主婦、王になる?

鷲野ユキ

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運命?

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栄光義塾。某大手の塾の名前を継ぎ足したようなその名の塾は、その実個人経営の質素な塾だった。だが時折名前を間違えて入塾させる親がいて、粕川理央の雇い主である塾長は笑いが止まらないという。
それは詐欺なのでは。そう思わなくもない粕川だったが、それでもこの塾に通う生徒の進学率はなかなかに良く、騙されたと思った親もそれに安心して子供を通わせている。それゆえ、実力なしには名乗れない大層な名前の塾なのである。
その栄光義塾は個人授業を売りにしており、とはいえさすがにマンツーマンでは人件費の都合で月謝がどうしても高くなるのを嫌って、三人に一人の教師がつくタイプの塾なのだが、その粕川の受け持つ歴史の授業に今日も楠木勇樹は現れた。部活帰りなのだろうか、黒の詰め襟に、ほのかに思春期特有の汗臭さをにじませて。
「あ、粕川先生。よろしくお願いします」
「はい、お願いします」
とにかく悪ふざけしたい盛りの中学生とは思えない礼儀正しさだった。なるほど、親の教育がいいのかもしれない。さすが王なだけあるわね、粕川はそう思いながらテキストを開く。
「じゃあ今日は、アメリカ独立革命から」
「はーい。なんか似た名前の人がいて覚えづらいんだよね、なんとか二世とか」
彼が得意とするのは数学で、次に理科、国語と続く。ならば理系に特化した高校を受ければいいものの、彼なりに遠慮するところがあるらしく「高校卒業したら公務員になりたいからバランスよく勉強しとかなきゃダメなんだよね、特に暗記系とか」という理由で世界史を選択したらしい。果たして彼が高校卒業の頃も、公務員が安泰な職業かどうかは〈王の目〉である粕川にも皆目見当はつかなかったが。
「まあね。確かにテストに出るのはそういう暗記系のことばかりだけど、全体の流れをつかめば面白くなると思うから。自分がその時代にいたと思って考えれば」
「ええ、こんな時代に?せいぜい俺なんて植民地で働かされてた奴隷とかでしょ」
「でもそう思えば、なんで自分はこんな理不尽な目に遭ってるんだろう、誰のせいだろう、どうすればいいんだろうって考えるでしょ?で、実際行動を起こした人たちがその時代にはいるんだから」
「そう言われてもなぁ……」
「ねえ、楠木君はそんな風に考えたことない?例えば、今の自分ではない誰かのことを夢に見たりだとか」
それとなく。正直それとなく出来た気がしないけれど、さすがは素直な中学生だ。疑うこともなく粕川の問いに答えてくれる。
「ええ?うーん、RPGの主人公みたいに敵と戦ったりするのは見たことあるけど……でも多分、寝る前までゲームやってたからだと思うけど」
「ちょっと、来年は受験生って自覚ある?」正直彼の偏差値なら希望校は十分圏内だったが、だからといって甘やかすわけにはいかない。とりあえずお小言をつけておくと、
「あ。ごめんなさい」と軽く返された。
どうやら彼も今の自分の立ち位置は把握しているらしい。それならもっと上位高を狙えばいいのに。粕川はそうも思ったが、けれどそれ以上となるとこのあたりでは私立しかない。学ぶのに遠慮するなんて、この国も大変だわ。自身も奨学金で学費を賄っている彼女は内心落胆をつく。
「まあいいけど。あんまり根を詰めても仕方ないからね」
「でも、微妙にゲームと違かったかなぁ。世界観」
「世界観?」
「そう、なんか架空の世界とは思えないというか。そう、世界史の授業でやったような感じの場所だった気がするんだ」
「そうなの?」全然興味なさそうな風を装ったけれど、うまくできただろうか。けれど粕川は、幼いころ縁日でうまく金魚を掬えたかのような興奮を隠し切れない。
世界史の授業でやったような。まさにシャンポリオンこそそれではないか。事実、粕川や碓井の中ではそれは架空の世界ではなく史実にあった過去の歴史の一部なのだから。
「それと、先生にどこかで会った気もする。思い出せないんだけど」
「やだなにそれ。もしかして先生を口説いてるの?」
「いや、そ、そんなつもりじゃないんだけど」
そう軽く口で返した粕川だが、もちろん彼女も彼のことは知っているのだ。なにせ、そこに王の面影を見たほどだ。それを碓井に報告して、無事王に恋い焦がれるルクレティウスは再会を果たした。
ならばこの子は誰だったのだろう。王の面影がある以上、彼の血縁者に違いないのだろうけど。粕川はかすかな記憶を懸命に思い出そうとするが、なにせ今の自分の記憶ではないのだ。努力したところでうまく思い出せるはずもなく。
「せんせー、ちょっとここ、意味わからないんですけど」
同じく授業を受け持つ、他の生徒から声がかかった。
ああいけない、今はあくまでも仕事中だ。一人の生徒だけ特別扱いするわけにもいかない。たとえそれがはるか昔に深い縁がある人物だとしても。粕川は今の自分を思いだす。
「あ、はーい。じゃあごめん楠木君、ここ読んでおいて」
そう言い残して粕川は席を立った。
一方、取り残されて困惑しているのは勇樹の方であった。先生、もしかして何か知ってるんじゃないだろうか。先ほど問われてぼんやりと返した質問の意味を考える。今の自分ではない誰かの夢だなんて。
正直、見すぎてうんざりしてるんですけど。
繰り返し見るのは、先ほど先生に伝えた何かと戦ってるシーンと、あと目つきの鋭い女性が的確に人々に指示を出している姿。似てはいないと思う。けれど印象的なその目つきだけが、粕川先生のそれと重なった。だから彼は母にこんな軽口を叩いたのだ。これって運命ってやつ?と。
詳しく問いただしたかったが、いまは勉強中で、先生は仕事中だ。あまり私語をはさむのはよくないだろう。あんまり生徒を遊ばせたんじゃ、バイトとはいえ評価にも関わってくるだろうし。
そう彼は判断し、ひどくモヤモヤした気分を抱えたままこの日の授業を終えたのだった。
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