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第5章 差し伸べるのは手だけじゃない。

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歌い終わったうたは、どうしたら良いか分からず、下を向きもじもじした素振り。

「うた!」

奏が呼んでも、反応できないでいる。

「うーーーたっ!!!」

奏は、うたがなかなか返事をしないので、背後から思い切り歌に抱き着く。

「あっ……!?奏ちゃん!!」

ようやく我に返ったうた。奏はそんなうたの両頬を引っ張る。

「あんた、それがやめようとしてた人の歌?めっちゃ感動したわ!」

引っ張った頬をぐいぐいと伸ばしたり戻したりしながら、奏が興奮した面持ちでうたに言う。

「い……いらいよかなれひゃん……」

両頬を引っ張られた挙句、興奮したままの奏に詰め寄られるうた。
困惑しているところに、響が屋上に現れる。
響が来たことに気付いた奏は、

「先生!」

パッとうたから離れると、響に走り寄って袖をぐいぐいと引っ張る。
興奮冷めやらず、と言った様子である。
響はそんな奏を見ると、苦笑いを浮かべる。

「おいおい……子供かお前は……」

無理矢理引き剥がすと文句を言われそうなので、あえて奏を引き剥がさずに、うたのもとへと歩み寄る響。

響が近づくにつれ、うたの表情が曇っていく。
少しずつ下を向き、響から視線を外す。

(そうだよね。この人の前では、歌っちゃいけないよね……。)

病院での光景がよみがえる。うたは響と目を合わせないまま、

「歌ったりして、ごめんなさい……」

と、頭を下げ謝罪した。

「なんでうたが謝……」

口を開こうとした奏を制し、響は真剣な表情で訊ねた。

「歌ってみて……楽しかったか?」

「え……?」

思いもよらない響の返事にうたは驚き顔を上げると、目の前の響は優しい笑みを浮かべていた。

「楽しかったです、とても……。でも……私があなたの前で歌うことは……」

どうしても、後ろ向きな言葉が出そうになる。
しかし、その言葉を響は自分の言葉で遮った。

「俺が聞きたいのは、そんな答えじゃない。歌ってみて、楽しかったのか?」

奏が、心配そうにふたりを見る。
決して、穏やかな雰囲気ではない。どちらの肩を持とうか悩んでいると……

「すごく楽しかった……です。私、やっぱり歌が大好きです。やめたく、ないです……」

うたがしっかりと、自分の気持ちを言葉にした。
しかし、言い終わるより早くうたの頬を涙が流れる。
奏は、そんなうたのことが見ていられず、その肩をそっと抱いた。

響は、二人の様子を見守ると、小さく息を吐き話を続ける。

「だったら、歌い続ければいい。そして、もっと多くの人に聴かせればいい。その歌に救われる人が人が、必ず現れる。」

「え………………?」

それは、なんとなく奏が予想していて、うたが予想すらしなかった言葉。
それを響は、はっきりとうたに伝えた。

「良かったね……うた、良かった……ぁ」

予想はしていたものの、実際にその言葉を聞いた奏は、感動し涙を流した。

「俺のメッセージは、届いただろう?差し伸べるのは、手だけじゃない。」

音楽室から聴こえた伴奏が頭によみがえる。
響は、うたのことは事故とは関係ないとしっかりと割り切り、うたが歌を歌うことを認めたのだ。

「ありがとう……ございます!」

うたは満面の笑みで、響に頭を下げた。
その笑顔が眩しくて、響は照れくさそうに頭を掻いたが、これでいいんだ、と頷くと、うたに言う。

「これからは、俺もお前も、奏も……、音楽を愛する同志……仲間だ。」
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