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第三章 妖刀と姉と弟
正体、露見
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「おい、嵐の奴が逃げたぞ! あの女、やっぱり弟を始末するのを躊躇ったんじゃねえのか!?」
「慎吾! 今は自分の戦いに集中しろ! 気を抜いて勝てる相手じゃないことはわかってるだろう!?」
自分たちが鼓太郎の猛攻に苦戦している間に嵐の逃走を許してしまった慎吾は、彼の相手をしていた涼音への不信感を露わにした言葉を口にする。
王毅は、そんな慎吾を一喝すると、凄まじい速度で『泥蛙』の能力を駆使出来るようになっている鼓太郎との戦いに意識を集中させていった。
(ほんの少し前まで満足に刀も使えなかった人間が、ここまでの強さを手に入れるだなんて……! これが、妖刀の真の恐ろしさなのか!?)
ずぶの素人が、戦いの中で目まぐるしい成長を見せて数の有利を握る自分たちと互角以上に立ち回っている。
こうして妖刀を扱う者と相対して初めて、王毅は妖刀の恐ろしさが単純なカタログスペックではなく、持ち主に信じられない成長性を与えることだと気が付いた。
鼓太郎が基本の技である『土弾』を習得してから次の広範囲攻撃を習得するまで、ものの数分しか時間は経過していない。
妖刀を手にしてからまだ日が浅いと思わしき鼓太郎が見せる驚異的な成長は、王毅の心に十分過ぎるほどの焦燥感を抱かせる。
(こいつが妖刀の扱いに慣れたら、嵐のような凶悪な剣豪になってしまう! 絶対にここで仕留めるんだ!!)
もしも鼓太郎が嵐のように次々と人を殺め、『泥蛙』の扱いを習熟し、その能力を十全に引き出せるようになったとしたら、脅威度は飛躍的に跳ね上がる。
そうなる前に彼を倒し、妖刀を回収しなくては、嵐と同様の相当に厄介な相手となるだろう。
いくら人数の有利があるからといって、二人の妖刀使いを同時に相手することだけは避けたい。
取り逃がしてしまった嵐は仕方がないとして、王毅としてはせめてこの鼓太郎だけは確実に仕留めておきたかった。
「このまま遠距離戦を続けても決定打には繋がらない! 俺が奴に突っ込んで決める! 慎吾、援護を頼んだぞ!!」
『土弾』同様の遠距離攻撃を放っても、鼓太郎が作り出す泥の壁によってそれらは全て防がれてしまう。
逆に、向こうからの攻撃は徐々に威力と速度、正確性が増していき、そこからも鼓太郎の驚異的な成長が感じ取れた。
このままでは、鼓太郎に経験値を積ませるだけだ。
多少の無茶は承知で、一気に勝負を決めるしかない。
『虹彩』を握り締めた王毅は、飛び来る『土弾』を切り払うと脚部に気力を込め、鼓太郎の懐に潜り込む体勢を取る。
王毅が勝負を仕掛けようとしていることを察知した鼓太郎は『土弾』の弾幕でその接近を阻もうとするが、慎吾が放つ、泥の属性が苦手とする陽光での攻撃によってそれは脆くも崩れ去り、僅かながらも隙が生まれた。
行ける……! そう、王毅は確信する。
自分の目に映る、弾幕が薄くなっている箇所を辿るようにして駆け出し、ほんの一部の隙を突くようにして疾駆した彼は、瞬間的な移動で鼓太郎の目前まで到達しようとしていた。
どうやら、攻撃に意識を傾倒させ過ぎた鼓太郎は、タクトの攻撃に対処した自分の周囲の地面を泥状にして相手の接近を拒む防御術を使用していないようだ。
攻撃か、防御か、そのどちらか片方しか意識を傾けられない素人としての弱点がここに出たと、まだ戦いに慣れていないが故の鼓太郎の隙を突くことで接近に成功した王毅は、最後の一歩を踏み込みながら『虹彩』を高く振り上げた。
「行けっ、王毅! そいつをぶっ倒せっ!!」
勝利を確信したような慎吾の声が響く。
鼓太郎の防御は間に合っていない。このまま王毅が武神刀を振り下ろせば、そこで決着がつくだろう。
勝てる……妖刀を用いる相手に、仲間の力を借りたとはいえ勝利を収めることが出来る。
幕府に召喚された英雄として、この世界の希望として、多くの人たちからの期待を背負う王毅は、この勝負を決めるために『虹彩』を鼓太郎の脳天へと振り下ろそうとした……の、だが――
(斬る、のか? 俺が? この人を、殺すのか……?)
