるだけの口付けを、一つ、二つ、それから小さく息をついて、ジョージは眉を苦しそうに顰めた。
その表情にエリザベスは、ジョージが泣いてしまうのではないかと不安になって、
「ジョージ様?」大丈夫?と聞く前に再び唇を合わせられる。
燃えるような飲み込まれる様な、目の眩む様な口付けだった。
漸く離された唇に、はっと息を吐いて足りない空気を呼吸する。
もう何度目なのか分からぬまま唇ごと飲み込まれる口付けに、喘ぐ呼吸ももどかしい。
頬を抑えていた掌の片方は頭の後ろに回されて、細い項(うなじ)を掴まれる。
掴まれているのにその手がとても優しくて、涙が滲んだ。それが、攻めるような口付けに喘ぐ涙なのか、心を寄せる男からの愛撫に魂が揺さぶられてなのか、もう自分でも分からない。
そうして、互いの唇が境界が無くなって一つになったようで、終いには背中と腰を支えられていた。
熱い掌が背から腰に滑るのを感じながら、初めての口付けは濃厚な接触に涙が滲むほど苦しいのに、幸せなのだと身体が震えて教えてくれた。
心の内にとじ込めて固く閉めた筈の蓋は、いとも容易く外れてしまって、もう二度と嵌める事は出来ないだろう。
もうこの幸せに目を瞑って、知らない振りなど出来はしない。
涙を滲ませはあはあと喘ぐ。
酸欠でぼぉっとする思考が戻ってくれると、再び頬を包まれて顔ごと上向かせられた。
近過ぎて鼻と鼻がくっついて、ふっと笑ってしまったエリザベスに、
「エリザベス。」
もう何度目なのか、ジョージが名を呼ぶ。
こんな甘い声で名を呼ばれるのは初めてで、瞳を閉じてたった今聴いた甘やかな声音の余韻を味わう。
「エリザベス、聞いてくれるか?」
そう問われて
「はい」
と答えるのがやっとだった。
「私の妻になってくれないか」
そんなあり得ない願いにも、
「はい」としか答えられなかった。
時が過ぎるのを忘れて温かな胸の中に囲われる。いつかの馬車の中の様に。
違うとすれば、音の無い静かな部屋にいて、耳を押し付けた熱い胸からトクトクと鼓動の音が聴こえていた。耳の奥まで響いて聴こえて、ジョージの心臓がここにあるのだと教えてくれた。
コンコンコン、と扉をノックする音に我に返る。
はっと、顔を上げれば榛の瞳がこちらを見つめていた。
動こうとしないジョージに、どうしたのかと思っていると、再び扉をノックされる。
「ジョージ様。エリザベスお嬢様のお迎えがお待ちになっております。」
扉の向こうからセブルスの声が聴こえて、同時に「チッ」とジョージが舌打ちをした。
え?舌打ち?
エリザベスがびっくりしている間に、大きな手がエリザベスの乱れた髪を整える。
その不器用な手つきさえ愛おしい。
タイムリミットをとうに過ぎて漸く扉を開れば、
エリザベスが見たことも無い苦々しい表情のセドリックが、セブルスよりも前になって扉が開くのを待っていた。
「なんだ、戻らなかったのか。」
先程の熱は何処に行ったのかという冷ややかな声でジョージが言うのを丸々無視して、
「エリザベス様、戻りましょう。」
穏やかな笑みを浮かべたセドリックが、エリザベスを促した。
あり得ない事に、セドリックはジョージへの断りも無く一歩部屋に踏み込み、そのままエリザベスに手を差し伸べる。
反射的にその手に手を乗せてしまうと、途端にキュッと握り込まれ、そのまま部屋から出されてしまった。
挨拶もままならぬまま、エスコートというには力強く手を引かれ、そのまま馬車まで連れられた。
ステップを上がる前に後ろを振り返るも、セドリックが立ちはだかって見せてくれない。
あれよあれよと云う間に馬車に乗せられて、示し合わせた様に御者が馬車を出す。
窓から玄関ポーチが見えている。
立ち尽くすジョージとその後ろにセブルス。
二人の表情は分からなかった。ただ立ち尽くすシルエットが瞳に残った。
漸く我に返って、向かいに座るセドリックを見る。
「エリザベス様、何か「な、何も、」被せたまでは良いが、後が続かない。
「何も心配ないわ。」
小声になってしまうも、そう答えた。
乱れた髪に紅く腫れた唇。そんな嘘は通りもしないのに、初心(うぶ)な娘は気付いていない。
「セドリック」少し逡巡してから
「ジョージ様に、妻になってと言われたわ。」
そう言えばセドリックは、
「エリザベスのお幸せを願っております。」
驚きからか、僅かに間を置いてそう言ってくれた。
あんなに怒って、部屋にも無断で入ってまでエリザベスを奪還したのに、妻となったら戻ってこないであろう主の愛娘に心からの祝福を贈る、そんな顔であった。
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