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森の底
転送からはじまる
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光を目指して、二人は沼のほとりを歩いた。
沼のほとりは驚くほどに草ひとつ生えていないので、少しぬかるんでいた。
足を取られないように歩きながら、ラトスは沼のほうに視線を向ける。そこには星や月の光が反射したものとは別の、淡い光が沈んでいるように見えた。それはとても美しく、この世の光景とは思えないほどのものだった。
「ここでいいだろう」
周囲にくらべ、少し強い光をはなっている地面の上に立つ。
ラトスは辺りを警戒しつつ、メリーを見た。
「ここも、私が?」
「そうだ」
「……はい」
メリーは肩を落としてうなずく。光の強い地面の上に自分も立ち、周りの様子を少しうかがった。それからゆっくりとしゃがみ込んだ。
いきますよ、とメリーが言う。ラトスは短く返事をしてうなずいた。メリーが地面に顔を近付け、小さな声で何かを言った。その声は、隣に立つラトスには聞こえないほど小さい声だった。
「メリーさん……」
「分かってます! 分かってます!」
大きな声でメリーは叫ぶと、頭をかかえて何度も身体を横にふった。意味不明な魔法の言葉を叫ぶのは子供の遊びに似ている。恥ずかしい気持ちになるかもしれなかった。ラトスは察したような顔をして、メリーの肩を小さく叩く。彼女はぴたりと左右に身体をふるのをやめ、あきらめたように静かになった。
「……じゃあ。いきますよ」
「頼む」
そう言うと、メリーはもう一度地面に顔を近付けた。同時にラトスは、沼の周りとそれを囲む森の奥に意識を集中させた。まだ、人の気配らしきものは無い。腰の短剣に手を伸ばし、何一つ見逃すまいと、ラトスは先ほどよりも警戒を強めた。
「……≪パル・ファクト≫!」
メリーは大きな声で叫ぶと、地面に顔を近付けたまま、しばらく動かなかった。
彼女の声は、沼の広場と深い森に広くひびいた。
やがて流れ込んできた風と共に、草木をざわめかせてから消えていった。
沼の広場と、森の奥には、やはり何の気配も感じなかった。むしろ、さらに静かになった気がするほどだ。
しゃがみ込んでいるメリーは、まだじっと静かにしていた。
ラトスと同じように息をひそめ、周囲の気配を探っているのだろうか。それとも、また恥ずかしいと感じて、顔を紅潮させているのだろうか。
しばらく、その場は静かになった。
どこからも異常は感じられない。
ラトスは腰の短剣から手をはなし、足元にいるメリーを見下ろした。彼女はまだ、じっと静かにしていた。肩がわずかにゆれていて、静かに息をしているのだけは分かる。本当に恥ずかしがっているのだろうか。ラトスはメリーの傍にしゃがみ込み、彼女の顔をのぞき込んだ。
メリーの顔は、地面を向いたまま動いていなかった。
じっと下を見て、静かに呼吸をしている。
どうしたのだと、ラトスは彼女の視線の先を見ると、彼もまた動けなくなった。
それはあまりに不思議な光景だった。
メリーの口元に近い地面が、強く光りだしていたのだ。先ほどまでの淡い光ではなく、明らかに強く、青白い光をはなっていた。
光は少しずつ広がって、メリーの足元全体をつつむほどになった。ラトスは驚いて、跳ねるようにして光からはなれた。やがて光は、少しずつ浮き上がり、彼女の身体をゆっくりとつつみはじめた。
「ラトスさん!これ、どうすれば!」
「……成功、したみたいだな」
「成功って、そんな冷静に――」
メリーは、自身の身体をつつむ光が強くなっていくことに焦りだす。腕をふったり、衣服をたたいたりした。しかし、特に効果はないようだった。光はしっかりとメリーの身体をとらえていて、さらに強く輝きだした。
ラトスはメリーに、王女の時と同じ現象かどうかたずねる。
