女神の使いは使命が不明

ひろたひかる

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「クリス様、一つ提案があるのですが」

 翌日、私は勉強が終わったクリス様に話しかけた。
 このためにソフィアさんやアデラさんに協力してもらい準備は万端。ふふふ、クリス様を楽しませるために計画してるって言うのに私の方がテンションがあがってるなあ。

「なんだ?」
「今日のおやつ、よろしければお庭でいただきませんか」
「なんだ、お茶会か」

 途端に興味をなくした様子のクリス様。
 いやいや、侮ってもらっちゃ困ります。

「お茶会じゃないですよ。ピクニックです」
「――――ピクニック、だと?」
「はい。今日はお天気もいいですし、美味しいお茶とお菓子と、あとサンドイッチとか持ってですね、てくてく歩いて行きますよ」

 どこがお茶会と違うのだと言いたげなクリス様だったけど、アデラさんが用意した大きなバスケットの中身を見た途端、

「まあ――――たまにはつきあってやろう」

 といいつついそいそと支度を始めたので笑ってしまった。



 今日の行き先は、城の中庭ある芝生の広場だ。きれいに整えられた芝生とそれを取り囲む生け垣が見事だ。
 芝生にオレンジと白のチェック柄の敷き布を広げ、侍女さん達が持ってきてくれたパラソルを広げて立てる。敷き布の上に広げるのは、オトメの憧れお皿やカトラリーがきれいに詰められているバスケットだ。

「あっ、クリス様、敷き布には靴を脱いで上がって下さいね」
「靴を脱ぐのか? わかった」

 私ももちろん靴は脱いでいます。
 そしてクリス様は私が座っている横にちょこんと座る。

「へえ。椅子じゃなくて布の上に座るのか」
「はい、芝生がふかふかだから座ると気持ちがいいですよね」

 クリス様は恐る恐る靴を脱いで敷き布に乗り、その途端足元の感触に目を見張っている。ピクニックしたことないってアデラさんが言っていたのは本当なんだなあ。

 今日は少し汗ばむくらいに暖かいので、飲み物は冷たいレモネードが用意されている。搾りたてのレモンにはちみつがたっぷり、お肌に良さそう。

 お茶のお供はお腹にたまりそうなチーズフィリングのタルト、ショートブレッド、ふわっふわのシフォンケーキはオレンジの香りがする。
 サンドイッチもたっぷりある。焼いた鳥肉と野菜、ベーコンとクリームチーズ、にんじんのラペが挟んであるものもある。定番のきゅうりのサンドイッチはないのね。私はきゅうり苦手だからいいけど。

 おひさまポカポカ、爽やかな風が心地よく頬をくすぐる絶好のピクニック日和。

「うん、このオレンジのケーキはいいな。アデラ、また用意しろ」
「こちらのケーキですか?」

 ちらりとアデラさんがこちらを見たので頷いておく。アデラさんは「かしこまりました」ってやってる。
 一番最初にクリス様がお皿に取ったのはオレンジのシフォンケーキだ。生地に絞ったオレンジを入れて、オレンジマーマレードも混ぜ込んであるのだ。え? 何でそんなに詳しいかって?
 そりゃあ私がこのシフォンケーキを作ったからに決まっています。私がレシピを暗記していた数少ないお菓子なのだ。
 アデラさんにあとでレシピを教えると約束して私もレモネードをおかわりした。

 そのときどこからかクリス様を呼ぶ声が聞こえた。って、まあ予定通りなんだけど、私がしょっちゅう夜の庭で聞いている声だ。

「クリストファー」

 この広場は王宮の中庭に位置していて、陛下が執務を行う部屋と謁見などを行う部屋の通り道に面している。私は今朝アシュレイさんに聞いて「レーンハルト陛下がこの道を通るタイミング」にここでピクニックをすることにした。
 正直まだ王宮内の地理には明るくないから場所の選定はアシュレイさんが決めてくれたんだけど。
 アシュレイさんにこっそり協力を頼んだとき、それは嬉しそうに笑っていたっけ。

