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 クリス様が大暴れしたその日、いつもの偉そうな態度に戻ったクリス様は、その口調とは裏腹に私から離れようとしなかった。
 もちろん悪い気はしない。というか、むしろ愛しい。ぐりぐりーっと髪を撫で回してあげたい衝動と戦うのが大変です。はい。

 そしてそのままクリス様が寝付くまでつきあうことになってしまった。一緒に泊まろうかなと思ったけど、相手は五歳だというのにそのまま同じ部屋に泊まるとなると「婚姻前の男女が云々」という問題があるらしい。ちょっと待て。
 いや、小説とかでも政略結婚でまだ幼児の貴族が結婚させられる話とか読んだことがあるな。そう考えればクリス様のためにも身の潔白を証明しなければいけないのか。大変だなあ、偉い人たちも。

「さあクリス様、寝ましょうか」

 水色の夜着に着替えたクリス様をなんとかベッドに連れ込んだ。

「まだ寝たくない」
「ダメですよ、しっかり寝ないと大きくなれませんよ」
「でも眠くない」
「仕方ありませんね、何かお話をしましょうか」
「お話?」
「そうですね、私の国の昔話なんかどうですか?」
「サーナの国の? どんな話だ、ドラゴンは出てくるのか」
「ドラゴンは出てきませんけど鬼が出てきますよ」

 おお、クリス様がっつり食いついてる。私は記憶をたどりながら話し始めた。

「では――――昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。二人には子供がなかったので観音様、じゃない神様にお祈りし、やがて男の赤ちゃんを授かりました。けれど男の子は体が大人の親指くらいの大きさしかありません」

 そう、思いついたのは一寸法師。
 一寸法師と名付けられた男の子は大きくなっても身の丈一寸(約三センチ)、その小さな体で都に仕官するため家を出る。お椀の船に箸のかい――――だとわからないから木でできたスープボウルに木の棒と言い換えた――――で川を下って都へたどり着く。

「そこで仕えることができた貴族のお屋敷で、真面目な働きぶりを認められてお姫様の護衛をすることになりました」
「ふうん、そんないるかいないかわからない大きさの者に護衛を任せるなんて、その貴族はどうかしている」

 実際毎日護衛されている人間としては信じられないらしい。クリス様が眉をひそめる。

「そしてある日、お姫様は一寸法師をお供に出かけました。ところがそこに恐ろしく大きな鬼が現れ、お姫様を攫おうとしたのです」
「やっぱり! 貴族の姫君がムボービにでかけたりするからだ!」

 ははは、日本の子どもたちとは着眼点が違うなあ。
 話はいよいよ佳境、一寸法師は鬼に飲み込まれてしまう。そして持っていた針の刀で鬼のお腹の中で大暴れして退治する下りでは今までのツッコミはどこへやら、食い入るように話に没頭している。私もつい「グアーッ、参ったあああ!」などと熱演してしまった。
 そしてラスト、立派な青年になった一寸法師がお姫様と結ばれてめでたしめでたしとなりクリス様も満足そうな顔で聞いていた。

「これでお話はおしまいです。さ、もう寝ましょうね」
「ええっ! もう一つ聞きたい!」
「今夜はこれでおしまいです。また明日違うお話をしますね」
「約束だぞ、サーナ」

 次の約束を取り付け安心したのか、クリス様はそれからすぐに静かな寝息を立て始めた。私はランプの灯りをそっと絞って部屋を出た。


 それにしても。
 泣いていたクリス様の言葉を思い起こす。

 あの時聞くことができたクリス様のストレスは二つ、まずは周囲がクリス様個人ではなくあくまで「殿下」として接してくること、そして心にもないお世辞を言っているとクリス様が感じていること。
 もう一つはレーンハルト陛下がクリス様を嫌っていると思いこんでいること。

 一つ目はなかなか難しい。何しろ小さくても王族だからなあ、身分の低い者からすれば間違っても怒りを買うような真似はできないだろう。ましてや相手は小さな子ども、そんな態度も過剰になってしまうのかもしれない。

