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王の力
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「王よ!どうぞその権威を知らしめるためにあの山を噴火くださいませ!」
このあり得ない願いが届けられたのは、さんざんな結果を知らされた数日後だった。
妥当なところだろう。それが陽子の感想だった。
そりゃあみんなが思い描いたようになった方が碓井さんも喜んだだろうけど、なにせ王の記憶を取り戻したのがつい半年ほど前の話だ。そこからとんとん拍子にうまくいくはずないだろう。
仮にいくとしたらあまりに出来すぎだ。ただでさえ、あの遺跡からポコポコ物が出てくるのも出来すぎだったと言うのに。
事実それを疑う学者やマスコミもいたほどだ。優人会の神殿を建て始めた頃合いが一番ひどかった。けれどなぜだかは知らないが、それも急速に終息した。すっかりそれに安堵していたというのに、今度はわたしがさも悪いことをしているかのような記事を書かれてしまった。わたしはなにも悪いことなどしていないのに。
そう思っていたからそこまで世の噂など気に留めていなかった。この神殿にいる限り、彼女を崇めてくれる人間はたくさんいるのだ。けれど、あの記事がばら撒かれてからというものの、それも少なくなったような気がしてはいたが。
しかし意外にも碓井はさして落胆していないようでもあった。なに、言いたいやつらには言わせておけ。そのくらいしか感想はないようだった。それどころじゃない、とばかりに。
碓井は碓井でなにかしているようだった。それもそうだろう、発掘作業の指揮に調査、報告。さらには再びの考古学ブームに乗って、彼はどこでも引っ張りだこだった。たとえ陽子が叩かれようとも、けれど碓井自身は過去の権威を振りかざしているわけではない。王妃のおの字も出してやしないのだ。あくまでも今において、目覚ましい実績を上げている。それもあってか彼はこの一連の被害にさほど遭わずに済んだらしい。むしろ彼はあの女に良いように使われて、と同情すら寄せられているようだった。
一方残された陽子は、ボロクソ言われるわ放っておかれるわで、それはそれはつまらなかったのだけれど。
今にして思えば選挙の結果などどうでもよかったのかもしれない。他人事ながらそう思う。だってそうじゃない、滝沢修が衆議院選に受かろうが落ちようが、直接わたしがこの国を動かすわけでもないんだし。
どうせお飾りだったのだから。花瓶に挿された花が、部屋の主を熱心に応援すると思って?
だからこの突然の依頼には驚いた。いや、驚くというか、そもそも。
「無理に決まってるじゃありませんか」
落ち着いた声で陽子は滝沢を諭した。この小太りの政治家は、今日は黒崎を連れていなかった。いつもなら金魚の糞とばかりに後ろに長身の男を連れていたというのに。
かわいそうに、選挙で惨敗しておかしくなっちゃったのかしら。陽子は思う。だからお供も連れずに。連れてきてくれてれば、こんなバカなお願いを聞かされる羽目にならなかったかもしれない。
だって、いくら王とはいえ富士を操るなんて出来るわけないじゃない。当時、古富士は火山活動が活発でした。だからそれに合わせるかのように王が怒りを露にし、さも自分が操っているかのごとくに見せたのでしょう。碓井もそう言っていたではないか。
「いや、無理などではない。王ならばできるはずですぞ」
けれど滝沢は執拗に陽子に畳み掛けてくる。
「そんな。仮にできたとしてもダメですよ、そんな危ないこと。富士山が爆発なんてしたらここだって危ないじゃないですか」
「なに、噴火させる前に民を逃せばいいでしょう。おとなしく王に従うものは救われる」
「わたしが富士山を爆発させるから逃げなさいって?そんなの信じる人いるわけないじゃないですか」
「それが狙いですとも。信じる者は救われる。そういって流布した宗教だってあるんですぞ」
「でも、そもそもわたしにそんな力はないんですって」
困ったように陽子が返す。正直うんざりしていた。もうこれ以上、頭のおかしくなったおじさんの相手なんてしたくもないのだけど。
しかし存外に落ち着いた様子で、滝沢がそのねっちりとした唇を開いた。
「富士の噴火もできずに、あなたは本当にフュオンティヌス王なのか」と。
「え、なにを今さら。だってあなただってわたしに王の面影を見て集まってくれたんでしょう?こんな神殿まで建ててくれて」
「ええ、そうですとも。あなたが王だと碓井先生がおっしゃるので、それを信じたまでのこと」
「碓井先生を?」
「ええ。先生はご立派な方だ、若くして才能に溢れていらっしゃる。彼こそが王かと思いましたが、ご本人が自身は王妃だと仰ったのは驚きでしたとも」
「でも、わたしこそが王だって」
「それを証明できるものはありますかね?ないでしょう。ぼんやりとした記憶程度だ、違うかね?」
そう言って彼は例の雑誌を取り出した。陽子を偽物だと弾劾するつまらない記事。
「それは、そうだけど。でもみんなそんなもんじゃない。あなただって自分がタキトゥスだったって証明するなにかがあるの?」
「問題をすり替えないでもらおうか。ワシの場合とあんたの場合じゃスケールが違うだろう。ワシらは碓井教授のお墨付きもあってあんたを王と信じたんだ。その碓井先生の名前に泥を塗りたいのか?この雑誌にも書かれている、アンタが過去の王だったことを証明することなど何一つとてないと」
気付けば滝沢の態度が一変していた。そこには陽子の知っている、ただの偉そうな政治家のおじさんはいなかった。怖い。陽子は自分の心がひるむのを感じつつ、一方負けてなるものかと自分を鼓舞する。だってわたしは王に違いないんですもの!
「そんな、でも石碑が」
「あれはあくまでもフュオンティヌスという人物がいたことを証明するに過ぎない。フュオンティヌスイコールあんただって証明するものは何もない」
「でも、こうして記憶があるんだもの」
「なら証明してもらわないと。誰もがあんたを王だと信じる証拠を」
「それで富士山を爆発させろなんていうの?そんな無茶な」
うなだれる陽子を見て一転。今までの丁寧な態度をかなぐり捨て、ドスを効かせた滝沢の声が気味の悪い猫撫で声へと変わる。
「このままワシがここへの資金提供をやめたらアンタはどうなるのかわかってるんだろうな?」
「な、なんですか、わたしは王ですよ、なのに」
もはやそれは虚勢でしかないことを、誰よりも陽子が実感していた。確かにわたしはシャンポリオンの王だった、その記憶は間違いない、けれど立証する手立ては始めからなかった。それに追い打ちをかけるかのように、滝沢が恫喝の声を張り上げる。
「王だろうが何もできないじゃないかあんたは、え、違うか?ワシの用意してやった舞台でふんぞり返っているだけのただの女だ。それを追い出されて、今さらどうにかなると思っているのか?」
「でも、わたしを信じてくれてる人が」
だんだん陽子は弱気になってきた。ここを追い出される?それはひどく陽子にとって恐ろしいことだった。ここを出て、今さらどこに戻るというの?もうわたしの居場所は他にはないのに?
「信じる?ふん、こんな記事を書かれて、信者が減ったのはいくら馬鹿なお前でもわかるだろう」
その記事を滝沢が陽子に向かって投げつける。今回は距離が近かったこともあり、それは見事ソファにかけていた陽子の膝元に落ちてきた。
それを見て陽子は思いだす。手のひらを返したかのように陽子を崇め奉った夫と義母が、これまたこの記事をきっかけに、再度態度を翻したのだ。いわく、
「よくもだましていたな、偽物め」「やっぱりろくでもない女だったんだねあんた!」「勇樹が帰ってこないのもお前がたぶらかしたからだろう、この悪魔め!」「悪魔の子ともども、アタシらに二度と近づくんじゃないよ!」
唾を混じらせ汚く罵る二人の姿を、陽子はどこかぼんやりとしたところから見ていた。そもそも興味も失っていたのだ。本来の目的は果たせた。彼らを見返してやる、というその復讐は。だから今更何を言っているのだろう、ぐらいの感情しか浮かんでこなかった。
例え「お前のようなペテン師とは縁を切らせてもらう」と怒りをあらわに離婚届を出されても、悲しいとか、さみしいとか言う感情も浮かんではこなかった。あるのは漠然とした怒りだけだった。結局彼らはわたし自身を見てくれなかったのだ、という憎しみ。
その憎しみが陽子の口を開かせた。誰がなんと言おうと、わたしは偉大な王、フュオンティヌスだというのに!
「さっきから言わせておけば、失礼なことばかり!」
怒りの色を含ませた陽子の声にひるむことなく、滝沢はさらに怒気を上乗せしながら陽子に畳み掛ける。
「いい加減夢から覚めるんだな。けれど冷めたくないのならば一つだけ方法がある」
「夢だなんて」
「夢だろ、大昔の過去の記憶なんぞ」
「それはあなただって同じじゃない」
そこで滝沢の態度が一変、再び柔和なものへと戻った。
「ええ、そうですとも。ワシだってこのまま夢を見続けていたかった。王の偉大な力を知らしめて、この国を統治したかった」
「でも、わたしは……どうしたら自分が王だったかを証明すればいいかなんて」
「なに、富士の噴火方法はこちらでどうにかいたしましょう。それより王はただ宣言くださればいいのです」
「宣言?」
「わたしを王と崇めないものは皆、富士の業火に焼かれて死ぬであろう、と」
「ふうん、滝沢先生がそんなことをねぇ」
「どこまで本気なのかしら。本気だったとしたらわたし、どうすればいい?」
「べつに、あなたはフュオンティヌス王じゃあないか。騒がずどんと構えていればいい」
「けれど証明するものがないもの。そういう夢を見ますって?それじゃあ前のテレビみたいに否定されて終わりよ」
「それでもこれだけの人が優人会には集まってくれてるじゃないか」
「でも、それだって碓井さんの発見を信じてるから来てくれただけじゃない、わたしが王だってことを立証できたわけじゃない」
「今さらなにを言い出すんだ。立証できようができなかろうが、あなたはもう王なんだから、やっぱり違いましたなんて言えないだろう。たとえ誰かから中傷されようが、耐えるしかない」
「もしかして、碓井さんも疑っているの?わたしが本物の王じゃないかって。こんな主婦が王のはずないって」
「そんなことない、少なくとも俺の中のルクレティウスがフュオン王を見間違えるはずはないさ」
「でも、わたしが本物だって証明できなければ、碓井さんの顔に泥を塗ることにもなるだろうって」
「それは……まあ、そうだろうな。しかし俺には実績がある、実際に遺物を発掘するまでに至った。よほどあれらが偽物でした、なんてことがないかぎり信頼が揺らぐことはない。王が本物かどうかと俺自身は関係はないからな」
返した碓井の言葉には、どこか突き放したようなものを感じた。わたしをここまで連れてきたというのに?べつに、わたしがなんだろうと、どうしようとかまわないとも?
久しぶりに会えた晩だった。本当はこんな下らないことで言い争いなどしたくはなかったが、滝沢の投げ掛けた疑問は深く陽子を動揺させたのだった。碓井への信頼が揺らぐほどに。
まして、それを証明するために富士噴火の宣言をしろだなんて。
「しかし富士噴火か。大昔はともかく、今はそうそう噴火などするはずもないのに、どうしろって言うんだろうな」
同じく不毛な言い争いに疲れたのだろうか、碓井が着なれぬジャケットを脱ぎネクタイを緩めながら言った。
「確かにそろそろ来るぞとは言い続けられているが、ピンポイントで噴火を予測出来ないだろう。なにしろ今の技術力をもってしても、噴火と地震予測は骨が折れるんだと唐澤も言ってたしな」
「噴火の方法はこちらでどうにかする、って言ってもいたけれど」
「方法ねぇ。なんでもそういう兵器があるにはあるらしいが」
「兵器?」
「気象兵器ってやつだ。人工的に地震を起こしたりする」
「まさか、兵器なんて」
そんなこと信じられなかった。だってここは平和な日本よ。兵器なんて、核ミサイルとかそういうのでしょう?そんなの持つことは出来ない国ではなかったんじゃないの?
「しかしそれができたらさぞかし愉快だろうな。いいじゃないかフュオン王、富士を噴火させて自分の正しさを見せつけてやれば」
しかし陽子の困惑とは別に、帰ってきた言葉は想像を絶するものだった。
「ネアンデルタール以外がいなくなってくれれば、この国を取り戻しやすくなる」
「碓井さん?」
「だってそうだろう、現にサピエンスはネアンデルタールを駆逐してこの国を作ったんだ。歴史は繰り返すともいうじゃないか。同じことをされたって文句はないだろう」
「そんな、ネアンデルタールの血を引いていないから死ねだなんて、あんまりじゃない」
「王がそんなだったから奪われたんじゃないか、なあフュオンティヌスよ」
「なにを……」
「忘れたとは言わせない、あなたの抱いたサピエンスの女」
不意に憎しみを込められた瞳でにらまれ、陽子は思い出す。夢の中で抱いた赤い布を見にまとった女。赤子を抱き、悲しそうな目で戦いを見ていたその女。
それが、サピエンスの女だったっていうの?
