108 / 127
第三章 妖刀と姉と弟
嵐、撤退
しおりを挟む
クスリ、と小さく笑う嵐。
妖しく光る赤い眼で『泥蛙』を振るう鼓太郎の姿を見つめていた彼であったが、急速に接近する圧に気が付いた彼ははっとした表情を浮かべると防御の構えを取る。
瞬間、一陣の風が吹く。
自分との戦いから意識を逸らした嵐の油断を見逃さず、上空から落下する勢いを活かした斬り下ろしの一撃を見舞った涼音は、両腕に力を籠めて暴風と共に嵐の体を大きく吹き飛ばした。
「ぐううっ!?」
「……随分と、余裕を見せてくれるわね。私との立ち合いで余所見が出来るほど、あなたは強かったかしら?」
「ふ、ふふ……! 手厳しいな、姉さんは。でも、姉さんの言う通りだ。これは完全に僕の失策だなぁ……」
ぽたり、ぽたりと斬り裂かれた左肩から血を流し、苦悶の表情を浮かべながらも嵐は笑う。
乗り越えたいと願い続けてきた目標との戦いの最中に他のものに気を取られてしまった自分自身の愚かさを呪った彼は、仕方がないとばかりに大きな溜息をつき、言った。
「今回はここまでにしておこう。姉さんとの決着をつけるには、邪魔が多すぎる。不本意な勝ち方をしても、素直に喜べないからね」
「それは、現状が優位な人間が口にする台詞よ。手負いのあなたを逃がしてあげるほど、私は甘くないわ」
「ははっ! 手負い? 僕が? もしかしてこの傷のことを言っているのかい? ……今の僕にとって、こんなものは傷の内には入らないんだよ、姉さん」
そう、不敵な言葉を口にした嵐の体に『禍風』から妖刀の持つ禍々しい気力が注ぎ込まれる。
人間が、武神刀へと気力を送り込むのではない。武神刀が人間を使役するかのように気力を注ぐその光景は、常に冷静さを保とうとしている涼音を少なからず動揺させるに十分な威力があった。
深緑、もしくは、黒が混じった緑。そんな薄暗い緑色の気力が嵐の体を満たす。
『禍風』から力を受け取った彼の左肩の傷は、瞬く間に肉が盛り上がり、今の今まで血が滴っていたそこはあっという間に僅かな傷跡が残るだけで、嵐が普通に左腕を動かせるまでの回復を見せた。
妖刀から気力を受け取っての、驚異的な回復能力。
正に人間離れした力を見せつけた嵐に対して、心を震わせた涼音がこみ上げる感情を押し殺しながら言葉を漏らした。
「そこまで、堕ちていたのね。嵐、あなたはもう――」
「そうだよ。僕は既に人間じゃあない。妖の領域に足を踏み入れた、人外の存在なんだ」
姉と同じような、淡々とした感情の籠っていない喋り方でそう言った嵐は、人としての在り方を捨てた自分の姿に呆然とする涼音を置き、距離を取った。
一瞬、涼音は彼をこのまま追撃し、決着をつけようかとも考えたが……直感的に、嵐に追い付くことが叶わないと理解した彼女は、彼が望む決着に相応しい舞台にて再び立ち合うことを決め、『薫風』を鞘へと納めた。
「……一つだけ聞かせて、嵐。あなたは……私のことを恨んでいる? 才能のない弟を見放した、非情な姉である私を憎く思っているの?」
「……いいや。これっぽっちも恨んでなんかいないさ。姉さんのことも、先生のことも、僕は大好きだ。だからこそ……僕は、強くなりたかったんだよ」
煮え切らない形ではあるが、この場の立ち合いは終わった。
お互いに愛刀を鞘に納めた二人は、剣士ではなく姉と弟として言葉を交わす。
「今宵の勝負は姉さんの勝ちだ。これで僕の零勝三百七十二敗だね。でも、この次の勝負では僕が勝つ。最初で最後の一勝を姉さんから勝ち取ってみせるよ」
「嵐……っ!!」
姿を消す寸前、敗北を認めた嵐が寂し気に笑う。
妖刀を振るっていた時の狂気に満ちた笑みではなく、本来の彼の素顔を覗かせたその笑みに胸を突かれた涼音が弟の名を呼ぶも、その時には嵐の姿は吹き抜ける風と共に消え去っていた。
涼音は、自分でも知らず知らずのうちに嵐に向けて伸ばしていた自分の右腕を見つめ、その手首をもう片方の手で強く握り締めると、自分自身を戒めるようにして強張る腕を下へとおろす。
その腕が油の差していないブリキ人形のようにぎこちなく動く様に、自分の体が自分の物ではないような感覚を覚えながら……彼女は、自分の胸中に一言では言い表せない波打つ感情が沸き上がることを感じていた。
妖しく光る赤い眼で『泥蛙』を振るう鼓太郎の姿を見つめていた彼であったが、急速に接近する圧に気が付いた彼ははっとした表情を浮かべると防御の構えを取る。
瞬間、一陣の風が吹く。
自分との戦いから意識を逸らした嵐の油断を見逃さず、上空から落下する勢いを活かした斬り下ろしの一撃を見舞った涼音は、両腕に力を籠めて暴風と共に嵐の体を大きく吹き飛ばした。
「ぐううっ!?」
「……随分と、余裕を見せてくれるわね。私との立ち合いで余所見が出来るほど、あなたは強かったかしら?」
「ふ、ふふ……! 手厳しいな、姉さんは。でも、姉さんの言う通りだ。これは完全に僕の失策だなぁ……」
ぽたり、ぽたりと斬り裂かれた左肩から血を流し、苦悶の表情を浮かべながらも嵐は笑う。
