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深慮と支えからはじまる

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 燃えさかる森の中に、無数の人形の影がゆれている。
 ゆらめく影を避けるようにして、ラトスたちは、元来た道へと引き返しはじめていた。

 一度議会場にもどろうというセウラザの提案に、反対する者はいなかった。長くとどまっても、得られるものは少ないと思ったのだ。死にゆくこの夢の世界にも、時間は多く残されていない。他の扉が開けられるようになっていれば、すぐにでも先に進むべきなのだ。
 ラトスには、もう少し調べたいという気持ちがあった。だが、次第に焦りの表情を濃くするフィノアを見て、自制した。ラトスがいだく疑問は、この世界のセウラザから話を聞けば解決もしやすいはずだ。効率という言葉で、ラトスは自身の好奇心と焦燥感をおさえこんだ。

 入ってきた扉の前までもどると、四人は一度足を止めた。
 扉は、触れてもいないのに開いていた。ギイギイと音を立てて、ゆれている。風が流れて、ゆれているわけではない。ラトスたちに反応して、動いているようだった。近付いていくと、扉はさらに大きくゆれた。
 不思議な光景だったが、四人は扉のゆれに大きく反応できなかった。人と夢魔が戦っている光景に、思いのほか精神が疲弊していたのだ。

 ラトスが、ゆれる扉に手を触れる。すると、取っ手がガチャガチャとふるえはじめた。まるで何者かの手が、取っ手をつかんでゆらしているかのようだった。そこまでくると、ようやくメリーがふるえるような声をしぼりだした。

「だ、大丈夫ですか? それ?」
「分からない。何か、急かされているかのようだな」

 ふるえる取っ手をラトスは強くにぎりしめる。すると、取っ手は次第に静かになった。

「早く戻りましょう。何か、嫌な予感もします」
「そうだな」

 フィノアの言葉に、ラトスはうなずいた。
 四人は扉をぬけて、燃える森を後にした。扉を閉じる直前、雄たけびのような音が森にひびいた。驚いて、燃える森に目を向ける。すると、今までそこにはなかったはずの、夢魔の人形が扉に向かって立っていた。

「歩いてきてる!?」
「いや、止まっている」

 恐怖したメリーに、セウラザが静かな声で制した。
 夢魔の人形は動いていなかったが、じっとラトスたちをにらんでいるかのようだった。太い腕はだらりと下がっていて、剣のように長い爪も地面に向いている。にらんではいるが、敵意があるようではなかった。
 なにかを訴えようとしているのか。ラトスはしばらく夢魔の人形を見ていた。そのうちに、セウラザが後ろからラトスを呼んだ。ラトスは惜しむようにして、扉をゆっくりと閉めた。締め切る直前、雄たけびのような音が聞こえた気がした。

「取っ手が、錆びましたね」

 閉じた扉を、フィノアが指差す。ひとつ目の扉同様に、取っ手はひどく錆びついた。ラトスは錆びた取っ手に触れようとしたが、夢魔の人形の姿を思い出して、やめた。

「別の扉を探そう。また、開ける扉が出来ているかもしれない」
「そうですね」

 メリーが素早くうなずいた。
 四人は分かれて、錆がなくなった扉を探しはじめた。なんとなくラトスは、ひとつひとつ扉を確認して回るフィノアを目で追った。少女は、焦りと疲労からか、セウラザのように無表情になっていた。
 できれば、一度休ませた方が良いのだろう。だが、休めと言える状況下ではなかった。もし言ったとしても、さらに焦りを生ませるだろう。フィノアの様子に、ラトスは妙な胸騒ぎを感じはじめた。

「あったぞ。この扉が開きそうだ」

 セウラザの声が、議会場にひびいた。見ると、セウラザが立っている場所には、一際立派な椅子があった。椅子は一段高いところに置かれていて、その段の下にセウラザが立っていた。

