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王覇の道編

第七十一話「動乱の幕開け」―臨海1―(改訂版)

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 第七十一話「動乱の幕開け」―臨海りんかい1―

 様々な人々が行き交う活気ある往来に立つ豪華な商家に旅人風の男が共を一人連れ、訪ねてきた。

 その男は小間使いに軽く挨拶するとこう言った。

 「鶴賀つるがから来ました上村うえむら 洋助ようすけです、ご主人はご在宅でしょうか?」

 旅人の来訪を受けた小間使いは暫く男を門前に待たせた後、少し時間が経った後に慌てた様子で出てくると、そそくさと上村うえむら 洋助ようすけと名乗った男を屋敷内へと案内したのであった。


 ――宗教国家”七峰しちほう”……その海路の要衝である”坂居湊さかいみなと”の街での一幕

 この商業都市の豪商が一人で在り、商業組合の筆頭でもある”木国屋きぐにや 文伍ぶんご”の屋敷の奥も奥、要人を迎え入れる立派な客間に通された上村うえむら 洋助ようすけなる男は、挨拶も早々にサッと旅装束を脱いでラフな姿になった。

 まとめてあった長い髪を解き、上座を避けてその前の左側にさっさと腰を下ろす。

 「長旅お疲れ様でした、神反かんぞり 陽之亮ようのすけ様」

 入室した男が会釈をしてから腰を下ろすまでの一連の行動を見終えた後で、既に部屋中にて、これもまた上座を避けてその前の右側……

 つまり、今さっき坐した上村うえむら 洋助ようすけなる旅人の正面に座っていた五十代半ばほどの恰幅良い如何いかにも商人という品のある男が頭を深々と下げる

 「いえ、こんな姿で失礼……少しばかり窮屈だったものでね、木国屋きぐにや 文伍ぶんご殿も中々に上手く商われているみたいで何よりですね」

 上村うえむら 洋助ようすけなる男は、自分の事を神反かんぞり 陽之亮ようのすけと呼んだこの屋敷の主人に改めて挨拶する。

 「……いいえ、ボチボチですよ」

 そして、それを受けて、こちらも再び頭を下げる五十代半ばほどの商人は、目前の来訪者の後方を少しだけ興味深い視線で見ていた。

 「ああ、そうだった……」

 端正な容姿の旅人はその視線の意味を直ぐに察する。

 上村うえむら 洋助ようすけを名乗る神反かんぞり 陽之亮ようのすけは、何時いつも任務時には”うら若い”女性の供回り達を連れていた。

 それは彼の趣味と実益を兼ねた護衛兼秘書と言える存在で、臨海りんかい組織内では護衛士ガーディアンという意味をもじって”花の壁ガーデン”と呼ばれている存在である。

 それが今回に限って、むさ苦しい黒ずくめの男……

 直ぐに商人の視線の意味を察した神反かんぞり 陽之亮ようのすけは、如何いかにも人当たりの良い爽やかな笑顔で応えると、供として後ろに控えて座る黒ずくめの男に視線で促す。

