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独立編
第一話 「最嘉と無垢なる深淵」 後編(改訂版)
しおりを挟む第一話 「最嘉と無垢なる深淵」 後編
「舐めてるのか貴様っ!?一度くたばってみるか?」
俺を投げ飛ばした熊男はいきり立って怒声を放ち、相変わらず座ったままの女は気怠そうに頬杖を着いてこちらを眺めている。
「おぉ、非道いな……味方に対して何て仕打ちだ」
ーー俺は……
泥のついた頬を拭って地べたに尻餅をついたままで熊男を見上げていた。
ーーああそうだ、そういえば……
ーーきちんとした自己紹介がまだだった
俺は、鈴原 最嘉。
”もっとも”の”最”と、”よし!”という意味の”嘉”で”最嘉”だ。
名は体を表すというが、正しく俺様の名に相応しい名前だと思う。
そして俺は、えっとそうだな……
肩書きはいくつかあるが、一応”こっち”の世界では”臨海”という所領の領主……つまり小国の王をやっている。
「サイカくん、なにを惚けているの?サッサと席についたら?それとも本当にくたばったの?」
気怠そうな頬杖女は、縁起でも無く且つ非情に失礼な言葉を浴びせてくる。
「…………」
この見るからに気怠い感じの無気力女は……宮郷 弥代。
俺の所領である”臨海”のお隣、”宮郷”を治める領主の娘であり、こう見えて宮郷随一の猛将である。
「ふぅ……」
俺はこれ見よがしに軽い溜息を吐いた後、相変わらず尻餅をついたままの状態で右手を握手を求めるように差し出した。
「……」
だが女は、見るからに興味無い表情で俺を一瞥した後、そっぽを向く。
ーーちっ!
心の中で舌打ちした俺は、そのままその手を眼前に立ちふさがる壁に移動させた。
「……なんの……つもりだ?」
矛先を向けられた熊男は俺を見下ろしたまま、ドスの効いた低い声で睨んでくる。
「知ってるだろ?俺の足」
「……」
暫く無言でにらめっこする二人。
「ちっ……オラよっ!」
結局、岩石のような仏頂面のままの熊男は、俺の手を握って引き起こしてくれた。
「わるいね、住吉」
粘り勝ちの俺は、そう礼を言いながらよっこらせっと身体を起こして立ち上がる。
粗忽で乱暴者で、熊のような巨体の男、熊谷 住吉。
歳は少しばかり離れてはいるが俺の昔なじみで、此奴もまた俺の所領”臨海”近隣の”日限”領主だ。
「鈴原、貴様少しは真面目に考えろ、今の状況をな!」
「早々に退場しようとしたお前が言うなよ、ってか、だからって投げ飛ばすなよなぁ」
熊男、熊谷 住吉に俺はそう抗議しながら、少しぎこちない動作で元いた席に座り直す。
「……サイカくん、あなたの考えを聞きたいわ」
「……そうだ、認めたくないが、お前の得意分野だろう?」
それを待ってから、気怠げ女、宮郷 弥代が声をかけて来て、そして住吉もそれに続く。
ーー
ー
二人の視線が自然と俺に注がれている。
「……あっ!」
「おっ!?なにか良い考えが浮かんだかっ!?」
期待を込めた声を上げる住吉だが……
ババッ
俺は無視して机上のペンを取って前のめりになっていた。
「くたばれだ!そう、”くたばっちまえ”……”二葉亭四迷”だよ!浮き雲!」
カキカキ……
俺は再びテーブル上の雑誌にいそいそと書き込んでいた。
「おっ……おーまーえーはっ!!」
岩石のような怖面をピクピクと引きつらせて、熊谷 住吉が俺に再び詰め寄ろうとした時だった。
「わかってるって住吉、けどな、退却は最も困難だぞ……」
「!?」
俺は雑誌のマス目に解答を書き込む手を止めず、視線も向けずに、二人の人物に向けて言葉を発する。
「……どういう……こと?」
常に気怠そうな女、宮郷 弥代が、初めてその垂れ目の瞳に真剣な色をみせていた。
「……住吉の言うとおり既に大勢は決している、十倍以上の兵に包囲された俺達に勝ち目は無い」
俺は視線を雑誌から外して二人を見る。
「ちっ、実力で負けたわけじゃない!元はと言えばあの暗黒女がっ!”無垢なる深淵”がデタラメの情報で俺達をまんまと嵌めて、こんな地獄に出兵させたからだろうっ!」
「…………」
熊谷 住吉の悪態に呼応こそしないが、宮郷 弥代の垂れた瞳も同意見だとばかりにこちらを見ている。
ーーまぁ……かく言う俺の心中もそんなもんだ
現在の状況から大体そんな感じだろう。
聞いていた敵兵力とは一桁違い、聞いていた場所に敵の陣は無い。
次から次へ湯水のように湧きだす敵軍は、瞬く間に俺達を包囲殲滅していった。
ーーつまり……
「まあそう言うなって住吉、仮にも彼女は俺達”小国群連合軍”の盟主国たる”天都原”の大公令嬢で、総司令部参謀長様だぞ」
心中は兎も角、動もすれば権威主義的な俺の言葉に熊男のギラついた眼光が光る。
「てめぇはそんなだから毎度毎度利用ばっかされんだろうがっ!!まだ懲りないのか!大体その足だってな……」
「スミヨシ!」
「っ!?」
弥代の少し語気の荒い言葉にハッとなって黙る熊男。
「…………くっ」
大柄な身体を幾許か小さくして、ばつが悪そうに俺を見る。
そんな居心地の悪い空気に、俺は心の中で軽く溜息を吐いていたが……
直ぐに意識的に口元を緩めて表情を造り、やり過ごす。
「別に気にしてない……」
ーー京極 陽子
俺や住吉、弥代の父が治める各所領国、いわゆる”小国群”を纏める大国、天都原の王弟の御令嬢だ。
その家柄もさることながら、優れた知略を持つ才女で俺と同じ歳、若干十七歳ながら大国”天都原”の総参謀長閣下であらせられる御方だ。
大公令嬢、神算鬼謀の策士……それと……まぁ色々と顔を持つ彼女ではあるが、なんていうか……
「…………」
そう!なんていうか……めちゃ可愛い!!
