悪魔の消しゴム

桂木 京

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「ここにするか……。」

俺が選んだのは、少しだけ山道から外れた、多少無理しなければいけないような窪地だった。
此処なら誰にも見つからないし、自分も引き返すことは出来ないだろう。
それだけ、俺自身も覚悟を決めていた。

何の楽しみもない人生。
これ以上苦しくなる前に、自分の手で幕を引こう。
俺なりのちっぽけなプライドが、今日の自殺へと俺を突き動かした。

持参した薬は、小さなケース一つ分。
充分な致死量である。
箱ごと、瓶ごと持ち歩く自殺志願者が多いが、それでは駄目だ。
量が多すぎると、躊躇して加減してしまうし、少な過ぎても死ねない。
こういった自殺では、生き残った方が惨めだ。
後から非難される、叩かれる、晒される……。
『心配した』と言われれば悪く思われないだろうと思ってその実、散々恥を晒される結果となる。

故に、致死量をしっかり量ってケースに入れる。
その量をしっかり飲み干す、それだけでいいのだ。
躊躇も加減もいらない。
『それだけ』飲めばいいのだから。


俺は、小さな致死量分のケースを取り出すと、迷わず口に運んだ。



少しずつ薄れゆく意識。
心なしか、気持ちが良くなってくる。

(あぁ、これ……死ぬな。)

視界がぼんやりしてくる。
思い出が走馬灯のようには浮かばなかったが、幻覚でも見始めたのか、俺に背を向ける少女の姿も見え始めた。

(俺って……そんなに欲求不満だったのか。最期に見る幻覚が女……しかも少女とは……。)

死を目前にして、俺は自嘲した。
結局、何も良いことの無かった俺の人生、そうさせたのは俺自身だったということだ。

(生まれ変わったら、もう少しマシな人生を……)

そう心の中で呟いて、俺はゆっくりと目を閉じる。


――――――


どのくらいの時間が経ったのか。
ゆっくりと目を開けると、そこにはおそらく俺の幻覚の中の存在であろう少女が、俺を見下ろすように立っていた。

「あ……やっと起きた。」

辺りは真っ暗。
場所は、俺が選んだ最期の場所だった。

「ここは、天国か?」

未だ状況が理解できない俺は、少女に訊ねた。


「天国?……バカじゃないの? そんなわけないじゃん。」

少女は小生意気な口調で俺に言うと、思い切り俺の足を踏む。

「痛い!! なにするんだ!!」

俺は大きな声を少女に向かいあげると、そこで自分がまだ生きていることを悟った。

「痛い、って言うことは俺、生きてるんだよな。おかしい、確かに致死量を量ったはずなのに……。」

睡眠薬に向精神薬。
出来るだけ苦しまない、そして確実に死ねる量と種類の薬を、俺は用意した。

……はずなのに。

「んー、ごめんね。そこまで準備してるなら、さっさと死なせてあげたかったんだけどね~」

少女は、申し訳なさそうにゴメン、と両手を合わせた。

「お前……何言ってるんだ?」

「消しゴムは持ってきたけど、ノート忘れちゃって。そこの木の幹に書いたはいいんだけど、消しゴムじゃ消せなかったんだわ。ごめんごめん。」


先ほどから少女は俺にしきりに謝ってくる。
しかし、俺にはその理由も言葉の意味も全く理解できなかった。

「しっかり説明しろ。お前は何なんだ。」

俺はまず、少女の正体を明かすことから始めた。

「え? 私は悪魔だよ。死にたがりがいるから命とって来いって言われて。」

「お前……正気か?」

きっと、アニメとかゲームとかに感化され過ぎた可哀想な少女だ。
俺はそう思った。

「証拠は?」

「証拠……コレ。」

悪魔である証拠だと、少女が俺に提示したのは、持っていた消しゴム。

頭がおかしい類の少女だ。
俺はすぐさま、この少女と距離を置くことにした。
どのみち自殺は失敗してしまった。
関係者や家族に悟られる前に、早く次の薬の用意をしなければ。

「あーそうか。じゃぁその素敵な力で早く消えろ。」

あしらうように少女に言うと、

「あー、信じてないな。あの木、見てみなよ。」

頬を膨らませた少女が、先ほどまで向かい合っていた木の幹を指さした。
仕方なく、重い足を引き摺るように木の前へと歩くと……。

「……何で、お前が知ってるんだよ……。」

その幹には、俺の名前が書かれていた。

「だから言ったじゃん。悪魔だって。コレつければ、名前くらい『視えるんだって。』

少女は、頭にちょこんと載せてある眼鏡を指さした。
その眼鏡をかけると、他人の名前も分かるらしい。

「本当に、悪魔なのか……?」

「だから、そう言ってんじゃん。」

言っていることは、まるで幻想。
しかし、何故か納得してしまう。

「それで、何で俺は死ねなかったんだ?」

俺は、少女が『悪魔である』ということを前提に、話を聞いてみることにした。つまらないただの遊びなら、さっさと少女を置いて戻ればいい。

「この消しゴムでこの名前を綺麗に消せれば、あなたはめでたくあの世生きだったんだけどね。強く書いたから幹に傷が残っちゃって。少しでも文字が残ると消せないし、そうするとダメなんだよね。」

どうやら、少女の持っている消しゴムに秘密があるらしい。

「で、その消しゴムはなんだ?」

少女は、得意そうに消しゴムを俺に見せ、言った。

「これは、悪魔の消しゴム。書いた文字を消すと、『それ』が全部消えちゃう魔法の消しゴムだよ」



……やはり、言っている意味が分からなかった。
消しゴムが書いたものを消すなど、当然のことだろう。
魔法でも何でもない。それが消しゴムだ。

「当り前のことを言うんじゃない。」

「何か誤解してるみたいだからさ、やってみる? 何か紙貸して。」

少女が不満げに俺を睨みながら、手を出してくる。
俺はここに来る前に1本だけ飲んだ缶ビールを買った時のレシートを少女に渡した。

「これでいいか?」

「充分! じゃ、書くね。」

少女はさらさらと文字を書いた。
そこには、俺の名前が書かれた。そして、その後ろに『財布』とも。

「俺の……財布? これか?」

先ほどレシートを出したときに取り出した財布。
それを少女は文字で書いたのだ。

「うん。もう要らないでしょ?」

「まぁ、な。」

「じゃ、消すね。」

少女は、俺に財布が不要であることを確認してから、書いた文字を消しゴムで消した。すると……。

今まさに持っていた俺の財布が、跡形もなく、消えた。


「マジかよ……。」

俺は今までの人生で一番驚いた。
どこを探しても、今持っていた財布が無いのだ。

「あ、今の文字に『財布の存在』って書いてれば、さっきの財布の存在は、それを知る全ての人の記憶から抹消されるの。書き忘れたから、あなたには『財布が消えた』って認識出来たわけなんだけど。」

少女が得意げに笑う。

「人を殺すためだけにある消しゴムじゃないのか?」

「違うよ。そんな使い方、楽しくないじゃん。この消しゴムは、書いた文字に書かれた内容を、『本当に』消すもの。その気になれば、この地球だって消せちゃうよ。」

「…………」

俺は、生まれて初めて言葉を失った。
人間、心底驚くと、本当に言葉が出ないのだなということを、俺は生まれて初めて知った。

同時に、俺はその消しゴムが欲しくてたまらなくなった。

「その消しゴム……俺にも貸してくれないか?」

少女は少しだけ困った顔をしたが、

「まぁ……私の失敗で迷惑かけたし、いいよ、貸してあげる。でも、私がいるときしか使っちゃだめだからね。悪魔の道具は、悪魔しか使っちゃダメな決まりだから。

「あぁ、分かった。」

自称悪魔の言うことは、正直この時あまり聞いてはいなかった。
こんな素晴らしいアイテムを、どのように使ってやろうか。
その一心だった。
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