 「……承知」

 黒いマントと雨でも無いのに頭にはマントや鎧と同じ黒い三角の笠を身につけた風変わりな男。

 その黒笠男は陽之亮ようのすけの視線に短く応えると、木国屋きぐにや 文伍ぶんごに向け、スッと笠を取って頭を下げる。

 「この男は千賀せんが 千手せんじゅと言いましてね、我が臨海りんかいが誇る”蜻蛉かげろう”の一員ですよ」

 商家を訪ねて来るには多少違和感のある鋭い目つきの男に興味の目を向けていたこの家の主人、木国屋きぐにや 文伍ぶんご神反かんぞり 陽之亮ようのすけは紹介する。

「これはこれは……花房はなふさ 清奈せな様配下の方でいらっしゃったか、では……」

 その説明だけで何かを察した木国屋きぐにや 文伍ぶんごは、パンパンと手を顔の位置で二度ほど叩き、先程の小間使いを呼ぶ。

 「護衛して頂いておる望月もちづき殿をここへ」

 その命令に従い、小間使いは直ぐに姿を消して、再び現れた時は一人の男を連れて部屋に入ったのだった。

 「……」

 その男は、成人男子としては身長は低い方。

 しかし衣服の上からでも分かる、大胸筋、上腕二頭筋の異常な発達と短く屈強そうな首といい、筋肉達磨という表現がぴったりとはまる小男だった。

 「やぁ、望月もちづき 不動丸ふどうまる君、お役目ご苦労様」

 厳つい表情で木国屋きぐにや 文伍ぶんごの後ろに控えて座る筋肉達磨に、如何いかにも優男な神反かんぞり 陽之亮ようのすけは軽い挨拶をすると、ズイッと顔を前に乗り出した。

 「で、準備は勿論整っているのだろうね、木国屋きぐにやさん?」

 臨海りんかいが誇る二大諜報部隊の一つ、特殊工作部隊、通称”闇刀やみがたな”の隊長であり、対七峰しちほう方面責任者である神反かんぞり 陽之亮ようのすけ

 機知に富み、行動力に優れ、人心掌握に精通した神反かんぞり 陽之亮ようのすけという男は、一見華奢な優男風の長身長髪な軟派な見た目ではあるが、その異質な才能は臨海りんかい国の誰もが認める、古参の実力者であった。

 時に温和に時に非情に……
 工作任務から外交の下準備までそつなくこなすこの男は、交渉による切れ味の鋭さから臨海りんかい内では”カミソリ陽之亮ようのすけ”と呼ばれるほどだ。

 「勿論、既に万端整っておりますとも。後は臨海りんかいの方々……それと長州門ながすどの方々のご到着を待つばかりです」

 笑顔で応える木国屋きぐにや 文伍ぶんご

 宗教国家”七峰しちほう”の海路の要衝であり、屈指の商業都市である”坂居湊さかいみなと”の街を取り仕切る豪商の一人で商業組合の筆頭でもある男もまた、商人ながら一方ひとかたの人物であった。

 「して、その花房はなふさ 清奈せな様配下の……千賀せんが 千手せんじゅ殿と申しましたか、その御仁は今回どういった御用向きの?」

 「ああ、こっちは木国屋きぐにやさんにも”今回の件”にも直接関係無い、少々別件の……」

 直ぐさま陽之亮ようのすけが答える声を遮って、木国屋きぐにや 文伍ぶんごは大きく頷いた。

 「なるほどなるほど……私共にも調査依頼されていた”魔眼の姫”関連の……」

 ――っ!?

 そしてそこまで言いかけて、木国屋きぐにや 文伍ぶんごはそのまま固まって言葉を呑み込んだのだった。

 「……いや……なにも」

 彼ほどの海千山千の大商人でも蒼白になる冷たい気配。

 それは相変わらず笑顔のままの神反かんぞり 陽之亮ようのすけの鋭い視線によるものだった。

 「木国屋きぐにやさん、今回の協力には我が主も臨海りんかい国も大いに感謝している、しかし……解っていると思うが余計な事は言わない方がいい」

 「……」

 些細な事にも目端が利くのは商人たる所以だろうが……

 木国屋きぐにや 文伍ぶんごはそのまま無言でコクリと頷く。

 「我が主は情の深い名君ではあるが……時に”このカミソリ”よりも何倍も切れる……恐ろしい御方だから」

 それを見届けた”カミソリ陽之亮ようのすけ”は、笑顔のまま自身の首元を親指で水平にスイッと払ったのだった。

 ――
 ―


 ――”坂居湊さかいみなと”の北東数十キロの海上、ある一隻の軍艦にある甲板デッキ上で……

 「首尾は……上々のようだな」

 俺は読み終えたばかりの文に二、三の印を書き込んでから、肩に留まっていたふくろうの足に縛り付けて、それを天高く放り投げた。

 バサッ!バササッ!