彼女は慌てながらも、頭を何度も上下にふった。
「俺も後に続くつもりだ。心配するな」
「本当ですか!?」
「……たぶん」
「たぶんって、ちょ……っと……」
メリーの声が途切れる。
彼女の身体は完全に光におおわれ、見えなくなっていた。あまりの眩しさにラトスは両腕で顔をおおった。やがて光は、何かに吸い込まれるようにして消えていった。
メリーをつつんでいた光が消えるのと同時に、彼女の足元で光っていた地面も後を追うように輝きを失っていく。ついにそこには、光をはなっているものは一粒も無くなった。綺麗な円状の、真っ暗な地面だけができあがっていた。それは、メリーが最初に案内した、王女が消えたらしい場所と同じで、まるで大きな穴が地面に開いているかのようだった。
その穴に吸い込まれたかのように、メリーの姿は消えていた。
少し前までさわがしく叫んでいた彼女の声も、森の中にすっかり溶けて、消えていた。
ラトスだけが、夜の森の中に残っていた。
おそらく誰もいないだろうとは思ったが、念のため意識を集中させて周囲を警戒してみる。しかし、やはり人の気配は感じられなかった。
ここにきて、ラトスは現実的な考え方をするのはあきらめた。
どういうカラクリかは分からないが、おそらく地面にある光る砂粒が、合言葉に反応しているのだろう。そして謎の発光現象が起こると、合言葉を言った者と共に光もどこかに消えていってしまう。
ラトスは、光が強い別の地面を探すと、その上に立って小さく息をついた。
膝と手をつき、顔を地面に近付ける。
本当に大丈夫だろうか。
少し考えたが、すぐに頭を横にふった。
「……≪パル・ファクト≫」
声が地面に吸い込まれる。
少し時間をおいて、薄っすらとゆらめくように光っていた地面の一点が、突然強く光りだした。その一点は唇の真下で、まるで湧水がふきだしはじめたかのようだった。
それに呼応するように、ラトスの周囲の地面が、夜空の星のように、ここそこに点々と輝きだす。
よし、行くぞ。
ラトスは心の中でつぶやいた。
光は少しずつ浮き上がり、メリーの時と同じように、ラトスの身体をおおっていく。
光っているだけで、肌に何かを感じることはなかった。しかしやはり、不思議な現象であることに変わりはない。わずかではあるが、ラトスは恐怖のようなものを覚えずにはいられなかった。
だが、すでにメリーが消えてしまっている。後戻りはできない。
ラトスは、ぐっと口をむすび、目を閉じた。
やがてラトスの身体全体が光につつまれる。ラトスは薄っすらと目を開けてみたが、真っ白な光しか見えなかった。もう一度目を閉じても、真っ白だった。
次の瞬間、手のひらと、足の裏にあった地面の感覚が消えた。
浮き上がったのか。地面が消えたのか。それとも自分が光に飲み込まれて消えてしまったのか。何も分からなかった。
光の中で、ラトスは意識だけが残っていた。
真っ白で何も見えず、身体の感覚もない。死んだのだろうかと思うほどに、奇妙な感覚だった。
目が開いているのか閉じているのかは分からないが、様々な色の光が無数に飛び交っているのが見えた。その光の奔流の中に、ラトスの意識は浮かんでいた。
赤色の光が、上に飛んでいき、緑色の光が、右に走っていった。
色のある光の中には、何か別の意識があるように感じた。
目の前を通った光を手に取ろうとして、ラトスは手を伸ばそうとしてみたが、自分の手が何処にあるか分からなかった。ところが、手に取ろうとした光はラトスの意識に近付いてきて、ラトスの意識の周りを何度も飛び回った。
飛び回っている光は、とても速かったが、光の形はなぜか認識することが出来た。
光の中には、見知らぬ男がいた。
見知らぬ男は、悲しそうな顔をしてぼんやりと宙を見ているようだったが、やがてラトスの意識に気付いたらしい。見知らぬ男は、ラトスの意識のほうをのぞくように見てきて、何かを言いたげにしていた。
なんだ?
