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第二章・少女剣士たちとの出会い
とっておき
しおりを挟む「なに? なにが起きてるの……!?」
特異な構えを取った蒼の周囲に渦巻く気力の流れを感じ取ったやよいは、その気力の量が尋常でないことに驚きの声をあげる。
目には見えない渦を作り上げ、それを全て右手に握る『時雨』へと集中させる蒼は、静かに呼吸を繰り返して気力を高めているようだ。
自分と同じく絡新婦の毒を受け、立つこともやっとなはずである彼がどうしてここまで膨大な量の気力を操れるのか?
あの構えから、蒼は何を繰り出そうとしているのか?
そして、どうして窮地に立っているはずの男の背が、これほどまで大きく頼もしく感じてしまうのか? と、様々な疑問を抱きながら、やよいは固唾を飲んで蒼と絡新婦との戦いを見守り続ける。
「……うふふっ! 往生際の悪い子みたいやねぇ。もう二本の脚で立つのもしんどいやろうに、そないに意地張って……! ほんなら、そんなことしても無駄やってことを教えてあげよか」
そう、余裕の表情を崩さずに言葉を発した絡新婦であったが、その実、心の中ではかなりの焦りと動揺を感じていた。
もう十分、時間は過ぎたはず。自分の放った毒は蒼の体に回り切り、彼から戦う力を奪っているはずだ。
それなのに、彼は倒れない。
堂々と武神刀を構え、自分の前に立ちはだかり、なおも戦う姿勢を取っている。
はったりだ、と自分の力を信じる心がそう告げる。
蒼は今、残された力を振り絞って、少しでも時間を稼ごうとしているだけ。あの妙な構えも、自分を怖気付かせるためだけの何の意味もないものだと、揺れる心を落ち着かせるように、絡新婦の中から声が響く。
だが、その心の声に賛同出来ない本能的な部分が、未知の構えを見せる蒼への警戒を最大音量で響かせてもいた。
自分が絶対に優位だと思い込んではならない。奴はその油断を突き、戦局を逆転させるつもりだ。
勝ちはもう、すぐそこまで来ている。ならば、油断せずにその勝利を確実に手にするための行動を取ればいい。
総じて、現状で最良とも思える思考パターンに至った絡新婦は、一度蒼から距離を取ると、自らの動揺を悟られぬために不敵に笑いながら、防御の陣形を固め始めた。
「くふふっ! ふしゃああっっ!!」
口から、再び糸を吐く。
ただし、使うのは先ほどまで放っていた糸の砲弾のように丸めた糸ではなく、巣を作り上げる時に用いる強靭な網目状の糸だ。
それらを幾つも重ね、自分の前に糸の壁とでも呼ぶべき防護壁を作り出した絡新婦は、網目の間から蒼を見つめながら、勝ち誇った声で彼へと語り掛ける。
「どや? 分厚くて立派な壁やろ? うちの糸が岩をも砕く硬度を持っとることは、あんさんも目にしはったよなぁ? その糸を何重にも重ねて作ったこの壁は、ちょっとやそっとのことじゃびくともせん。坊主が何かしようとしても、ぜ~んぶ無駄なんやで」
「………」
「ふふふ……!! 絶望して、声も出なくなったん? それとも、最初からハッタリかましてうちをどないかするつもりやったんか? せやけど、どのみち関係あらへん。うちは坊主が毒の効果で動けなくなるまでここで待つ。この堅牢な防御を崩すことなんて、誰にもでけへんのやからな」
蒼がどんな奥の手を隠しているのかは判らないが、状況的には自分の方が有利であることは間違いない。
自分はただ、待てば良い。蒼が動けなくなり、何の対抗策も打てなくなるまで待ち続ければ、それで良いのだ。
何を仕掛けてくるか判らない相手と真っ向勝負するなんて博打はしない。
窮鼠猫を嚙むということわざ通り、死ぬ気で抵抗されれば、一泡噴かされる可能性だって十分あるのだから。
自分が取るのは安全策。待ちの一手、これに尽きる。
獲物の体を毒が蝕み、喰らい尽くすまでの間、ただじっと待ち続ける……焦らないことこそが勝利への最短の道であると確信している絡新婦は、作り上げた防護壁の後ろで目を細めてニタリと笑った。
対して蒼は、あの奇妙な構えのまま微動だにしていない。
右手に握る『時雨』の切っ先を絡新婦に向け、それを左手で下から支えながら、ただじっと彼女を見据えているだけ。
だが、彼の背後から戦いを見守るやよいには、蒼の周囲に渦巻く気力が、彼の右腕を伝って『時雨』へと流れ込んでいく様が見て取れていた。
集った気力を両脚から駆け上がらせ、胴を通って、右腕へ。
自らの肉体を伝って気力を渦巻かさせ、その力を高めてから武神刀へと注いでいく蒼の姿に、さしものやよいも息を飲んでいる。
(いけるかもしれない……あの技、なら……!)