 そして二つ目、これは何とかできないだろうか。だって私はレーンハルト陛下がクリス様のことを大切に思っていることを知っている。だから話は簡単、それが伝わればいいだけのことだ。

 とはいえ、家庭には家庭の考え方がある。おまけに相手は王様、一般家庭では思いもつかない配慮も必要だろう。
 陛下はクリス様を「魔法が使えなくても王にと望まれるような人間に」と、だから厳しく接していると言っていた。その方針に私も賛成かどうかはともかく納得はできてしまう。
 さてどうしたものか……

 今夜は庭に出るのはやめよう。
 もし今夜陛下が庭にいらしても今日の出来事をどう話していいのかわからない。



 だというのに。
 ええと、私の部屋のベランダに陛下がいらっしゃるのは見間違いでしょうか。

「夜遅くにすまない、サーナ。いつものところでは今夜会えるかどうか分からなかったので」

 はい、確かに今夜は行くつもり無かったですけど。
 けれどこんな夜に女性の部屋に来るなんて、私がクリス様に添い寝するより派手に誤解が生じそうなんですが?

 ベランダに一国の王を立たせておくのも問題だけど、室内に招き入れるのも問題だ。どうしたものかと躊躇していたら「ああ、ここでいい」と陛下の方から言ってもらえた。

「今日の顛末を聞いた」

 せめてこれくらいはと私が部屋から持ち出してきた椅子二脚に向かい合わせに座り、陛下は星空をバックに大きなため息をついた。
 イケメンは何をしても絵になるなあと場違いなことを考えていた私は背筋をピッと伸ばした。

「ただ、サーナからも聞かせてもらえないだろうか。できれば包み隠さずに」

 レーンハルト陛下の視線はまっすぐ私に向かってくる。まだどう話すか考える時間が欲しかったなあ……袋小路に追い詰められた小ネズミの心境がわかった気がする。
 私は自分が見たこと聞いたことを正直に話した。

 シシリーさんに呼ばれて行ったら部屋が荒れ果てていたこと。
 クリス様が引きこもっていたこと。それからたくさん泣いたこと。さすがにクリス様の言葉を一言一句間違えずに話すなんて芸当はできなかったけど、とりあえず「周囲の人たちが王子様として自分を扱うのでクリストファー個人を見てもらえないこと」そして「変な笑顔で嫌だ」という旨のことを話していたと伝えた。

「変な笑顔?」
「おそらく、愛想笑いとかの作った笑顔のことをおっしゃっているのでは、と。子どもってそういうのに敏感なんですよね。それから――――」

 その先を話そうとしてハッとして口を閉じた。
「父上には嫌われてる」そんなふうにクリス様が思ってるなんて聞いたら陛下はどう思うだろう。とっても子どもを大事に思っている人なのに。解かなきゃいけない誤解ではあるけれど、陛下に伝えるべきかどうかも私には判断できない。
 チビッコの相手は慣れていても親の相手なんてしたことないもの! 

「それから?」
「え……えっと、それから、何を言おうとしたんだっけなぁ」
「サーナ?」
「あの、その……」
「頼む、包み隠さずに言ってくれ。君の話したことに腹を立てて君を罰したりは決してしないから。女神の恵みであるサーナは王族と同等の扱いを、と言っただろう? おれと同じ地位のサーナなら俺の顔色を伺う必要もない、だから率直にいってくれて構わない」

 話しながらレーンハルト陛下は席を立ち私に近寄ってきた。近寄ってきたというより座った私に覆いかぶさってきたというか、私の座っている椅子に手を置いて、上から私を囲い込むように見下ろす――――壁ドンならぬ椅子ドン? 椅子ドンかこれ?!
 近い近い、近すぎます陛下あああっ!
 なんかハーブっぽい爽やかな香りがして、星明りに照らされた金の髪がサラサラ……

 ど、ど、どーしたらいいのおおおおおっ!

