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第6話:人間の可能性

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そして、虎太郎は……。

「………奈美……。」


奈美の死を受け入れたものの、まだ立ち直れずにいた。
深夜になっても動かない、動けない。
食べかけの昼食が、そのままテーブルに置かれていた。


テレビはもう何日間も、同じチャンネルが流されている。
昼夜問わず、部屋の電気はつけたまま。
奈美が整えたであろうベッドは、整ったまま。
変わり果てた奈美を見たあの日から、虎太郎はベッドを使っていないのだ。


そんな静寂に包まれた部屋に、何度目かの電話が鳴る。


「……ちっ」


もういい加減にしてくれ、と言わんばかりに虎太郎が舌打ちをする。

電子音と共に、留守番電話の録音が再生されると……。


「虎太郎くん?私……志乃です。連続殺人事件の犯人は……無事、逮捕されました。北条さんが、必死に尻尾を掴んでくれました。いま、自ら取り調べをしてます。」


志乃の声に、思わず立ち上がる虎太郎。


「そうか……犯人、捕まったのか……。」


虎太郎は、少しだけホッとしている自分に気付く。


「なーに安心してんだか。別に、これから先同じような事件の被害者がいなくなる、ただそれだけの事じゃねぇか……。」


刑事として、新たな犯罪を防げたことは、素直に喜ぶべきこと。
しかし、今の虎太郎にとって、犯人逮捕の報せは喜べることでもなかった。なぜなら……。


「犯人が逮捕されたところで、奈美が生き返るわけでも無し……。」


奈美の遺骨は、奈美の両親が連れて帰った。
虎太郎の部屋に残っているのは、虎太郎とふたり、笑顔で写っている写真だけ。


奈美はもう、帰ってこないんだ……。
言い様もない虚無感。
それを振り払うかのように虎太郎は5本目のウイスキーのボトルを開ける。


「もう……刑事なんて……。」

危ないときは、必ず助けに行く。
そう、奈美と約束したのに、助けに行くまでもなく奈美は襲われ、殺された。 

刑事として生きる理由がなくなったいま、虎太郎は何を目標に生きているのか、それを完全に見失っていた。


「落ち着いたら、退職届……出しに行こう。」


大切な人も守れなかった自分が、人のための職務に就く資格など無い。
虎太郎は刑事を辞める決意を固めていた。


夜も更け、虎太郎にも睡魔が襲い来る。
睡魔に身を任せ、近くのソファーにゆっくりと横たわり、目を閉じる。


そのときだった。
不意に、インターホンが鳴る。
もう眠い、無視しようと目を閉じる虎太郎だったが、インターホンは何度も、何度も鳴る。


「何だってんだよ、こんな夜中に……。」

とにかく、インターホンの耳障りな音を止めたい。

虎太郎は仕方なく立ち上がると、玄関のドアを開けた。


「うるせぇな……いま何時だと……」

気だるそうに、虎太郎は訪問者に文句を言う。


「ごめんごめん、出来るだけ早くに君に会いたくなってね。そう思ってたら、夜更けと言うことも構わず来てしまったよ。」

「え………?」


インターホンを押したのは、北条だった。
そして……。


「おぅおぅ、ここが虎の部屋か。良いところに住んでるじゃねぇか。」

「お邪魔します……遅くにごめんなさい。」

「へー、高そうなマンションじゃん。」

「お腹すいた~!なんか作ってよ、虎ぁ」

「まったく……深夜なんだから、周りの方々の迷惑にならないようにね……。」


北条の背後には、特務課の全員が集まっていた。


「みんな……」

「僕は夜遅いし、虎が悲しい思いをしているから1人で良いって言ったんだけどさぁ……。」


北条が、苦笑いを浮かべながら頭を掻く。

「俺……ずっと休んでたし……犯人逮捕の力になれなかったし……。」

突然の仲間の来訪に戸惑う虎太郎。


「……きっと、だからみんな、ここに来たかったんだと思うよ。」


そんな虎太郎に、北条は笑顔で言う。


「まだ、僕たちにとってはこの事件は解決してないんだよ。ちゃんと解決するまでは、僕たち特務課は手を抜かない。僕たちはあらゆる事件を解決に導くエキスパート、だろう?」

