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第四十八話 天体観測2
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それから駅前の信号を渡り、左側の歩道から外れた薄暗く草木の生い茂った斜面を五分ほど登っていると、少し先に見晴らしの良い場所が現れた。
だいぶ上の方なのに空気が澄んでいて緑に充ちていて綺麗だからか、酸素が薄れる感覚というよりはむしろ心地よい気がした。
東京にもこんな空気の美味しいところがあるんだ、なんて上京民の葵は思った。
すると暫くして顧問が先を見つめながら大きく手を振り出した。
「おーい!宮井待たせたな!」
その声に、先の方で座っていた一人の男が反応して立ち上がった。
少し離れていて顔までは見えなかったが、制服を着ていたし間違いなく、あの宮井慧矢だとわかった。
なんと宮井慧矢は既に望遠鏡を設置してレジャーシートを敷いて、準備万端と言った感じで皆を待っていたようだ。
「おー!宮井!場所取りサンキューな!」
(えぇ、普段の部活ではやる気なさそうなのに…!)
葵がそんな光景に衝撃を受けている中、平然とした顔で先輩が礼を言うと、宮井はまたいつもと同じく「ああ。」と一言、気だるげな返事をした。ーーーが、葵と目が合うなりバッと立ち上がってこちらに向かって歩いてきた。
(え…何!?)
「あ、先輩。こんばんーーー…」
そう言いかけたところで、突然慧矢に紙袋を差し出され、葵は思わずぽかんと口を開けた。
「受け取れよ。」
「ーーーえ?」
慧矢はだるそうにため息をついてから、固まっている葵の手を取ると、それを葵の手に持たせた。
「ーーーサイン。」
慧矢に一言だけそう言われて、葵はハッと顔を上げた。
(あ、まさか圭一郎さんの!?まじで!?)
「えっ…あっ…ありがとうございます!」
葵が驚きつつも嬉しそうにそれを抱き締めた。
宮井慧矢はそれに対し悪くなさそうな顔をして、そっぽを向いて言った。
「ん。…ファンなんだってな、お前。ーーーその中には2枚入ってるけど、まだ欲しかったら気軽に言っていいから。いくらでもあるし。」
「え……?」
(ええぇ!?)
あの苦手な先輩の突然の対応に葵は驚いて暫く思考回路が停止していた。
確かに圭一郎のファンだと聞いたら優しくなる的なことは言っていたし、その和樹の話を信じられなかった訳では無いけれどーーー
(ついこの前まで挨拶すらしてこなかった人がこんなにも露骨に態度が変わるなんてことあるのか…?)
葵はそんなことを胸に疑問に持ちながらもとりあえず「ありがとうございます。」と礼をして、サインを大切に鞄の奥へとしまったのだった。
ーーー
ーーーーーーーーー
ーーーーーー今回の観測は秋の星座の観測~秋の四辺形から星座を探す~ことをテーマに、レポート4枚、その位置を学習するというものだった。
本来ならお泊まりの天体観測の予定だが、今回は夏の天体観測の代わりというわけで、深夜の星を観察することは出来ないのが少し残念だと思った。
葵は顧問に配られた表を懐中電灯で照らして見て位置を確かめながら、先輩たちとは少し離れた場所に座った。
見上げた空には、まるで金を散りばめた絨毯のような数多の星が降り注いでいた。
「すげぇ…」
田舎育ちだから正直天体観測と言ってもあまり都会の空に期待はしていなかったものの、この場所はかなり良く見えるし綺麗だと思った。
街灯は坂を下った方にあるので邪魔な光もなくて見やすい。
葵は暫くぼーっと星空を眺めていた。こんなふうに眺めていると、ふと昔の記憶が甦る。
こんな風に降り注ぐたくさんの星たちをいつかの帰り道、街灯の少ない田舎町からよく見ていた。
(懐かしいな…)
あの時は意識して空を見ていたと言うよりは、ただ途方に暮れて、空を見上げる感じだったけれど、それでもやはり、変わらず星は綺麗だ。
ーーーその時だった。
ピコン…とスマホが鳴って葵は慌てて画面を開いた。
どうやら優一からだ。
【仕事の方で少しトラブルが起きた。打ち合わせが長引きそうだから迎え待たせるかもしれない。】
(え…トラブル!?大丈夫かよ!?ーーーほらやっぱ迎えなんて来ない方がいいって…!)