やよいには、蒼が繰り出そうとしている技がなんであるかが判っていた。
実際に誰かが使ったところを見たわけではないが、屋敷の書物でその技についての記述を読んだことがある。
曰く、武神刀に水の気力を集め、それを全力の片手突きに合わせて放つ水の剣技の一つ。
貫通能力と射程に優れたその技の名は『穿水』。水の気力を持つ者が習得する、遠距離攻撃用の技だ。
集めた気力を高圧の水流として放つ技の特性上、貫通能力は非常に高くなる。
反面、技を出すまでの間に気力を溜める時間が必要だが……絡新婦が待ちの戦法を取ってくれたことが味方して、その部分はどうにかなっていた。
いけるかもしれない、『穿水』ならば。
貫通力に秀でた技を、蒼の膨大な気力量を用いて放つことが出来れば、その威力は計り知れないものになるに違いない。
それでも、絡新婦の自信満々の笑みを見るに、彼女は自分の糸に相当の信頼を持っているのだろう。
砲弾として放てば岩をも砕く硬度を誇る絡新婦の糸が作り出した防壁もまた、並大抵の防御力ではないはずだ。
蒼の実力を疑っているわけではない。基礎技の一つである『穿水』も、彼ならば十分に習熟しているだろう。
だが、今の彼は毒に体を蝕まれている状態。満足に力を出し切れるかは怪しい。
可能性で言えば、良くて半々といったところで、糸の防壁を突破出来る確証は存在していなかった。
「はぁぁぁぁ……っ!!」
正面の絡新婦から浴びせられる、嘲りと恐怖が入り混じった視線。
背後のやよいから向けられる、希望と不安が交錯する眼差し。
それら全てを受け止める蒼が、遂に動きを見せる。
半身の体勢のまま、真っ直ぐに『時雨』の切っ先を絡新婦に突きつけたまま、腰を捻りながら右腕へと力を込めた彼は、大きく見開いた双眸に打倒すべき敵の姿を映し、息を吐いた。
その瞬間、練りに練られた蒼の気力が唸りを上げながら武神刀へと集まり、その切っ先から彼の右腕に至るまでを渦巻く水となって覆い始める。
目に見えない気力としての形から、可視化された水と変化した力の奔流を目にした絡新婦が膨大な量の水に驚いたことは勿論だが、そうなることを理解していたはずのやよいもまた、自分の予想以上の何かが起こっていることに驚愕を禁じえない。
(違う、『穿水』じゃない! この技は、いったい……!?)