見知らぬ男にたずねようとした瞬間、ラトスの意識が激しくふるえだした。
そのふるえは、光が強く渦巻いて起こっているようだった。
やがて光の渦に飲み込まれて、ラトスは本当に、何一つ感じられなくなった。
沼のほとりは驚くほどに草ひとつ生えていないので、少しぬかるんでいた。
足を取られないように歩きながら、ラトスは沼のほうに視線を向ける。そこには星や月の光が反射したものとは別の、淡い光が沈んでいるように見えた。それはとても美しく、この世の光景とは思えないほどのものだった。
「ここでいいだろう」
周囲にくらべ、少し強い光をはなっている地面の上に立つ。
ラトスは辺りを警戒しつつ、メリーを見た。
「ここも、私が?」
「そうだ」
「……はい」
メリーは肩を落としてうなずく。光の強い地面の上に自分も立ち、周りの様子を少しうかがった。それからゆっくりとしゃがみ込んだ。
いきますよ、とメリーが言う。ラトスは短く返事をしてうなずいた。メリーが地面に顔を近付け、小さな声で何かを言った。その声は、隣に立つラトスには聞こえないほど小さい声だった。
「メリーさん……」
「分かってます! 分かってます!」
大きな声でメリーは叫ぶと、頭をかかえて何度も身体を横にふった。意味不明な魔法の言葉を叫ぶのは子供の遊びに似ている。恥ずかしい気持ちになるかもしれなかった。ラトスは察したような顔をして、メリーの肩を小さく叩く。彼女はぴたりと左右に身体をふるのをやめ、あきらめたように静かになった。
「……じゃあ。いきますよ」
「頼む」
そう言うと、メリーはもう一度地面に顔を近付けた。同時にラトスは、沼の周りとそれを囲む森の奥に意識を集中させた。まだ、人の気配らしきものは無い。腰の短剣に手を伸ばし、何一つ見逃すまいと、ラトスは先ほどよりも警戒を強めた。
「……≪パル・ファクト≫!」
メリーは大きな声で叫ぶと、地面に顔を近付けたまま、しばらく動かなかった。
彼女の声は、沼の広場と深い森に広くひびいた。
やがて流れ込んできた風と共に、草木をざわめかせてから消えていった。
沼の広場と、森の奥には、やはり何の気配も感じなかった。むしろ、さらに静かになった気がするほどだ。
しゃがみ込んでいるメリーは、まだじっと静かにしていた。
ラトスと同じように息をひそめ、周囲の気配を探っているのだろうか。それとも、また恥ずかしいと感じて、顔を紅潮させているのだろうか。
しばらく、その場は静かになった。
どこからも異常は感じられない。
ラトスは腰の短剣から手をはなし、足元にいるメリーを見下ろした。彼女はまだ、じっと静かにしていた。肩がわずかにゆれていて、静かに息をしているのだけは分かる。本当に恥ずかしがっているのだろうか。ラトスはメリーの傍にしゃがみ込み、彼女の顔をのぞき込んだ。
メリーの顔は、地面を向いたまま動いていなかった。
じっと下を見て、静かに呼吸をしている。
どうしたのだと、ラトスは彼女の視線の先を見ると、彼もまた動けなくなった。
それはあまりに不思議な光景だった。
メリーの口元に近い地面が、強く光りだしていたのだ。先ほどまでの淡い光ではなく、明らかに強く、青白い光をはなっていた。
光は少しずつ広がって、メリーの足元全体をつつむほどになった。ラトスは驚いて、跳ねるようにして光からはなれた。やがて光は、少しずつ浮き上がり、彼女の身体をゆっくりとつつみはじめた。
「ラトスさん!これ、どうすれば!」
「……成功、したみたいだな」
「成功って、そんな冷静に――」
メリーは、自身の身体をつつむ光が強くなっていくことに焦りだす。腕をふったり、衣服をたたいたりした。しかし、特に効果はないようだった。光はしっかりとメリーの身体をとらえていて、さらに強く輝きだした。
ラトスはメリーに、王女の時と同じ現象かどうかたずねる。
彼女は慌てながらも、頭を何度も上下にふった。
「俺も後に続くつもりだ。心配するな」
「本当ですか!?」
「……たぶん」
「たぶんって、ちょ……っと……」
メリーの声が途切れる。
