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第5章 差し伸べるのは手だけじゃない。
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演奏が、終わる。
会場内は静寂に包まれる。そして……
一気に観客たちが立ち上がり、スタンディングオベーション。
場内が歓声に沸き立つ。その中で、最前列のふたりだけは、座ったまま、泣いていた。
立ち上がり、深く礼をする響。
顔をあげると、くしゃくしゃな顔の美少女ふたりがこちらを見ている。
そんな光景が可笑しくて、つい笑ってしまった。
舞台袖に引き上げ、ネクタイをはずしてシャツのボタンを緩め、学生達からの握手とサイン責めに遭い……
解放されてロビーに出たのは、演奏終了後15分後だった。
ロビーに出ると、奏とうたが待っていた。奏は響に飛び付くように走り寄ると、
「先生……凄かった!凄かったよ……」
と、また泣き出す。やれやれ……と響は奏の頭をポンポンと撫でながら、
「いつまで泣いているんだ。お前だけだぞ、そんなに泣いてるのは……」
と、溜め息混じりに言う。
「だって……だってさぁ……」
その様子は、まるで泣きじゃくる子供のようでもある。
仕方ないな、と苦笑いを浮かべ視線を移すと、その先にはうたがいた。
うたは、響にどう接したらいいか迷っている様子だった。
響は、別の意味でもう一度、溜め息を吐くと、いつの間にか響の肩に顔を埋め、泣いている奏を指差して、うたに言う。
「コレをどーにかしろ」
それは、響にとっては精いっぱいの歩み寄りであった。
しかし……。
「あの……その、ごめんなさい!」
うたは真っ赤な顔で深々と頭を下げると、全速力で走り去っていった。
何処へ行くのか、見当もつかない響。
「おい……行ったぞ?いいのか?」
響は走り去ったうたのことが心配で、奏に問う。
「うぇぇ……、感動したぁぁ……」
奏は、未だ泣いていた。
呆れ顔になる響。自分の演奏に、ここまで感動してくれるというのは、嬉しいことではあるのだが。
「いい加減にしろ。」
響は奏を強引に引き離すと、ハンカチで顔をぐいぐいと拭う。
「め、メイクがぁ……」
嫌がる奏。響は構わず奏の顔を好きながらもう一度、
「行ってしまったが、大丈夫なのか?」
と訊ねる。奏は、響からハンカチを取り上げると、思いっきり鼻をかみ……
「多分、屋上です。あの子、こう言うときは、決まってひとりで歌いたがるから。」
と、真っ赤な鼻をすすりながらも笑顔を見せる。うたに気持ちが伝わったことに対する安堵と、響が昔から憧れていた天才ピアニストに変わりなかった喜びを含んだ、自然な笑みだった。
「じゃぁ……屋上に行くか。」
「そうですね。私もうたと、もっと話したいし。」
奏と並んで屋上へ向かうことにした響。
その途中で奏は、すれ違う度に女子生徒たちに声をかけられる。
「素敵な彼氏で羨ましすぎる!!」
「どうやって麻生さんと知り合ったの?ズルい!!」
皆、響の演奏に心動かされた者ばかりだった。
奏も勿論、その一人ではあるのだが、共に行動していることで誤解されたのだろう。
「か、か、彼氏じゃないわよ!!……おそれ多い!!!」
奏は顔を真っ赤にして否定する。
彼女にとって響はまだ、雲の上の存在なのだ。
奏と共に屋上へ向かう響。
「うたは、自分のせいで家族が不幸になったと思ってるんです。」
途中、不意に奏が口を開いた。
「自分がきっかけで、さくらさんを事故に遭わせて、お父さんも捕まって、お母さんも大変で……。それなのに、自分だけ好きなことをしちゃダメだ、って、思ってるんです。」
屋上へ続く階段が長く感じる、重い、悲しい話。
「でも、本当は歌いたいんです。だから……」
重い鉄の扉を、ゆっくりと、音がならないように開ける奏。その先からは、歌が聴こえる。
「こうして、ひとりで歌うんだと思います。誰にも見られず、注目されず、伴奏もない、音のないひとりの世界で……」