――間近で、今から自分が斬り捨てようとしている相手の顔を見てしまった王毅の胸に、僅かな躊躇いが生まれる。
それは、平和な世界で生きてきた人間ならば誰でも抱くであろう思い。まだ子供である王毅ならば、当たり前のように感じるであろう迷い。
このままこの人を殺しても良いのか?
自分に人を殺せるだけの勇気があるのか?
鼓太郎は王毅が今まで倒してきた妖とは違う。妖刀に手を出してしまったとはいえ、彼は人間だ。
そんな彼を斬り捨てるということは、自分は殺人者になるということだ。
妖も、妖刀を使う人間も、放置すれば何の罪のない人たちを屠る存在だということは理解している。
だが、言葉が通じず、見た目も化物そのものである妖と意思疎通も会話も可能である人間とでは、その命を奪う際に必要な覚悟が違った。
(殺す? 殺す……!? 俺が、人を斬り殺す? ただの高校生だった、俺が? 人を殺すっていうのか?)
妖刀を破壊することが許されない以上、武器破壊による決着は無理だ。鼓太郎自身を戦闘不能に追いやるしかない。
峰打ちで殺さずに仕留めるだなんて技量、王毅は有していない。手心を加えてギリギリ殺さぬように勝負を決めるなんて真似が出来るほど、鼓太郎は容易い相手ではない。
確実に彼を仕留めるというのならば、本気で刃を振るうしかない。
防御が間に合っていないがら空きの頭上から武神刀を振り下ろし、頭から股までを一直線に叩き斬って、その命を奪うことで戦いに終止符を打つしかない。
それ以外に、自分が鼓太郎を止める術を持たないということに気が付き、今まさに自分が彼の命を奪う瞬間を迎えようとしていることに気が付いた王毅は、急激に催した吐き気と耐え難い重圧に思考と運動を停止させ、荒く呼吸を繰り返す。
(で、出来るわけがない……! 人殺しなんて、俺に出来るわけがない!!)
王毅には、命を奪うことへの拒否感があった。
それが妖の命だとしても、自らの手で何かを殺すことを躊躇わない人間などいるはずがない。
肉を斬り、骨を断ち、命を摘み取る感覚に慣れてしまいたいような、絶対に慣れたくはないような、そんな不可思議で当然の感覚を抱きながらも、それでも王毅は今日まで必死になって妖を退治してきた。
出来る限り接近戦で斬り殺すことは避け、気力を用いた遠距離技で相手を仕留める。
殺した相手の死体は見ない。よしんば見たとしても、相手は化物だから、人に害をなす存在だから仕方がないと自分に言い聞かせ、その行動を正当化する。
そんな、人として当たり前の嫌悪感と罪悪感と戦いながら戦いを続けてきた王毅が殺人という罪深い行為に手を染めることなど、出来るはずがなかった。
こんな急に、唐突に、他者の命を奪うことを決断出来る人間など、そうそういるはずがない。
誰も王毅を責めることなど出来ないだろう。英雄たちのリーダーとはいっても、彼もまだ子供なのだから。
「う、あぁぁ……っ!!」
「お、王毅っ!? どうしたんだ、王毅っ!?」
勢いよく振り上げられた『虹彩』が鼓太郎の頭に振り下ろされることはなく、そのまま彼の目の前で静止してしまった王毅に対して慎吾が叫ぶ。
今、この男を斬り捨てなければ多数の犠牲者が生まれることを頭で理解していても、体が言うことを聞いてくれない。心が勇気を絞り出してくれない。
殺人という、一線を踏み越えた領域に足を踏み出すことが出来ないでいる王毅は、仲間たちが作り出してくれたチャンスを完全にふいにすると共に……彼自身の最大のピンチを招いてしまう。
「ぐ、ひひっ! お前、馬鹿だろう? そんな隙だらけの状態で、なに止まってるんだぁ!?」
「し、しまっ……!!」
隙を晒した状態で固まっている今の王毅は、鼓太郎からしてみれば自分の間合いに踏み込んでわざわざ斬られに来た獲物でしかない。