「そんなところに扉があるのか」
「ある」
「どこだ?」
「床だ」

 セウラザは足元を指差す。駆け寄ってみると、彼が指差した床面には扉が付いていた。他と同じように、錆びついている。取っ手だけは、わずかに光沢があった。
 遅れて、フィノアとメリーも来る。フィノアは床に付いている扉を一度見ると、一段高いところにある椅子にも目を向けた。

「これは、お父様の椅子です」

 フィノアはこぼすように言う。少女に釣られるように、ラトスとメリーも顔をあげた。立派な椅子は、他に比べると明らかに豪華な装飾がほどこされていた。国王の席なら一段高いのも当然だろう。もしかすると、この床の扉こそ、奥につながるものかもしれない。

「開けよう」

 セウラザが取っ手に触れながら言った。三人はうなずいて、協力しながら扉を引きあげた。錆びた蝶番が何度か悲鳴をあげる。開けることを拒んでいるかのようだった。
 開き切ると、扉の先には書斎のような部屋が見えた。
 書斎は、扉の向きと同様に傾きがずれていた。腕を入れると、壁のように垂直な床面に手が吸い付いた。
 書斎の奥には、人影らしきものも見えた。他と同様に、人形だろうかとラトスはのぞき見ようとした。すると、ラトスを押しのけるようにして、フィノアが身体を乗りだした。

「お父様!」

 扉をくぐり、フィノアは書斎に飛びこんだ。
 四人がいる議会場から見れば、フィノアは床に開いた四角い穴へ飛び降りたように見えた。ところが飛びこんだ直後に重力の向きが変わったらしい。フィノアの身体は垂直の床に叩きつけられた。

「気を付けろよ」
「わ、分かってます!」

 フィノアは怒鳴るように言うと、身体を起こして書斎の奥に走りだした。
 追いかけるように、ラトスも後につづく。メリーは恐る恐るといった感じで、這うように扉をくぐりぬけた。彼女が扉をぬけてから、セウラザもゆっくりと書斎に入る。

「……人形か?」

 先に奥へ走っていったフィノアに、ラトスは声をかけた。

「……人形です」
「まあ、そうだよな」

 ラトスは書斎を見回しながら、フィノアの後ろに付いた。
 書斎の中央には、議会場にあった立派な椅子が置かれていた。部屋の模様とは釣り合いが取れていなかったが、椅子には身体の大きい人形が座っていた。会ったことはないが、一目で国王の人形なのだろうと、ラトスは認識した。
 椅子に座っている国王の人形の周りには、家族らしき人形がいくつかならんでいた。王妃らしき人形もあって、赤子の人形をかかえている。その隣に、少女の人形が立っていた。見比べなくても分かる、幼いフィノアの人形だった。

「家族か」
「……はい」
「これは、妹か」
「……これって……。妹です」
「そうか」

 王妃の人形が抱えている赤子の人形を見て、ラトスは目をほそくする。同時に、後ろで大きな物音がした。ふり返ると、メリーがよろめいていた。彼女の肩に、後ろからセウラザが手をかけている。

「どうしたんだ」
「……つまづきました」
「……阿呆なのか」
「アホ!?」

 メリーは声を裏返し、顔面を紅潮させた。ラトスに詰め寄ると、にらみつけながら口をあぐあぐと動かした。なんだと、ラトスが両手をあげる。すると彼女は、小さくうなってうなだれた。

「この娘は、メリーではないか?」

 うなだれたメリーを追いぬいたセウラザは、書斎の人形のひとつを指差した。見ると、フィノアの人形より背が高い少女の人形があった。

「ほ、本当ですね。私、かも?」

 セウラザの声に顔をあげたメリーが、声をおどらせた。
 フィノアとメリーの人形は、それぞれ十歳ほどは幼いようだった。フィノアの家族と共にいるということは、メリーは随分幼いころから特別な扱いだったのかもしれない。

