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第7話:破滅へのドライブ

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「……なるほど、了解。」


司と高橋の会見から数分後。
北条は司からの連絡を受け、これからの方針を考えていた。


「高橋のオッサンが力になってくれるなら心強いね。作戦、一歩前進かな。」

「高橋って……まさか警視監のことか!?」


北条の呟きを聞いた稲取が目を丸くする。


「うん、僕の師匠。言ってなかったっけ?」

「聞いたこともねぇよ!……全くあんたは、どんだけの刑事なんだよ……!」


警視監に育てられた、元捜査一課の伝説。
稲取はそんな人間が身近にいることに戸惑いを隠せなかった。


「まぁ、僕の素性とかオッサンとの関係とか、そんなことはどうでも良い事だよ。まずはこの事件をいかに解決するか、それが先決だよ。」

「あ、あぁ……それは分かってる。」

「稲取くん、君は香川くんとの通話を継続だ。下手に刺激はしないこと。いいね。」

「分かった。……しかし、一つ腑に落ちないことがある。なぜ香川は俺の話を聞く気がないのなら、さっさと通話を切らないんだ?」


それは、北条も気になっていた。
神の国側の交渉人としてバスに乗っているのか、それとも、何か他に意図があるのか……。

「確かに、それは僕も引っかかってたよ。直接交渉をするなら、ハイジャックの必要はない。そして、自分の命もかける必要もない。あんな真似をして、何故彼は通話を続けるのか……。」

ひとつだけ、北条には心当たりがあった。
そして、その心当たりが正しければ、きっと……。


「とにかくだ、稲取くん、君には『最後まで』通話を続けてもらいたい。司ちゃんがここに帰ってきても、この役目は必ず君が遂げるんだ。」

「え……?おたくの司令官が戻ってくるなら、この仕事は俺よりも……」

「……いいから。今回の事件、解決のカギは稲取くん、君のような気がするよ。」


北条は、真剣な表情でそう言う。
稲取は知っていた。
北条がこの表情をするとき、決して嘘や冗談は言わないということを。


「……了解。」


ただ一言、稲取は返事をする。


「志乃ちゃん、悠真くん、バスを高速に入れないように、上手いこと警察車両を誘導してくれないかい?高速に乗って遠くまで行かれると厄介だ。各県警との連携も必要になってくるからね。」

「了解しました。」

「りょうか~い。」


志乃が悠真と協力して、バスが走りうる経路を割り出していく。それと同時に志乃は各課の車両に無線を随時飛ばし、車両を動かしていく。


「すげぇな、この子……。まるで将棋でもさしているみたいだ……。」


その様子に、稲取が感嘆の溜息をもらす。


「さぁ、ここからが本番だ……。」


「さすが志乃さんと悠真だぜ……。運転手が迷わないようにナビしてるみたいだ……。」

次々と立ちはだかる警察車両を避けざるを得ないバスの運転手。
そして、そのバスは都内の広い幹線道路を何度も回ることとなる。

その車内で、虎太郎は何か出来ることはないか探る。


「なぁ香川……、お前さ……」

「余計な口を利くな。寿命を縮めたいのか?」

「まぁ、そう言うなって。どのみち俺はこの事件では使い物にならねぇ。両手両足を縛られて、お前を食い止めることなんて出来ねぇよ。漫画の世界じゃあるまいし。」

「……僕を怒らせるような真似だけはするなよ。」

「……へいへい。」


虎太郎は、考えた。
このままただ黙ってバスに乗っているだけでは、この事件は平行線をたどるだけ。
それなら、無線を活用して、出来る限り情報を引き出す。
それを北条が聞けば、何らかの穴を見つけ、事件解決の糸口へと繋がるかもしれない。


「でもよ、おかしくねぇか?お前の肉親か恋人、大切な仲間じゃなければ、そこまでして解放させようとは思わないんじゃ?」

「……本宮も、桜川も、僕とは直接的に関係はない。」

「……え?」


小さな声で答える香川。
その言葉に、虎太郎は驚く。


「……それなら、そんなにすることねぇじゃねぇか。お前が命を張る必要は……。」

「……僕も、恨みがあるんだ。警察に……。」

「恨み?」


香川の言葉に、北条が稲取を見る。
何か心当たりはないか?
そう、北条の視線が問う。
しかし、稲取は小さく首を振る。
稲取はこれまで、香川は普通に首席で警察学校を卒業した、次世代のエースだと思っていたからだ。


「僕が警察に入った理由、それは『母さんを殺した』警察への復讐を果たすため。僕一人でもやるつもりだった、この人生をかけた復讐。しかし、僕が捜査一課に配属されたときに、僕の目的を知る『ある人』から連絡があったんだ。」


香川は、切々と語る。


(香川君の母親を……警察が殺した?)