彼とは違い、完全に理性のタガが外れている鼓太郎は、殺人へと罪悪感や嫌悪感を振り払った狂人としての精神のままに刃を振るい、王毅を討ち取りにかかった。
「げっ、ひひひぃぃっ!!」
「ぐうぅぅっ!!」
不気味な笑い声を上げながら鼓太郎が繰り出した横薙ぎの一閃を辛くも防ぐ王毅。
だが、その足は既に彼が作り出した沼に取られ、後方への撤退が不可能な状態になっている。
防御に使える武神刀も、今は鼓太郎との鍔迫り合いに用いている状態。
つまり、鼓太郎が作り出した土の槍での一撃を防ぐ手段は、今の王毅には存在していないということだ。
「死ね! 死ねぇっ! 死ねぇぇぇぇっっ!!」
「王毅さまーーーーっ!!」
地面から真っ直ぐに王毅の顔面へと迫る鋭い泥の槍。
状態を逸らして回避しようとすれば追撃の剣閃によって仕留められ、どうにかして回避しても同じ結末を迎えることは目に見えている。
正に、絶体絶命。王毅にはどうしようも出来ない、史上最大の窮地。
花織の悲痛な叫びを耳にして、自分の顔へと迫る攻撃を目にしている王毅が、避けられぬ死の運命に恐怖し、固く目を閉じた時だった。
「退けっ、神賀っ!!」
「えっ……!?」
何処か聞き覚えのある声が、必死な叫びとなって耳に届く。
同時に、何かに体を突き飛ばされた王毅は沼から足を解放されると共に地面へと横倒れになり、軽く地を滑りながら目を開いた彼は、今の瞬間に何が起きたのかを一目で理解した。
武神刀を構え、今しがた自分が立っていた位置に存在しているのは包帯太郎その人。
若干、体勢が崩れている彼が王毅の危機に飛び出し、その身を挺して自分を庇ってくれたのだと理解した王毅の目の前で、泥の槍が包帯に包まれた彼の顔面を襲う。
「うおおおおおっっ!」
「な、にぃっ!?」
ビッッ! という、包帯が裂ける鋭い音。
それに続く、包帯太郎の気合の叫び。
顔面を刺し貫かれ、その命を摘み取られようとしていた包帯太郎であったが、咄嗟に顔を傾けることですれすれの位置で鼓太郎からの攻撃を躱し、顔の包帯と頬の薄皮を犠牲にして窮地を凌ぐことに成功する。
そのまま、手にした武神刀で大きく前方を薙ぎ払うという捨て身の反撃に驚いた鼓太郎は、『紅龍』が放つ熱と爆発によって背後へと吹き飛ばされてしまった。
「つ、包さん! どうして、俺を庇って……えっ?」
絶体絶命のピンチから自分を助けてくれた救世主に対して問いかけた王毅の声が、途中で途切れた。
鼓太郎の攻撃で剥ぎ取られた顔面の包帯、その下から覗く包帯太郎の素顔を見てしまった彼は、信じられない光景を目の当たりにして言葉を失ってしまう。
月明かりに照らされ、遠目からでもその顔を見ることが可能になった時、王毅だけでなく慎吾やタクト、冬美や花織でさえも、遂に素顔を露わにした包帯太郎の正体を目の当たりにして絶句していた。
「そ、んな……!? 君は、まさか……!?」
「ちっ、まだそのタイミングじゃあねえと思ってたんだけどな。お前がぼさっとしてるせいだぞ、神賀」
顔を見られた以上、最早変装は必要ないとばかりに残っていた包帯を投げ捨てた燈が、堂々とした態度でクラスメイトたちの前で正体を明かす。
顔の全体を露わにした彼と対面した王毅は、仲間たち全員の思いを代表するかのようにして、呆然とした表情のまま呟いた。
「虎藤、燈……!! 生きて、いたのか……!?」
「慎吾! 今は自分の戦いに集中しろ! 気を抜いて勝てる相手じゃないことはわかってるだろう!?」
自分たちが鼓太郎の猛攻に苦戦している間に嵐の逃走を許してしまった慎吾は、彼の相手をしていた涼音への不信感を露わにした言葉を口にする。
王毅は、そんな慎吾を一喝すると、凄まじい速度で『泥蛙』の能力を駆使出来るようになっている鼓太郎との戦いに意識を集中させていった。
(ほんの少し前まで満足に刀も使えなかった人間が、ここまでの強さを手に入れるだなんて……! これが、妖刀の真の恐ろしさなのか!?)