進もうとした響を手で制しながらも、それでも響にうたが良く見えるように自分の近くに響を引き寄せる奏。
響の視界には、これまで暗い表情しか見たことがなかった少女の、生き生きとした、楽しそうな表情が入った。
そして、響が何よりも驚いたのは……
「……なんて歌だ……。」
その歌唱力。透き通り、心地よさしか感じない癒しの歌声。それはまるで……
「さくら……」
そう、さくらの声を形容した、『天使の声』を思わせるものであった。
唖然としている響の腕を掴み、奏が言う。
「先生……あの子を、うたを連れ戻してもらえませんか?私ひとりじゃ、出来なかった……。でも、先生なら……」
奏の手に力が入る。その気持ちは、想いは本当なのだろう。本当に、うたのことを想い、歌ってほしいと思っているのだろう。
「近くに、音楽室はあるか?」
奏の真剣な表情に、響が訊ねる。
「音楽室?……すぐ、下の階ですけど……?」
「……借りる」
奏が質問の意味を訊ねるよりも早く、響は踵を返し、階下へと降りていく。
去っていく響の後ろ姿と、うたを交互に見ながら困った様子の奏。
「俺は、俺なりのやり方で会話してみる。言葉を伝えて手を引くのは、親友のお前の仕事だ。」
奏の視界から消える前に、響はそう呟いた。
「言葉……」
残された奏は、不安を胸に、響の言葉を心の中で反芻する。果たして、自分の言葉に、うたの手を引ける力があるのか、と不安さえ感じる。
悩む奏を包む、美しい歌声。
「でも、何も言わないよりはマシだよね……!」
奏は意を決し、扉から屋上に出る奏。
「ねぇ、うた……」
そして、うたに声をかけようとしたその時……
「……!?」
「……あ…………」
うたの歌声に合わせて、ピアノの音が階下から響く。
「先生……」
階下の音楽室から奏でる、響のピアノの音色に、奏とうたの時間が止まった。
階下から聴こえてきた響の演奏、それはまさにうたが歌っていた曲の伴奏だった。
「……あ…………」
聴かれていたことを悟ってか、うたは赤くなってうつむく。歌は、止まったまま。
そんなうたの様子を知る由もない響は、伴奏を続ける。早く続きを、と言うかのように。
「ほら、続き!」
奏は、響のピアノで歌う、うたの姿を見たかった。
個人的に、夢にまで見る共演だったから。
「差し伸べるのは、手だけじゃない。……これ、先生の言葉。ピアノはいま、先生が弾いてる。」
上手いよねー、なんて言いながら、ベランダの手すりから身を少し乗り出すと、下を覗き込むような素振りをする奏。
「でも、私……歌は…………」
しかし、うたはうつむいたまま。
本当に、このまま踏み出していいのか、戸惑っているようにも見えた。
「……やめられないよ。だって歌ってたじゃない。」
奏は、そんなうたの迷いを見透かすように、言う。
「先生……うたが歌うの、反対じゃないみたい。少し歌を聴いたら、音楽室はあるか?ですって。」
まるで自分のことのように、響の話をする奏。
「歌って欲しくなかったら、すぐに入ってきて、やめろ!とかうるさい!って言うじゃない?……伴奏するってことは、もっと聴きたいんだよ。一緒に音楽、したいんだよ。」
響のピアノの音が大きくなる。まるで、「早く歌え」と言うかのように。
「ほら、先生、イライラしてる。」
下を指差し、笑う奏。
「でも……。」
それでも戸惑い、歌いだせないでいるうた。
奏は、そんなうたに優しく問いかける。
「うた、あなたはどうしたいの?もう、あなたが歌うことを止める人は、誰もいない。縛る人もいない。……そもそも、あなたが歌うことを縛ろうとする人なんて、最初からいなかったんだよ?」
優しく微笑む奏に、うたはうつむいたまま……
ぽろぽろと涙を落とし……
……響の伴奏に、歌を重ねた。
そのピアノの旋律に、うたの歌声に、奏の身体は震える。
(なんなのよ……なんなのよ!このハイレベルな世界は!目も合わせてないのに、一緒にやったこともないのに、なんでこんなにピッタリ合わせられるのよ!)
