2 / 50
(2)
しおりを挟む
朔郎は駅前の雑踏を抜けて御堂筋から東通り商店街を曲がり、中程にあるチェーン店の居酒屋に入った。時計は七時を少し回っていた。
やばいなあと思いながら店員に案内された部屋に到着した。二十人でいっぱいになる小部屋の座敷の流しテーブルにはみんな揃って座っていた。一番奥の上座だけが空いていた。
みんなは彼を見るなり拍手や野次を送り奥の空席を示した。一番に会社を出た人間が一番後に来るなんて。
何処へ行っていたのですか、随分遠回りして来たなあ、どっか寄り道でもして来たんか。と彼が一番奥の席に着くまで上司や同僚、後輩の野次と果ては女子事務員のひそひそ声までも鳴り止まなかった。
彼が着席して上司の一声でやっと静まり返った。おっせいかいな同僚が僭越ながらと司会の様な役どころを勝手に願い出て彼の送別会が始まった。
司会から指名された上司は北村朔郎との関わりと、形ばかりの贈る言葉をもったいぶって演説していた。
退屈な朔郎は神妙な格好で聴き入る会社の連中を眺め回した。同期入社で一番仲のよい狭山(さやま)と目線が合った。
狭山は愛嬌たっぷりに眼だけで何かを言っているようだった。朔郎も色々と仕草を変えながら相手をしていた。みんなは見て見ない振りをしていた。知らないのは立って挨拶している上司だけだった。
端にいる綾子(あやこ)だけは二人のやり取りに込み上げる笑いを堪えながら見ていた。それに気が付いた朔郎が彼女にもシグナルを送ったところで上司の挨拶が終わり乾杯となった。
ビールの栓があちこちで抜かれ、コップに注ぎ合って乾杯となり、後は各自バラバラに雑談が始まった。
朔郎は綾子を見ながら「あの子は色々と世話を焼いてくれたがいまいちかなぁ」と呟きながらビールを空けた。待っていましたとばかりに隣の片山がビールを注いだ。
「北村さんどうするんですか」
「片山は幾つだったっけ?」
「二十一です」
「二十一か、若いなあ、羨ましい。俺は丁度お前の歳に一度結婚したんだよなあ」
「話によりますと十何年前に離婚されて今も独身だそうですね」
「十七年前だよ」
しかし俺はその女とさっき会ってたんだよなあと口の中で呟いてビールを一気に空けた。片山は奥からの黄色い声に誘われて行ってしまった。
すると待っていたように司会を買って出た二宮がビールを勧めにやって来た。
彼は英断ですねと言ってからその歳での再就職を心配してくれた。そして上司が来て、今度の転勤拒否は遺憾だと小言を並べた。
朔郎は適当なところでトイレ中座して、戻って来て空いていた狭山の隣に座った。
「狭山、長い付き合いだったなあ」
「何言ってんだ北村、此の会社でお前の元奥さんを知っているのは俺だけだぞ、会社を辞めてもお前との付き合いが終わる訳じゃないんだぞ」
嬉しい事を言ってくれると朔郎はまたビールを一気飲みした。朔郎は酔いが回り出したが狭山はまだ酔っていなかった。
「結婚当初は家族ぐるみの付き合いでよくお互いのアパートを行き来した付き合いじゃないか。多恵も今度の事では心配しているぞ」
「そう言えば奥さんの多恵さんとは佐恵子と別れてからあんまり会ってないなあ」
朔郎は周囲に勧められるままコップを何度も飲み干している。彼の舌はかなり回りにくくなっていた。
「おい今日は呑みすぎだ。お前らしくない。そんなに呑むのはあの時以来だなあ」
「あの時はサエコさんに看病してもらってお世話になったなあ」
「オイ、俺の女房の名前を間違えるな」
「何か言ったか」
もうこいつは完全に酔っている。
狭山は呆れて「佐恵子さんにでも会ったのか」と手ラッパで冗談ぽく朔郎の耳元で囁いた。
「何言ってんだ! そんなことあるわけないだろう」
とうとう彼は酔い潰れて訳の分からないことで怒鳴り始めた。
狭山は話にならんと席を移動した。
彼の耳には宴会のざわめきが耳鳴りのように聞こえて頭も痛み出して横になった。
宴会の終わりかけに朔郎は起こされて「北村さんお水よ」と言う綾子の声で彼は半身を起こした。
ーー酔いながらもイヤな者はイヤだと言える君が羨ましいと羨望の眼差しで言うものもいた。その歳で行くとこないぞと心配してくれる奴もいた。だが誰の言葉も心地良い酔いの中に消えていった。
お開きの後は見かねた綾子が看病しながら彼のアパートまで送ってくれた。
