転生侍女は完全無欠のばあやを目指す

ロゼーナ

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第十九話 三年目:王子と悪役令嬢(仮)の決断

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「ピヴォワンヌ様、アルベール殿下がお迎えにいらっしゃいました」

「ええ、今行きますわ」

 サラの声掛けに、ピヴォワンヌは立ち上がり、アルベールを迎える。

「アルベール様、本日はよろしくお願いいたしますわ」

「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 珍しく緊張した面持ちのアルベールに、ピヴォワンヌは首を傾げた。アルベールはしばしの沈黙の後、一度決意するようにギュッと唇を引き結んでから、重い口を開いた。

「…ピヴォワンヌ…姫の役割もあって大変な日に申し訳ないが、今日はおそらく長い一日になると思う。先日俺が言ったことを覚えているだろうか。…その時が来たら、どうか迷わないでほしい」

「…!」

 アルベールの言葉に、ピヴォワンヌは今日がなのだと悟った。震えそうになる声を抑え、いつものように気丈な微笑みを見せる。

「…承知いたしました。アルベール様を信頼しておりますから、わたくしは迷いませんわ」

 その言葉に、アルベールも微笑んだ。そして、あらためてしっかりとピヴォワンヌと向き合った。

「最初に言わなくて失礼した。ピヴォワンヌ、今日のドレス、とてもよく似合っているな。同系色のはずなのに、むしろあなたの紅い瞳や髪の色がよく映えている」

 自分の瞳を捉えているアルベールの漆黒の瞳に、ピヴォワンヌは思わず涙がこみ上げそうになる。アルベールとは、互いに愛し合うことはできなかったが、常に同じ方向を向いて手を取り合って来た。そして彼は、自分といるとき、必ずこうして真っ直ぐに自分を見てくれていた。そんな実直な彼だからこそ、何があっても隣で支えようと決意していたのだ。

「…ターニャが用意してくれたのですから、似合って当然ですわ」

 潤む瞳を誤魔化したくて、可愛げのない返事をしてしまったが、ピヴォワンヌはすぐに反省した。きっとアルベールにエスコートされるのは今日が最後になるのだからきちんと返事せねばと思い、言い直す。

「可愛くないことを申しましたわね。ありがとうございます、アルベール様。あなたの衣装もよくお似合いで、とても素敵ですわ」

 ピヴォワンヌの言葉に、アルベールもにやりと笑って返す。

「そうだろう?これもターニャが用意してくれたからな」

 アルベールの言葉に、ふたりは顔を見合わせて笑う。何が起きても、この関係はきっと変わらない。ふたりは大切な幼馴染で、かけがえのない友人同士なのだから。

「さあ、行こう」

「はい、アルベール様」

 幼い頃から共に過ごしてきた婚約者としての、最後のエスコートが始まった。


 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

 学院祭の学習発表やクラス展示などは滞りなく進み、夕暮れ時となった。いよいよ、メインイベントである双花奉納の儀が始めるため、生徒と来賓は講堂に集まっていく。古くからの国家行事でもある神殿での儀式には、国王夫妻を始めとした来賓と、主役を務める姫とエスコート役の男性の親族のみが参列を許されている。

 生徒たちは儀式への参列ができない代わりに、まず最初に講堂にてふたりの姫のお披露目が行われるのが恒例となっていた。

 来賓と生徒の入場が進んでいる頃、私はリーリエ様の髪にそっと白百合を一輪差した。

「これで完成です。リーリエ様、とてもよくお似合いです。歴代の白の百合姫の中でも、リーリエ様がいちばん美しいという自信があります」

「ありがとう、ターニャ。…いちばんは言い過ぎだと思うけど、このドレスも、髪型も、本当に素敵に仕上げてくれて。ターニャの手は魔法の手ね」

「もったいないお言葉です。リーリエ様」

 今日のリーリエ様は普段より少し饒舌で、それは無意識に緊張を紛らせているのだと思われた。しかし、白の百合姫の衣装を気に入ってくださったのは本当のようで、その表情は明るい。

「リーリエ様、講堂でのお披露目の際には、私は舞台袖で待機しております。リーリエ様のことですから、完璧な姫をやり遂げることと存じますが…もしも、万が一、あまりの緊張や心労で逃げ出したくなったときは、遠慮なく私の方へいらしてください。三か国ほど亡命先も用意しておりますので、私がリーリエ様を攫って逃げます」