書物で読んだ限り、『穿水』という技は極限まで圧縮した水流を武神刀の切っ先に乗せ、突きとして放つ技のはず。
だがしかし、今、蒼が繰り出そうとしている水はそういった細い水の流れではなく、全てを飲み込む怒涛としての形をとっていた。
加えて、直線の水流を放つはずの『穿水』と違い、蒼の右腕を覆う水流は力強く渦巻いている。
やよいの知る『穿水』が水の矢を放つ技だとするのならば、蒼の繰り出そうとしている技は水の竜巻。
敵の防壁を貫くなんて、そんな器用で優雅な技などでは決してない。
そう、いうなれば……全てを飲み込み崩壊させる渦潮の打突、だ。
「ば、馬鹿な!? ありえへん! こんな、こんな馬鹿げた攻撃を人間が繰り出せるはずが――」
蒼の右腕を覆う水の量は留まるところを知らないように増え続けている。
既に彼の肘までを覆う渦潮はそこから更に後ろへと伸び、広い洞窟の空間を埋め尽くさんばかりの水量を誇っているではないか。
知らない、こんな馬鹿げた威力の攻撃など。
これまで見てきた人間たちは、せいぜい刀に炎や風を纏うくらいで精一杯だったではないか。
彼らと今、自分の目の前に立つ男の間には、天と地なんて言葉では生温いくらいの差が存在している。
こんな、天変地異にも似た現象を引き起こせる男が、どうしてこんな片田舎の洞窟に足を踏み入れたというのだ?
「……正直、この技はあんまり好きじゃないんだ。純粋な力技だし、気力の消耗も激しいし、何より取り扱いが難しい。でも、その分威力も馬鹿にならない。さあ、あなたの糸はこの技を防ぎ切れるかな?」
「お、おぉ、お……!?」
蒼が、腰を軽く右方向へと捻り、体全体をその運動に巻き込む。
狙うべき敵から目を離さず、『時雨』の切っ先とそこに集まる渦潮の先端を絡新婦に向けたまま、右方向へと捻った体を静止させた蒼は、次の瞬間には逆方向へと動き出していた。
脚から、腰へ。大地に踏ん張り、腰の捻りを最大限に活かし、鍛え上げられた足腰の頑健さを存分に発揮しながら、渦潮に覆われた右腕を真っ直ぐに突き出す。
峰を支えていた左腕を引く。その動きに合わせて、右腕を前に押し出す。
まるで滑車で両腕が繋がっているかのように真逆の動きを見せた蒼の両手が、それ以外の全てが、彼の繰り出す技の威力を最大限に発揮させる破片となっていた。
うねる。渦巻く。抉りながら進む。
蒼が放った巨大な渦潮が、洞窟の岩壁も地面も等しく粉砕しながら、何物にも阻まれない威力を見せつけながら、絡新婦へと迫っていく。
こんなもの、防げるはずがない。
自分の前にどんな防壁があろうとも、それごと巻き込まれて渦の中に叩き込まれるだけだ。
愉悦に満ちていた絡新婦の瞳は恐怖に見開かれ、抗えぬ絶望の前に額の瞳たちも迫り来る渦潮から目を離すことが出来ない。
その渦の中に自らの死を見て取った絡新婦の断末魔の叫びが聞こえる間際、一瞬の静寂の間に蒼が静かに呟く。
「我流秘奥義・『海神乃怒』」
「がっ!? ごぼぼぼぼぼおっっ!!」
海神の怒りの如し渦潮に飲み込まれた絡新婦の体が、瞬く間に捻じれ、引き裂かれていく。
細く鋭い八本の脚が千切れ、人間の形を残している上半身と繋がっている腹部を捻じ切られ、巻き込まれた岩や自身の吐き出した糸と渦の中で何度もぶつかり合った
絡新婦が既に致命傷を負っていることは明らかだった。
そして、攻撃が直撃した時、渦潮の先端によって空けられた胸の風穴を中心にして、彼女の体の崩壊が始まる。
蒼の放った渦潮は洞窟の壁を掘削し、長い通路を作った後、弾けるようにして試算して、内部に在った全てのものを粉砕し尽くしながら消滅した。
「すっご……! あれが、彼の本気……!!」
全てを押し流し、粉砕する怒涛の渦潮。
それを剣戟として放ち、敵を打ち砕く。
単純な質量に回転を加えることで破壊力を増させた蒼の奥義を受けた絡新婦の体はほぼ消え去っており、一番大きな肉片として後ろ脚の先端が地面に転がっていた。
圧倒的な力。膨大な気力量とこれまでの鍛錬の成果を合わせて作り出された技の威力に茫然とするやよいへと、戦いを終えた蒼が話しかけてくる。
