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独立編
第二十七話「無垢なる深淵と南阿の英雄」(改訂版)
しおりを挟む第二十七話「無垢なる深淵と南阿の英雄」
「……」
前線にて伊馬狩 春親は先に見える”蟹甲楼”を睨んでいた。
天都原軍との戦闘が始まって数時間、あらゆる戦法を試みている南阿軍であるがその成果は一向に出ない。
それどころか、尽くの策を逆手に取られ、手痛い反撃を受けているのが現状だった。
「春親様、ここは一度退いて体勢を立て直した方が賢明ではありませんか?」
「……」
――退く?
有り得んき……この戦は南阿にとって総力戦じゃ。
無理に無理を重ねて集めた兵じゃ……それを……
「春親様っ!」
「それ以上は言うなや……解っちゅうがか?」
「うっ……」
春親に一睨みされた部下はスゴスゴと引き下がる。
「ふんっ!」
――解っとらん、何奴も此奴も解っとらんき……
南阿の国策に”一領具足”というものがある。
それは、普段の伊馬狩 春親が半裸の上半身に羽織っている軍旗に書かれた文字であり、それは南阿軍の旗印でもあった。
”一領具足”とはその字の如く、領民全てが具足、つまり鎧を纏いて戦場に立つ!
全ての南阿民衆が兵士であるという意味だった。
自らの生活の基盤、領地を守るため戦う彼らは、出世を第一の目的とする職業軍人や、ましてや金で動く傭兵とは違いそれこそ命がけで戦う。
”南阿の民兵は死生知らずの戦士なり”とは、他国の兵士がその狂気ともいえる戦いぶりを恐れた言葉であった。
先の戦いで大きな被害を受けた南阿……
だがこのまま放置しては他国、特に本州の大国達がこぞって支篤を食いものにするだろう。
今回の出兵は、その恐れを払拭するために早期に要塞奪還を民衆に誓って無理をして集めた兵だった。
そこまでしての”蟹甲楼”
鉄壁の守護神”蟹甲楼”
海洋国家として他の大国と辛うじて肩を並べる島国、支篤の南阿国は、その要塞を失ったままである現状は絶対に受け入れられない。
それ無くしては、南阿は本州の各国から丸裸も同然だからだ。
支篤を統一したといっても、本州の大国達に対抗するには南阿はまだまだ力不足。
その力不足を補うための第一歩が天都原征伐であり、彼の地を手に入れることこそが、誰の下風にも立たない、かつての支篤の領主達のように本州の大国に搾取され続けるだけの立場からの脱却に繋がる道。
これは謂わば、南阿の存亡を賭けた戦いであるのだと……
本当の意味で春親以外知る者は少ないのだ。
「にしても、天都原の”無垢なる深淵”……まっこと見事じゃ」
そう呟いた春親は、司令室に広げた戦場の地図を確認する。
「……」
そして自軍の駒がズラリと包囲する中心、件の”蟹甲楼”を指さした。
「無垢なる深淵……京極 陽子は此処にはおらんのじゃな?」
「?」
「……どうぜ?」
「はっはい!潜入させている間者からの報告ですと、要塞には入らず、周辺に展開する天都原軍の何れかの艦艇にて作戦指揮を執っているかと……」
「…………」
春親は暫し、目を閉じる。
「?」
「…………」
「春親……さま?」
そして春親はゆっくりと瞼を上げた。
「割り出せ……」
「は?」
「京極 陽子の居場所を割り出せ!」
「それは……無論、現在もおこなっておりますが……」
「!」
「ひっ」
恐ろしい顔で睨まれた兵士は悲鳴を上げる。
「総力をあげてじゃ!なんち、有馬を使っても構わんき、必ず割り出せっ!」
「はっはい!」
そして転がるようにその場を後にする兵士。
「……全てはこの”京極 陽子”をどうするがか……それに尽きるちゅう訳ぜ」
そして南阿の英雄、伊馬狩 春親は苛立ちを隠せぬ眼光で戦場図を睨んでいたのだった。
――
―
天都原艦艇が並ぶ、その中のある一つの艦内にて――