やばいなあと思いながら店員に案内された部屋に到着した。二十人でいっぱいになる小部屋の座敷の流しテーブルにはみんな揃って座っていた。一番奥の上座だけが空いていた。
みんなは彼を見るなり拍手や野次を送り奥の空席を示した。一番に会社を出た人間が一番後に来るなんて。
何処へ行っていたのですか、随分遠回りして来たなあ、どっか寄り道でもして来たんか。と彼が一番奥の席に着くまで上司や同僚、後輩の野次と果ては女子事務員のひそひそ声までも鳴り止まなかった。
彼が着席して上司の一声でやっと静まり返った。おっせいかいな同僚が僭越ながらと司会の様な役どころを勝手に願い出て彼の送別会が始まった。
司会から指名された上司は北村朔郎との関わりと、形ばかりの贈る言葉をもったいぶって演説していた。
退屈な朔郎は神妙な格好で聴き入る会社の連中を眺め回した。同期入社で一番仲のよい狭山(さやま)と目線が合った。
狭山は愛嬌たっぷりに眼だけで何かを言っているようだった。朔郎も色々と仕草を変えながら相手をしていた。みんなは見て見ない振りをしていた。知らないのは立って挨拶している上司だけだった。
端にいる綾子(あやこ)だけは二人のやり取りに込み上げる笑いを堪えながら見ていた。それに気が付いた朔郎が彼女にもシグナルを送ったところで上司の挨拶が終わり乾杯となった。
ビールの栓があちこちで抜かれ、コップに注ぎ合って乾杯となり、後は各自バラバラに雑談が始まった。
朔郎は綾子を見ながら「あの子は色々と世話を焼いてくれたがいまいちかなぁ」と呟きながらビールを空けた。待っていましたとばかりに隣の片山がビールを注いだ。
「北村さんどうするんですか」
「片山は幾つだったっけ?」
「二十一です」
「二十一か、若いなあ、羨ましい。俺は丁度お前の歳に一度結婚したんだよなあ」
「話によりますと十何年前に離婚されて今も独身だそうですね」
「十七年前だよ」
しかし俺はその女とさっき会ってたんだよなあと口の中で呟いてビールを一気に空けた。片山は奥からの黄色い声に誘われて行ってしまった。
すると待っていたように司会を買って出た二宮がビールを勧めにやって来た。
彼は英断ですねと言ってからその歳での再就職を心配してくれた。そして上司が来て、今度の転勤拒否は遺憾だと小言を並べた。
朔郎は適当なところでトイレ中座して、戻って来て空いていた狭山の隣に座った。
「狭山、長い付き合いだったなあ」
「何言ってんだ北村、此の会社でお前の元奥さんを知っているのは俺だけだぞ、会社を辞めてもお前との付き合いが終わる訳じゃないんだぞ」
嬉しい事を言ってくれると朔郎はまたビールを一気飲みした。朔郎は酔いが回り出したが狭山はまだ酔っていなかった。
「結婚当初は家族ぐるみの付き合いでよくお互いのアパートを行き来した付き合いじゃないか。多恵も今度の事では心配しているぞ」
「そう言えば奥さんの多恵さんとは佐恵子と別れてからあんまり会ってないなあ」
朔郎は周囲に勧められるままコップを何度も飲み干している。彼の舌はかなり回りにくくなっていた。
「おい今日は呑みすぎだ。お前らしくない。そんなに呑むのはあの時以来だなあ」
「あの時はサエコさんに看病してもらってお世話になったなあ」
「オイ、俺の女房の名前を間違えるな」
「何か言ったか」
もうこいつは完全に酔っている。
狭山は呆れて「佐恵子さんにでも会ったのか」と手ラッパで冗談ぽく朔郎の耳元で囁いた。
「何言ってんだ! そんなことあるわけないだろう」
とうとう彼は酔い潰れて訳の分からないことで怒鳴り始めた。
狭山は話にならんと席を移動した。
彼の耳には宴会のざわめきが耳鳴りのように聞こえて頭も痛み出して横になった。
宴会の終わりかけに朔郎は起こされて「北村さんお水よ」と言う綾子の声で彼は半身を起こした。
ーー酔いながらもイヤな者はイヤだと言える君が羨ましいと羨望の眼差しで言うものもいた。その歳で行くとこないぞと心配してくれる奴もいた。だが誰の言葉も心地良い酔いの中に消えていった。
お開きの後は見かねた綾子が看病しながら彼のアパートまで送ってくれた。
10
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
僕《わたし》は誰でしょう
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる