主婦、王になる?

鷲野ユキ

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彼の正体

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いくら電話を鳴らしたところとて、主は一向に出る気配がなかった。まだなにか仕事をしているのか、それとも疲れて眠ってしまったのか。
ベッドを借りている身としては言いづらいが、ソファで寝るのはやめた方がいいのに。あんな狭いところで寝て、疲れが取れるものか。
だから自分がいない日ぐらいゆっくりと眠ってくれてればいいが、と願う唐澤は富士吉田キャンパスにいた。
先日碓井にああは言ったものの、彼とて受け持っている授業のひとつや二つだってあるのだ。さすがに毎週休講では悪いかと思いきや、久しぶりに見た学生らは実に不満そうな顔もちで席についていた。いや、それくらいならまだいい方だ、あからさまにスマホをいじるもの、居眠りするもの。高い学費を払ってまでしたいことなのかね、内心唐澤は思わずにいられない。
だがまあ、金を払っているのは彼ら、もしくは彼らの親だからどうだって構わない。学校の名誉を傷つけない程度には弁えていて、金を落としてくれればなんでも。
けれども浜北キャンパスで参加した碓井の講義のなんと活気のあったことだろう。確かに彼と自分では、明らかにランクが違うのは自分でもよく分かっている。かたや教授に、自分は一介の講師にすぎない。学生にとってはどれも先生だろうけれども、案外大学というものはヒエラルキーの明確な場所なのだ。いやまあ、大学に限らずどこの世界もそうなのだろうけれど。
とは言え唐澤とて熱心に教鞭を振るいたくて富士吉田まで戻ってきたわけではなかった。碓井に「ちょっと富士山について調べてくれ」と依頼され、こうしてその麓まで戻ってきたわけである。
これでも地質学者の端くれだ。今さら富士山について俺になにを調べろと、と唐澤が問い返せば、「シャンポリオンにおいて、富士は信仰の象徴だったはずだ。カラシャールの記憶と絡めて洗い直してくれ」ときたものだ。
カラシャールの記憶ねぇ。だいたい彼は人間の記憶などもともと当てにしてなどいなかった。平気で間違って記憶する。その点、地層は嘘をつかない。いや、つきようがない。その明快さ以外を求められても困る。
そもそも、一万四千年前あたりは火山活動が活発だったはずだ。そのころに、その膝元のここ静岡で高度な文明が発達などするものなのだろうか。それに、太古の富士は今のような偉大さを持っていただろうか。現在の形の新富士に近づくのは、わずか9千年ほど前。それまでは古富士と呼ばれる、高さもさほどないただの忌まわしい火山だったはずなのだけれど。
だが碓井は、その火山を操る力が王にはあったはずだ、などとのたまう。ひとたび王が大地を踏みしめれば、地は揺れ火山が炎を上げるのだ、と。神様じゃあるまいし、そんなことできるはずがないだろう。ましてその痕跡がどこかに残っているはずなど。
確かに火山活動の活発な頃合いだ。敏感な人間ならば、多少の振動などを体感で感知したのかもしれない。鳥や獣が地震の前に移動するとか言うアレと一緒だ。そして、それをさも自分がしているかのように振る舞った。それだけのことだ。
調べるつもりなど唐澤には端からなかったが、それでもそれなりの資料を提示しなければ碓井は納得するまい。そう考え資料室で探し物をしていたからすっかり遅くなってしまった。自分の荷物と講義の資料を片付けて準備室を後にするころには、夜空に星がまたたいていた。
悲しいかな、一介の講師に過ぎない自分には教授室など与えられない。彼はあくまでもただの学者で、数本論文を学術誌に載せてもらえただけの嘱託講師だった。厳密に言えば、ここ静岡東海大学の教員でもない。ある人物の口添えを得て、職にありついている有様だ。
まだ七時だ。遅いというには早い気もするが、いかんせん大自然豊かなこの地ではあたりはしんと静まり返ってしまっている。学生ももうほとんどいないだろう。学校に残っていたって周りには何もないのだ。金曜の夜。楽しい気分で過ごすために、彼らは都市部を目指して早々に出て行ったはずだった。残っているのはよほど熱心な人間か、自分のように要領の悪い人間くらいか。
今日はそっち行かないから、ちゃんと飯食って風呂入ってベッドで寝ろよ。そう伝えたかっただけではあるのだが、鳴らした電話に出てもらえないというのもなんだかさみしいものだった。折り返し電話が来るかもしれない。そんな期待を持ってチラチラとスマホを見てしまう自分が女々しくて情けなくなってきた。
何度ついたかわからないため息を吐き、あのわびしい自身のアパートに帰るべく準備室の扉を開けば、人けのない廊下からカツン、カツンという靴音が聞こえてきた。誰だろう、こんな時間に。
幽霊に怯える歳でもないし、田舎とはいえこのキャンパスは出来たばかりの浅築だ。そりゃまあ樹海がそこそこ近いから死んだ人間はたくさんいるのかもしれないが、けれども生きている人間などより死人の方が多いのだ。それにいちいち怯えていたらキリがない。
大方警備の人間だろう。そう思って扉の先を見れば、遠目からでもよくわかる仕立てのよいジャケットに、ご丁寧にベストまで着込んだ40代くらいの眼鏡の男が歩いてくるのが見えた。しかも銀縁。これで教授なんですなどと紹介でもされようなら、なにを専攻しているのかわかりかねる出で立ちだった。
確かに賢そうには見える、柔らかな笑みも、教養の深さを感じられるような。