校内の者も、響の演奏とうたの歌声に気づいたものは皆、立ち止まり耳を傾けた。
やがて、曲が終わる。
聴いていたものは皆、その場で拍手をした。
結果、うたと奏のいる屋上は、喝采で包まれた。
喝采が送られる屋上で、ひとり静かに燃える奏。
響とうた、ジャンルは違えどそれぞれの『天才』の存在に刺激を受けていたのだ。
「いつか、そこまでたどり着いてやる……必ずね!」
うたが歌い、響がピアノを弾いた喜びは確かに感じた。
しかし、それと同時に自分ではまだ届かない領域にいる二人の存在に、若干の悔しさを感じる奏なのであった。
会場内は静寂に包まれる。そして……
一気に観客たちが立ち上がり、スタンディングオベーション。
場内が歓声に沸き立つ。その中で、最前列のふたりだけは、座ったまま、泣いていた。
立ち上がり、深く礼をする響。
顔をあげると、くしゃくしゃな顔の美少女ふたりがこちらを見ている。
そんな光景が可笑しくて、つい笑ってしまった。
舞台袖に引き上げ、ネクタイをはずしてシャツのボタンを緩め、学生達からの握手とサイン責めに遭い……
解放されてロビーに出たのは、演奏終了後15分後だった。
ロビーに出ると、奏とうたが待っていた。奏は響に飛び付くように走り寄ると、
「先生……凄かった!凄かったよ……」
と、また泣き出す。やれやれ……と響は奏の頭をポンポンと撫でながら、
「いつまで泣いているんだ。お前だけだぞ、そんなに泣いてるのは……」
と、溜め息混じりに言う。
「だって……だってさぁ……」
その様子は、まるで泣きじゃくる子供のようでもある。
仕方ないな、と苦笑いを浮かべ視線を移すと、その先にはうたがいた。
うたは、響にどう接したらいいか迷っている様子だった。
響は、別の意味でもう一度、溜め息を吐くと、いつの間にか響の肩に顔を埋め、泣いている奏を指差して、うたに言う。
「コレをどーにかしろ」
それは、響にとっては精いっぱいの歩み寄りであった。
しかし……。
「あの……その、ごめんなさい!」
うたは真っ赤な顔で深々と頭を下げると、全速力で走り去っていった。
何処へ行くのか、見当もつかない響。
「おい……行ったぞ?いいのか?」
響は走り去ったうたのことが心配で、奏に問う。
「うぇぇ……、感動したぁぁ……」
奏は、未だ泣いていた。
呆れ顔になる響。自分の演奏に、ここまで感動してくれるというのは、嬉しいことではあるのだが。
「いい加減にしろ。」
響は奏を強引に引き離すと、ハンカチで顔をぐいぐいと拭う。
「め、メイクがぁ……」
嫌がる奏。響は構わず奏の顔を好きながらもう一度、
「行ってしまったが、大丈夫なのか?」
と訊ねる。奏は、響からハンカチを取り上げると、思いっきり鼻をかみ……
「多分、屋上です。あの子、こう言うときは、決まってひとりで歌いたがるから。」
と、真っ赤な鼻をすすりながらも笑顔を見せる。うたに気持ちが伝わったことに対する安堵と、響が昔から憧れていた天才ピアニストに変わりなかった喜びを含んだ、自然な笑みだった。
「じゃぁ……屋上に行くか。」
「そうですね。私もうたと、もっと話したいし。」
奏と並んで屋上へ向かうことにした響。
その途中で奏は、すれ違う度に女子生徒たちに声をかけられる。
「素敵な彼氏で羨ましすぎる!!」
「どうやって麻生さんと知り合ったの?ズルい!!」
皆、響の演奏に心動かされた者ばかりだった。
奏も勿論、その一人ではあるのだが、共に行動していることで誤解されたのだろう。
「か、か、彼氏じゃないわよ!!……おそれ多い!!!」
奏は顔を真っ赤にして否定する。
彼女にとって響はまだ、雲の上の存在なのだ。
奏と共に屋上へ向かう響。
「うたは、自分のせいで家族が不幸になったと思ってるんです。」
途中、不意に奏が口を開いた。
「自分がきっかけで、さくらさんを事故に遭わせて、お父さんも捕まって、お母さんも大変で……。それなのに、自分だけ好きなことをしちゃダメだ、って、思ってるんです。」
屋上へ続く階段が長く感じる、重い、悲しい話。
「でも、本当は歌いたいんです。だから……」
重い鉄の扉を、ゆっくりと、音がならないように開ける奏。その先からは、歌が聴こえる。
「こうして、ひとりで歌うんだと思います。誰にも見られず、注目されず、伴奏もない、音のないひとりの世界で……」
進もうとした響を手で制しながらも、それでも響にうたが良く見えるように自分の近くに響を引き寄せる奏。
響の視界には、これまで暗い表情しか見たことがなかった少女の、生き生きとした、楽しそうな表情が入った。