【あの、今日本当に迎えにこなくていいんで打ち合わせ頑張ってください!俺一人で帰れますから!】
葵は急いで打ち込むと、送信ボタンを押した。
とりあえず優一には打ち合わせを頑張ってもらわない困る。ただでさえ今日は遅刻をしていったのだし、栄人も今は今冬公開映画前の最終的な仕事などでとても大切な時期だと優一に念を押すように言っていたのだ。
だから遅刻した上に自分のせいで早く仕事を切り上げてもらうなんてことは流石に出来ないーーー
が、暫くしてもう一度メールが来て開くと、そこには一言だけこう書かれてあった。
【駅前のロータリーまで行くから、待ってて。】
「うぅ…やっぱ迎えには来るのか…」
(ほんと優一さんて危機感が薄いというか、どこまでも自分のことより他人っていうか…)
ーーーまあ、心配して迎えに来てくれることは素直に、すげー嬉しいんだけどーーーーー
葵がスマホをしまいながら浅くため息をついていると、ふと横から宮井慧矢に声をかけられた。
「ーーー望遠鏡、空いてるけど見ねぇの?」
「あ、宮井先輩。ーーーまずは肉眼で見ようと思って。」
葵はそう言うと改めてまた星空を見上げた。
外れの暗がりの方は本当に星だけの灯りで幻想的な景色になっていて、望遠鏡がなくても星の大きさが良く見える。
「ふーん。まあ、そうだな。」
「あ、あの…先輩はどの季節の星座が好きですか?」
話を振ったら無視されそうーーーとは思ったものの、とりあえず聞いてみた。
すると、慧矢は一瞬考えた後でボソッと答えた。
「ーーーーーー冬の星座。」
(こ、答えてくれた……!やっぱ明らかに態度が変わってる…)
「冬の星座が好きなんですか。」
「ああ。兄貴が冬の星座が好きだからよく見に行っていて、それで好きになった。」
「えっ…圭一郎さんが?」
「冬は空も澄んでて星が見やすいし。」
「確かに、そうですね。俺も冬の空は好きです。」
「ん。ーーーそれに、[冬の秘密]のロケで山の方に行った時に見た冬の星空がどうしても忘れられないんだって、言ってた。」
(あ、それっておばさんが良く見てた5年前の恋愛ドラマだ!あれって確か優一さんも少しでてたよな…。)
「冬の秘密懐かしいですね。俺よく見てました。あれ、確かロケ地は長野ですよね。」
「ああ。長野の原村ってとこ。」
「場面にも星空の映像がありましたけど、あれ本当に綺麗でしたよね。ストーリーも良いし、あ、あと最終回の圭一郎さんかっこよかったです。呼び掛けてる時の演技とかも本当に迫力あって!」
葵は当時のことを思い出して嬉しそうに微笑んだが、ふと慧矢の顔を見ると、なにか気分でも損ねたかというように途端に眉間に皺を寄せていた。
(ーーーあれ?俺今なんかまずいこと言ったか…?)