ずぶの素人が、戦いの中で目まぐるしい成長を見せて数の有利を握る自分たちと互角以上に立ち回っている。
こうして妖刀を扱う者と相対して初めて、王毅は妖刀の恐ろしさが単純なカタログスペックではなく、持ち主に信じられない成長性を与えることだと気が付いた。
鼓太郎が基本の技である『土弾』を習得してから次の広範囲攻撃を習得するまで、ものの数分しか時間は経過していない。
妖刀を手にしてからまだ日が浅いと思わしき鼓太郎が見せる驚異的な成長は、王毅の心に十分過ぎるほどの焦燥感を抱かせる。
(こいつが妖刀の扱いに慣れたら、嵐のような凶悪な剣豪になってしまう! 絶対にここで仕留めるんだ!!)
もしも鼓太郎が嵐のように次々と人を殺め、『泥蛙』の扱いを習熟し、その能力を十全に引き出せるようになったとしたら、脅威度は飛躍的に跳ね上がる。
そうなる前に彼を倒し、妖刀を回収しなくては、嵐と同様の相当に厄介な相手となるだろう。
いくら人数の有利があるからといって、二人の妖刀使いを同時に相手することだけは避けたい。
取り逃がしてしまった嵐は仕方がないとして、王毅としてはせめてこの鼓太郎だけは確実に仕留めておきたかった。
「このまま遠距離戦を続けても決定打には繋がらない! 俺が奴に突っ込んで決める! 慎吾、援護を頼んだぞ!!」
『土弾』同様の遠距離攻撃を放っても、鼓太郎が作り出す泥の壁によってそれらは全て防がれてしまう。
逆に、向こうからの攻撃は徐々に威力と速度、正確性が増していき、そこからも鼓太郎の驚異的な成長が感じ取れた。
このままでは、鼓太郎に経験値を積ませるだけだ。
多少の無茶は承知で、一気に勝負を決めるしかない。
『虹彩』を握り締めた王毅は、飛び来る『土弾』を切り払うと脚部に気力を込め、鼓太郎の懐に潜り込む体勢を取る。
王毅が勝負を仕掛けようとしていることを察知した鼓太郎は『土弾』の弾幕でその接近を阻もうとするが、慎吾が放つ、泥の属性が苦手とする陽光での攻撃によってそれは脆くも崩れ去り、僅かながらも隙が生まれた。
行ける……! そう、王毅は確信する。
自分の目に映る、弾幕が薄くなっている箇所を辿るようにして駆け出し、ほんの一部の隙を突くようにして疾駆した彼は、瞬間的な移動で鼓太郎の目前まで到達しようとしていた。
どうやら、攻撃に意識を傾倒させ過ぎた鼓太郎は、タクトの攻撃に対処した自分の周囲の地面を泥状にして相手の接近を拒む防御術を使用していないようだ。
攻撃か、防御か、そのどちらか片方しか意識を傾けられない素人としての弱点がここに出たと、まだ戦いに慣れていないが故の鼓太郎の隙を突くことで接近に成功した王毅は、最後の一歩を踏み込みながら『虹彩』を高く振り上げた。
「行けっ、王毅! そいつをぶっ倒せっ!!」
勝利を確信したような慎吾の声が響く。
鼓太郎の防御は間に合っていない。このまま王毅が武神刀を振り下ろせば、そこで決着がつくだろう。
勝てる……妖刀を用いる相手に、仲間の力を借りたとはいえ勝利を収めることが出来る。
幕府に召喚された英雄として、この世界の希望として、多くの人たちからの期待を背負う王毅は、この勝負を決めるために『虹彩』を鼓太郎の脳天へと振り下ろそうとした……の、だが――
(斬る、のか? 俺が? この人を、殺すのか……?)