「……終わったよ。君も僕も、死なずにこうして生きてる。これじゃ、不満かい?」
「むぅぅ……!!」
足手纏いになり、蒼の戦いの邪魔をしてしまったことを悔しがっていたやよいとしては、彼に庇われた時の屈辱は忘れがたいものではあったのだが、自分を守って戦い抜き、勝利するという困難な誓いを貫き通してしまった蒼に不満をぶつけるというのは野暮というものだ。
素直に感謝の言葉を口にすることは出来ないが、詰る必要性もない。
ただ少し、自らの甘っちょろさのせいで無茶をした彼へと恨みがましい視線を向ければ、蒼は頬を掻きながらたははと苦笑した。
「……ねえ、どうして毒が効いてないの? 針は刺さってたはすでしょう?」
「うん? ……僕の気力属性は、水。清めや祓いの力が最も強く発揮される属性さ。僕の気力量と水の気力の特性を活かせば、あの程度の毒を中和することなんて、そう難しい話じゃない」
ようやく毒の効果が薄れてきた自分とは違い、まるでその影響を受けていないように見える蒼に問いかけてみれば、彼はあっさりとその答えを返してくれた。
敵の能力をほぼ完封した圧倒的な勝利を手中に収めた蒼ではあるが、やはりあれだけの威力の技を使えば多少なりとも疲れは残るのだろう。
加えて、やよいを庇うために無茶をしたせいもあってか、彼の表情には少なくはない疲れの色が見えていた。
「……少し休んで、この周囲に子蜘蛛が残ってないか確認したら、上に戻る道を探そう。栞桜さんのことは燈に任せてるけど、急いで僕たちも合流しないと」
「わかった……ごめんね、足引っ張ってばっかりでさ……」
「足を引っ張られただなんて、そんな風には思ってないよ。やよいさんのお陰で妖の巣を殲滅出来たし、敵の首魁も討ち取れた。それに、僕だって君の忠告を無視して好き勝手やったんだ。お互い様でしょ?」
やよいを慰めるためというより、本気でそう思っていそうな口調で告げた蒼の顔を見つめるやよい。
どこまでも生真面目で、甘くて、それでいてその甘さを曲げようとしないこの男のことが、腹立たしく思ってしまうことも確かだ。
だが、それこそがこの青年の良いところなのだと理解しているからこそ、彼のことを憎み切ることは出来ない。
むしろ、そう……この甘さと優しさに包まれると、不思議な心地よさすらも感じてしまう自分がいることに驚きつつ、やよいがふわりと微笑む。
(これはこれで……ありかも)
冷徹な意思を持ち、全の為に個を捨てる判断が出来る人間。
それがやよいが考えていた最上の武士になるのに必要な素質だった。
蒼はその重要な素質がすっぽりと抜け落ちている。
彼が誰かを切り捨てたり、見捨てたりする姿など、付き合いの短い自分ですら想像出来なくなってしまうほどに、彼は甘いのだ。
だが、それで良いのかもしれない。
この甘さと優しさのせいで、彼は最上の武士になれないのかもしれないが……この甘さと優しさは、彼を最高の武士にするために必要な素質なのかもしれないと、そうやよいは心の中で思った。
「……ところでさ、それなりに小狡いやり方を学んだ今の蒼くんなら、女の子にも多少の耐性が出来てるよね? あたしの服の内に毒消しが入ってるんだけど、手を突っ込んで取ってくれない?」
「ええっ!? あ、いや、その……そ、そこまで急ぐ必要はないんじゃないかな? 僕も少しは休息が必要だし、足並みをそろえるためにも……ね!?」
それに、どんなことにも動揺しないからくり人形のような男では、こんなに面白い反応を見せてはくれないだろうし、これはこのままの方が良いだろう。
少なくとも、もう少しだけこのネタで彼を揶揄い続けてやろう……と、微笑みの裏で考えていたやよいは、久方ぶりに自分が心からの笑みを浮かべていることに気が付かぬまま、楽し気で優しい笑みを自分を守ってくれた蒼へと披露し続けるのであった。
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