けれども唐澤はこの男がうさん臭くてたまらなかった。まるで、嫌味なインテリヤクザみたいな恰好じゃないか。赤い派手なネクタイなんざしやがって。それは身なりの良さへの嫉妬だったかもしれないが、けれども見た目が気に食わないからと無視してよい相手でもなかった。
「やあ先生。遅くまでご苦労様です」
その男が、まるで旧知の間柄かのように、親しい笑顔を向けて唐澤に声をかける。
「……いえ、少し調べ物をするのに手間取ってしまいまして」
「調べるのもお仕事のうちでしょう。いや、大変ですね、先生も」
「先生だなんて、そんな。ただの雇われ教員です」
「でもそれでも碓井先生のおそばで、一緒に偉大な過去を調べることができる。素晴らしいことじゃないですか。私もあなたをこの大学に紹介した甲斐があるというものです」
「それは、その。感謝しています。ありがとうございます」
何を隠そう、この男こそが唐澤を拾い上げてくれた人間の一人だった。この大学の、うだつの上がらない教授の、しがない助手でしかなかった彼を、仮とはいえ教壇に立たせるまで引き上げてくれた人物。黒崎兼人。この大学のOBだからという理由だけで出資してくれている寛大な資産家。
黒崎は、碓井の発掘研究のスポンサーでもあった。そして、覚醒者でもあるのだと、いつだったか碓井が嬉しそうに言ってやいなかったか。
「いやあ、実は唐澤先生も覚醒者だとは驚きでした。なぜ早く言ってくれなかったのですか」
「その話、どこから」
「もちろん碓井先生からですよ。彼が嘘をつくはずありませんからね。さすが見込んで出資しただけあります。作業の方も順調なようで。それに、かのフュオン王をも見つけ出したとは。いや、さすがはルクレティウス妃だ」
「そうですね、毎日クタクタになるまで働いているようです」
「それはいけない、先生にはお身体を大事にしていただかなければ。もちろん唐澤先生もですが」
「ええ、ありがとうございます……。で、黒崎さんは何か……会議か何かのお帰りですか?でしたら、エレベーターはこちら側じゃなくてあっちにありますが」
正直、恩があるとはいえ唐澤はこの男とあまり関わり合いにはなりたくなかった。粕川のそれともちがう、すべてを見透かしたような細い目。あの目で見られると、なんだか蛇に睨まれているような気持ちがしてくるのだ。
「やけにそっけないじゃあないですか、私はわざわざあなたに会いに来たのですよ。同じ覚醒者同士、助け合っていかなければ。そうそう、名乗るのが遅くなりましたね。私はシャンポリオンにおいて、今の役所の務め人の真似事をしておりましたクローヴィスと申します」
けれども唐澤の願いはかなわなかった。ことさらに親しみをのせ、朗らかに黒崎が右手を差し出してきた。どうやら、過去の自分の名を名乗れと言うことらしい。
「え、ああ、その……俺は、ただの平民だったと思います。カラシャールです」
仕方なしに唐澤は手を差出しそう名乗った。仕方がない、相手は大切なスポンサーだ。ないがしろにするわけにはいかない。そう思い投げやりに差し出した手を、思いのほか強い力で捕まれて唐澤は困惑する。
「カラシャールさん、ですか。どこの地区にお住まいで?」
「え、地区?」
「ご存じない?王は民を管理するために、居住区ごとにわけて戸籍を登録されていたのです。そう、その作業を行う役人なものでしたから、どこの地区にお住まいかわかれば思いだすかと。カラシャールさんのことを」
「その、皆みたいに明瞭には記憶を思い出していなくって。だって王とか役人ならともかく、何の取り柄もない大昔の人物の記憶なんて」
「取り柄がないだなんて、そんな。王の民であるだけで偉大なことではありませんか。なにせ我々は現生人類なぞよりはるかに賢かったはずなのですから。誇りを持ちましょう?ねえ、あなたが本当にネアンデルタールの血を引いているのならば」
そう言って黒崎はつかんだ唐澤の手を離した。まるで汚いゴミを捨てるかのように。
「こうやって、捨てられたくなければせいぜい碓井先生のお役にたてるよう頑張ってくださいね。そうそう、文献なんぞが見つかれば信ぴょう性も高まるんですが」
「そんなこといわれても、そうそう都合のいいものが見つかるわけ」
「なに、今までだって見つかってきたじゃないですか。期待していますよ、唐澤先生。たとえどんな方法をとろうとも、あなたは彼の元を離れたくないんでしょうから」
そうにっこり笑いながら言い放つと、黒崎は先ほど唐澤が案内したエレベーターの方へ靴音を響かせながら歩いて行った。
握られていた手がひどく汗ばんでいたことに気が付いた。いや、手だけじゃない。この涼しい季節に全身が汗だくだ。命の危機に瀕したカエルは、こうも身動きが取れないものか。
黒崎は、俺の正体に気が付いている。そうとしか取れなかった。なぜ?だが、どこまで知っている?
ひどく胃が重くなるのを感じた。童話の中の獣のように、土石を無理やり胃に押し込まれたかのような。
少なくとも碓井にだけは知られるわけにはいかなかった。
知られたが最後、彼とはもう一緒にいられまい。何かを祈るかのように、彼は折り返しのかからない携帯電話を両手で包んだ。いっそ、言ってしまえば楽になれるのだろうか。
しばらくの逡巡ののち、彼はゆるゆると首を振って目を開く。もう、いずれにせよ戻ることなど出来ないのだ。それほどのことを自分はしてしまっていた。残されているのは、この道をこのまま走りきることだけだ、息が絶えるまで。
たどり着いた車の中で、彼は肺の中の空気をすべて吐き出した。このままここにいても仕方ない。静かにエンジンをかけると、唐澤はキャンパスを後にした。
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