 抜けるような晴天に、木の葉の如く幾度か舞ってから――

 少し小振りではあるものの歴とした猛禽類、大空の覇者は悠々と眼下に海原を見下ろして飛び立ってゆく。

 「……最嘉さいかさま、あの、よろしかったのでしょうか?」

 そして……隣にて、遠慮がちではあるが確実に何か言いたい事がありそうな顔の、黒髪ショートカット美少女が俺に声をかけてくる。

 「陽之亮ようのすけの手腕なら問題ない、坂居湊さかいみなと攻略の下準備は完璧だろう」

 俺の応えに少女はゆっくりと首を横に振った。

 「神反かんぞりさんの事ではありません、私は……っ!?」

 ”そうでは無い”と再度俺に問いかけようとする鈴原すずはら 真琴まことに、俺はサッと右手を上げて制する。

 「穂邑ほむら達との”那古葉なごは”攻略作戦なら雪白ゆきしろが適任だ。で、”坂居湊こっち”は俺と真琴まことで対処する。何か問題があるか?」

 ”坂居湊沖数十キロここ”に至るまでに何度も投げかけられた質問に、俺はそれまでと同様に答え、少女の表情を覗き見る。

 「で、ですが、坂居湊さかいみなとでは強襲揚陸部隊による市街地での白兵戦、早期決着を最大の目的とするなら……」

 何度も何度も……事ここに至ってまでも、繰り返される彼女の確認。
 俺の決定に真琴まことは珍しく納得しきれていない様子であった。

 「……」

 ジッと覗き見る俺から僅かに視線を逸らす美少女。

 真琴まことの黒い大きめの瞳は微妙に落ち着かない。

 ――どうもな……そういえば臨海りんかい出陣る時、珍しく雪白ゆきしろと二人きりで何やら話していた様子だったが……なにかあったのか?

 と、一応、俺なりに心当たりをさらってみるが、それ以上情報が無いのだから詮の無い事だ。

 大体、戦の規模の大きさからドッシリと構えて矛を交える事になるであろう、旺帝おうてい領”那古葉なごは”攻略……

 の地で行われる黄金竜姫との共同戦線に比べ、、”坂居湊さかいみなと”での長州門ながすどとの共同作戦は謂わば奇襲であり、騙し討ちだ。

 味方や奪取する領土の被害を極限まで最小に抑える……
 なにより勝利するためにも今回の作戦は”兵は拙速を尊ぶ”を地で行か無ければ成らない。

 白金プラチナの騎士姫、久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろが率いる兵の突破力と制圧力はこういう戦にこそ圧倒的戦果を上げるだろう。

 ”閃光将軍”の異名通り、雪白ゆきしろは例え率いる兵がかつての”白閃隊びゃくせんたい”で無くてもその威力を十二分に発揮する烈将だ。

 ――それを念頭に置いての真琴まことの再三にわたる進言かも知れないが……

 「雪白ゆきしろには正式に部隊を与えた、適した副官もだ。ここは新しい部隊に馴れるためにもああいった”那古葉なごは”攻略のような駆け引き無しの正面決戦、正統派の舞台の方が糧になるだろう?」

 「それは……確かに……ですが……」

 「?」

 いつもより全然歯切れの悪い真琴まこと

 ――やはり雪白ゆきしろとなにかあったのか?

