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第9話:記憶の彼方に
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一方、緊迫した状況の続くビル内では……。
「刑事さんよ、もうこれ以上説得したって埒があかねぇよ。いっそ締め上げるか殺すかしねぇと、俺達まであぶねぇよ!」
太田を始め、竹中を除く犯人グループ7名が、北条に訴えていた。
(まぁ、彼の武器が刃物であれば人数にものを言わせて抑えるっていうのもひとつの手段だけど……、爆弾じゃちょっと話が違ってくるんだよね……。)
相手の獲物が刃物であれば、危険には変わりないが数人で抑えるというのは悪い手ではない。
人間には必ず『死角』と言うものが存在し、刃物であればその死角は比較的安全であるからだ。
しかし、爆発物ともなるとそうはいかない。
何かの勢いでもし引火してしまったら、犯人の死角どころか、やや距離の離れた場時にまで被害が広がりかねない。
(犯人は爆弾所持。しかも家族を殺されて精神的にも不安定……。さらに近くの仲間も力すくで犯人を抑えようとしている状態……くっ、最悪だな。)
捜査一課に配属されて2年にも満たない新人刑事である灰島は、これまでの捜査史上最大のピンチを向かえていた。
凶悪犯とも対峙した。
しかし、今回のように目の前でいつ起爆されるかわからない爆弾所持犯との対峙は、正直なところ未経験であった。
射撃には自信がある。
しかし、今回は拳銃を所持していない。
格闘術も、刑事の並以上には身に付いている自信もある。
しかし、犯人との距離が遠すぎる。
犯人グループに北条、灰島を含めて計10人。
いちばん犯人に近い位置にいるのが、同じ麻薬密売組織として活動していた仲間7人。
少し離れた位置に、北条。
そして北条のやや後方に、灰島。
しかも、犯人グループは仲間割れ寸前、一触即発の状態である。
彼らが竹中に少しでも向かえば、失なうものの無くなった竹中は、躊躇すること無く爆弾を起爆するだろう。
(何か……糸口は……。)
必死に灰島が辺りを見回す。
少しでも、脱出もしくは犯人確保の糸口となるものを探す。
(何か……何か無いか……。)
しかし、焦れば焦るほど、視野が狭まっていくのを灰島は実感する。
「灰島くん。」
そんな灰島を、北条が小声で呼ぶ。
「……はい。」
「今は、カッコ悪いと言われたって良い。君はこのまま入口に走るんだ。ひとりだけ隙をみて逃げたと言うことにしよう。それで君は助かる。」
「……な……!」
北条が提案した打開策。
それは灰島ひとりでも、まずは退避しろと言うものであった。
「外で彼女さん、待ってるんでしょ?こんなつまらない争いのために危険を冒すことはない。退避して、近隣住民の避難誘導に入るんだ。」
「なんで、あなたは……。」
北条に退避するよう指示された灰島。
本当は、すぐにでもビルを飛び出してしまいたかった。
怖い。
ただ、その一言。
ただ暴れる犯人を取り押さえるだけではない。
爆発、さらには今立っているこの建物が倒壊してしまう可能性だってあるのだ。
まさに、死と隣り合わせ。
そんな中でも、北条は灰島のことを気にかけていた。
自分の命だって危険なのにだ。
「怖く……ないんですか?」
「そりゃぁ怖いさ。僕まだ死にたくないもん。老後は自然豊かな離れ小島でスローライフを送るって決めてるんだ。」
北条は笑いながら冗談を言う。
しかし、その視線は真っ直ぐ犯人に向けられたまま。