「あ、す、すみません。昔よく見てたドラマだったんでつい…」
「いや。兄は凄かったけど、あのドラマ自体は俺、嫌いだから。」
「え?そ、そうなんですか…?」
(んー、俺はいいドラマだと思ったけどな…)
葵がかける言葉を見失っていると、慧矢は少し間を置いてからボソッと呟いた。
「つーか、出演者が嫌い。」
「え?出演者…ですか。」
「そう。」
慧矢はそこまで言うと、何かを思い出して吐き出さずには居られなったのか、悔しそうに手を握って、独り言のように呟いた。
「やっぱむかつく。あんなドラマ兄さんが出なければ……」
慧矢の深刻そうな顔に、葵は思わず目を見開いた。
「え、圭一郎さん…あのドラマの時何かあったんですか…?」
葵が聞くと、慧矢はバッと顔を上げて「あ、いやなんでもねぇ。」と焦ったように顔を背けると、「資料見てくる」と、顧問のところに戻っていってしまった。
(な、なんだったんだ今の…)
あまりよく分からなかったが、あの感じからすると出演者同士のトラブルか、きっとドラマの撮影とか配役とかで問題でも起きていたのだろう。
有名人の家族も大変だなぁ。葵は他人事にもそう思いながら天体観測を続けたのだった。
ーーー
ーーーーーーーーー
それから2時間後ーーー星座の観測も撮影も無事に終えたところで天体観測は終わった。
皆は次第に支度をして斜面を下り始めたが、辺りはもう真っ暗で、懐中電灯の灯りだけではなんだか心細い気がした。
しかもすっかり冷え込んだ空気が追い風のように体を掠めるので、あまりの寒さに身震いが止まらない。
もうすぐ冬だな、としみじみ思う。
「ーーー帰りはくれぐれも気をつけるように!!親にもちゃんと連絡するんだぞ!あとレポートは次の部活の時回収するから忘れないように!」
「はーい。」
それから、ようやく駅の前に着くと顧問が最終的なチェックをして解散となった。
けれどーーー優一から連絡はあれから全く来ておらず、トラブルのせいで遅くなると言われたくらいで、いつ迎えに来れるのか詳しいところはわからない状態だった。
(外寒いしなぁ。どうしよ…)
葵は冷えた手を擦りながら一人、改札口の前の壁に寄りかかって立っていた。
ほかの先輩たちは解散するなり夏菜子の親の車に乗って一緒に帰っていってしまったし、顧問はさっさと自分の車に乗って帰ってしまったし。
残るは自分一人だけーーーー
「ーーーお前もかよ。」
「ひっ!?」
突然声をかけられ、葵が驚いて顔を上げるとそこに宮井慧矢が腕を組んで立っていた。
「あ、あれ、夏菜子先輩の車に乗って帰ったんじゃなかったんですか?」
「いやーーー俺は兄さんが迎えに来ることになってるからここで待ってる。」
「兄って…圭一郎さん!?」
(迎えに!?)
葵がバッと食いつくと、慧矢は面白いものでも見たかのようにプッと吐き出した。
「お前がまさかそんなに兄のファンだとは思わなかったわ。兄さんのファンって年齢層高いイメージなんだけど。」
「えっ…あ、元はおばさーーー親がファンみたいな感じで、それで圭一郎さんが出てるドラマとか映画とか見る機会が多くて俺も好きになったんです。」
「へぇ。他には?好きな芸能人とかいんの?」
「あ、えーっと…市川由梨乃さんとか?」
「ああ、あの人演技力高いよな。俺もよく見てる。ーーー他は?」
(あ、先輩も見てるんだ…!他、誰かな…。あ、そういえば圭一郎さんと優一さんてよく共演してるって言ってたよなーーー?ならーーー)
「あ、あとは黒瀬優一さんとか…!」
しかしその名前を出した瞬間、またしても慧矢の顔色が先程のように険しくなってしまったのだ。
「せ、先輩…?」
葵が呼びかけると、慧矢は俯いたまま確認するように葵に尋ねた。
「ーーー黒瀬優一ってあの王子とか言われてるやつ?」
「え、はいっ」
「あー……。」
慧矢は一呼吸置いたあとで、葵の目を見て言った。
「俺、あいつ大嫌いなんだよね。」
(え。)
「だ、大嫌いなんですか?」
葵は突然の回答に戸惑いを隠せなかった。
まさかあの優一を嫌いだなんて。
勿論、彼に嫌われる要素がないーーーという訳では無いけれど、あの優一をここまではっきり嫌う人をネットでも現実でも、まず見かけたことが今まで無かったからだ。
葵が何も言えず黙り込んでいると、慧矢は葵の顔を見てから一つため息をついた。
「ーーーま、こんなの人の好みだけど。けど、あの俳優完璧完璧言われてるけど絶対猫被ってるし、優しいとか言われてるけど、容姿でチヤホヤされてるだけで、中身は絶対ヤバいやつだと思ってるからそのうち本性現すと思ってるから。」
「ーーーーつーかお前もぶっちゃけ、テレビで見ててそう思う時ない?あーでも、好きな俳優なんだっけ?」
「え、えっと…んー…」
葵は慧矢に立て続けにそう言われ、躊躇いがちに言葉を濁した。
確かに葵は優一の中身がやばいやつなのは知っているし、生活してても数え切れないほど突っ込みたいところがある。
テレビの画面で見ていた王子様な優一の本来の姿は確かに違うものだったし、だらけた生活感はとてもじゃないけど王子様とは思えないものだ。
けど、それでも優しいのは変わらないし、人間らしい優一の事を知って尚更好きにーーーーーーー
(って違う違う!好きだからとかじゃなくて!!!)