「サーナ」

 身動きが取れない私の髪にそっとレーンハルト陛下の指が通る。さらさらと髪が滑り落ちるにつれて苦しいくらいにドキドキが高まっていく。陛下が着ている白のダボッとしたシャツ、そこから覗く胸元が凶悪だ。

「――――やっ」

 自慢じゃないが生まれてこの方彼氏なんていたことはない。小さい男の子は施設で慣れたものだけど、こんな大人の男の人には迫られる――――あっ、口説かれてるわけじゃないけど物理的に迫られたことはないもんだから一体どうしていいかわからない。
 真っ赤な顔で口をついて出てしまった声に陛下はハッとして離れてくれた。

「すまない、失礼な真似を。大丈夫か」

 ただ頷くしかできません。眉を下げて心配そうだった陛下の顔が少しホッと緩んだ。

「すまなかった、クリスのことを聞きたいばかりに……」
「――――いいえ」

 うわあ、ビビった。まだ動悸が収まらない。

 でも一歩後ろに下ったレーンハルト陛下は見たこともないほど動揺してみえる。
 生真面目な陛下が周りが見えなくなるほどクリス様のことが心配だったんだ、と考えたらものすごく申し訳ない気持ちが湧いてきた。陛下を気づかって話すかどうか悩んでいるつもりだったけど、余計悲しい思いをさせてしまったんだろうか。

「レーンハルト陛下、陛下の周りの人はクリス様についてすべてを報告しているわけじゃないとお思いなんですか?」
「政等に関してはそのようなことはない、信用している。だが、クリスのことに関しては――――正直に話してくれるのはアシュレイとメルファスくらいなんだ。だがいつもクリスのそばにいるのは侍女たちで、彼女たちは『王子殿下の機嫌を損ねたとわかったらまずい』と考えているようでな。包み隠さずに話してほしいと伝えても『本日もいい子でいらっしゃいました』としか報告が来ない。だが癇癪を起こしたらしいとか部屋で暴れたらしいとかは漏れ聞こえてくるものだ。調べてそれがわかれば場合によっては報告義務違反で任を解かれてしまうこともあるのに、理解ができない」

 一気に話して大きく息をつく陛下がクリス様に重なって見えた。ああ、親子だなぁ。そんな表情も悩みも一緒じゃない。
 再び席に戻った陛下に、今度は私が立ち上がった。

「陛下、私嬉しいです。陛下とクリス様、本当にそっくりで」

 陛下の前に私は立ち止まる。座っている陛下が見上げてくる顔、やっぱりそっくりだ。

「私、陛下がクリス様を心から愛していらっしゃるって知ってます。クリス様が陛下を愛していることも知ってます。
 ――――そしてそれがうまくかみ合っていないことも」
「かみ合って、いない?」

 私は小さく頷いた。

「クリス様はあんなに小さいのに自分が特別な立場にあって、そのために自分がどうあるべきかを必死に考えていらっしゃいます。でも多分、自信がないんです。王子は自分でなくてもいいんじゃないか、王子という肩書しかみんな見てないんじゃないかって。そしてそれは陛下、陛下に対しても同じなのかもしれません」

 少し回りくどく話してしまった私の言葉をレーンハルト陛下はすぐに理解してくれた。

「つまり――――俺がクリスのことを息子ではなく王子としてしか見ていないと思われている?」
「というか、嫌われているんじゃないか、と思っているようで……」
「そんなことはない! 絶対にない!」

 ガタン、と陛下の椅子が倒れ、逆に私が見おろされる。

「厳しく接するのはあの子のためだ。魔法も使えず、母もいない。そんなあの子を強く育てるのは私の義務だ」
「わかっております。陛下がクリス様を思ってそうなさっていることは。ただクリス様は自信がないんです。自分が愛されている自信が」
「――――」

 子どもにとって親は特別なんだ。けれどその絆は放っておいて育つものじゃない。
 私は陛下にひとつ提案をもちかけた。


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