「たぶんね、爆弾は爆発するよ。『相手』の方が一枚も二枚も上手だった。人質をあんなに早々に殺すとか、その画像を一定の時間を見て本人に送りつけるとか、正直言って正気の沙汰じゃない。こんなことを考え付きそうな人、僕には心当たりさえ無かったよ……。」
心底悔しそうに、北条は言う。
「僕の定年までに、その『警察の闇』が暴けるかどうか、それはわからない。だからね……。」
少しだけ振り返った北条。その表情は事件現場にいるとは思えないほど穏やかであった。
「灰島くん、君に僕の遺志を継いで欲しい。」
「…………!!」
このとき、灰島は悟った。
目の前に立っている、尊敬すべき相方は、既に死を覚悟しているのだ、と。
「それにね……怖いは怖いんだけど、身体が動かなくなるほどじゃない。きっと、僕はどこかネジが外れてるのかもしれないねぇ……。」
ゆっくりと周囲を見回し、ビルの構造を思い出す北条。そして……。
「稲取くん、犯人の今の位置でそのまま爆弾が起爆したら、きっとビルは西側に倒壊する。そっちから先に避難誘導、頼むよ。」
ただでは終わらない。
北条は瞬時にビルの重心や立地から、ビルが倒壊する可能性の高い方向を割り出したのだった。
「さぁ、竹中くんだっけ?もう諦めようよ。家族は残念だったけど、君が後を追っても、きっと喜ぶことはないと思うよ……。」
竹中の気持ちを察し、出来るだけ刺激しないように話す。
その優しい言葉に、竹中も気持ちが揺らぐ。
「でも、もう俺には何もねぇ……。」
絶望の中にいる竹中。
それでも北条は説得を続ける。
「確かに失なったものは戻ってこないかもしれない。でもね竹中くん、大切なものは、また作ることが出来る。それは、生きていてこそ、だよ。」
「生きていて、こそ……。」
このとき、少しだけ竹中の心が揺らいだのであった。
(いいぞ……このまま落ち着いてくれれば……。)
一課に配属された時から、高橋には交渉術も身に着けると良いと勧められていた。
高橋自身、身体を使って捜査をするタイプであったが、そんな高橋も、北条には交渉術や頭脳を使った捜査が向いている、そう思っていたのだ。
それでもなぜ、高橋は交渉術などを北条に進めたものの一課以外の課に転属を進めなかったのか。
それは、北条の驚くべき捜査能力にある。
小さな会話の綻び、そして機微の異変を北条は見逃さない。
そして、その違和感を持ち前の頭脳を持って繋ぎ合わせていき、犯人逮捕のための道標にするのだ。
その捜査手法は、これまでの捜査一課にはなかったものだったのだ。
「北条は、捜査一課の新しい風になる」
そう認めたからこそ、高橋は北条を自分のバディとして選んだのだった。
その交渉術は、犯人の心の氷を少しずつ溶かしていき、やがて穏やかな事件解決へと導いていく。
……今回も、そうなるはずであった。
「よし、今だ!!」
(……ちょっと!!!)
竹中の気持ちが少しずつ落ち着いてきたのをいいことに、その周囲にいた犯人グループの7人が、一斉に竹中へと向かっていった。
「おいおい!やめるんだ!!」
北条が慌てて大きな声を出すも、すでに男たちの一人の手が、竹中へと伸びていた。
「う……うわぁぁぁぁ!!!」
当然、竹中は危機を感じ、爆弾に火を近づける。
「力づくでいくことが、どれほど無意味か分からないのかい!?」
北条が、必死に男たちの行動を止めようと叫ぶ。
しかし……。
「もう、やめろーーーーーーーーー!!!!」
竹中の悲痛な叫びとともに、爆弾の導火線には火がついてしまった。
「みんな、逃げろーーーーー!!」
この時、誰もが言葉を失ったこの状況で、一番最初に声を上げ、動き出したのは……
「……灰島くん!?」
北条も予想していなかった、灰島だった。
灰島はすでに、男たちが竹中に向かっていった時点で、走り出していたのだ。
(俺……何をやっているんだ?)