でも、優一のことをそれだけで判断されるのは、なんだか悲しいというか、モヤモヤする気持ちにもなる気がした。
葵は必死に考えたのち、精一杯相手の気分を損ねないように言った。
「ま、まあでも、芸能人なんてみんな猫かぶってる気がしますよ!?あっ…勿論圭一郎さんは違うと思いますけど!でも、その、ある程度期待されてプレッシャーもあるだろうし、芸能界ってどのくらい売れるかの勝負ですし、素を出す人ってあんまりいなさそうっていうか…!」
「まあーーーーそれは言えてる。兄さんはそんなヤツらとは全然違うから。根が努力家だし、演技は断然上手いし。」
「はい。それは作品を見ててもよくわかりますよ。本当に…」
「だからあんなチヤホヤされて這い上がってきたイモ演技な奴らとは一緒にされたくないわけ。ま、一緒にされるなんてことはないけどな。お前もそうは思うだろ?」
「あー…えっと……」
「だよな。」
慧矢は葵がちゃんと頷く前に完結するようにそう言いくるめてしまった。
(うぅ……なんかこの先輩、気に入らないものは徹底的に嫌うタイプで基本的に相手の意見は許せないんだろうなぁ…)
ーーー話せるようにはなったのは嬉しいけど、根本的なところに関してはやっぱり苦手かも…。
葵はそんな気まずさにこの次なんと会話を続ければいいか悩んだ。
ーーーーしかしその時だった。
「あ、来た。」
慧矢がそう言ったので葵がロータリーの入口付近に目をやると、周辺が山だらけの田舎風な景色に似つかわしいギラギラの赤い高級車がこちら側に向かって走ってきたのだ。
だいぶ上の方なのに空気が澄んでいて緑に充ちていて綺麗だからか、酸素が薄れる感覚というよりはむしろ心地よい気がした。
東京にもこんな空気の美味しいところがあるんだ、なんて上京民の葵は思った。
すると暫くして顧問が先を見つめながら大きく手を振り出した。
「おーい!宮井待たせたな!」
その声に、先の方で座っていた一人の男が反応して立ち上がった。
少し離れていて顔までは見えなかったが、制服を着ていたし間違いなく、あの宮井慧矢だとわかった。
なんと宮井慧矢は既に望遠鏡を設置してレジャーシートを敷いて、準備万端と言った感じで皆を待っていたようだ。
「おー!宮井!場所取りサンキューな!」
(えぇ、普段の部活ではやる気なさそうなのに…!)
葵がそんな光景に衝撃を受けている中、平然とした顔で先輩が礼を言うと、宮井はまたいつもと同じく「ああ。」と一言、気だるげな返事をした。ーーーが、葵と目が合うなりバッと立ち上がってこちらに向かって歩いてきた。
(え…何!?)
「あ、先輩。こんばんーーー…」
そう言いかけたところで、突然慧矢に紙袋を差し出され、葵は思わずぽかんと口を開けた。
「受け取れよ。」
「ーーーえ?」
慧矢はだるそうにため息をついてから、固まっている葵の手を取ると、それを葵の手に持たせた。
「ーーーサイン。」
慧矢に一言だけそう言われて、葵はハッと顔を上げた。
(あ、まさか圭一郎さんの!?まじで!?)
「えっ…あっ…ありがとうございます!」
葵が驚きつつも嬉しそうにそれを抱き締めた。
宮井慧矢はそれに対し悪くなさそうな顔をして、そっぽを向いて言った。
「ん。…ファンなんだってな、お前。ーーーその中には2枚入ってるけど、まだ欲しかったら気軽に言っていいから。いくらでもあるし。」
「え……?」
(ええぇ!?)