いや、好みなんて人それぞれだというが……彼女が可愛くないという男はいないだろう。
腰まで届く降ろされた緑の黒髪は緩やかにウェーブがかかって輝き、白く透き通った肌と対照的な艶やかな紅い唇。
極めつけは漆黒の、恐ろしいまでに他人を惹きつける……”奈落”の双瞳。
普段から黒っぽい衣装を好むところもあり、彼女は敵方からは畏怖を、味方からは羨望を込められて”無垢なる深淵”と呼称される。
そして……
なんだか闇属性っぽい異名から連想出来るかも知れないが、彼女は目的のためには多少手段を選ばないきらいがある。
が……それを言うなら策士とはそもそもそう言うモノだろう?
かく言う俺の足も……
いや、それは今は良い。
ーー今は……な……
「…………はら、鈴原!おい鈴原っ!!」
ーーっ!?
ーーおっと!……つい考え込んでしまっていたようだ!
我に返った俺は、目の前で再び怖い顔になっている住吉に焦点を合わせた。
「京極 陽子嬢の事は取りあえず今はいいだろう?敵の大兵力を他所の一カ所に引きつけて……なんて策はよくあるものだし、総参謀長閣下様には俺達のような凡百には理解できない深謀遠慮があるんだろう……」
「…………」
「…………」
俺の返答に、目前の二人は微妙な表情を返す。
「……でだ、撤退戦が難しい理由はだなぁ……」
だが俺は、二人の微妙な顔の意味を理解っていて無視し、あえて話を続けた。
「包囲網に今さっき新たな一団が加わったらしい」
「新手?」
俺が急遽公開した情報を、弥代が確認する。
「壱からの情報だ、確度は保証する」
応えた俺に弥代は頷いた。
「サイカくんの所のムネミツくん情報なら間違いないわねぇ」
宗三家は俺の家に代々仕える忠臣だ。
宗三 壱は、臨海の前領主、鈴原 太夫の妹の息子、つまり俺の従兄で年齢は一つ上。
幼少より俺個人に仕える男で、割と無口だが頼りがいがある。
同様に俺の側近には、父の弟の娘で一つ年下の鈴原 真琴という女がいる。
二人とも俺に仕えるため、幼少より学問、武術を厳しく仕込まれた、俺個人に絶対の忠誠を尽くす有能な家臣だ。
「今更敵に、たかが一部隊が加わったところで何も変わらないだろうがっ!数の上で圧倒的不利は同じ、ならば一点集中の強行突破しかないだろう!」
住吉がその性格らしい打開策を述べる。
猪武者の住吉らしい言であるが、この場合それは正しい。
いや、正しいというかそれしか手は無いだろう。
犠牲を出しつつも何とか突破して自領に撤退する……
そしてその無理を可能にするだけの能力は、住吉にも、弥代の部隊にもあった。
「まぁ普通ならなぁ……」
「普通も異常も、こんな有様で他に何があるっていうんだ!俺は行くぞ!自軍の準備があるからなっ!」
「……ふぅ」
俺の意見を最後まで聞かない熊男に俺はあからさまに溜息を吐いていた。
「サイカくん?……何か懸念があるのかしら?」
俺の態度から何事か察した弥代が聞いてくる。
「…………」
「いくぞ宮郷っ!どうせ鈴原も直ぐ来ることになる」
俺の沈黙を策無しと捉えたのか、住吉は早々に退出しようと再び席を立っていた。
「………………が来る」
「は?」
「!?」
ボソリとハッキリしない俺の呟きに二人は怪訝な顔を向け……
「だ・か・らぁ……その加わった部隊は”純白の連なる刃”が率いる白閃隊らしい」
「!」
「!」
俺の発した単語に、巨漢の熊男とやる気なさげな女戦士は明らかに瞳を一回り大きく見開いたのだった。
第一話 「最嘉と無垢なる深淵」 後編 END
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