それは、灰島本人も驚くべき行動であった。
気が付いたら、身体が動いていた。
喉が痛むほど、男たちに叫んでいた。
そして、竹中の持つ爆弾入りのバッグを、力いっぱい蹴り飛ばしていた……。
「お前も、逃げろ!!」
強引に竹中の服を掴むと、投げ飛ばすように入口に向かって竹中を引きずる。
「北条さん!!頼む!!」
灰島が力いっぱい叫んだことで北条は我に返る。
「了解!!ほら皆、今のうちに逃げるんだ!幸い導線は長い。急いで走れば間に合うよ!!」
この北条の一言で、竹中を含む犯人グループの男たちは、一目散に駆け出した。
「うわぁぁ!!」
「死にたくない!!」
仲間のことなど誰も省みること無く、犯人グループの男たちは入口から外へ出ていく。
「よし、あとは……。」
北条が振り返った、その瞬間……。
「あなたは、こんなところで死んではいけない人だ。生きて、日本の正義を守ってください……。」
すぐ目の前には、灰島が立っていた。
そして、灰島は……
「最初で最後の無礼を許してください。」
「……え?」
北条に笑いかけると、その身体を力一杯蹴り飛ばした。
「ぐぅっ……!!」
小柄ではないが、細身の北条。
若い男性の力一杯の蹴りに、まるで弾かれるように飛んでいく。
そして、その身体が弾かれた先は、ビルの入口。
「うっ……うぅっ……。」
思い切り蹴られたので、上手く声が出せない。
そのダメージに意識が飛びそうだった。
朦朧とする意識のなか、大声で北条を呼ぶ声がする。
「早く逃げんかい!」
捜査四課の熊田であった。
「まだ……灰島くんが……!!」
「なんだと!?」
助け起こされた北条の言葉に、熊田が焦って入口から中を見る。
「灰島ぁぁぁ!!」
いつの間に怪我を負ったのか、灰島の左足は血だらけになっていた。
「まさか……爆弾を蹴り飛ばした時に……!?」
部品で切り裂いてしまったのか、中に別の武器が入っていたのか……。
灰島は、負傷した左足を軸にして、右足で北条を蹴り飛ばしたのだ。
「今行くよ!」
北条が慌てて灰島の方へ向かおうとする。
「……熊田さん!!」
そんな北条を止めるため、灰島は熊田に声をかける。
熊田も、悔しさに顔を歪めながらも、北条を押さえた。
「早く!早く逃げるんだ!少しでも、こっちへ……!!」
懇願するかのように、北条が灰島を呼ぶ。
しかし……。
大きな爆音とともに、爆弾が爆発し始めた。
何度も、何度も爆発し、ビルの外壁を吹き飛ばしていく。
「まずい、ビルが倒壊するぞ!北条、行くぞ!」
熊田が力一杯、北条を引っ張る。
熊田の怪力の前では、北条も抵抗できず、軽々と引っ張られていく。
「灰島くん!灰島くんがまだ!」
「……もう、間に合わねぇよ!」
ちくしょう……そう呟きながら、必死にビルに向かおうとする北条を引きずる熊田。
「灰島くん!灰島ぁぁ!!!」
北条が力を振り絞って灰島の名を呼んだ、そのとき……。
東京湾岸ビルは、まるで軟らかい模型のように倒壊していくのであった。
1階部分から折れたビルは、無情にも隣接する商業施設に直撃する。
「住民と捜査員の退避は!?」
「ほぼ、終わってます!」
東京湾岸ビル周辺。
そこはまさに、地獄絵図と呼ぶに相応しい状態であった……。
「嘘……でしょ?」
捜査四課・司はビルの外から、爆発の様子を見ていた。
犯人グループの男達が飛び出してきた。
これで、みんな脱出できる。
司はそう思っていた。
しかし、何を聞いたのか、課長の熊田が飛び出すようにビルの方に向かうと、同じタイミングで北条が弾かれるように飛び出してきた。
このときに、司は違和感を覚えた。
なぜ、北条と一緒に灰島は出てこないのか。
なぜ、犯人グループは先に出てきたのに、北条があのような飛び出し方をするのか。
胸騒ぎがした。
司に通話を繋いだ状態で、『あのようなこと』を言ったことも、違和感のひとつであった。
「だから決めたんだ。これからはもうひとりじゃない。一緒に寂しさや悲しさを分かち合えるようになろうって。無事に戻ったら言うつもりだ。一緒になろうって……。」