彼女の身体は完全に光におおわれ、見えなくなっていた。あまりの眩しさにラトスは両腕で顔をおおった。やがて光は、何かに吸い込まれるようにして消えていった。
メリーをつつんでいた光が消えるのと同時に、彼女の足元で光っていた地面も後を追うように輝きを失っていく。ついにそこには、光をはなっているものは一粒も無くなった。綺麗な円状の、真っ暗な地面だけができあがっていた。それは、メリーが最初に案内した、王女が消えたらしい場所と同じで、まるで大きな穴が地面に開いているかのようだった。
その穴に吸い込まれたかのように、メリーの姿は消えていた。
少し前までさわがしく叫んでいた彼女の声も、森の中にすっかり溶けて、消えていた。
ラトスだけが、夜の森の中に残っていた。
おそらく誰もいないだろうとは思ったが、念のため意識を集中させて周囲を警戒してみる。しかし、やはり人の気配は感じられなかった。
ここにきて、ラトスは現実的な考え方をするのはあきらめた。
どういうカラクリかは分からないが、おそらく地面にある光る砂粒が、合言葉に反応しているのだろう。そして謎の発光現象が起こると、合言葉を言った者と共に光もどこかに消えていってしまう。
ラトスは、光が強い別の地面を探すと、その上に立って小さく息をついた。
膝と手をつき、顔を地面に近付ける。
本当に大丈夫だろうか。
少し考えたが、すぐに頭を横にふった。
「……≪パル・ファクト≫」
声が地面に吸い込まれる。
少し時間をおいて、薄っすらとゆらめくように光っていた地面の一点が、突然強く光りだした。その一点は唇の真下で、まるで湧水がふきだしはじめたかのようだった。
それに呼応するように、ラトスの周囲の地面が、夜空の星のように、ここそこに点々と輝きだす。
よし、行くぞ。
ラトスは心の中でつぶやいた。
光は少しずつ浮き上がり、メリーの時と同じように、ラトスの身体をおおっていく。
光っているだけで、肌に何かを感じることはなかった。しかしやはり、不思議な現象であることに変わりはない。わずかではあるが、ラトスは恐怖のようなものを覚えずにはいられなかった。
だが、すでにメリーが消えてしまっている。後戻りはできない。
ラトスは、ぐっと口をむすび、目を閉じた。
やがてラトスの身体全体が光につつまれる。ラトスは薄っすらと目を開けてみたが、真っ白な光しか見えなかった。もう一度目を閉じても、真っ白だった。
次の瞬間、手のひらと、足の裏にあった地面の感覚が消えた。
浮き上がったのか。地面が消えたのか。それとも自分が光に飲み込まれて消えてしまったのか。何も分からなかった。
光の中で、ラトスは意識だけが残っていた。
真っ白で何も見えず、身体の感覚もない。死んだのだろうかと思うほどに、奇妙な感覚だった。
目が開いているのか閉じているのかは分からないが、様々な色の光が無数に飛び交っているのが見えた。その光の奔流の中に、ラトスの意識は浮かんでいた。
赤色の光が、上に飛んでいき、緑色の光が、右に走っていった。
色のある光の中には、何か別の意識があるように感じた。
目の前を通った光を手に取ろうとして、ラトスは手を伸ばそうとしてみたが、自分の手が何処にあるか分からなかった。ところが、手に取ろうとした光はラトスの意識に近付いてきて、ラトスの意識の周りを何度も飛び回った。
飛び回っている光は、とても速かったが、光の形はなぜか認識することが出来た。
光の中には、見知らぬ男がいた。
見知らぬ男は、悲しそうな顔をしてぼんやりと宙を見ているようだったが、やがてラトスの意識に気付いたらしい。見知らぬ男は、ラトスの意識のほうをのぞくように見てきて、何かを言いたげにしていた。
なんだ?
見知らぬ男にたずねようとした瞬間、ラトスの意識が激しくふるえだした。
そのふるえは、光が強く渦巻いて起こっているようだった。
やがて光の渦に飲み込まれて、ラトスは本当に、何一つ感じられなくなった。
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