「王がサピエンスに気を許したばかりに、あの国は奪われたのだとルクレティウスは記憶している」
まるで彼女がとりついたかのような表情から一転、瞳を閉じた碓井の顔はいつもの彼に戻っていた。
「……とはいえはるか昔のことだ。少なくとも今は、あなたに変な虫がつかないように気をつけているつもりなんですが」
そういって陽子に向けられた優しそうな眼差し。けれど陽子は、それを信じることができなかった。彼は――あの人は、碓井さんなの?それともルクレティウスそのものなの?
「せっかく現世でも出会えた王を、また誰かに奪われるのは嫌ですからね」
ネクタイをほどきながら近づく彼を、いつもの陽子ならなんの迷いもなく受け入れていたはずだった。むしろそれを常に望んでいたというのに。
「ごめんなさい、今日はちょっと……気分が優れなくって」
か細い声で陽子はこう言うのが精一杯だった。陽子を見つめる瞳の奥に、嫉妬に狂った女の影を見たような気がしたからだった。
それは単に自分の姿を映していただけだったのかもしれない。だってまさか、碓井さんのなかのルクレティウスに、あんな目で睨まれるはずがないじゃない。そう陽子は考え直した。いくら過去の縁があるとはいえ、碓井さんは碓井さんじゃない、こうして陽子を愛してくれた。
けれどそれは本当だったのだろうか。自分だって、自身が過去に王だったことに甘んじていやしなかったか。わたしを見てくれている、そう思いながらも、碓井がフュオンティヌスだけを見ていたのに気がついてやしなかっただろうか。
ゆっくり休んでくださいね、そう言い残し去っていく碓井を見送りながら陽子はうずくまっていた。気分が悪いのは本当だった。この選択を後悔しないと決めたのに。けれど足元がぐらぐらするような不安な気持ちで一杯だった。
碓井さん、あなたはわたしに、フュオンティヌスに富士噴火なんて恐ろしいことをして欲しいの?なにがそこまであなたを駆り立てるの?
あなたが平気で、人の死を願うような人じゃないと思っていたのに。
あなたは碓井瑛士?それともルクレティウス?わたしは……わたしは一体何者なの?
富士噴火をさせないわたしは王ではない、ならばわたしはあなたにとって必要な存在ではなくなってしまうの?そうして、あの冷たい目で捨てられてしまうのだろうか。
このあり得ない願いが届けられたのは、さんざんな結果を知らされた数日後だった。
妥当なところだろう。それが陽子の感想だった。
そりゃあみんなが思い描いたようになった方が碓井さんも喜んだだろうけど、なにせ王の記憶を取り戻したのがつい半年ほど前の話だ。そこからとんとん拍子にうまくいくはずないだろう。
仮にいくとしたらあまりに出来すぎだ。ただでさえ、あの遺跡からポコポコ物が出てくるのも出来すぎだったと言うのに。
事実それを疑う学者やマスコミもいたほどだ。優人会の神殿を建て始めた頃合いが一番ひどかった。けれどなぜだかは知らないが、それも急速に終息した。すっかりそれに安堵していたというのに、今度はわたしがさも悪いことをしているかのような記事を書かれてしまった。わたしはなにも悪いことなどしていないのに。
そう思っていたからそこまで世の噂など気に留めていなかった。この神殿にいる限り、彼女を崇めてくれる人間はたくさんいるのだ。けれど、あの記事がばら撒かれてからというものの、それも少なくなったような気がしてはいたが。
しかし意外にも碓井はさして落胆していないようでもあった。なに、言いたいやつらには言わせておけ。そのくらいしか感想はないようだった。それどころじゃない、とばかりに。
碓井は碓井でなにかしているようだった。それもそうだろう、発掘作業の指揮に調査、報告。さらには再びの考古学ブームに乗って、彼はどこでも引っ張りだこだった。たとえ陽子が叩かれようとも、けれど碓井自身は過去の権威を振りかざしているわけではない。王妃のおの字も出してやしないのだ。あくまでも今において、目覚ましい実績を上げている。それもあってか彼はこの一連の被害にさほど遭わずに済んだらしい。むしろ彼はあの女に良いように使われて、と同情すら寄せられているようだった。
一方残された陽子は、ボロクソ言われるわ放っておかれるわで、それはそれはつまらなかったのだけれど。
今にして思えば選挙の結果などどうでもよかったのかもしれない。他人事ながらそう思う。だってそうじゃない、滝沢修が衆議院選に受かろうが落ちようが、直接わたしがこの国を動かすわけでもないんだし。
どうせお飾りだったのだから。花瓶に挿された花が、部屋の主を熱心に応援すると思って?