無事に帰るつもりであれば、わざわざ通話を繋いだ状態で人に話さなくても、戻ってきてから言えば良い。
「まるで、遺言みたいに……。」
そう思った瞬間、ビルが爆発したのであった。
「…………え?」
何となく、予感はしていた。
もしかしたら灰島は、無事に戻っては来ないかもしれないと。
灰島は、何らかの覚悟をしたのかもしれない、と。
しかし、そんな縁起でもない予感は外れて欲しい、司は心底そう願っていた。
「いや……だ。」
あのビルの倒壊の具合では、灰島は単独での脱出など出来ない。
それどころか、無事に生きていられるかも怪しい状況である。
「ちょっと……話が違う……。」
ゆっくりと、ビルの方へと近づいていく司。
その目は生気を感じさせない、虚ろなものになっていた。
「帰ってきて……そうしたら、一緒になるんでしょう?」
倒壊したビルの残骸からは、時折小規模な爆発が起こっている。
ガス管や可燃物に引火しているのだろう。
近づくことも危険な状態になっていた。
「一誠……いっ……せい……。」
もうすぐ、ビルの入口のあった場所に差し掛かる。
「おい!!」
そんな司を、熊田が抱えるように押さえた。
そのまま熊田は司を持ち上げ、まるで荷物のように遠くへと退避していく。
その後ろを、重い足取りで北条が歩く。
「イヤ!!離して!まだ一誠があのビルに!!」
『氷の新堂』
常に冷静沈着で取り乱すところなど見たことがない彼女が、半狂乱で暴れだす。
その光景に、熊田は怒りに身を震わせた。
「黒幕の野郎……絶対に見つけ出して、痛い目に遭わせてやるぜ……!」
絞り出すように呟く熊田。
そして……
「いやぁぁ!!一誠~~~!!!!」
少しずつ炎に包まれていくビルに向かい、司は必死に愛する者の名を叫ぶのであった。
「刑事さんよ、もうこれ以上説得したって埒があかねぇよ。いっそ締め上げるか殺すかしねぇと、俺達まであぶねぇよ!」
太田を始め、竹中を除く犯人グループ7名が、北条に訴えていた。
(まぁ、彼の武器が刃物であれば人数にものを言わせて抑えるっていうのもひとつの手段だけど……、爆弾じゃちょっと話が違ってくるんだよね……。)
相手の獲物が刃物であれば、危険には変わりないが数人で抑えるというのは悪い手ではない。
人間には必ず『死角』と言うものが存在し、刃物であればその死角は比較的安全であるからだ。
しかし、爆発物ともなるとそうはいかない。
何かの勢いでもし引火してしまったら、犯人の死角どころか、やや距離の離れた場時にまで被害が広がりかねない。
(犯人は爆弾所持。しかも家族を殺されて精神的にも不安定……。さらに近くの仲間も力すくで犯人を抑えようとしている状態……くっ、最悪だな。)
捜査一課に配属されて2年にも満たない新人刑事である灰島は、これまでの捜査史上最大のピンチを向かえていた。
凶悪犯とも対峙した。
しかし、今回のように目の前でいつ起爆されるかわからない爆弾所持犯との対峙は、正直なところ未経験であった。
射撃には自信がある。
しかし、今回は拳銃を所持していない。
格闘術も、刑事の並以上には身に付いている自信もある。
しかし、犯人との距離が遠すぎる。
犯人グループに北条、灰島を含めて計10人。
いちばん犯人に近い位置にいるのが、同じ麻薬密売組織として活動していた仲間7人。
少し離れた位置に、北条。
そして北条のやや後方に、灰島。
しかも、犯人グループは仲間割れ寸前、一触即発の状態である。
彼らが竹中に少しでも向かえば、失なうものの無くなった竹中は、躊躇すること無く爆弾を起爆するだろう。
(何か……糸口は……。)
必死に灰島が辺りを見回す。
少しでも、脱出もしくは犯人確保の糸口となるものを探す。
(何か……何か無いか……。)
しかし、焦れば焦るほど、視野が狭まっていくのを灰島は実感する。
「灰島くん。」
そんな灰島を、北条が小声で呼ぶ。
「……はい。」