――間近で、今から自分が斬り捨てようとしている相手の顔を見てしまった王毅の胸に、僅かな躊躇いが生まれる。
それは、平和な世界で生きてきた人間ならば誰でも抱くであろう思い。まだ子供である王毅ならば、当たり前のように感じるであろう迷い。
このままこの人を殺しても良いのか?
自分に人を殺せるだけの勇気があるのか?
鼓太郎は王毅が今まで倒してきた妖とは違う。妖刀に手を出してしまったとはいえ、彼は人間だ。
そんな彼を斬り捨てるということは、自分は殺人者になるということだ。
妖も、妖刀を使う人間も、放置すれば何の罪のない人たちを屠る存在だということは理解している。
だが、言葉が通じず、見た目も化物そのものである妖と意思疎通も会話も可能である人間とでは、その命を奪う際に必要な覚悟が違った。
(殺す? 殺す……!? 俺が、人を斬り殺す? ただの高校生だった、俺が? 人を殺すっていうのか?)
妖刀を破壊することが許されない以上、武器破壊による決着は無理だ。鼓太郎自身を戦闘不能に追いやるしかない。
峰打ちで殺さずに仕留めるだなんて技量、王毅は有していない。手心を加えてギリギリ殺さぬように勝負を決めるなんて真似が出来るほど、鼓太郎は容易い相手ではない。
確実に彼を仕留めるというのならば、本気で刃を振るうしかない。
防御が間に合っていないがら空きの頭上から武神刀を振り下ろし、頭から股までを一直線に叩き斬って、その命を奪うことで戦いに終止符を打つしかない。
それ以外に、自分が鼓太郎を止める術を持たないということに気が付き、今まさに自分が彼の命を奪う瞬間を迎えようとしていることに気が付いた王毅は、急激に催した吐き気と耐え難い重圧に思考と運動を停止させ、荒く呼吸を繰り返す。
(で、出来るわけがない……! 人殺しなんて、俺に出来るわけがない!!)
王毅には、命を奪うことへの拒否感があった。
それが妖の命だとしても、自らの手で何かを殺すことを躊躇わない人間などいるはずがない。
肉を斬り、骨を断ち、命を摘み取る感覚に慣れてしまいたいような、絶対に慣れたくはないような、そんな不可思議で当然の感覚を抱きながらも、それでも王毅は今日まで必死になって妖を退治してきた。
出来る限り接近戦で斬り殺すことは避け、気力を用いた遠距離技で相手を仕留める。
殺した相手の死体は見ない。よしんば見たとしても、相手は化物だから、人に害をなす存在だから仕方がないと自分に言い聞かせ、その行動を正当化する。
そんな、人として当たり前の嫌悪感と罪悪感と戦いながら戦いを続けてきた王毅が殺人という罪深い行為に手を染めることなど、出来るはずがなかった。
こんな急に、唐突に、他者の命を奪うことを決断出来る人間など、そうそういるはずがない。
誰も王毅を責めることなど出来ないだろう。英雄たちのリーダーとはいっても、彼もまだ子供なのだから。
「う、あぁぁ……っ!!」
「お、王毅っ!? どうしたんだ、王毅っ!?」
勢いよく振り上げられた『虹彩』が鼓太郎の頭に振り下ろされることはなく、そのまま彼の目の前で静止してしまった王毅に対して慎吾が叫ぶ。
今、この男を斬り捨てなければ多数の犠牲者が生まれることを頭で理解していても、体が言うことを聞いてくれない。心が勇気を絞り出してくれない。
殺人という、一線を踏み越えた領域に足を踏み出すことが出来ないでいる王毅は、仲間たちが作り出してくれたチャンスを完全にふいにすると共に……彼自身の最大のピンチを招いてしまう。
「ぐ、ひひっ! お前、馬鹿だろう? そんな隙だらけの状態で、なに止まってるんだぁ!?」
「し、しまっ……!!」