そして、響が何よりも驚いたのは……
「……なんて歌だ……。」
その歌唱力。透き通り、心地よさしか感じない癒しの歌声。それはまるで……
「さくら……」
そう、さくらの声を形容した、『天使の声』を思わせるものであった。
唖然としている響の腕を掴み、奏が言う。
「先生……あの子を、うたを連れ戻してもらえませんか?私ひとりじゃ、出来なかった……。でも、先生なら……」
奏の手に力が入る。その気持ちは、想いは本当なのだろう。本当に、うたのことを想い、歌ってほしいと思っているのだろう。
「近くに、音楽室はあるか?」
奏の真剣な表情に、響が訊ねる。
「音楽室?……すぐ、下の階ですけど……?」
「……借りる」
奏が質問の意味を訊ねるよりも早く、響は踵を返し、階下へと降りていく。
去っていく響の後ろ姿と、うたを交互に見ながら困った様子の奏。
「俺は、俺なりのやり方で会話してみる。言葉を伝えて手を引くのは、親友のお前の仕事だ。」
奏の視界から消える前に、響はそう呟いた。
「言葉……」
残された奏は、不安を胸に、響の言葉を心の中で反芻する。果たして、自分の言葉に、うたの手を引ける力があるのか、と不安さえ感じる。
悩む奏を包む、美しい歌声。
「でも、何も言わないよりはマシだよね……!」
奏は意を決し、扉から屋上に出る奏。
「ねぇ、うた……」
そして、うたに声をかけようとしたその時……
「……!?」
「……あ…………」
うたの歌声に合わせて、ピアノの音が階下から響く。
「先生……」
階下の音楽室から奏でる、響のピアノの音色に、奏とうたの時間が止まった。
階下から聴こえてきた響の演奏、それはまさにうたが歌っていた曲の伴奏だった。
「……あ…………」
聴かれていたことを悟ってか、うたは赤くなってうつむく。歌は、止まったまま。
そんなうたの様子を知る由もない響は、伴奏を続ける。早く続きを、と言うかのように。
「ほら、続き!」
奏は、響のピアノで歌う、うたの姿を見たかった。
個人的に、夢にまで見る共演だったから。
「差し伸べるのは、手だけじゃない。……これ、先生の言葉。ピアノはいま、先生が弾いてる。」
上手いよねー、なんて言いながら、ベランダの手すりから身を少し乗り出すと、下を覗き込むような素振りをする奏。
「でも、私……歌は…………」
しかし、うたはうつむいたまま。
本当に、このまま踏み出していいのか、戸惑っているようにも見えた。
「……やめられないよ。だって歌ってたじゃない。」
奏は、そんなうたの迷いを見透かすように、言う。
「先生……うたが歌うの、反対じゃないみたい。少し歌を聴いたら、音楽室はあるか?ですって。」
まるで自分のことのように、響の話をする奏。
「歌って欲しくなかったら、すぐに入ってきて、やめろ!とかうるさい!って言うじゃない?……伴奏するってことは、もっと聴きたいんだよ。一緒に音楽、したいんだよ。」
響のピアノの音が大きくなる。まるで、「早く歌え」と言うかのように。
「ほら、先生、イライラしてる。」
下を指差し、笑う奏。
「でも……。」
それでも戸惑い、歌いだせないでいるうた。
奏は、そんなうたに優しく問いかける。
「うた、あなたはどうしたいの?もう、あなたが歌うことを止める人は、誰もいない。縛る人もいない。……そもそも、あなたが歌うことを縛ろうとする人なんて、最初からいなかったんだよ?」
優しく微笑む奏に、うたはうつむいたまま……
ぽろぽろと涙を落とし……
……響の伴奏に、歌を重ねた。
そのピアノの旋律に、うたの歌声に、奏の身体は震える。
(なんなのよ……なんなのよ!このハイレベルな世界は!目も合わせてないのに、一緒にやったこともないのに、なんでこんなにピッタリ合わせられるのよ!)
校内の者も、響の演奏とうたの歌声に気づいたものは皆、立ち止まり耳を傾けた。
やがて、曲が終わる。
聴いていたものは皆、その場で拍手をした。
結果、うたと奏のいる屋上は、喝采で包まれた。
喝采が送られる屋上で、ひとり静かに燃える奏。
響とうた、ジャンルは違えどそれぞれの『天才』の存在に刺激を受けていたのだ。
「いつか、そこまでたどり着いてやる……必ずね!」
うたが歌い、響がピアノを弾いた喜びは確かに感じた。
しかし、それと同時に自分ではまだ届かない領域にいる二人の存在に、若干の悔しさを感じる奏なのであった。
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