「陛下と殿下の仲立ちですか。それは願ってもないことです」

 アシュレイさんはそういっていた。どうやらあの生真面目な王と王子はアシュレイさんにとっても悩みの一つだったらしい。

「お見かけしたら何とかレーンに……陛下に声をかけさせますから」
「お願いします。私はクリス様が陛下をお茶に誘うよう何とか仕向けます」

 そうして二人顔をつきあわせてにやると笑いあった。共謀が成立した瞬間だった。



 さて、そういったわけであとはクリス様に陛下を誘ってもらうだけなんだけど。

「父上! お仕事お疲れ様です」

 クリス様、ぴっと立ち上がってこの一言。会社の部下と上司か。私もクリス様の横で一礼しつつ小さな声で入れ知恵をした。

「クリス様、陛下をお茶にお誘いしてはいかがですか」
「ばっ、バカ言うな。父上はお忙しいんだ」
「でも、こんなにおいしそうなお菓子と飲み物を広げているのにお誘いしないのもお父様に失礼なんじゃないですか?」
「ぐっ」
「本当にお忙しかったらそうおっしゃいますよ。お誘いしてみることが大事なんです」
「――――っ」

 おお、葛藤している。もちろん私の言ったことは口から出任せだけど、まあ間違ってはいないだろう。学校でもみんなでお菓子食べてるところに誰か来たら「食べる?」ってお菓子の箱を差し出すくらいのことはするもの。
 私がレーンハルト陛下を誘うことはできる。けれど、私じゃなくてクリス様が誘うことが大事なんだ。だって、こんな天使みたいにかわいい子、それも実の息子に誘われるんだよ? 陛下が嬉しくないわけがないじゃない。
 それに私がやりたいのは「私と陛下のピクニック」ではなくて「クリス様とパパのピクニック」なんだから。
 がんばれ、クリス様。がんばれ!

 言うか言わないかを必死に葛藤してるクリス様の肩にそっと手を置いた。はっとして私に顔を向けたクリス様は「本当に誘っていいの?」と目が訴えている。私は小さく頷いた。

「父上。その――――もしお時間がおありでしたらおやつをご一緒にいかがですか」

 よし、言った!
 クリス様は顔どころか小さな耳まで真っ赤で、握りしめた手は力を入れすぎて真っ白。きっと「陛下」としてのレーンハルト陛下ではなく「父上」としてのレーンハルト陛下に声をかける機会が少なかったんだろうなあ。
 さあ、陛下。小さな王子様は勇気を出しました。次は陛下の番ですよ!

 肝心のレーンハルト陛下は驚いたのか目を丸くしているが、すぐに「ああ」と返事をした。

「楽しそうだな、クリストファー。そうだな、あまりゆっくりはできないが少しだけ参加させてもらおう――――アシュレイ、時間になったら誰かを呼びに来させてくれ」
「かしこまりました」

 そうして陛下は敷き布の上に腰を下ろした。

「父上、靴は脱ぐのだそうです」
「む、そうか」
「お菓子はどれになさいますか?」
「クリスはどれが気に入った」
「僕はオレンジのケーキが」
「そうか、ではそれを」

 弾みそうだった会話がそこで途切れてしまった。うん、まあすぐには無理だよね。レーンハルト陛下が少しの時間でもクリス様と接することが今日の目標なんだから贅沢はいわない。
 でも少し話題はふってみようかな。
 そう思ってクリス様に声をかけようとした。

「クリス、今日は何についての授業だった?」

 私が声をかけるより早くレーンハルト陛下が口を開いた。

「は、はい。今日は他の国のお話を教わりました」
「どんな話だった?」
「はい、トーキラ人の話でした。パーシェルを大事に育てていて、家を持たず、旅をして生きる人たちだと」