「ふふふ、ターニャったら!でも、ありがとう。失敗してもターニャが連れて逃げてくれるなら安心ね」

 リーリエ様は少し緊張を和らげたように笑ってくださった。ちなみに言うまでもなく、私はどこまでも本気なのだが。

 その後、寮の自室まで迎えに来てくれたナディル様にリーリエ様を任せ、私はふたりの後に続く。ナディル様の侍従のカイは、先に講堂内でトラブルがないよう下見に行っている。

 講堂前で顔を合わせた赤の百合姫役のピヴォワンヌ様とアルベール様、白の百合姫役のリーリエ様とナディル様。複雑な思いを抱えながらこの場に立っている四名は、互いに一瞬視線を交差させた後、型通りの挨拶を済ませた。本心では自分の愛する人の美しい姿を絶賛したい場面だろう。

 私は全員の衣装や髪型の最終チェックと微調整を終え、先に裏口から講堂の舞台袖へと回る。侍女としてやれることはすべてやった。あとは今日の成功をひたすら信じて祈るだけだ。



 講堂の灯りが落とされ、中央の扉が重々しく開く。

 最初に入場するのは、赤百合の姫であるピヴォワンヌ様とエスコートを務めるアルベール様だ。逆光に浮かんだシルエットのふたりがゆったりとお辞儀をし、一歩ずつ講堂内に進むと、徐々にピヴォワンヌ様のドレスと、それに合わせたアルベール様のマントの赤い色が視界に飛び込んでくる。ピヴォワンヌ様の手には、南部原産の赤百合、サンライトリリーのブーケが握られている。ピヴォワンヌ様のダークレッドの髪と、アルベール様の漆黒のジャケットのポケットにも、同じ花が飾られている。どこを切り取っても絵になるふたりの姿に、講堂中からうっとりとしたため息が漏れる。

 後方の生徒たちにも姿が見えるよう、ふたりはゆっくりと歩みを進め、檀上へと上がった。それを待ち、一度締められていた中央の扉が再度開く。白百合の姫リーリエ様と、エスコート役のナディル様の入場だ。

 リーリエ様をエスコートするナディル様の姿に、会場が一瞬ざわめいた。実はリーリエ様を誰がエスコートするかは秘密にされており、知っていたのはクラスメイトくらいであったのだ。情報戦に長けたオリアンダー伯爵家のイーサン様とエヴリン様が、うまい具合にミスリードし、攪乱させてくれていた。
 また、ナディル様がピヴォワンヌ様に懸想していることは、学院中が知っていたこともあり、意外な人選に生徒たちは驚いていた。リーリエ様ファンの一部の男子生徒は、「ピヴォワンヌ様を諦めて乗り換えたのか…!」と衝撃を受けている様子だ。

 しかし、そのざわめきはすぐに歓声へと変わる。清楚な白を基調としたドレスに、北部原産の白百合、ムーンライトリリーのブーケを抱えたリーリエ様が、あまりにも神秘的な美しさを放っていたからであった。シルバーのロングヘア―を大人っぽく結い上げた今日のリーリエ様の姿は、支度をした私自身が大満足の出来であり、周囲の予想通りの反応に大いに気を良くしてしまう。

 リーリエ様の髪だけでなく、ナディル様の濃いグレーのジャケットの胸ポケットにも、ブーケと同じムーンライトリリーが飾られている。ふたりも生徒たちへ微笑みを向けながら、ゆっくりと階段を上がり、ついに赤百合の姫と白百合の姫が檀上で顔を合わせた。

 ふたりの姫は予定されていた進行どおりに、互いに向かい合って深くお辞儀し、顔を見合わせて微笑み合う。これはかつての南部の姫と北部の姫が友好を結んだことを再現するためのものだ。対照的な美しさを放つ赤百合の姫と白百合の姫の姿に、講堂に集まった一同は息を飲んだ。

 生徒へのお披露目はここまでで、この後ふたりの姫は儀式のために神殿へと向かうのだが、その前に生徒会長の挨拶が組み込まれている。今年の生徒会長はアルベール様なので、このままアルベール様の挨拶へと移る。