「……言ってる意味が……。」


どうしたら良いかわからないまま、狼狽える虎太郎。


「グズグズグズグズ……うっさいわね!私はいまお腹空いてるの。食べ物を欲しているのよ!分かる?ここで私を追い返したら、アンタはただの甲斐性無しよ?」

そんな虎太郎の襟を掴み、あさみが大きな声を出す。


「うるせぇな……分かったよ。散らかってるけどそれでも良ければ入れよ……。ここで大騒ぎされても、近所迷惑だしな……。」


メンバー達の勢いに押され、つい虎太郎は皆を招き入れてしまう。


「お邪魔しまーーす!……って、うわぁ汚ぁ……。」


飛び込むように1番手で入っていったあさみが、思わず嫌そうな声をあげる。

「まぁまぁ、仕方ないわよ。虎太郎くんだって……汚すぎよね、この部屋。」


続いて、司が入り……

「はっはっはっ!男の部屋なんて、こんなもんだろ!」

「えー、僕の部屋はもっと綺麗だよ。何もないけど。」

辰川、悠真と続く。

「もう、みんな……ごめんね虎太郎くん、すぐに帰るように言うから……。ちょっと皆さん!勝手に人の家を荒さないでください!」

そして、申し訳なさそうに志乃が入っていく。


「面白いよね、特務課。みんながみんな、面白い。」

「もう、好きにしてくれ……。」

呆れ顔で言う虎太郎に、


「うん、少しの間だけ、好きにさせてもらうよ。」

笑顔で言う北条であった。


それから約2時間ほど。
虎太郎の部屋は数日ぶりに人の声が響く、明るい雰囲気となった。


「司令、料理うまーい!!」

「当然よ。何年独身……まぁいいわ。」


司が冷蔵庫にある食材で料理を作る。

「買ってきたぞー!面倒くせぇからケースで買ってきた。割り勘な。残すなよ?」

「ついでにジュースも買ってきたよー!」

そして、辰川と悠真は飲み物の買い出し。

「明日は燃えるごみの日……だよね?帰るときにまとめて捨てていくから、ごみ袋、ここに置かせてね?あと洗濯物は物干しに干せる分だけ洗って干してあるから。」

志乃は荒れ放題だった部屋を掃除し、散らかった洗い物を出来る範囲で洗濯機にかけていた。


「みんな、こんな遅くにそこまで……」


それぞれ手際の良い行動に、虎太郎が戸惑う。
自分の部屋なのだから、少しくらい自分で何かしなければ……と立ち上がる虎太郎を、

「今さら立ち上がったってやること無いって。テレビ見よー!」


……と、あさみが制する。
北条は、冷蔵庫に残っていた缶ビールを出すと、

「グラス、借りるよー」

と食器棚からグラスを3つ出すと、虎太郎の前に3つ並べ、それぞれビールを注いでいく。


それを合図に、司の料理をあさみが運び、志乃がリビングの掃除を終えて手を洗い、辰川と悠真が買ってきた飲み物をテーブルに並べ始める。


「なんで……3つ?」

「1つは僕のぶん。1つは虎のぶん。そして、もう1つは……。」


メンバー達が皆、飲み物の入ったグラスを持つ。


「……奈美ちゃんのぶん。まだ、事件は終わってないんだよ。遺族にちゃんと報告して、そして被害者にもちゃんと逮捕したよ、仇は取ったよって報告をする。それが、僕流の解決の仕方なのさ。今回は、みんなにも付き合ってもらおうと思ってさ。連れてきちゃった。」


「北条さん……。」

「あ、間違えた……。奈美ちゃん、ビール飲めなかったよね。辰さん、頼んでおいたワインは?」

「あるぜ。取っておきの買ってきたぜ!……割り勘な。」


辰川が、お洒落なハーフボトルに入れられた赤ワインを北条に渡す。それと同時に志乃が食器棚からワイングラスを出す。

北条は手慣れた手付きでコルクを抜くと、静かにワインをグラスに注いだ。


「……これで、よしと。結局、奈美ちゃんはビール、飲めなかったなぁ……。」


いつか、一緒にビアガーデンに行こう。
そう、虎太郎と3人で約束したのが、つい最近のように感じる北条。


「奈美ちゃんとの約束は果たせなかったけど……オープンしたら虎を連れてくよ。良いよね?」


寂しそうな表情を、グラスの先の誰もいない空間に向けると、北条は静かに自分のグラスとワイングラスを合わせた……。


にぎやかな時間が流れていく。
しかし、虎太郎はその輪の中に入れずにいた。

婚約者を亡くしたというのに、自分だけ浮かれているわけにはいかない。
そう思っていた。
そして、特務課のメンバーもそれは分かっている。
婚約者を亡くした悲しみがいかほどのものか、それを察するからこそ、メンバーたちは無理に虎太郎を誘うような真似はしなかった。