だからこの突然の依頼には驚いた。いや、驚くというか、そもそも。
「無理に決まってるじゃありませんか」
落ち着いた声で陽子は滝沢を諭した。この小太りの政治家は、今日は黒崎を連れていなかった。いつもなら金魚の糞とばかりに後ろに長身の男を連れていたというのに。
かわいそうに、選挙で惨敗しておかしくなっちゃったのかしら。陽子は思う。だからお供も連れずに。連れてきてくれてれば、こんなバカなお願いを聞かされる羽目にならなかったかもしれない。
だって、いくら王とはいえ富士を操るなんて出来るわけないじゃない。当時、古富士は火山活動が活発でした。だからそれに合わせるかのように王が怒りを露にし、さも自分が操っているかのごとくに見せたのでしょう。碓井もそう言っていたではないか。
「いや、無理などではない。王ならばできるはずですぞ」
けれど滝沢は執拗に陽子に畳み掛けてくる。
「そんな。仮にできたとしてもダメですよ、そんな危ないこと。富士山が爆発なんてしたらここだって危ないじゃないですか」
「なに、噴火させる前に民を逃せばいいでしょう。おとなしく王に従うものは救われる」
「わたしが富士山を爆発させるから逃げなさいって?そんなの信じる人いるわけないじゃないですか」
「それが狙いですとも。信じる者は救われる。そういって流布した宗教だってあるんですぞ」
「でも、そもそもわたしにそんな力はないんですって」
困ったように陽子が返す。正直うんざりしていた。もうこれ以上、頭のおかしくなったおじさんの相手なんてしたくもないのだけど。
しかし存外に落ち着いた様子で、滝沢がそのねっちりとした唇を開いた。
「富士の噴火もできずに、あなたは本当にフュオンティヌス王なのか」と。
「え、なにを今さら。だってあなただってわたしに王の面影を見て集まってくれたんでしょう?こんな神殿まで建ててくれて」
「ええ、そうですとも。あなたが王だと碓井先生がおっしゃるので、それを信じたまでのこと」
「碓井先生を?」
「ええ。先生はご立派な方だ、若くして才能に溢れていらっしゃる。彼こそが王かと思いましたが、ご本人が自身は王妃だと仰ったのは驚きでしたとも」
「でも、わたしこそが王だって」
「それを証明できるものはありますかね?ないでしょう。ぼんやりとした記憶程度だ、違うかね?」
そう言って彼は例の雑誌を取り出した。陽子を偽物だと弾劾するつまらない記事。
「それは、そうだけど。でもみんなそんなもんじゃない。あなただって自分がタキトゥスだったって証明するなにかがあるの?」
「問題をすり替えないでもらおうか。ワシの場合とあんたの場合じゃスケールが違うだろう。ワシらは碓井教授のお墨付きもあってあんたを王と信じたんだ。その碓井先生の名前に泥を塗りたいのか?この雑誌にも書かれている、アンタが過去の王だったことを証明することなど何一つとてないと」
気付けば滝沢の態度が一変していた。そこには陽子の知っている、ただの偉そうな政治家のおじさんはいなかった。怖い。陽子は自分の心がひるむのを感じつつ、一方負けてなるものかと自分を鼓舞する。だってわたしは王に違いないんですもの!
「そんな、でも石碑が」
「あれはあくまでもフュオンティヌスという人物がいたことを証明するに過ぎない。フュオンティヌスイコールあんただって証明するものは何もない」
「でも、こうして記憶があるんだもの」
「なら証明してもらわないと。誰もがあんたを王だと信じる証拠を」
「それで富士山を爆発させろなんていうの?そんな無茶な」
うなだれる陽子を見て一転。今までの丁寧な態度をかなぐり捨て、ドスを効かせた滝沢の声が気味の悪い猫撫で声へと変わる。
「このままワシがここへの資金提供をやめたらアンタはどうなるのかわかってるんだろうな?」
「な、なんですか、わたしは王ですよ、なのに」
もはやそれは虚勢でしかないことを、誰よりも陽子が実感していた。確かにわたしはシャンポリオンの王だった、その記憶は間違いない、けれど立証する手立ては始めからなかった。それに追い打ちをかけるかのように、滝沢が恫喝の声を張り上げる。
「王だろうが何もできないじゃないかあんたは、え、違うか?ワシの用意してやった舞台でふんぞり返っているだけのただの女だ。それを追い出されて、今さらどうにかなると思っているのか?」
「でも、わたしを信じてくれてる人が」
だんだん陽子は弱気になってきた。ここを追い出される?それはひどく陽子にとって恐ろしいことだった。ここを出て、今さらどこに戻るというの?もうわたしの居場所は他にはないのに?
「信じる?ふん、こんな記事を書かれて、信者が減ったのはいくら馬鹿なお前でもわかるだろう」
その記事を滝沢が陽子に向かって投げつける。今回は距離が近かったこともあり、それは見事ソファにかけていた陽子の膝元に落ちてきた。
それを見て陽子は思いだす。手のひらを返したかのように陽子を崇め奉った夫と義母が、これまたこの記事をきっかけに、再度態度を翻したのだ。いわく、
「よくもだましていたな、偽物め」「やっぱりろくでもない女だったんだねあんた!」「勇樹が帰ってこないのもお前がたぶらかしたからだろう、この悪魔め!」「悪魔の子ともども、アタシらに二度と近づくんじゃないよ!」
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例え「お前のようなペテン師とは縁を切らせてもらう」と怒りをあらわに離婚届を出されても、悲しいとか、さみしいとか言う感情も浮かんではこなかった。あるのは漠然とした怒りだけだった。結局彼らはわたし自身を見てくれなかったのだ、という憎しみ。
その憎しみが陽子の口を開かせた。誰がなんと言おうと、わたしは偉大な王、フュオンティヌスだというのに!
「さっきから言わせておけば、失礼なことばかり!」
怒りの色を含ませた陽子の声にひるむことなく、滝沢はさらに怒気を上乗せしながら陽子に畳み掛ける。
「いい加減夢から覚めるんだな。けれど冷めたくないのならば一つだけ方法がある」
「夢だなんて」
「夢だろ、大昔の過去の記憶なんぞ」
「それはあなただって同じじゃない」
そこで滝沢の態度が一変、再び柔和なものへと戻った。
「ええ、そうですとも。ワシだってこのまま夢を見続けていたかった。王の偉大な力を知らしめて、この国を統治したかった」
「でも、わたしは……どうしたら自分が王だったかを証明すればいいかなんて」
「なに、富士の噴火方法はこちらでどうにかいたしましょう。それより王はただ宣言くださればいいのです」
「宣言?」
「わたしを王と崇めないものは皆、富士の業火に焼かれて死ぬであろう、と」
「ふうん、滝沢先生がそんなことをねぇ」
「どこまで本気なのかしら。本気だったとしたらわたし、どうすればいい?」
「べつに、あなたはフュオンティヌス王じゃあないか。騒がずどんと構えていればいい」
「けれど証明するものがないもの。そういう夢を見ますって?それじゃあ前のテレビみたいに否定されて終わりよ」
「それでもこれだけの人が優人会には集まってくれてるじゃないか」
「でも、それだって碓井さんの発見を信じてるから来てくれただけじゃない、わたしが王だってことを立証できたわけじゃない」
「今さらなにを言い出すんだ。立証できようができなかろうが、あなたはもう王なんだから、やっぱり違いましたなんて言えないだろう。たとえ誰かから中傷されようが、耐えるしかない」
「もしかして、碓井さんも疑っているの?わたしが本物の王じゃないかって。こんな主婦が王のはずないって」
「そんなことない、少なくとも俺の中のルクレティウスがフュオン王を見間違えるはずはないさ」
「でも、わたしが本物だって証明できなければ、碓井さんの顔に泥を塗ることにもなるだろうって」
「それは……まあ、そうだろうな。しかし俺には実績がある、実際に遺物を発掘するまでに至った。よほどあれらが偽物でした、なんてことがないかぎり信頼が揺らぐことはない。王が本物かどうかと俺自身は関係はないからな」
返した碓井の言葉には、どこか突き放したようなものを感じた。わたしをここまで連れてきたというのに?べつに、わたしがなんだろうと、どうしようとかまわないとも?
久しぶりに会えた晩だった。本当はこんな下らないことで言い争いなどしたくはなかったが、滝沢の投げ掛けた疑問は深く陽子を動揺させたのだった。碓井への信頼が揺らぐほどに。
まして、それを証明するために富士噴火の宣言をしろだなんて。
「しかし富士噴火か。大昔はともかく、今はそうそう噴火などするはずもないのに、どうしろって言うんだろうな」
同じく不毛な言い争いに疲れたのだろうか、碓井が着なれぬジャケットを脱ぎネクタイを緩めながら言った。
「確かにそろそろ来るぞとは言い続けられているが、ピンポイントで噴火を予測出来ないだろう。なにしろ今の技術力をもってしても、噴火と地震予測は骨が折れるんだと唐澤も言ってたしな」
「噴火の方法はこちらでどうにかする、って言ってもいたけれど」
「方法ねぇ。なんでもそういう兵器があるにはあるらしいが」
「兵器?」
「気象兵器ってやつだ。人工的に地震を起こしたりする」
「まさか、兵器なんて」
そんなこと信じられなかった。だってここは平和な日本よ。兵器なんて、核ミサイルとかそういうのでしょう?そんなの持つことは出来ない国ではなかったんじゃないの?
「しかしそれができたらさぞかし愉快だろうな。いいじゃないかフュオン王、富士を噴火させて自分の正しさを見せつけてやれば」
しかし陽子の困惑とは別に、帰ってきた言葉は想像を絶するものだった。
「ネアンデルタール以外がいなくなってくれれば、この国を取り戻しやすくなる」
「碓井さん?」
「だってそうだろう、現にサピエンスはネアンデルタールを駆逐してこの国を作ったんだ。歴史は繰り返すともいうじゃないか。同じことをされたって文句はないだろう」
「そんな、ネアンデルタールの血を引いていないから死ねだなんて、あんまりじゃない」
「王がそんなだったから奪われたんじゃないか、なあフュオンティヌスよ」
「なにを……」
「忘れたとは言わせない、あなたの抱いたサピエンスの女」
不意に憎しみを込められた瞳でにらまれ、陽子は思い出す。夢の中で抱いた赤い布を見にまとった女。赤子を抱き、悲しそうな目で戦いを見ていたその女。
それが、サピエンスの女だったっていうの?
「王がサピエンスに気を許したばかりに、あの国は奪われたのだとルクレティウスは記憶している」
まるで彼女がとりついたかのような表情から一転、瞳を閉じた碓井の顔はいつもの彼に戻っていた。
「……とはいえはるか昔のことだ。少なくとも今は、あなたに変な虫がつかないように気をつけているつもりなんですが」
そういって陽子に向けられた優しそうな眼差し。けれど陽子は、それを信じることができなかった。彼は――あの人は、碓井さんなの?それともルクレティウスそのものなの?
「せっかく現世でも出会えた王を、また誰かに奪われるのは嫌ですからね」
ネクタイをほどきながら近づく彼を、いつもの陽子ならなんの迷いもなく受け入れていたはずだった。むしろそれを常に望んでいたというのに。
「ごめんなさい、今日はちょっと……気分が優れなくって」
か細い声で陽子はこう言うのが精一杯だった。陽子を見つめる瞳の奥に、嫉妬に狂った女の影を見たような気がしたからだった。
それは単に自分の姿を映していただけだったのかもしれない。だってまさか、碓井さんのなかのルクレティウスに、あんな目で睨まれるはずがないじゃない。そう陽子は考え直した。いくら過去の縁があるとはいえ、碓井さんは碓井さんじゃない、こうして陽子を愛してくれた。
けれどそれは本当だったのだろうか。自分だって、自身が過去に王だったことに甘んじていやしなかったか。わたしを見てくれている、そう思いながらも、碓井がフュオンティヌスだけを見ていたのに気がついてやしなかっただろうか。
ゆっくり休んでくださいね、そう言い残し去っていく碓井を見送りながら陽子はうずくまっていた。気分が悪いのは本当だった。この選択を後悔しないと決めたのに。けれど足元がぐらぐらするような不安な気持ちで一杯だった。
碓井さん、あなたはわたしに、フュオンティヌスに富士噴火なんて恐ろしいことをして欲しいの?なにがそこまであなたを駆り立てるの?
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夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
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突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
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