 ピヴォワンヌ様、リーリエ様、ナディル様は一歩下がり、檀上の中央にアルベール様が立った。この先何が起こるのかを知っている私は、思わず両手をお腹のあたりで祈るように組んだ。

「リリーヴァレー王立学院生徒会長のアルベール・リリーヴァレーと申します。ご来賓の皆様、本日はお忙しい中お集まりいただきましたこと、王立学院生徒一同を代表し、心より御礼申し上げます。また、この日を迎えるためにご尽力くださった教職員や関係者の皆様にも、感謝を申し上げます」

 この世界にはマイクのような音響装置はないが、アルベール様の少し低めの落ち着いた声は、講堂によく響く。

「そして、今日まで力を合わせ、準備を進めてくれた生徒諸君を、私は誇りに思う」

 アルベール様の丁寧ながらも力強さを感じる言葉と、その年齢に見合わぬ威厳に、講堂にいる一同は聞き入っている。その後も形式に沿った文言に時折アルベール様らしいアレンジを加えながら、挨拶は滞りなく進んだ。

「…そして最後に、これからお騒がせすることを、皆様にお詫び申し上げる。古くより学院で続くこの学院祭は、学生である私にとっては最も正式な集まりであるため、この場をお借りすることをお許しいただきたい。そして願わくは、皆様にはこれから私が述べる内容の証人となっていただきたい」

 突然、先ほどまでの型通りの挨拶から大きく逸脱を始めたアルベール様の言葉に、講堂に集まった一同は顔を見合わせる。私と反対側の舞台袖にいるロータス先生は、予定にないアルベール様の行動を止めるべきかと困惑しているが、ナディル様とカイからの目配せを受け、しばらく様子を見守ることを決めたようだ。

 先日十八歳の誕生日を迎えたばかりのアルベール様は、法律上はすでに成人を迎えているが、学院在学中は夜会への参加は原則的に不可とされているため、学院の卒業式後の祝賀会を除けば、国王陛下ご夫妻や、国内の貴族、他国からの来賓等が集まるこの学院祭は、間違いなく公的な意味合いの強い正式な場であると言えた。

「ピヴォワンヌ、こちらへ」

「…はい」

 緊張した表情ながらも、ピヴォワンヌ様は毅然とした表情で、アルベール様に向かい合う。アルベール様は片膝を着き、胸に手を当てて言った。漆黒の瞳は、真っ直ぐにピヴォワンヌ様を貫いている。

「私、アルベール・リリーヴァレーは、ピアニー侯爵令嬢ピヴォワンヌに、婚約の解消を申し入れる」

 ピヴォワンヌ様に跪いたアルベール様の言葉と態度は、ゲームの中で起こるような一方的な婚約破棄ではなく、真摯に関係解消を願い出る姿勢であった。
 静かに成り行きを見守っていた講堂内が、大きくどよめいた。しかし、そのどよめきの中でも、ピヴォワンヌ様の澄んだ声はよく通った。

「…理由をうかがってもよろしいでしょうか」

「ピヴォワンヌには何の非もなかった。まずそれを断言すると共に、ここにいる皆様にもご理解いただきたい。婚約解消は、ひとえに第一王子でありながら、私欲を優先したいという私個人の我儘に他ならない。私はピヴォワンヌのことは、幼馴染として、良き友人として、ずっと大切に思ってきた。しかし、私の心は他の女性に向いてしまった。彼女への想いは私の一方的なもので、結ばれることは難しいだろう。それでも、ピヴォワンヌを愛することのできない私が、国のためだと理由をつけて、愛のない結婚をあなたに押し付けるような不誠実なことは、どうしてもしたくないのだ」

 アルベール様の言葉を聞いた観衆から、再び困惑のさざめきが広がる。第一王子が他の女性を愛したことを理由に婚約を解消するなど、聞いたことがないのであった。王族に生まれた以上、政略的な結婚はある意味当然である。アルベール様の勝手な言い分で、これまで婚約者の務めを不足なくこなしてきたピヴォワンヌ様を廃することに憤る声や、長きに渡り王国が安定している状態の今、愛のない結婚を取りやめにすることは問題ないのではないかといった声も聞こえてくる。
 大昔にはこのような状況ならば王が愛妾を娶ることもあったが、その制度は当に廃れ、国王と言えども一夫一妻制なのだから仕方ない、アルベール様に賛成だという声もある。