 とか、一瞬、またも先程の考えがよぎった俺であったが……

 俺は俺で、実はその本当の理由を真琴まことに伝えていない。

 それは……

 ”魔眼の姫”に関する俺の懸念だ。

 近代国家世界での交渉の折、長州門ながすどの覇王姫ペリカ・ルシアノ=ニトゥとまみえた時に、どうも覇王姫はそれ以前より雪白ゆきしろを知っているようであった。

 それもあまり良い感じでは無く……

 あの時、雪白ゆきしろは知らないと言っていたが、実際のところは謎だ。

 ――雪白ゆきしろの記憶はあてにならないしなぁ……

 自分が興味の無いことにはトコトン無頓着な雪白ゆきしろ
 そんな彼女だから真相は分かりかねる。

 「……」

 まぁどちらにしても……”魔眼の姫”という事案は今や俺の中では最重要案件だ。

 そんな最深の注意を必要とする状況で、”魔眼の姫”たる序列三位の”紅玉ルビー”と序列四位の”白金プラチナ”を軽々に直接会わせるのは今は避けた方が良いだろう。

 ――幾万いくま 目貫めぬき……

 あの未知の脅威相手には、慎重に慎重を期しても慎重すぎると言う事は無いだろうしな。

 「あの、最嘉さいかさま……例えば!例えばの話ですが、旺帝おうてい領”那古葉なごは”攻略と、この”坂居湊さかいみなと”での長州門ながすどとの共同作戦の……その……どちらが重要でしょうか?」

 考えに浸っていた俺に、真琴まことは怖ず怖ずとした態度で質問してくる。

 「……」

 ――ええと……どういうことだ?

 どちらの戦が重要か?

 無論、そんなのはどちらも重要に決まっている。

 ――というか、なんだその質問は……

 俺は真琴まことらしくない要領を得ない質問に思わず変な顔を向けていた。

 「い、いえ……ですから……功績の大小と言いますか……その……私と……あの……久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろの……どちらが……といいいますか……その……うぅ……」

 そして、そんな俺を見上げる黒髪ショートカット少女は、
 持ち前の大きい瞳を潤ませながら頬を染めて……

 「あの……いいえ……なんでも……ないです」

 言葉尻を”ごにょごにょ”と消え入るような声で濁して完全に項垂うなだれた。

 「……」

 ――全く解らん、なんなんだ?

 俺は真琴まことが何を言いたいのか全く理解出来なかったが、傍で俯いた少女はもう言葉を発する気配は無い。

 「…………真琴まこと、お前、雪白ゆきしろとなにか……」

 ガチャ!

 ――!

 と、その時、船内へと続く扉が開かれ、
 甲板デッキ上の俺達が佇む場所へと向けて歩いてくる人影が俺の目に入る。

 「先生、もうすぐ予定の海域に到着致します、陣形の最終的なチェックをお願いします」

 それは参謀の佐和山さわやま 咲季さきだった。

 「……そうか、わかった」

 タイミング悪く聞きそびれたが……

 「……」

 真琴まことは下を向いたままだ。

 ――まぁ、多分この様子なら俺が聞いても答えなかっただろうな

 俺はそう答えを出し、そしてその小さな疑問は特に問題にせずに忘れた。

 「そうだな……これから取りかかる二つの戦、これらが我が臨海りんかいにとって新たな門出となるのは間違い無い」

 すっかり気持ちを切り替えた俺は、自然と腰の愛刀、小烏丸こがらすまるの柄を握る。

 「……はい、我が君!」

 「全力を尽くします!」

 真琴まことも気持ちを切り替えた様子で、引き締まった表情で返事を返し、咲季さきも続く。


 ――天都原あまつはら旺帝おうてい七峰しちほう長州門ながすどに……じき句拿くな可夢偉かむいも動き出すだろう

 英雄に事欠かないこの群雄割拠の戦国世界で、それら超大国をことごとく迎え撃つ我が臨海りんかいの命運を占う新たな一歩、その足音がヒタヒタと迫って来ている。

 ――

 俺は海の向こう、そういう戦国絵巻の堂々たる舞台であるあかつき本土から吹き付ける潮風に頬を撫でられながら、スッと僅かに下唇を舌でなぞって一時の辛みを堪能した。

 「さぁ、前人未踏の頂きへと挑んでみようか!」

 第七十一話「動乱の幕開け」―臨海りんかい1― END
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