「……じゃぁ、なんで来たんだろうね、僕たちは、そして彼らは……。」


ひとり、ベランダでグラスを煽る虎太郎の隣に、北条が並ぶ。


「ちょっとだけ、邪魔するよ。」

「…………。」


返事をしない虎太郎。
それでも構わず、北条は新しい缶ビールの栓を開けた。


「きっと、こう思ってるよね。まだ気持ちの整理がつかないんだ、放っておいてくれ……ってさ。」

「……。」


虎太郎は、答えない。
もし『そうだ』と答えてしまったら、大切な何かを失ってしまいそうな、そんな気がしたから。


「まぁ……僕もそう思うよ。奈美ちゃんは良い子だったし、殺されたのは本当に腹が立つ。犯人を殴ってやろうと何度思ったことか……。」

そんなに腕っぷしは強くないんだけどね、と両手をひらひらさせながら、北条が言う。


「でもね……最初に言ったけれど、事件はまだ解決していないんだ。奈美ちゃんの他の2人の遺族にもちゃんと報告しなければならないし、遺族の悲しみに寄り添わなければならない。犯人を逮捕したとしても、殺人事件の遺族の心の傷は、絶対にふさがることはないんだ。ずっと一緒に生きてきた、家族を喪うんだからね。」


深夜の風が、肌に突き刺さるようだ。
それでも、虎太郎も北条も部屋の中には入らなかった。


「俺……もう刑事は続けられねぇ。」

「そっか……。うん、まぁ、それも一つの選択肢だよ。君が本当に刑事を辞めたいと思うなら、僕は新しい生活を応援するよ。たまーには飲みに付き合ってよね。」


虎太郎の言葉を、北条は否定しない。


「復帰を望んできたんじゃないのか?」

「え?……そんなこと言ったっけ?」

「いや……言ってないけど……。」


虎太郎は、特務課のメンバーたちは自分を復帰するよう説得しに来たのだと思っていた。
奈美の変わり果てた姿を見た日から、今まで犯人逮捕に向けて努力していたわけではなく、出勤すらしていなかったのだから。


「半端な気持ちで復帰すれば、いつかきっと命を落とすことになる。それは我々も本意じゃぁない。中途半端な気持ちで復帰するなら、スパッと辞めて警察とは無縁の仕事に就けばいい。まだ若いんだし、転職先なんて山ほどあるさ。」


北条は、笑いながらそう言った。


「じゃぁ、何しに来たんだよ、ホントに……。」


虎太郎が、拍子抜けしたといった面持ちで北条を見る。
北条は、そんな虎太郎の表情を楽しむかのように笑う。

「僕はね、昔話をしに来たんだ。……そんなに昔の話じゃないんだけどね。」

そういうと、外の景色に視線を向ける。


「虎と奈美ちゃんの出会いって、派出所勤務時代だったんだって?」

「……あぁ。」


虎太郎と奈美は、虎太郎が都内の派出所に勤務しているときに出会った。


「対して大きな事件なんてない、あったとしても我々刑事に横取りされる。そんなつまらない派出所勤務の君に、奈美ちゃんは惚れたそうだよ。それで、勇気をもって話しかけたんだって。」

「あいつ、そんな話……いつ?」

「虎が酔っ払って僕よりも先に寝たとき。」

「う……。」


北条と虎太郎がバディを組んで、初めて虎太郎の部屋に遊びに行った日。
奈美は嫌な顔一つせずに北条を迎え入れ、北条に食事を振舞った。
そして、3人で晩酌し、虎太郎がいちばん先に眠った、その夜の話を北条は虎太郎にしている。

「普段はまるで素行の悪い人みたいに気だるそうで、口も悪いし乱暴そうだし、この人は本当に警察官かと思ったらしいよ。でもね……。」

この話をした時の、奈美の優しい表情が、北条の脳裏を過ぎった。


「小さな子が、50円玉を届けに来た時の虎を見て、奈美ちゃんは惚れたらしい。」

「……あぁ……。」


後にも先にも、虎太郎が小さな子供から50円玉を届けられたことは1度しかなかった。

「小さなこと、些細な事、自分に都合の悪いことは、すぐに目を背けられ、なかったことにされる。でもお前は、こんな硬化1枚でもちゃんと届けた。小さなことでも見逃さずに正しいことが出来るお前、すげぇぞ。……そう、小さい子に言う虎の笑顔を見て、あぁ、この人は本当に正義のために働いてるんだなぁって思ったそうだ。」


北条が、その時の話を懐かしむ。
そして、虎太郎はその当時のことを思い出していた。


「そうか……それで、あいつ……。」

その日の夕方、奈美が虎太郎の勤める派出所に来た。

『お巡りさん……眼鏡、この辺で失くしちゃったんですけど……。』


「……覚えてる?」

「あぁ。忘れもしねぇ。派出所の周辺、2時間も探したけど見つからなかった。」


その日、虎太郎と奈美は出会った。その時の話を、北条は聞いていた。


「……なかったんだって。」

「え?」

「最初から、眼鏡なんて、持ってなかったんだって。あれは、自分の連絡先を知ってもらい、虎太郎の名前を知る、口実だったらしいよ。」

「マジかよ……。」

そう、それは奈美の精一杯のアプローチだったのだ。


「……ってか、そんな話までしたのかよ……。」

「……これからバディになるんだって言ったら、僕には虎のこと、自分のことをたくさん知って欲しいってね。まぁ、何が言いたいのかというと……。」


北条は、残りのビールを一気に喉に流し込む。


「……奈美ちゃんがあの時君に見た『正義』って、何だったんだろうね……っていう、確認をしたかったのさ。奈美ちゃんを守るためのものじゃない、奈美ちゃんが惹かれた、虎の『正義』って何だったのかなって……それが僕も知りたくてさ。ちょっと話してみたくなっちゃった。」


虎太郎とバディを組んで、まだそれほど長い年月とは言えないが、北条も虎太郎の正義感には惹きつけられていた。
正義に対する情熱。
それを虎太郎からは感じていたのだ。他の刑事たちとは比べ物にならない熱量を。


「虎、奈美ちゃんは今回の事件で君が刑事を辞めること、本当に望んでいるかなぁ?」

「奈美が……?」

「うん。もし、刑事を辞めると奈美ちゃんが知ったら、なんて言ったかなぁ……。」

「……。」


そんな話を、奈美が殺される直前に虎太郎はしていた。

「あのとき……」


その時の話をしようと、虎太郎が口を開きかけた、その時……。


「さぁて、みんなそろそろ帰るよ~。明日も僕たちは仕事なんだからさ。」


北条はその言葉を遮るように虎太郎に背を向け、メンバーたちに声をかけた。


「お、おい……。」

北条の合図を待っていたかのように、メンバーたちが帰り支度をする。


「なぁ、まだ話は……。」

「いいんだよ。聞かない。」


拍子抜けした虎太郎。
北条は、笑みを浮かべたまま言う。

「この答えは、君の刑事としての答えそのもの。君の心に仕舞っておくべきものだ。それを聞くのは野暮ってものだよ。奈美ちゃんとの大切な思い出を、全部僕が知るわけにはいかないからね。バディとはいえ、君の全てを知るつもりはないよ、僕は。」

メンバーたちが次々と荷物をもって玄関に向かう。


「結局何しに来たのか……。簡単なことさ。僕たちはねぇ……」


そして、北条も靴を履き、ドアに手をかける。


「……ただ、君を心配しに来たんだ。」


それだけ言うと、北条はゆっくりとドアを閉めた。

虎太郎が、部屋に一人、残される。


「なんだよ、それ……。」


仲間たちの去った玄関をぼんやりと見つめながら、虎太郎は小さく呟いた。
静けさの戻った、ひとりの部屋。
だいぶ綺麗に片づけられた部屋の中央に戻った虎太郎は……


「奈美……俺は、どうしたらいい……?」

奈美との思い出を振り返りながら、自分に問う。


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