「今は、カッコ悪いと言われたって良い。君はこのまま入口に走るんだ。ひとりだけ隙をみて逃げたと言うことにしよう。それで君は助かる。」
「……な……!」
北条が提案した打開策。
それは灰島ひとりでも、まずは退避しろと言うものであった。
「外で彼女さん、待ってるんでしょ?こんなつまらない争いのために危険を冒すことはない。退避して、近隣住民の避難誘導に入るんだ。」
「なんで、あなたは……。」
北条に退避するよう指示された灰島。
本当は、すぐにでもビルを飛び出してしまいたかった。
怖い。
ただ、その一言。
ただ暴れる犯人を取り押さえるだけではない。
爆発、さらには今立っているこの建物が倒壊してしまう可能性だってあるのだ。
まさに、死と隣り合わせ。
そんな中でも、北条は灰島のことを気にかけていた。
自分の命だって危険なのにだ。
「怖く……ないんですか?」
「そりゃぁ怖いさ。僕まだ死にたくないもん。老後は自然豊かな離れ小島でスローライフを送るって決めてるんだ。」
北条は笑いながら冗談を言う。
しかし、その視線は真っ直ぐ犯人に向けられたまま。
「たぶんね、爆弾は爆発するよ。『相手』の方が一枚も二枚も上手だった。人質をあんなに早々に殺すとか、その画像を一定の時間を見て本人に送りつけるとか、正直言って正気の沙汰じゃない。こんなことを考え付きそうな人、僕には心当たりさえ無かったよ……。」
心底悔しそうに、北条は言う。
「僕の定年までに、その『警察の闇』が暴けるかどうか、それはわからない。だからね……。」
少しだけ振り返った北条。その表情は事件現場にいるとは思えないほど穏やかであった。
「灰島くん、君に僕の遺志を継いで欲しい。」
「…………!!」
このとき、灰島は悟った。
目の前に立っている、尊敬すべき相方は、既に死を覚悟しているのだ、と。
「それにね……怖いは怖いんだけど、身体が動かなくなるほどじゃない。きっと、僕はどこかネジが外れてるのかもしれないねぇ……。」
ゆっくりと周囲を見回し、ビルの構造を思い出す北条。そして……。
「稲取くん、犯人の今の位置でそのまま爆弾が起爆したら、きっとビルは西側に倒壊する。そっちから先に避難誘導、頼むよ。」
ただでは終わらない。
北条は瞬時にビルの重心や立地から、ビルが倒壊する可能性の高い方向を割り出したのだった。
「さぁ、竹中くんだっけ?もう諦めようよ。家族は残念だったけど、君が後を追っても、きっと喜ぶことはないと思うよ……。」
竹中の気持ちを察し、出来るだけ刺激しないように話す。
その優しい言葉に、竹中も気持ちが揺らぐ。
「でも、もう俺には何もねぇ……。」
絶望の中にいる竹中。
それでも北条は説得を続ける。
「確かに失なったものは戻ってこないかもしれない。でもね竹中くん、大切なものは、また作ることが出来る。それは、生きていてこそ、だよ。」
「生きていて、こそ……。」
このとき、少しだけ竹中の心が揺らいだのであった。
(いいぞ……このまま落ち着いてくれれば……。)
一課に配属された時から、高橋には交渉術も身に着けると良いと勧められていた。
高橋自身、身体を使って捜査をするタイプであったが、そんな高橋も、北条には交渉術や頭脳を使った捜査が向いている、そう思っていたのだ。
それでもなぜ、高橋は交渉術などを北条に進めたものの一課以外の課に転属を進めなかったのか。
それは、北条の驚くべき捜査能力にある。
小さな会話の綻び、そして機微の異変を北条は見逃さない。
そして、その違和感を持ち前の頭脳を持って繋ぎ合わせていき、犯人逮捕のための道標にするのだ。
その捜査手法は、これまでの捜査一課にはなかったものだったのだ。
「北条は、捜査一課の新しい風になる」
そう認めたからこそ、高橋は北条を自分のバディとして選んだのだった。
その交渉術は、犯人の心の氷を少しずつ溶かしていき、やがて穏やかな事件解決へと導いていく。
……今回も、そうなるはずであった。
「よし、今だ!!」
(……ちょっと!!!)