あの苦手な先輩の突然の対応に葵は驚いて暫く思考回路が停止していた。
確かに圭一郎のファンだと聞いたら優しくなる的なことは言っていたし、その和樹の話を信じられなかった訳では無いけれどーーー
(ついこの前まで挨拶すらしてこなかった人がこんなにも露骨に態度が変わるなんてことあるのか…?)
葵はそんなことを胸に疑問に持ちながらもとりあえず「ありがとうございます。」と礼をして、サインを大切に鞄の奥へとしまったのだった。
ーーー
ーーーーーーーーー
ーーーーーー今回の観測は秋の星座の観測~秋の四辺形から星座を探す~ことをテーマに、レポート4枚、その位置を学習するというものだった。
本来ならお泊まりの天体観測の予定だが、今回は夏の天体観測の代わりというわけで、深夜の星を観察することは出来ないのが少し残念だと思った。
葵は顧問に配られた表を懐中電灯で照らして見て位置を確かめながら、先輩たちとは少し離れた場所に座った。
見上げた空には、まるで金を散りばめた絨毯のような数多の星が降り注いでいた。
「すげぇ…」
田舎育ちだから正直天体観測と言ってもあまり都会の空に期待はしていなかったものの、この場所はかなり良く見えるし綺麗だと思った。
街灯は坂を下った方にあるので邪魔な光もなくて見やすい。
葵は暫くぼーっと星空を眺めていた。こんなふうに眺めていると、ふと昔の記憶が甦る。
こんな風に降り注ぐたくさんの星たちをいつかの帰り道、街灯の少ない田舎町からよく見ていた。
(懐かしいな…)
あの時は意識して空を見ていたと言うよりは、ただ途方に暮れて、空を見上げる感じだったけれど、それでもやはり、変わらず星は綺麗だ。
ーーーその時だった。
ピコン…とスマホが鳴って葵は慌てて画面を開いた。
どうやら優一からだ。
【仕事の方で少しトラブルが起きた。打ち合わせが長引きそうだから迎え待たせるかもしれない。】
(え…トラブル!?大丈夫かよ!?ーーーほらやっぱ迎えなんて来ない方がいいって…!)
【あの、今日本当に迎えにこなくていいんで打ち合わせ頑張ってください!俺一人で帰れますから!】
葵は急いで打ち込むと、送信ボタンを押した。
とりあえず優一には打ち合わせを頑張ってもらわない困る。ただでさえ今日は遅刻をしていったのだし、栄人も今は今冬公開映画前の最終的な仕事などでとても大切な時期だと優一に念を押すように言っていたのだ。
だから遅刻した上に自分のせいで早く仕事を切り上げてもらうなんてことは流石に出来ないーーー
が、暫くしてもう一度メールが来て開くと、そこには一言だけこう書かれてあった。
【駅前のロータリーまで行くから、待ってて。】
「うぅ…やっぱ迎えには来るのか…」
(ほんと優一さんて危機感が薄いというか、どこまでも自分のことより他人っていうか…)
ーーーまあ、心配して迎えに来てくれることは素直に、すげー嬉しいんだけどーーーーー
葵がスマホをしまいながら浅くため息をついていると、ふと横から宮井慧矢に声をかけられた。
「ーーー望遠鏡、空いてるけど見ねぇの?」
「あ、宮井先輩。ーーーまずは肉眼で見ようと思って。」
葵はそう言うと改めてまた星空を見上げた。
外れの暗がりの方は本当に星だけの灯りで幻想的な景色になっていて、望遠鏡がなくても星の大きさが良く見える。
「ふーん。まあ、そうだな。」
「あ、あの…先輩はどの季節の星座が好きですか?」
話を振ったら無視されそうーーーとは思ったものの、とりあえず聞いてみた。
すると、慧矢は一瞬考えた後でボソッと答えた。
「ーーーーーー冬の星座。」
(こ、答えてくれた……!やっぱ明らかに態度が変わってる…)
「冬の星座が好きなんですか。」
「ああ。兄貴が冬の星座が好きだからよく見に行っていて、それで好きになった。」
「えっ…圭一郎さんが?」
「冬は空も澄んでて星が見やすいし。」
「確かに、そうですね。俺も冬の空は好きです。」
「ん。ーーーそれに、[冬の秘密]のロケで山の方に行った時に見た冬の星空がどうしても忘れられないんだって、言ってた。」
(あ、それっておばさんが良く見てた5年前の恋愛ドラマだ!あれって確か優一さんも少しでてたよな…。)
「冬の秘密懐かしいですね。俺よく見てました。あれ、確かロケ地は長野ですよね。」
「ああ。長野の原村ってとこ。」
「場面にも星空の映像がありましたけど、あれ本当に綺麗でしたよね。ストーリーも良いし、あ、あと最終回の圭一郎さんかっこよかったです。呼び掛けてる時の演技とかも本当に迫力あって!」
葵は当時のことを思い出して嬉しそうに微笑んだが、ふと慧矢の顔を見ると、なにか気分でも損ねたかというように途端に眉間に皺を寄せていた。
(ーーーあれ?俺今なんかまずいこと言ったか…?)