北条は、虎太郎の無線から流れてくる香川の言葉に動揺を隠せない。
自分が捜査一課にいたときも、女性を警察が見殺しにした事件など聞いたことがない。


「8年前……都内で爆発事件があったのは覚えているな?」

「8年前の……?」


香川の言葉は、虎太郎に向けられたものではなかった。
無線の先の、稲取・北条に向けられた言葉。


「8年前って、お前……」

「まさか、あの事件の……被害者遺族?」


北条と稲取が、顔を見合わせる。


「ただいま戻りました!」

そしてちょうど、司も司令室に帰還した。


司が戻ってきたことを確認すると、北条の表情が曇る。


「あぁ……おかえり、司ちゃん。どうだった?」

「えぇ。高橋警視監、お力になってくれるそうです。」

「それは良かった。さすがは司ちゃんだね。」

「それで……こちらは?」

「うん……。」


出来れば、司には『8年前の事件』についての話題は聞かせたくない。
司も、8年前の事件で大切な人を失ったのだ。


「警察は、事件を解決させるために、現場の近くにいた母を見殺しにした!助けられる時間もあったはず、爆発したあとも救助に行けたはずなんだ!それなのに……!」


悲痛な声で訴える香川。
その言葉で、司は悟ってしまった。

「それって、8年前の事件……。」

「……うん。」

「もしかして彼も、事件の関係者?」

「あぁ、お母さんを亡くしたらしい……。」

「そう……ですか。」


志乃と悠真が顔を見合わせる。


「ねぇ、志乃さんは知ってる?」

「事件はニュースで見たけれど、詳細までは……。」


そう、志乃や悠真、そして虎太郎は当時はまだ警察官でさえなかった。
それでも、東京ではなかなか大きな時間としてニュースで流れていたので、事件の大雑把な概要くらいは知っている。