竹中の気持ちが少しずつ落ち着いてきたのをいいことに、その周囲にいた犯人グループの7人が、一斉に竹中へと向かっていった。
「おいおい!やめるんだ!!」
北条が慌てて大きな声を出すも、すでに男たちの一人の手が、竹中へと伸びていた。
「う……うわぁぁぁぁ!!!」
当然、竹中は危機を感じ、爆弾に火を近づける。
「力づくでいくことが、どれほど無意味か分からないのかい!?」
北条が、必死に男たちの行動を止めようと叫ぶ。
しかし……。
「もう、やめろーーーーーーーーー!!!!」
竹中の悲痛な叫びとともに、爆弾の導火線には火がついてしまった。
「みんな、逃げろーーーーー!!」
この時、誰もが言葉を失ったこの状況で、一番最初に声を上げ、動き出したのは……
「……灰島くん!?」
北条も予想していなかった、灰島だった。
灰島はすでに、男たちが竹中に向かっていった時点で、走り出していたのだ。
(俺……何をやっているんだ?)
それは、灰島本人も驚くべき行動であった。
気が付いたら、身体が動いていた。
喉が痛むほど、男たちに叫んでいた。
そして、竹中の持つ爆弾入りのバッグを、力いっぱい蹴り飛ばしていた……。
「お前も、逃げろ!!」
強引に竹中の服を掴むと、投げ飛ばすように入口に向かって竹中を引きずる。
「北条さん!!頼む!!」
灰島が力いっぱい叫んだことで北条は我に返る。
「了解!!ほら皆、今のうちに逃げるんだ!幸い導線は長い。急いで走れば間に合うよ!!」
この北条の一言で、竹中を含む犯人グループの男たちは、一目散に駆け出した。
「うわぁぁ!!」
「死にたくない!!」
仲間のことなど誰も省みること無く、犯人グループの男たちは入口から外へ出ていく。
「よし、あとは……。」
北条が振り返った、その瞬間……。
「あなたは、こんなところで死んではいけない人だ。生きて、日本の正義を守ってください……。」
すぐ目の前には、灰島が立っていた。
そして、灰島は……
「最初で最後の無礼を許してください。」
「……え?」
北条に笑いかけると、その身体を力一杯蹴り飛ばした。
「ぐぅっ……!!」
小柄ではないが、細身の北条。
若い男性の力一杯の蹴りに、まるで弾かれるように飛んでいく。
そして、その身体が弾かれた先は、ビルの入口。
「うっ……うぅっ……。」
思い切り蹴られたので、上手く声が出せない。
そのダメージに意識が飛びそうだった。
朦朧とする意識のなか、大声で北条を呼ぶ声がする。
「早く逃げんかい!」
捜査四課の熊田であった。
「まだ……灰島くんが……!!」
「なんだと!?」
助け起こされた北条の言葉に、熊田が焦って入口から中を見る。
「灰島ぁぁぁ!!」
いつの間に怪我を負ったのか、灰島の左足は血だらけになっていた。
「まさか……爆弾を蹴り飛ばした時に……!?」
部品で切り裂いてしまったのか、中に別の武器が入っていたのか……。
灰島は、負傷した左足を軸にして、右足で北条を蹴り飛ばしたのだ。
「今行くよ!」
北条が慌てて灰島の方へ向かおうとする。
「……熊田さん!!」
そんな北条を止めるため、灰島は熊田に声をかける。
熊田も、悔しさに顔を歪めながらも、北条を押さえた。
「早く!早く逃げるんだ!少しでも、こっちへ……!!」
懇願するかのように、北条が灰島を呼ぶ。
しかし……。
大きな爆音とともに、爆弾が爆発し始めた。
何度も、何度も爆発し、ビルの外壁を吹き飛ばしていく。
「まずい、ビルが倒壊するぞ!北条、行くぞ!」