「あ、す、すみません。昔よく見てたドラマだったんでつい…」
「いや。兄は凄かったけど、あのドラマ自体は俺、嫌いだから。」
「え?そ、そうなんですか…?」
(んー、俺はいいドラマだと思ったけどな…)
葵がかける言葉を見失っていると、慧矢は少し間を置いてからボソッと呟いた。
「つーか、出演者が嫌い。」
「え?出演者…ですか。」
「そう。」
慧矢はそこまで言うと、何かを思い出して吐き出さずには居られなったのか、悔しそうに手を握って、独り言のように呟いた。
「やっぱむかつく。あんなドラマ兄さんが出なければ……」
慧矢の深刻そうな顔に、葵は思わず目を見開いた。
「え、圭一郎さん…あのドラマの時何かあったんですか…?」
葵が聞くと、慧矢はバッと顔を上げて「あ、いやなんでもねぇ。」と焦ったように顔を背けると、「資料見てくる」と、顧問のところに戻っていってしまった。
(な、なんだったんだ今の…)
あまりよく分からなかったが、あの感じからすると出演者同士のトラブルか、きっとドラマの撮影とか配役とかで問題でも起きていたのだろう。
有名人の家族も大変だなぁ。葵は他人事にもそう思いながら天体観測を続けたのだった。
ーーー
ーーーーーーーーー
それから2時間後ーーー星座の観測も撮影も無事に終えたところで天体観測は終わった。
皆は次第に支度をして斜面を下り始めたが、辺りはもう真っ暗で、懐中電灯の灯りだけではなんだか心細い気がした。
しかもすっかり冷え込んだ空気が追い風のように体を掠めるので、あまりの寒さに身震いが止まらない。
もうすぐ冬だな、としみじみ思う。
「ーーー帰りはくれぐれも気をつけるように!!親にもちゃんと連絡するんだぞ!あとレポートは次の部活の時回収するから忘れないように!」
「はーい。」
それから、ようやく駅の前に着くと顧問が最終的なチェックをして解散となった。
けれどーーー優一から連絡はあれから全く来ておらず、トラブルのせいで遅くなると言われたくらいで、いつ迎えに来れるのか詳しいところはわからない状態だった。
(外寒いしなぁ。どうしよ…)
葵は冷えた手を擦りながら一人、改札口の前の壁に寄りかかって立っていた。
ほかの先輩たちは解散するなり夏菜子の親の車に乗って一緒に帰っていってしまったし、顧問はさっさと自分の車に乗って帰ってしまったし。
残るは自分一人だけーーーー
「ーーーお前もかよ。」
「ひっ!?」
突然声をかけられ、葵が驚いて顔を上げるとそこに宮井慧矢が腕を組んで立っていた。
「あ、あれ、夏菜子先輩の車に乗って帰ったんじゃなかったんですか?」
「いやーーー俺は兄さんが迎えに来ることになってるからここで待ってる。」
「兄って…圭一郎さん!?」
(迎えに!?)
