主婦、王になる?

鷲野ユキ

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夢の女

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昨晩陽子はあまり眠れなかった。夫のイビキがうるさかったのもある。ようやく寝付けたと思ったら、明け方目覚ましで叩き起こされたせいもある。
それとは他に、夢を見ていた。昼夜問わず不意に浮かび上がってくる断片的な王としての記憶だが、どうも夢で見るほうがディティールが細かいようだった。あまりにリアルで、夢であることを忘れるほどに。それもそうなのだろう、これらは夢物語ではなく確かにあった過去なのだから。
そのなかで、フュオンティヌスこと陽子は女を抱いていた。
ルクレティウスではない女性。その女にフュオン王は覆いかぶさり、本能のままに腰を振っている。組み敷かれた白い裸体は赤い布を纏っただけ。しかしそれもどこを隠すとでもなく、その色味が余計欲情を誘うだけだった。
息づかいが聞こえるようだった。そして、ひどく興奮していることもまるで自分の身体かのように感じた。無意識なのだろうか、王の腰が浮き、振動は激しくなる。
その振動にあわせて揺れる豊かな胸。思わず手を伸ばし、王がその胸を揉みしだけば、女が泣き声をあげた。そして、脳内に広がる白。快楽物質が駆け巡り、自身が絶頂に達したことを理解する。残ったのは倦怠感。そこで目が醒めた。
どういうこと?
フュオンの記憶と混濁しつつも、陽子は嫌悪感も露にこう思う。女のわたしが女を抱いてる夢?仮に欲求不満だとしてもいただけない。しかも相手はルクレティウス王妃ではないだなんて。
そしてこの女は何者だろう。勇樹が夢に見た女なのだろうか。変なことを言うから、その女が夢に出てきてしまった。
でも子供は?まさか、フュオンとの間の子供とかじゃないでしょうね、だって現に偉大な王さまは、どこかの女とこうやって堂々と浮気してるんですもの!
こんな過去をまざまざと見せられて、のんきに寝ていられる訳がなかった。
この過去を、碓井は、いやルクレティウスは知っているのだろうか。いや、でも遥か昔のことだもの、しかもわたしは王さまだ。王妃の他にたくさん女をはべらかせていたかもしれないじゃない、だって王の血を残すことこそが重要視されるような世界じゃない、いつの時代も王族なんて。
それでも、今現在女である陽子は不安を隠しきれない。あの女は泣いていた。そんな、女を子供を産む家畜や快楽を得る道具みたいに扱うなんて。なんて非人道的な王なのだろう、過去のわたしは。許せない、そんなわたしにルクレティウスは、いや碓井はそれでも優しく接してくれるのだろうか。
彼がこの過去を思い出さなければいいが。陽子はそう願わずにはいられなかった。

発掘作業は順調だった。はじめの方こそ損害を懸念していたボランティアも、実に皆丁寧に作業をしてくれている。なかには弁当目当てのホームレスなどもおり臭いだのと苦情が寄せられたが、誰もが同じ目的を持っていたからだろうか、そのうち文句もなくなっていった。つまり、自分たちの優位性を示すために。
そして、まことしやかに流れるはかつての王国、シャンポリオンの噂。
どうやらボランティアのなかにも覚醒者がいたようで、誰これ構わずシャンポリオンの栄光を吹聴して回るものだから広まるのはあっという間だった。そして、どうやら陽子がその国の王の記憶を持つことまでもが、広く人々に伝わっているようでもあった。
碓井とて、まさか夢の話が独り歩きするのを良しとはしていなかった。まずは唐澤や粕川に念押しされたように過去の文明を明らかにするところから。そう思っていた矢先にぞくぞくと共通の過去を記憶するものが現れ、発掘作業にどんどん協力してくれている。願わずして得られた賛同者の存在は、碓井により自信を与えたのだった。やはり、かの国を再建し、この行き詰まったサピエンスの支配から脱却すべきだろう、と。
幸いなことに、そう考えたのは碓井だけではないようだった。唐澤が捕まえた大学の経営陣のスポンサー。唐澤いわく、厳密に言えば実際運営をしている人間ではなく、資金を提供してくれている大学OBの資産家なのだと言う。礼を述べに一度その黒崎と言う人物に会いに行けば、「お噂はかねがね……」とはじまり、「実はわたしもクローヴィスという名の官史だったのですが、ルクレティウス王妃殿」と来たものだ。
まさかの再会に感動の声をあげる碓井に、その身なりの良い、質の良さそうなスーツに細身の身体を包んだその男は、彼の知り合いの政治家を案内してくれた。
その政治家も過去の記憶を持つもので、今のこの国の現状を憂いているのです、と。
まさに渡りに船だった。すべてが自分の思うように動いている。すでに王も掌中にある。遥か昔のように、あの女に奪われてなるものか。

大学教授だなんて大層なご身分のわりに、碓井の生活はいたって質素だった。いかに自身のなかにルクレティウス王妃がいるとはいえ、今の彼は男だ。一般的な世の男性独り暮らしと変わらぬ殺風景なマンションの一室に疲れた身体を運べば、すでに先客がいた。残念ながら彼女などではない。幼馴染みの唐澤だった。
「遅かったな、碓井先生」
「ああ、大学に報告書を出さなきゃならなくてね」
「冷蔵庫なにも入ってなかったから適当に入れといたぞ。ほとんど処理して冷凍してあるから、温めて食え」
「いつもすまんな」
「まあ、ホテルに泊まるより安いからな。宿泊費の代わりだと思えば」
「発掘に駆り出してるのは俺なんだから、気なんか遣わなくていいのに。それより、吉田キャンパスのお前の授業は大丈夫なのか?」
本来唐澤は理系のある富士吉田キャンパスの教員だ。それをわざわざ史学科のある浜北キャンパスに連れ出しているのだから、当然向こうには穴が開くはずである。だが、
「地質学なんてもともと人気の講義でもないからな。それより話題のこっちで史学と絡めて講義したほうが受けがいいんだ」
と唐澤は気にするそぶりもない。
「それより風呂入ってこいよ、お前土ぼこりに汗まみれで汚い」
まるでわが家のように、唐澤が冷蔵庫からビールを取りだしゴクゴク飲みながら碓井に言い放つ。
「ずるい、それ俺が飲もうと思ってたやつ」
「たくさん買ってきてあるから風呂あがりまで我慢しろ」
「はいはいわかりました、ったくお前は俺のお母さんかよ」
「こんなでかい息子を持った覚えはないんだがな」
唐澤の悪態を背に受けつつも、それでも彼の好意をありがたく頂戴して風呂場へと向かう。どうやら湯も新しく入れ直してくれたようだった。
ほんと、これじゃあ友達通り越して母親じゃないか。
唐澤との付き合いはそこそこに古い。碓井は湯に浸かりながらぼんやりと思い出す。あれは中学校入学の頃だろうか。入学式が終わってまだ間もない、転校するには変な時期にここ静岡の中学校に現れたのが彼だった。
思えば、あの頃から生白くてひょろっとしているのは変わらない。だがその見た目に反して、唐澤は実に意思の強いやつだった。
変な時期に現れたこの人物に、多感な生徒らは自分等とは違うなにかを感じたのかもしれなかった。つまり、自分等と違うものは排除せよという意識を。
机のなかにゴミをいれたり、上履きを隠したり。そんなのただの子供同士のいたずらでしょう。教師らがまったく取り合わない中、傍観の姿勢を取っていた碓井は、それでも泣くのをこらえる唐澤に興味を示してこう聞いたのだった。「あんなことされて悔しくないのか?」
するとその少年は平然と返すではないか。「べつに、自分のことは自分が一番わかってればいいんだ」と。その実表情は半べそながらであったものの、そう言い切れる唐澤少年に漠然と憧れを抱いたのだった。
それからただの傍観者でしかなかった碓井は唐沢を擁護するようになった。彼は切れ者で、すでにその頭角を顕していたのだが、見事その舌戦によってクラスの生徒たちを鎮圧した。事実彼はクラスの人気者だったのだ、その彼の言うことを聞かないものがいるはずがなかった。
それ以来、唐澤とは高校も同じ進学先で、とはいえさすがに大学までも同じとはならず一時疎遠になっていた。しかし碓井の在籍する東大に、偶然講義を拝聴しに来た唐沢に再会した時は驚いたものだった。確かに幼い頃から碓井は考古学に興味があったが、まさか唐澤までもがそうだとは思っていなかったのだ。
だから碓井は初めて唐澤に告げた。自分の最近見るようになった夢の話を。あれは大学内に保管された、古代の骨に触れた時からだったかもしれない。夢と言い切るにはやたらと鮮明な、ルクレティウスのその姿。その彼女がこうささやく。シャンポリオンを見つけ出せ。さすれば近しい者らが目を覚ます、と。
その話を唐澤は否定などしなかった。それ以来、こうして碓井に協力してくれている。だがまさか同じ大学の教員になるとまではさすがに碓井は思ってもみなかった。
あるいは。以前唐澤はこう言っていたではないか。「カラシャールは、ルクレティウスに恋い焦がれていた」とも。
もしかしたら彼はその記憶につられているのかも知れなかった。覚醒前から無意識下で過去の記憶に突き動かされていたのだろう。こうして甲斐甲斐しく自分の身の回りの世話をしてくれるのも、俺の夢をバカじゃないかと一蹴せずに一緒に追いかけてくれたのも。そうでなければ不自然だ。
だがさすがに、憧れのルクレティウスが男に生まれ変わってしまって、さぞかし落胆してるだろうけれど。悪いことしたかなぁ、けれど生まれ変わり先は選べないようだから仕方があるまい。あの王がまさかの主婦に成り果てていたように。
汚れをすっかり落として部屋に戻れば、ビール片手に学術誌を熱心に読んでいた唐澤が急になにかを思い出したかのように慌ただしく口を開いた。
「そうだ碓井、今日ここ来る途中に怪しい婆さんに声をかけられたんだが知ってるか?」
「婆さん?」
同じく冷蔵庫から待望のビールを出しながら碓井がおうむ返しに聞き返せば、
「なんつーっか、いかにも怪しい占い師みたいな。自分のことを呪術師ロロとか名乗ってたが」
「ロロ?」
「ああ、例の過去の登場人物じゃないのか?なにしろ俺は一般市民だったから、そういう主要キャラには疎いんだ」
「呪術師ねぇ。まあ時代が時代だ、そういう力を語って政治を執っていたとも考えられるが」
「で、その婆さんがお前に伝えろってうるさいんだ。ええと、アナ……うんアナトリア、だ。アナトリアには会ったかい?とか」
その名を聞いた途端、碓井はビールを飲む手を止めてしまった。
「どうした?なんか重要ワードなのか?アナトリアって」
「ああ、恐らくシャンポリオンを滅ぼす要因になった女だ」
途端、碓井の顔つきが固いものへと変わった。
「そいつが?」
「ああ、俺……いや、ルクレティウスからフュオンティヌスを寝取った女だよ」
「へえ、あの王さま堂々と浮気なんてしてたのかよ」
「仕方がないとは思う、血を残すことも王の仕事だ。だが、アナトリアはネアンデルタールではなかった。そのころ朝鮮半島から本州に渡ってきたサピエンスだったんだ」
「ええと、お前の言う理論だと、チンパンジーとオラウータンが交わったってこと?」
「そうなるな。恐らく王の目論みとしては、どんな形であれ血を残すべきだと判断されたのだろう。あの頃氷河期は厳しさを増し、食べ物も少なくなってきていた。より環境に適して生存していくための策略だったのかもしれん」
「じゃああれか、フュオンティヌスはシャンポリオンの最後の王だったんだな」
「ああ、だからこそ、再び豊かなあの国を王にお見せしたかったのだが……だがやはりアナトリア、ここでも邪魔をしてくるか……」
「邪魔って。そうと決まったわけじゃないだろ。怪しい婆さんが意味深に名前を伝えに来ただけじゃないか」
「だがそれも意味が分からない。ロロという婆さんは味方なんだろうか?味方なのなら、気をつけろと注意しに来てくれたことになる」
「味方って。じゃあ敵は誰だ?アナトリア率いるサピエンスってか?冗談じゃない、いまの日本、いや日本だけじゃない、この世界はサピエンスら新人類で構成されてんだぞ。その論理で言ったらほとんどの人間が敵になっちまうじゃないか」
「可能性はなくはない。下手をしたら、ネアンダールの台頭を快く思わない現行人類がかつての裏切者を筆頭に、我々を再び滅ぼしにかかってくるかもしれん」
「まさか。考えすぎだろ。仮にアナトリアの記憶を持つものが現代に現れたからって大昔と同じことをするか?そいつにはそいつの人生があるんだし、わざわざ王の記憶をもつ陽子さんをたぶらかして陥れるとは限らないだろ」
「でも、お前だってカラシャールの記憶があるから、ここまで俺を手伝ってきてくれたんじゃないのか?」
「それは……まあ、そう、だな」
「そうだろ、じゃなきゃ地質学者なんてマニアックな学者にまでなって俺に協力したりなどしないだろ」
「悪かったな、マニアックで」
「とにかく、王を魔の手から守らなければ……」
そう呟いたっきり、碓井は押し黙ってなにかを考えはじめてしまった。唐澤を置いて。
はっきり言って、なぜそこまで彼が過去に固執するのかが唐澤にはわからなかった。過去は過去。今の自分は今の自分。それでいいではないか。
けれども唐澤にはそう声を大にして言えない理由もあったので、そろそろとリビングを出て寝室へと向かう。本来ソファで寝るべきは半居候の自分だろうに、けれども神経質で横にならなければ寝られない唐澤を気遣って、碓井はベッドを貸してくれている。なに、自分はソファでも寝られるからな。確かに教授室でソファで寝落ちしている姿を何度も見ているので、唐澤はその恩恵をありがたく頂戴することにしていた。
そういうさりげない優しさや、自身の目標を失わない芯の強さ。そういったところに、俺はただ憧れていただけなはずだったのに。
いや違う、すべてはカラシャールがそう思っていたからだ、ルクレティウスに対して。だから、そう思っててくれてほうが都合がいい。俺の気持なんて。いや違う、そもそもこれは俺の気持などではないのだから。
その晩、唐澤は夢にあの国が出てくれることを祈って眠りに落ちた。
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