熊田が力一杯、北条を引っ張る。
熊田の怪力の前では、北条も抵抗できず、軽々と引っ張られていく。
「灰島くん!灰島くんがまだ!」
「……もう、間に合わねぇよ!」
ちくしょう……そう呟きながら、必死にビルに向かおうとする北条を引きずる熊田。
「灰島くん!灰島ぁぁ!!!」
北条が力を振り絞って灰島の名を呼んだ、そのとき……。
東京湾岸ビルは、まるで軟らかい模型のように倒壊していくのであった。
1階部分から折れたビルは、無情にも隣接する商業施設に直撃する。
「住民と捜査員の退避は!?」
「ほぼ、終わってます!」
東京湾岸ビル周辺。
そこはまさに、地獄絵図と呼ぶに相応しい状態であった……。
「嘘……でしょ?」
捜査四課・司はビルの外から、爆発の様子を見ていた。
犯人グループの男達が飛び出してきた。
これで、みんな脱出できる。
司はそう思っていた。
しかし、何を聞いたのか、課長の熊田が飛び出すようにビルの方に向かうと、同じタイミングで北条が弾かれるように飛び出してきた。
このときに、司は違和感を覚えた。
なぜ、北条と一緒に灰島は出てこないのか。
なぜ、犯人グループは先に出てきたのに、北条があのような飛び出し方をするのか。
胸騒ぎがした。
司に通話を繋いだ状態で、『あのようなこと』を言ったことも、違和感のひとつであった。
「だから決めたんだ。これからはもうひとりじゃない。一緒に寂しさや悲しさを分かち合えるようになろうって。無事に戻ったら言うつもりだ。一緒になろうって……。」
無事に帰るつもりであれば、わざわざ通話を繋いだ状態で人に話さなくても、戻ってきてから言えば良い。
「まるで、遺言みたいに……。」
そう思った瞬間、ビルが爆発したのであった。
「…………え?」
何となく、予感はしていた。
もしかしたら灰島は、無事に戻っては来ないかもしれないと。
灰島は、何らかの覚悟をしたのかもしれない、と。
しかし、そんな縁起でもない予感は外れて欲しい、司は心底そう願っていた。
「いや……だ。」
あのビルの倒壊の具合では、灰島は単独での脱出など出来ない。
それどころか、無事に生きていられるかも怪しい状況である。
「ちょっと……話が違う……。」
ゆっくりと、ビルの方へと近づいていく司。
その目は生気を感じさせない、虚ろなものになっていた。
「帰ってきて……そうしたら、一緒になるんでしょう?」
倒壊したビルの残骸からは、時折小規模な爆発が起こっている。
ガス管や可燃物に引火しているのだろう。
近づくことも危険な状態になっていた。
「一誠……いっ……せい……。」
もうすぐ、ビルの入口のあった場所に差し掛かる。
「おい!!」
そんな司を、熊田が抱えるように押さえた。
そのまま熊田は司を持ち上げ、まるで荷物のように遠くへと退避していく。
その後ろを、重い足取りで北条が歩く。
「イヤ!!離して!まだ一誠があのビルに!!」
『氷の新堂』
常に冷静沈着で取り乱すところなど見たことがない彼女が、半狂乱で暴れだす。
その光景に、熊田は怒りに身を震わせた。
「黒幕の野郎……絶対に見つけ出して、痛い目に遭わせてやるぜ……!」
絞り出すように呟く熊田。
そして……
「いやぁぁ!!一誠~~~!!!!」
少しずつ炎に包まれていくビルに向かい、司は必死に愛する者の名を叫ぶのであった。
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