葵がバッと食いつくと、慧矢は面白いものでも見たかのようにプッと吐き出した。
「お前がまさかそんなに兄のファンだとは思わなかったわ。兄さんのファンって年齢層高いイメージなんだけど。」
「えっ…あ、元はおばさーーー親がファンみたいな感じで、それで圭一郎さんが出てるドラマとか映画とか見る機会が多くて俺も好きになったんです。」
「へぇ。他には?好きな芸能人とかいんの?」
「あ、えーっと…市川由梨乃さんとか?」
「ああ、あの人演技力高いよな。俺もよく見てる。ーーー他は?」
(あ、先輩も見てるんだ…!他、誰かな…。あ、そういえば圭一郎さんと優一さんてよく共演してるって言ってたよなーーー?ならーーー)
「あ、あとは黒瀬優一さんとか…!」
しかしその名前を出した瞬間、またしても慧矢の顔色が先程のように険しくなってしまったのだ。
「せ、先輩…?」
葵が呼びかけると、慧矢は俯いたまま確認するように葵に尋ねた。
「ーーー黒瀬優一ってあの王子とか言われてるやつ?」
「え、はいっ」
「あー……。」
慧矢は一呼吸置いたあとで、葵の目を見て言った。
「俺、あいつ大嫌いなんだよね。」
(え。)
「だ、大嫌いなんですか?」
葵は突然の回答に戸惑いを隠せなかった。
まさかあの優一を嫌いだなんて。
勿論、彼に嫌われる要素がないーーーという訳では無いけれど、あの優一をここまではっきり嫌う人をネットでも現実でも、まず見かけたことが今まで無かったからだ。
葵が何も言えず黙り込んでいると、慧矢は葵の顔を見てから一つため息をついた。
「ーーーま、こんなの人の好みだけど。けど、あの俳優完璧完璧言われてるけど絶対猫被ってるし、優しいとか言われてるけど、容姿でチヤホヤされてるだけで、中身は絶対ヤバいやつだと思ってるからそのうち本性現すと思ってるから。」
「ーーーーつーかお前もぶっちゃけ、テレビで見ててそう思う時ない?あーでも、好きな俳優なんだっけ?」
「え、えっと…んー…」
葵は慧矢に立て続けにそう言われ、躊躇いがちに言葉を濁した。
確かに葵は優一の中身がやばいやつなのは知っているし、生活してても数え切れないほど突っ込みたいところがある。
テレビの画面で見ていた王子様な優一の本来の姿は確かに違うものだったし、だらけた生活感はとてもじゃないけど王子様とは思えないものだ。
けど、それでも優しいのは変わらないし、人間らしい優一の事を知って尚更好きにーーーーーーー
(って違う違う!好きだからとかじゃなくて!!!)
でも、優一のことをそれだけで判断されるのは、なんだか悲しいというか、モヤモヤする気持ちにもなる気がした。
葵は必死に考えたのち、精一杯相手の気分を損ねないように言った。
「ま、まあでも、芸能人なんてみんな猫かぶってる気がしますよ!?あっ…勿論圭一郎さんは違うと思いますけど!でも、その、ある程度期待されてプレッシャーもあるだろうし、芸能界ってどのくらい売れるかの勝負ですし、素を出す人ってあんまりいなさそうっていうか…!」
「まあーーーーそれは言えてる。兄さんはそんなヤツらとは全然違うから。根が努力家だし、演技は断然上手いし。」
「はい。それは作品を見ててもよくわかりますよ。本当に…」
「だからあんなチヤホヤされて這い上がってきたイモ演技な奴らとは一緒にされたくないわけ。ま、一緒にされるなんてことはないけどな。お前もそうは思うだろ?」
「あー…えっと……」
「だよな。」
慧矢は葵がちゃんと頷く前に完結するようにそう言いくるめてしまった。
(うぅ……なんかこの先輩、気に入らないものは徹底的に嫌うタイプで基本的に相手の意見は許せないんだろうなぁ…)
ーーー話せるようにはなったのは嬉しいけど、根本的なところに関してはやっぱり苦手かも…。
葵はそんな気まずさにこの次なんと会話を続ければいいか悩んだ。
ーーーーしかしその時だった。
「あ、来た。」
慧矢がそう言ったので葵がロータリーの入口付近に目をやると、周辺が山だらけの田舎風な景色に似つかわしいギラギラの赤い高級車がこちら側に向かって走ってきたのだ。
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