乗り越えたいと願い続けてきた目標との戦いの最中に他のものに気を取られてしまった自分自身の愚かさを呪った彼は、仕方がないとばかりに大きな溜息をつき、言った。
「今回はここまでにしておこう。姉さんとの決着をつけるには、邪魔が多すぎる。不本意な勝ち方をしても、素直に喜べないからね」
「それは、現状が優位な人間が口にする台詞よ。手負いのあなたを逃がしてあげるほど、私は甘くないわ」
「ははっ! 手負い? 僕が? もしかしてこの傷のことを言っているのかい? ……今の僕にとって、こんなものは傷の内には入らないんだよ、姉さん」
そう、不敵な言葉を口にした嵐の体に『禍風』から妖刀の持つ禍々しい気力が注ぎ込まれる。
人間が、武神刀へと気力を送り込むのではない。武神刀が人間を使役するかのように気力を注ぐその光景は、常に冷静さを保とうとしている涼音を少なからず動揺させるに十分な威力があった。
深緑、もしくは、黒が混じった緑。そんな薄暗い緑色の気力が嵐の体を満たす。
『禍風』から力を受け取った彼の左肩の傷は、瞬く間に肉が盛り上がり、今の今まで血が滴っていたそこはあっという間に僅かな傷跡が残るだけで、嵐が普通に左腕を動かせるまでの回復を見せた。
妖刀から気力を受け取っての、驚異的な回復能力。
正に人間離れした力を見せつけた嵐に対して、心を震わせた涼音がこみ上げる感情を押し殺しながら言葉を漏らした。
「そこまで、堕ちていたのね。嵐、あなたはもう――」
「そうだよ。僕は既に人間じゃあない。妖の領域に足を踏み入れた、人外の存在なんだ」
姉と同じような、淡々とした感情の籠っていない喋り方でそう言った嵐は、人としての在り方を捨てた自分の姿に呆然とする涼音を置き、距離を取った。
一瞬、涼音は彼をこのまま追撃し、決着をつけようかとも考えたが……直感的に、嵐に追い付くことが叶わないと理解した彼女は、彼が望む決着に相応しい舞台にて再び立ち合うことを決め、『薫風』を鞘へと納めた。
「……一つだけ聞かせて、嵐。あなたは……私のことを恨んでいる? 才能のない弟を見放した、非情な姉である私を憎く思っているの?」
「……いいや。これっぽっちも恨んでなんかいないさ。姉さんのことも、先生のことも、僕は大好きだ。だからこそ……僕は、強くなりたかったんだよ」
煮え切らない形ではあるが、この場の立ち合いは終わった。
お互いに愛刀を鞘に納めた二人は、剣士ではなく姉と弟として言葉を交わす。
「今宵の勝負は姉さんの勝ちだ。これで僕の零勝三百七十二敗だね。でも、この次の勝負では僕が勝つ。最初で最後の一勝を姉さんから勝ち取ってみせるよ」
「嵐……っ!!」
姿を消す寸前、敗北を認めた嵐が寂し気に笑う。
妖刀を振るっていた時の狂気に満ちた笑みではなく、本来の彼の素顔を覗かせたその笑みに胸を突かれた涼音が弟の名を呼ぶも、その時には嵐の姿は吹き抜ける風と共に消え去っていた。
涼音は、自分でも知らず知らずのうちに嵐に向けて伸ばしていた自分の右腕を見つめ、その手首をもう片方の手で強く握り締めると、自分自身を戒めるようにして強張る腕を下へとおろす。
その腕が油の差していないブリキ人形のようにぎこちなく動く様に、自分の体が自分の物ではないような感覚を覚えながら……彼女は、自分の胸中に一言では言い表せない波打つ感情が沸き上がることを感じていた。
0
お気に入りに追加
223
あなたにおすすめの小説
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
異世界転移した先で女の子と入れ替わった!?
灰色のネズミ
ファンタジー
現代に生きる少年は勇者として異世界に召喚されたが、誰も予想できなかった奇跡によって異世界の女の子と入れ替わってしまった。勇者として賛美される元少女……戻りたい少年は元の自分に近づくために、頑張る話。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
異世界エステ〜チートスキル『エステ』で美少女たちをマッサージしていたら、いつの間にか裏社会をも支配する異世界の帝王になっていた件〜
福寿草真
ファンタジー
【Sランク冒険者を、お姫様を、オイルマッサージでトロトロにして成り上がり!?】
何の取り柄もないごく普通のアラサー、安間想介はある日唐突に異世界転移をしてしまう。
魔物や魔法が存在するありふれたファンタジー世界で想介が神様からもらったチートスキルは最強の戦闘系スキル……ではなく、『エステ』スキルという前代未聞の力で!?
これはごく普通の男がエステ店を開き、オイルマッサージで沢山の異世界女性をトロトロにしながら、瞬く間に成り上がっていく物語。
スキル『エステ』は成長すると、マッサージを行うだけで体力回復、病気の治療、バフが発生するなど様々な効果が出てくるチートスキルです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる