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ゼドの秘密に触れる
しおりを挟むリディアはゼドに手を引かれて長い螺旋階段を降りていた。石造りの冷たい階段ではちょっとした物音でさえ大きく聞こえる。リディアたちの足音も、声も。石壁の向こう側の遠くで、ぴしゃんと水滴が跳ねた音さえ鮮明だった。
幅の狭い階段の段差は急で、足元がおぼつかない。頼れるのはゼドが持つランプとつないでくれる手だけだ。片手を壁に当てながら踏み外さないように慎重に歩くリディアを、慣れたゼドは急かすことなく待ってくれる。
「まさか王城にこんなところがあるなんて」
「俺が知ったのは六歳の時かな。さっきの執務室は元は父のものでね。父が出かけているときにこっそり入って本棚から本を取ろうとして、このカラクリを見つけたんだ」
「他にもあると思う?」
「俺はまだ見たことないけど。あるかも。今度二人で探検でもしてみる?」
「大賛成!」
ヴェルメニア帝国は古い歴史を持ち、その昔は鉱脈国として名をはせていた。王城の周りにも多くの坑道が引かれていた。現在のヴェルメニア帝国でも鉱山資源は貴重な財源の一つになっていて、まだまだ多くの可能性を秘めている。栄えていた鉱脈は廃鉱となったところも多いけれど、今も貴族の屋敷や地方の屋敷には数多くの坑道が眠っているらしい。
ゼドの秘密の地下室も、この階段もその名残かもしれない。だとすればまだまだ王城にも地下室や秘密の通路がありそうだ。
ふと疑問に思ってリディアは尋ねた。
「そういえば、ゼドの秘密ってなに?……あ、っいて!」
ゼドが急に立ち止まって、リディアは彼の背中にぶつかった。
「ここだよ。俺の秘密」
ゼドが扉を開けた。
「この部屋は…」
「未だ誰にも見せたことのない、俺の秘密の部屋だよ。リディア、改めて俺のところにようこそ」
リディアを招き入れると、ゼドは扉を閉めた。
窓のない、暗い地下室。六畳くらいのおよそ貴族の屋敷の中にあるとは思えない、小さな部屋だった。左の隅には簡素な机と椅子、もとからこの部屋にあったものだろうか、古びて軋んでいた。その隣には一つだけ本棚が。本や資料が乱暴に積まれている。
けれど、そんなことはどうでも良かった。リディアの視線は中央の白い台座ただ一つに注がれていた。
台座の上にあるものを一目見て、背筋が凍った。
丸い頭部、黒々と落ち窪んだ穴、石灰を思わせる乳白色。骸骨が、まるで芸術品のように丁寧に横たえられていた。
青ざめた顔でリディアはゼドの胸倉をつかんで揺さぶる。
「人の、骨っ!……っ、ゼド、まさか、あんた人を殺したの!?」
「まさか、人を殺したことはないよ、まだ、ね。ほら、こっち。おいで」
リディアとゼドは台座の前に立つ。ゼドは眠る骸骨を撫でた。
骸骨は、とても美しかった。ゼドが手をかけて保存をしてきたのだろう。欠けているところもなく、すべてのパーツが揃っていて、頭のてっぺんから足先までが寸分の狂いもなく配置されている。まるで神聖なものだとさえ思わせるほどだった。
胃液があがってくるような感覚を押さえつけて、リディアは乱れる呼吸を整えながら尋ねた。
「この人は?」
「俺の母親だよ」
「……随分前に亡くなったって聞いたけど。私たちが幼少の頃に」
ゼドの母親は先代国王の第二妃だった。当時の第一妃と王の寵愛をめぐって激しく対立したらしい。リディアたちが物心つく前に対立は終わりを迎えた。
リディアも会ったことはないから彼女のことはよく知らないが、狸親父たちが葬式に出ていたことを覚えている。
「第二妃はきちんと葬式をされてた。うちの両親も不審がるような素振りはなかった。なんで彼女の遺体がここにあるの」
「そりゃあ、俺が連れてきたんだよ。掘り起こして彼女をここに運んだ」
「なっ、はぁ!? 嘘だろ…」
ヴェルメニア帝国の埋葬方法は土葬。棺に白い霊服を着せた遺体を寝かせて、墓の下に埋める。
身体と魂は互いに強く結びつき引かれあう。身体を土に埋めるのは空へと昇る魂を追わぬよう、牢の役割を果たしているのだという。
身体を墓から掘り起こすなんて行いは愚行の極みなのだ。ヴェルメニア帝国では社会常識としてありえない。他人に話せば一発で引かれること間違いなしのはずなのに。
「本当だよ」
「あんたなんでそんなことしたのよ。バレたら総スカンどころの騒ぎじゃなくなるでしょ?」
知られれば、ゼドの立場は一気に悪くなる。
ゼドの母親が第二妃ということは、もちろん第一妃にも男子がおり、第二王子の立場にあたる。第二王子の名はルイ。
ゼドの持つ圧倒的なカリスマ性で、王位継承の争いが起こることはなかったが、第二王子派の貴族たちは水面下でゼドを倒して第二王子ルイを国王にのし上げようと今でも画策をしているという噂が絶えない。
「俺の母親はもともと病気がちでね。部屋にいることが多かった人だったけど、よく俺のことを部屋に呼んでかわいがってくれたよ」
昔を懐かしんでクスリと笑うゼドの表情から、第二妃とゼドの関係は悪くなかったことがわかる。むしろ体調の優れない身体でも、彼女はゼドを母親としてきちんと愛していたのだ。
「ある日、病が悪化してね。安らかに彼女は逝ったよ。皆が寝静まった後の真夜中だった。眠るように死んでいる彼女を、俺が一番最初に見つけたんだ。今でも目を閉じれば浮かんでくる。」
大きな硝子の窓から差し込む柔らかな月の光が、死んだ女の青白い肌をぼうっと浮かび上がらせている憧憬。遺体が沈む天蓋付きのベッドは、まるで女を天高く飛び上がらせるための翼のようだった。苦しみ一つない穏やかな死に顔は、どんな芸術品にも勝るとも劣らない、厳粛な輝きを放っていたのだ。
おそるおそる近づいて、ゼドは母であった女の手を取った。まだ死んでから時間は経っていないのか、掌はほんのりとあたたかい。しかし細い指先は熱を失っていた。そのまま握っていると、徐々に掌からも熱は引いていく。
まさに今、死が彼女から体温を奪っていく最中であった。
ゼドはちっとも怖くなかった。悲しくもなかった。じわじわと彼女を侵食する鈍い冷たさにずっと触れていたかった。
「俺は虜になった。彼女の死に。すべてを静かに拒絶する、閉ざされた美しさ。誰にも立ち入れない。この世のどこにもない。そう。あれは、死という一線を越えたところにしかない輝きだった」
初めは淡々と母の死を話していたゼドはだんだんと興奮していき、声高になる。演説のような流暢さにリディアは狼狽した。
「葬式のときは歯がゆかった。大人たちが土足で彼女の死を踏み荒らすものだから、何度怒り狂いそうになったか。だから俺が手づから誰にも見られないうちに彼女の死を土の中から掘り起こして、ここに隠したのさ。ここは光も入らない、暗い地下だけど、それでも彼女の死の美しさは損なわれなかった。ほら、今も」
整った顔を恍惚とさせ、骸骨の顎をもたげて見せつけるゼドにリディアは戦慄した。冷や汗が止まらない。
よくも、こんなにとんでもない秘密を隠し持ってくれていたものだ。
今の今まで、一体どうやって隠していたのだろう。
「頭イってんなぁ……」
笑い飛ばして見せるが、リディアの顔は引きつっていた。
狸親父から結婚の話をされた時から抱いていた、どうしてゼドはわざわざリディアを選んだのか、という疑問の答えがわかった気がした。
リディアは一歩ずつゼドから後ずさり扉の傍まで移動しようとした。
「待ってよ。リディア。どこへ行くつもり?」
「チッ。……そりゃあ、撤退一つに決まってるでしょ。ここまで話聞いたらバカでも想像がつく。あんたが私をここに連れてきた理由! そして、あんたの秘密! ゼドは、私を――――」
「そうだよ。俺は君を殺したい。あの日俺に「生」を見せつけた君を! 俺の手で息の根を止めたいんだ。そのためならば、何を犠牲にしたって構わない! ああ、リディア。誰よりも美しい青嵐の君。愛おしい君の死は、どんなものかな」
「っ……!」
ゼドの国王としての、仮面が剥がれ落ちて、狂おしいほどの執着の熱が群青の瞳を満たし、真っ赤な血のような恋情と残忍な愛に、口角が歪んだ。泥のようにあふれだす狂気が、リディアを蝕もうとしていた。
ゼドは腰に下げていたサーベルを引き抜いたのだった。
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