「懐かしい光景だわ」
「そうですね……」

 フィノアの言葉に、メリーがうなずいた。
 二人の目は次第に、自身の人形から王妃の人形へ向けられる。王妃の人形は、やさしそうな表情をしていた。視線は赤子の人形に向いていたが、それ以外の人形にも気づかいを示しているのが見て取れた。

「この国王の人形は……セウラザなのか?」

 椅子に座る人形を見ながら、ラトスが言った。
 ラトスの声に、セウラザが国王の人形に目を向ける。椅子に座った国王の人形は、じっとフィノアの人形を見ていた。その表情は、わずかに曇っている。

「いや、これは違う。夢の住人でもないようだ」
「違うのか」
「この部屋で夢の住人なのは、この女性の人形だけだな」

 そう言うとセウラザは、王妃の人形を指差した。
 言われてみると、王妃の人形だけは雰囲気が違うような気になる。フィノアはセウラザが指を差すと、気の抜けたような表情で王妃の人形を見つめた。

「……お母様」

 こぼすようにフィノアが言う。すると、王妃の人形の目がかすかにほそくなった。瞳がふるえ、視線がフィノアに向けられる。メリーとフィノアは驚いた表情になったが、声はあげなかった。メリーの場合は、声をあげたら失礼と感じたのかもしれない。口元を手で隠し、動いた人形を凝視していた。

「……フィノ、ア」
「お母様。私です」
「来て、しまったのですね」
「はい」

 フィノアがうなずくと、王妃の人形は静かに目を閉じた。身体が動かせないらしく、目だけで身体の動作を表現しようとしているようだった。

「お母様。セウラザはどこにいますか? 話を聞きに来たのです」
「……そう」
「お父様は、どうして変わってしまったのですか? お母様は、知っていますか?」
「知っています」

 王妃の人形は、もう一度目を閉じてみせた。
 大臣の人形と同じなのだとすれば、王妃の人形もまた、フィノアの問いには答えられないはずだった。それを分かっていて問うのは、酷なことだとラトスは思った。だが、聞かずにはいられないのだろう。王妃の人形を見つめる少女の肩は、かすかにふるえているようだった。

「現の世界の私たちは、皆、そのことを知りたかったでしょう」
「はい。お母様。私は、そのために来ました」
「もう、多くの時間は残されていません。フィノア、私たちの娘。先に進みなさい。必ず、知ることが出来るでしょう」

 そこまで言うと、王妃の人形の身体は小さくふるえた。
 ふるえる人形の身体に気付いて、フィノアは人形の手を取った。少女の後ろから、メリーも近寄る。彼女もまた、腕を伸ばして王妃の人形の手に触れた。

「メリー。貴女もよく来ましたね」
「……はい」
「貴女はここで、最大に役割を果たしなさい」
「承りました、陛下」

 メリーが応えると、王妃の人形はかすかに口元をゆるませた。

「フィノア」
「はい」
「この光景を覚えておきなさい。私たちと、貴方の後ろにいる者たちを」
「……忘れません。お母様」

 フィノアがうなずく。少女の顔を見て、王妃の人形は笑顔になった。そして、動かなくなった。フィノアとメリーが声をかけても、王妃の人形は笑顔のままだった。
 ラトスは、しばらく黙っていた。父母との再会に、どの程度干渉していいのか分からなかったのだ。ラトスは、父母の顔を見たことがない。記憶もなかった。シャーニですら血はつながってないので、本物の家族というものを知らない。
 動かなくなった人形を見て、いつ彼女たちに声をかければいいか、ラトスは戸惑いつづけた。

「もう、行こう」

 セウラザが言った。空気を読まない彼は、時間がないと言い加えた。ラトスは、もう少し待とうと言おうとしたが、やめた。実際、居たたまれなかったのだ。今だけは、空気が読めないセウラザに、少し感謝した。

「そうですね」

 王妃の人形から手を放して、フィノアが言った。少女の後ろにいたメリーは、困った表情をしていたが、すぐに唇を強く結ぶ。その視線の先は、王妃の人形の笑顔だった。
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