 聞こえてくる賛否両論の声を、再びピヴォワンヌ様が遮った。

「…かしこまりました。それが他ならぬアルベール殿下のご意思であるのならば、従いますわ。わたくし、ピヴォワンヌ・ピアニーは、リリーヴァレー王国第一王子アルベール殿下との婚約解消を、謹んでお受けいたします。また、解消の理由についても理解いたしました。この場をお借りして、わたくしからも皆様に一言だけお伝えさせてください。幼き日に婚約が成ったその日から、本日この時に至るまで、アルベール殿下がわたくしに対して常に誠実な婚約者であったことは、わたくしが証明いたします」

 アルベール様の身の潔白をピヴォワンヌ様が宣言し、最後に、ピヴォワンヌ様はアルベール様へ向き直って告げた。その顔には恨みつらみではなく、ただ柔らかな笑顔が浮かんでいる。

「…アルベール様、長きに渡り、至らぬわたくしをお導きくださりありがとう存じました。殿下のお幸せを心から祈っておりますわ」

「…あなたのこれまでの尽力に、私も心から礼を言う。私が言えたことではないが、どうかピヴォワンヌも幸せになってほしい」

 ピヴォワンヌ様が婚約解消を受け入れたことで、どよめきがいよいよ大きくなる。とくに学院の生徒たちからの声が大きく聞こえる。仲睦まじい第一王子と婚約者の姿は、学院中の生徒の憧れであったのだ。それに先ほどの入場時も同じ色を纏った美しいふたりは、誰もがお似合いだとため息を漏らしたばかりだった。公衆の面前で王子が婚約解消を願い出ることはもとより、赤百合の姫としての儀式が控える中で、エスコート役の婚約者が突然婚約を解消するなど、まさしく前代未聞の出来事であった。

 周囲の混乱をよそに、アルベールは舞台から正面中央のロイヤルボックスを見据える。国王陛下夫妻と国の重鎮はボックス内に席が設けられているためだ。

「国王陛下、ピアニー侯爵閣下、私とピヴォワンヌ嬢の婚約解消をお許しいただけますでしょうか。すべては私の不徳の致すところです。後ほどどのような咎めも受けましょう」

 国王陛下の御言葉を遮ることはできないため、講堂内は打って変わって静まり返る。

「…馬鹿息子が。これほど多くの証人の前で口にしたことを、もはや取り消すこともできまい。ピヴォワンヌ嬢ならびにピアニー侯爵がそれを許すというのならば、私は認めよう」

 陛下の発言を受け、後方に控えていたピアニー侯爵が一歩前に進み出て答えた。

「アルベール殿下がそれを望み、娘も受け入れたのであれば、私が口を挟むべきことではございません。ピアニー侯爵家は、アルベール殿下のお申し入れのとおり、我が娘ピヴォワンヌとの婚約解消を謹んでお受けいたします」

「…良かろう。聞いてのとおりだ。我が息子、第一王子アルベールと、ピアニー侯爵令嬢ピヴォワンヌの婚約は、今この時を持って解消とする。また、この婚約解消についての責はすべて我が息子アルベールにあり、ピアニー侯爵家への非難は一切認めないことをここに宣言しよう。ピアニー侯爵、許してもらえるのであれば、今後も変わらず国のために尽くしてくれるよう、我は望む」

「勿体ないお言葉でございます、陛下。我がピアニー侯爵家はリリーヴァレー王国ならびに王家への変わらぬ忠誠を誓います」

 国王陛下の威厳に満ちた声により、アルベール様とピヴォワンヌ様の婚約は解消された。そしてピアニー侯爵もそれを受け入れ、また、王家とピアニー侯爵家の絆は変わらないことも宣言された。

 急展開ながらもあっさりと実現した第一王子の婚約解消劇に、講堂に集まった生徒も来賓も、言葉を失っている。

「ありがとうございます、国王陛下、ピアニー侯爵」

 アルベール様はロイヤルボックスにいる陛下とピアニー侯爵に向けて、最敬礼を取り、長らくその姿勢から動かなかった。その姿に、一同はアルベール様の本気と、この婚約解消が確かに成立したことを誰もが理解したのであった。

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