「南阿の第八艦隊は完全に沈黙、その後に続いた第二、第十艦隊も間もなく同様に撃退できるかと思われます」
天都原軍士官の言葉に、黒髪の美少女は見向きもせず盤面を見つめていた。
――ロイ・デ・シュヴァリエ
それは二つの陣営に別れた白と黒の多様な駒を駆使して優劣を競う盤面遊戯だ。
縦十六マス、横十六マスの戦場で、王、騎士、槍兵、弓兵、斥候、歩兵、市民 という七種類の駒を操り、基本的には王を討ち取るのが最終目的である。
簡単に言うと、白陣営と黒陣営に別れたチェスのような駒取りゲームだが、色々なルールが加味されてより複雑且つ実戦重視で戦略的に仕上がっているせいか、この世界では一般市民から指揮官、将軍、王侯貴族まで広く普及していた。
盤面を見つめる少女。
腰まで届く降ろされた緑の黒髪は緩やかにウェーブがかかって輝き、白く透き通った陶器の肌と対照的な艶やかな紅い唇が、自軍優勢の報にも興味なさげに結ばれている。
――紫梗宮 京極 陽子
大国天都原の王弟、京極 隆章の第三子であり、若干十七歳にして天都原国軍総司令部参謀長を勤める才女で今回の天都原軍の総司令官でもある。
そして更に付け足すなら、彼女は大国天都原にあって王位継承第六位の王族でもあった。
「……」
闇黒色の膝丈ゴシック調ドレスに薄手のレースのケープを纏った美少女は、ただ沈黙してロイ・デ・シュヴァリエの盤面を見つめる。
京極 陽子は戦略地図を広げずにゲームの盤面を見つめたままだ。
戦争に必要な情報、地形、敵味方の陣形に始まり、そこから予測できる両陣営の動きまで全ては智神の如き頭脳に収められ、それをロイ・デ・シュヴァリエの盤面に反映し展開しているのだ。
天都原国軍総司令部参謀長、紫梗宮 京極 陽子の指揮はいつもこうだった。
「…………」
そして、思考する陽子の横顔に見蕩て呆ける天都原軍士官。
通常なら、この緊急時に職業意識が低いと誹られようものだろうが、ある意味それは仕方が無いものだった。
京極 陽子の美貌に心を奪われるという事は、それほどに抗い難い。
もう何年も彼女に付き従っている古参の家臣であっても、彼女の美貌……特にその双瞳の前には真面な自我など保てない。
そう……まことに希なる美貌の少女の極めつけは漆黒の双瞳なのだ。
対峙する者を尽く虜にするのでは無いかと思わせる美しい眼差しでありながら、それは一言で言うなら”純粋なる闇”
恐ろしいまでに他人を惹きつける……”奈落”の双瞳だった。
――コトリッ
肌理細やかな肌の白い指がスッと伸び、クリスタルの澄んだ盤面上に精巧な斥候の彫刻が施された駒が置かれる。
「多分……仕掛けてくるわ」
そして暗黒の美姫はポツリと言葉を発する。
「…………」
「……なにをしているの?」
「……はっ!はいっ!」
陽子に見蕩ていた士官はとっさに返事が出来ず慌てていた。
「……」
陽子は呆れた様に小さくため息を吐き、そのまま言葉を続ける。
「仕掛けてくる……此処も直ぐに引き払うわ」
「引き払う?」
「……司令部を移動すると言っているのよ」
察っしの悪い部下に陽子は若干面倒くさそうに言う。
「はぁ……しかしこれで四度目ですが……」
「…………」
「そもそも、こんな危険なところに居られなくても、要塞の司令室で……」
自身の思考の一端さえ理解出来ない相手に、陽子は内心少々苛立っていた。
「それでは、戦況が解り辛いでしょう……情報も遅い」
だが、彼女の美しく整った容姿はそれを表に出さずに続ける。
――そう、自分の思考を理解出来る相手なんて……
それは生まれついての彼女の才能が偉才すぎるが故の、この十七年の人生で飽きるほど繰り返された葛藤。
「そんなことは無いかと……」
――情報伝達のスピードの誤差など、前線と要塞作戦本部ではそんなに変わらないだろう?遙か”斑鳩領”にある王宮”紫廉宮”とは訳が違うのだ
天都原軍士官の男はそういう顔だ。
「兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり」
「は、はぁ」
天都原士官は間抜けな声を返す。
京極 陽子は云うのだ。
戦いでは如何に敵の裏をかくか、有利なところを見極めて動くか、部隊を分散したり集合したりして臨機応変に状況に応じて変化の形をとるのが必要だと。
そして、その為に元となる情報の重要性を……
「……」
しかし、結局は彼女の部下に”それ”は正確に伝わらなかったようだった。
自分の”戦争指揮”はいつもこうだ……
何人もの優秀と言われる参謀、補佐を置いても軍内で自分は独り……
別に理解出来ない相手だけが悪いわけではない。
何が解らないか、どうすればその人物に説けるのか……相手が”解らない事が解らない”そういう自分も同じだから……
陽子の脳裏にはそんな時、決まってある人物の顔が浮かんでくる。
――自分に匹敵する頭脳を所持しながらも、あんなに自由な……男
「…………ばか最嘉」
ボソリと呟いた暗黒美少女の紅い唇はさっきまでと違い、少しだけ口角が上がっていた。
「兎に角、司令部を移動するわ、速やかに、迅速に」
気持ちを切り替えた陽子は、”ぼうっ”と立ち尽くす部下にそう念を押したのだった。
「たっ直ちに準備を致しますっ!」
そして、慌ててそう応えた天都原軍士官であるが……
念を押されたにも拘わらず、実際彼はその必要性を理解していなかった。
それがこの後、致命的ともいえる状況を作り出すのだが……勿論、この時の陽子にはそれを知る術がない。
京極 陽子は誰もが認める偉才ではあるが、それ故に凡人の胸中が計れない時が少なからずある。
それは天才故の盲点ともいえるだろうが……
京極 陽子が既に自認している様に、それが”鈴原 最嘉”との差といえば差であったのだろう。
――
―
ズシャァァ!
ザシュゥゥゥ!
天都原兵士が次々と斬り倒され、無数の屍の山が出来上がっていく。
「ほんに、この艦にあの”黒い魔女”が居るのかよ、どうぜ?」
年の頃は二十代後半、少し小柄な身体に足下にはすね当てを着け、上半身は鎧を纏わずに上着の左半分から肩をもろ出しにした一風変わった男。
まるで何処かの名奉行の様なモロ出しの肌は男としては白く繊細に過ぎ、まるで年頃の女性のようであるが、華奢ながらしなやかな体つきは決して貧弱には映らない。
それは寧ろ、どう猛な野生の山猫を彷彿させる。
そして、男の風変わりな風体の最たるものは、むき出しの肩の上に大きく文字が書かれた縦長の軍旗を羽織っているという出で立ち。
――”一領具足”
そう書かれた長物の軍旗は、支篤を統一した南阿国の御印だった。
「有馬様からの情報ですと間違いありません、京極 陽子は現在この艦に司令部を設置いているかと」
従えた南阿軍兵士の返事を聞いて頷く男。
長い髪を後ろで結わえて無造作に垂らし、細く上がった眉とスッと通った鼻筋、赤みの強い薄い唇はまるで女性の様だ。
伊馬狩 春親、”支篤”を統一した南阿の英雄である。
ズシャァァ!
ザシュゥゥゥ!
目前では次々と屍が増えていき、直ぐに春親の前に道が出来上がる。
「織浦!その辺にしちょき、先を急ぐき」
――ズシュッ!
春親の言葉で、倒れた天都原兵士からギラつく刀身を引き抜くスキンヘッドの男。
「……承知」
スキンヘッドで無骨な顔つきの男は、刃に付着した血糊を振り払った後で先頭をきって主君を道案内し艦内へと入っていった。
「京極 陽子……えらい別嬪じゃと聞いとるが、楽しみじゃき」
着実に暗黒の美姫へと歩を進める女顔の男は、その容姿とは相容れない残忍な笑みを浮かべていたのだった。
第二十七話「無垢なる深淵と南阿の英雄」END
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