「確か……巨大密輸組織の検挙のために突入した海沿いのビルが大爆発の上に倒壊して、多数の死者を出したっていうニュースだったはず……。」


志乃が端末を使って当時の事件を検索する。


「……これ、ですね。」

そして、ひとつの記事をモニターに映す。

『東京湾岸ビル、警官突入後に大爆発。民間人5人死傷、刑事1名行方不明』


モニターの記事を見ながら、北条が拳をきつく握る。


「……僕も稲取くんも、そして司ちゃんもこの事件の捜査チームにいた。」


そう、北条がまだ捜査一課で捜査していた頃の事件である。


「稲取さん、どうして黙っていたんですか?」


香川が、静かに稲取に問う。


「……あの事件は、刑事の無力さを浮き彫りにした事件だった。若手に武勇伝のように話す事件じゃねぇよ、あれは。」

稲取も、当時の事件には良い思い出は無いらしい。苦い表情で香川に答える。


「そうですか……まさか、貴方まで母を見殺しにした刑事の1人だったなんて……幻滅です。」

「なっ……俺は見殺しになんて……!」

「うるさい!結果、母は帰ってこなかった!現場に刑事がいて、帰ってこないなんて、見殺しにしたのと同じだ!」

稲取の言葉をまるでかき消すように、香川が叫ぶ。


「本当なんだよ、香川くん。稲取くんは本当に最後まで……」

「……いいんだ北条さん。結果、彼のお袋さんは救えなかった。」


弁解しようとする北条を、稲取が制した。


「それで、犯罪組織に手を貸したって訳かよ……下らねぇ。」


無線と目の前にいる香川の声で、大体のやり取りを聞いていた虎太郎が、小さく呟く。


「……なんだと?」


その呟きを聞いた香川が、後部座席へとゆっくり迫る。


「ひ、ひぃ……!」

「く、来るな!」

「死にたくない……」


乗客達は皆、1ヶ所に固まり怯える。
拳銃を所持し、爆弾をも身に付けている香川。
怯えるのも無理はない。
それでも、虎太郎だけは真っ直ぐに香川を見据える。


「聞こえなかったか?ならもう一度言ってやる。俺は『下らねぇ』って言ったんだ!」

「お前……!」


香川が拳銃で虎太郎の頭を殴り付ける。
虎太郎の額に血が滲んだ。


「口を慎めよ!お前の命は俺が握ってるんだ!」

「あーそうだな。今のお前はバスの中全員の命を握ってる。それは事実だ。……それが何だよ。」

「……っ!」


今度は、虎太郎の腹を、背を蹴りつける香川。
しかし、虎太郎は呻き声ひとつあげない。


「や、やめてくれ!」

「彼は抵抗できないんだ!」

「君も、挑発はやめるんだ!」


乗客達が慌てて香川と虎太郎をなだめる。


「はぁっ、はぁっ……!」

肩で息をする香川。
虎太郎は口許に笑みを浮かべ、香川を見据える。


「警察が親御さんを助けてくれなかった?……復讐とかなんとか言ってるけどよ、お前……今やってることはなんだ?警察官が民間人を殺すのか?」

「僕は……組織のスパイとして……」

「それでも、刑事として困った人を助けてきたじゃねぇか!警察官として民間人と接してきたんじゃねぇのか?」

虎太郎が真剣な表情で香川に言う。


「乗客達にも家族がいる。彼らの命を万が一奪ったとしたら……お前みたいな奴が次々と生まれるんだぞ!そんなことも分からねぇのか?」

 
虎太郎の言葉に、香川の動きが止まる。


「大切な人が亡くなった、それは辛いことだし同情する。でもな、お前が他の誰かの大切な人を奪うって、そんなこと許されるわけ無いだろ!」

「そうだぞ香川!まだお前は誰も殺してないんだ。すぐに引き返せるところにいるんだぞ!」


虎太郎の訴えに、稲取も同意し訴える。


「引き返す……だって?」

「スパイとして組織に与したとしても、まだお前は誰も殺してないんだろう?情報を漏洩したとしても、これまでの事件の手助けをしてきたわけではないんだろう?それならまだ償える!さっさとバスを止めて、降りてくるんだ。人質と一緒に!」


稲取は、枯れてしまいそうな声を張り上げ、必死に香川を説得する。


「お前の恨みは俺が聞いてやる!だから、バスを止めろ、香川ぁ!!」


このとき、香川の気持ちが少しだけ揺らいだ。


「稲取さん……貴方に僕の事情の何が分かると言うんですか……」

強気に話していた香川の声が、少しだけ小さくなる。


「分からねぇよ!!」


そんな香川を、稲取は怒鳴りつける。

「……っ!」

「分からねぇから言ってんだ!事情を全て知った上で、それでお前に同情しちまったら、俺はきっと、お前を止められない。でもな、お前のことを何も知らないからこそ、止められる!」

「何を言ってるのか、さっぱり……」

「お前を真っ当な道に引き戻して、それからお前のことを知ろうって言ってるんだよ!償ったら、思いきり語り合おうじゃねぇか!これまでみたいに刑事としては付き合えねぇが、ひとりのうるさい親父として、お前と向き合ってやるよ!!」


稲取の言葉に、司令室内のメンバー達が胸を打たれる。


「稲取さん……」

「一課長、すごい……」

「めっちゃカッコいいじゃん!」

そして、北条も……。

「交渉としては最悪。感情に任せてものを言い、挙げ句の果てには犯人を怒鳴り付ける。これじゃ人質の命がいくつあっても足りないよ。でも……」


司と北条が、稲取と交渉役を替わらずそのまま稲取に任せたのには、理由があった。


「……それは、『普通のバスジャック犯が相手なら』だ。香川くんには、稲取くん以上の適任は、いないよ。」


新米刑事の時から、香川を見てきた稲取ならば。
苦楽を同じ課で、そしてバディとして分かち合ってきた稲取ならば、きっと香川の心を動かすことが出来る。
そう思ったのだ。


「でも……もう、遅いんです。僕はもう、『神の国』の人間。一度入った以上、もう……」


(おいおい、スゲーな稲取のジジイ……)

香川の心が揺らいだことに一番最初に気づいたのは、バスの中にいた虎太郎だった。


「なぁ……そこにあるソムリエナイフ、取ってくれねぇか。アイツに見つからないうちに……。」

ここが転機。
そう感じた虎太郎は、一緒に後部座席に集まっている乗客達に、ワインのコルクを抜くためのソムリエナイフを渡すよう頼む。


「わ、分かった……」

「私が壁になろう……」


手を撃たれた大柄の男が、虎太郎の前に座り壁がわりとなり、その隙にもうひとりの乗客が後ろ手に縛られた虎太郎の、その手にソムリエナイフを持たせる。


「何なら、私が切ろうか?」

「ダメだ。バレた時点で殺される。大丈夫だ、じっくりロープを切って、縛られたままの演技をしておくさ。いざとなったら飛び出せるようにな。だから皆、上手くしらばっくれていてくれ。」


拳銃に爆弾。
大きな障害はあるが、いざとなったら飛び出そう、虎太郎はそう思っていた。

「問題は、あの爆弾だねぇ……。」

北条が、難しい表情をする。
稲取の言葉で心が揺らぎ、香川は少しだけではあるが冷静さを失いつつある。
上手く行けば、バスを止めてくれる可能性もある。

しかし、問題は香川につけられている爆弾の存在である。
衝撃により起爆するタイプの爆弾。
無理に外そうとすれば、おそらく強い衝撃をかけてしまうだろうし、なにより香川が大人しく爆弾を外されるのを待つだろうか?


「辰さーん、なにか分かった?」

そして、まだ爆弾の全容が明らかになっていない。
北条は、辰川の返答を待った。


「おー、分かったぜー。なかなか厄介な爆弾だぜ、ありゃぁ……。解体するには、俺がやるのが手っ取り早い。ちょっとだけ作りが複雑でなぁ……。」


ようやくドローンからの画像で爆弾の種類を判別した辰川。


「ありゃぁ、爆発したらバスどころじゃねぇ、周辺にも被害が出るぜ。絶対に爆発させちゃぁ駄目だ。あの小僧、跡形もなく吹っ飛ぶぜ。」

「マジかよ……後部座席にいても駄目か?」

「虎……悪いが後部座席の方がヤバイかも知れねぇぜ?吹っ飛んだバスの残骸が、爆風にのって一気にお前に襲いかかり……蜂の巣だぜ。」

「……んなこと言ってねぇで、どうにかする方法考えようぜ!」


辰川と虎太郎のやり取りに、少々ではあるが余裕が感じられてきた。
それも、香川の気持ちが揺らいだことで、そこになにか突破口を見いだせると思ったからだ。


「爆弾のことは分かったわ。あとは、具体的な作戦を練っていきましょう。今のままの速度では、バスに手出しは出来ない。」

「司令~、私ならこの速度でも飛び移れるけど~?」

「確かに、あさみなら出来るかもしれないわね。でも、今回の事件は出来るだけ香川くんを挑発しないように進めたい。何が起爆の引き金になるか分からないから。」

「そうだねぇ……バスを減速、あるいは停車させるための『何か』が欲しいよねぇ……。」


無線でやり取りをしながら、少しずつ事件解決のためのプランを練っていく特務課メンバー。
その様子を、稲取が見守る。


「おい姉ちゃん、いつもこうなのか?」

志乃に問う稲取。


「えぇ。特務課は事件の早期解決を期待される課ですので、捜査会議は行いません。現場の状況、集めた情報、各員の経験などを踏まえ、即行動できるプランを司令を中心に立てていく。現場至上主義……とでも言いましょうか。」

「そのために、僕たちオペレーターが頑張るんだよね~」



志乃と悠真が、特務課の方針を話す。


「少数精鋭……とんでもねぇな、特務課……。」

初めて目の当たりにする、特務課員の行動。
稲取はそのレベルの高さに驚愕していた。

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