 パーシェル。あの馬車を曳いていた動物だ。
 要するにトーキラ人って馬じゃなくてパーシェルを育てる遊牧民族、っていうところだろうか。

「僕は城しか知りませんし、住むところがないっていうのはびっくりしました。でもそういう暮らしだから僕みたいな子どもでもパーシェルを上手にのりこなすってエドガー先生が言ってました。すごいなあって思います」
「そうか、よく勉強したな。勉強は好きか?」
「嫌いじゃないですけど……剣術を早く習いたいです」
「そうか、体を動かす方が好きか」

 はは、と笑って陛下はクリス様の頭を遠慮なくぐしゃぐしゃっとかき混ぜた。

「よし、今度時間ができたらパーシェルに乗ってでかけよう。そう遠くへは行けないが少し行ったところにいいところがある」
「ほっ、本当ですか!」
「約束しよう。ただ、すぐに……というわけにはいかないが」

 苦笑いの陛下ときらっきらの瞳のクリス様。
 なんだ、こんな簡単に仲良くできるんじゃない。心配する必要なかったのかな。
 それでもさすがにクリス様の態度はまだまだ硬いし、レーンハルト陛下もそれ以上話を膨らませることができないみたい。
 お菓子や飲み物のおかわりを用意しながら陛下の迎えが来るまでの時間をのんびりと過ごすことができた。

「陛下、お時間でございます」

 そうして迎えが来たのは三十分ほどしてから。陛下が誰かを迎えに来させろと言っていたのに来たのはアシュレイさんだった。

「わかった。ではクリス、寒くなる前に中へ入るんだぞ」
「はい、父上」

 ぴしっときれいな姿勢で陛下を見送ったクリス様だったが、陛下の姿が見えなくなった途端に「うわあ……」と放心したように声が漏れた。

「クリス様?」
「――――っ、サーナ! 聞いたか! 父上がパーシェルに乗せて下さるって!」

 私の両手をがしっと掴んで全開の笑顔を見せてくれた。

「うわあ、うわあ! ピクニックに誘ってみてよかった!」
「よかったですね、クリス様」

 ふたりでいっしょになってその場でピョンピョン跳びはねてしまった。こんなに嬉しそうなクリス様は初めて。
 私まで嬉しくなってしまった。

 その時はまたオレンジのシフォンケーキ、焼いてあげるね。



 ☆★☆★☆


「――――というわけで、クリスと遠乗りに行く約束をしてしまった……のだが」

 レーンハルトはどこかばつの悪い顔で執務机の前に立つアシュレイに報告した。
 執務室に戻るなり何かを使い果たしてしまったように机に突っ伏してしまい、それからアシュレイにことの顛末を話したのだ。

「だが、しばらくは予定が立て込んでいたな。連れて行ってやれるのがいつになるか」
「かしこまりました、では三日後に設定させていただきます」
「――――はあ?」

 まさか一発で同意が得られるとは思っていなかった。おまけに無理だろう、そんな直近の予定に組み込むのは。
 三日後は神殿の関係者との会談があったはず、とレーンハルトは訂正しようとしたのだが。

「神殿の者達との会合はメルファス老師に一任いたしましょう。それからそのあと入っていた予定も動かしますのでご心配なさらず」
「ま、待てアシュレイ。そんなことをしては」
「そんなことをしては、何ですか?」

 じろりと切れ長の目で睨まれて内心ぎくりとする。この表情は絶対に考えを変えないときの表情だ。幼なじみのレーンハルトはよく知っていた。

「いいかレーン。一日分の予定を変更するくらい造作もないことだ。大体おまえはまじめに働き過ぎなんだよ。ゆっくり骨休めしてこい」

 部下であり親友である自分を信じろ、とアシュレイに言われてしまえばもう黙るしかない。レーンハルトはあきらめてアシュレイの言葉に従うことにした。
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