隙を晒した状態で固まっている今の王毅は、鼓太郎からしてみれば自分の間合いに踏み込んでわざわざ斬られに来た獲物でしかない。
彼とは違い、完全に理性のタガが外れている鼓太郎は、殺人へと罪悪感や嫌悪感を振り払った狂人としての精神のままに刃を振るい、王毅を討ち取りにかかった。
「げっ、ひひひぃぃっ!!」
「ぐうぅぅっ!!」
不気味な笑い声を上げながら鼓太郎が繰り出した横薙ぎの一閃を辛くも防ぐ王毅。
だが、その足は既に彼が作り出した沼に取られ、後方への撤退が不可能な状態になっている。
防御に使える武神刀も、今は鼓太郎との鍔迫り合いに用いている状態。
つまり、鼓太郎が作り出した土の槍での一撃を防ぐ手段は、今の王毅には存在していないということだ。
「死ね! 死ねぇっ! 死ねぇぇぇぇっっ!!」
「王毅さまーーーーっ!!」
地面から真っ直ぐに王毅の顔面へと迫る鋭い泥の槍。
状態を逸らして回避しようとすれば追撃の剣閃によって仕留められ、どうにかして回避しても同じ結末を迎えることは目に見えている。
正に、絶体絶命。王毅にはどうしようも出来ない、史上最大の窮地。
花織の悲痛な叫びを耳にして、自分の顔へと迫る攻撃を目にしている王毅が、避けられぬ死の運命に恐怖し、固く目を閉じた時だった。
「退けっ、神賀っ!!」
「えっ……!?」
何処か聞き覚えのある声が、必死な叫びとなって耳に届く。
同時に、何かに体を突き飛ばされた王毅は沼から足を解放されると共に地面へと横倒れになり、軽く地を滑りながら目を開いた彼は、今の瞬間に何が起きたのかを一目で理解した。
武神刀を構え、今しがた自分が立っていた位置に存在しているのは包帯太郎その人。
若干、体勢が崩れている彼が王毅の危機に飛び出し、その身を挺して自分を庇ってくれたのだと理解した王毅の目の前で、泥の槍が包帯に包まれた彼の顔面を襲う。
「うおおおおおっっ!」
「な、にぃっ!?」
ビッッ! という、包帯が裂ける鋭い音。
それに続く、包帯太郎の気合の叫び。
顔面を刺し貫かれ、その命を摘み取られようとしていた包帯太郎であったが、咄嗟に顔を傾けることですれすれの位置で鼓太郎からの攻撃を躱し、顔の包帯と頬の薄皮を犠牲にして窮地を凌ぐことに成功する。
そのまま、手にした武神刀で大きく前方を薙ぎ払うという捨て身の反撃に驚いた鼓太郎は、『紅龍』が放つ熱と爆発によって背後へと吹き飛ばされてしまった。
「つ、包さん! どうして、俺を庇って……えっ?」
絶体絶命のピンチから自分を助けてくれた救世主に対して問いかけた王毅の声が、途中で途切れた。
鼓太郎の攻撃で剥ぎ取られた顔面の包帯、その下から覗く包帯太郎の素顔を見てしまった彼は、信じられない光景を目の当たりにして言葉を失ってしまう。
月明かりに照らされ、遠目からでもその顔を見ることが可能になった時、王毅だけでなく慎吾やタクト、冬美や花織でさえも、遂に素顔を露わにした包帯太郎の正体を目の当たりにして絶句していた。
「そ、んな……!? 君は、まさか……!?」
「ちっ、まだそのタイミングじゃあねえと思ってたんだけどな。お前がぼさっとしてるせいだぞ、神賀」
顔を見られた以上、最早変装は必要ないとばかりに残っていた包帯を投げ捨てた燈が、堂々とした態度でクラスメイトたちの前で正体を明かす。
顔の全体を露わにした彼と対面した王毅は、仲間たち全員の思いを代表するかのようにして、呆然とした表情のまま呟いた。
「虎藤、燈……!! 生きて、いたのか……!?」
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