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二、追ってくる過去

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 ◇

「さーて、馬鹿弟子は歯を食いしばれヨ」

 俺の目の前では、白銀と黒の髪を二つに括った少女ーー師匠が袖まくりをしながら笑っていた。
 この人は両親が死んだあと俺を育ててくれた人であり、踊りの師匠でもある。
 俺は彼女のことを一応、尊敬して師匠と呼んでいた。

 師匠の見た目は非常に若い。
 10代と言ってもいいくらい。下手をすれば俺よりも幼く見える。
 でもそれは見た目の話で、実年齢は少なくとも40を超えていると聞いたことがある。
 恐らく彼女の年齢を正確に知る者はいない。
 別に年齢なんて知らなくても師匠は師匠なので問題はないし、知ろうとすると師匠からの拳骨を食らうので今のところ知りたいとも思わない。

 それにしても、魔王が迎えが来たと言って、師匠を連れてきたのには驚いた。
 師匠を見つけてきたのは勿論、離れると言ってからまだ数日しか経っていないのに。

 もしかしたら、魔王の元には情報収集に長けた魔族がいるのかもしれない。

「あの……拳骨だけは……」
「問答無用!」

 少女は振りかぶると拳を突き出してきた。
 俺は勿論、少女ーー師匠の拳を全力で避けた。
 間一髪、紙一重の回避を決める。

「避けるナ!」
「避けるわ! こんなの受けたら普通に死ぬし!」

 師匠の拳は小さいが固く、ちょっとした木の板なんかは真っ二つに割ってしまうくらいの破壊力はある。
 こんなのまともに受けたら頭が割れてしまうだろう。

「それで反省しているノカ!」
「反省していようがいまいが命は惜しいに決まってるだろ!」
「半殺し程度に手加減はするヨ」
「いやいや、絶対痛いやつじゃん……魔王も何とか言ってよ」

 俺は隣にいる魔王を見上げた。
 魔王は少し考えるような素振りをみせてから、魔王は小さくガッツポーズを作る。

「ふぁいと」
「だぁぁぁっ! 雑に応援してんじゃねー!!」

「おい、馬鹿弟子? 助けを求めても無駄だゾ?」
「うっ……ううっ、久しぶりに会ったのに当たりがキツイよ」
「当たり前ダ。人が居ない間に家出して人様に迷惑を掛けて……許すと思うノカ? アーヤ、ベス、抑えてろ」

 師匠の後ろに控えていた揃いの踊り子服を着た二人の女がずいと前に出てくる。
 俺の姉弟子のアーヤとベスだ。

「やだ……やだって! 二人とも助けてよ」

 俺はすぐに後ろからがっちりと両腕を掴まれ、身動きが取れない状態になる。
 最早逃げも隠れも出来ない。
 師匠はよほどご立腹だったようだ。

「ルカ、ごめんね」
「ねぇさんに頼まれたらわたしたちも断れないから」
「それに、ルカも悪いんだよ」
「そうそう。ねぇさんを怒らせるからいけないんだよ」

 俺の背後でアーヤとベスが申し訳なさそうに囁く。
 申し訳なさそうにするくらいならせめて俺の両腕を離してくれ。ガードもろくにできないだろうが。
 師匠の拳は滅茶苦茶痛いんだぞ。

「あのさ、やっぱ殴られなきゃだめなの?」
「教育的指導ヨ」

 師匠は朗らかに笑う。
 その顔は人に危害を与えるときの顔じゃない。
 なんでそんなに楽しそうなんだ。

「……痛くしないで」
「それじゃ、意味がないネ」
 にべもなく師匠は言った。

 師匠のドSめ。
 こんな可愛い弟子に向かってよくも暴力が振るえるものだ。
 暴力反対だぞ!

 師匠は両手を軽く握り、構えると拳を振り抜いた。
 俺は観念して目を瞑る。

 ズドンと、腰の捻りがしっかりと入った右ストレートが腹に入る。
 痛い。本当に痛い。腹筋に力を入れているはずなのに滅茶苦茶痛い。
 想像通りの痛みに涙を流しながら俺は悶える。

 魔王の魔法のおかげか、師匠が手加減してくれたのか、内臓が破裂してはいないようだ。
 自分の腹を擦りながら本当に良かったと安堵した。

「っ……い、痛い……」
「当たり前ネ。この馬鹿弟子は心配掛けて。置き手紙残すだけ残していなくなるなんて本当に許さないヨ」

 師匠は笑顔で俺に顔を近付けた。
 師匠の瞳がドアップになる。
 紫から黄のグラデーションがかった瞳に金の粉が舞っている。
 その美しい瞳で師匠は俺を射殺すように見つめる。

「ヒッ!」

「ねぇさん、ねぇさん、もうそのくらいに……」
「ルカも分かったと思うから、ね?」

 アーヤとベスの制止が入り、師匠は渋々といった表情で引いた。

「命拾いしたナ」
 捨て台詞がこれだ。
 本当に師匠は怖い。怒らせてはならない。

 師匠はくるりと踵を返すと、魔王の目の前に立った。

「さて、魔族の王? 我が眷属が多大なる迷惑を掛けたナ。後はわたしに任せてクレ」
「嗚呼、頼んだ」
「今後はわたしが目を離さないようにするのでナ、安心して眠られヨ」

 師匠はそう言うと、俺を魔王の前に引っ張り出した。

「謝りなサイ」
 師匠が威圧感たっぷりに小さく囁く。

「すいませんでした」
「……いや」
 魔王は無表情に呟いた。
 一番最初の、部屋に通されたときの魔王と同じ、暗く冷たい顔をしていた。

「それでは、アーヤ、ベス、馬鹿弟子を連れて先に馬車に向かってクレ。わたしは少し王と話をするのでナ。くれぐれも逃さないように目を離さないでくれヨ」
「「はーい! それでは失礼します!」」

 二人は元気よく返事をすると俺の背中を押して、部屋を後にしようとする。

「ルカ」
 俺を呼び止める声がした。
 振り返ると魔王が手を伸ばしていた。

「魔王?」
「手を……」
「は?」
「いいから」

 俺は取り敢えず言われるまま、右手を差し出す。

「左だ」
「あ、逆?」

 俺は慌てて左手を差し出す。
 何事かと見ていると、魔王は俺の左手の薬指に指輪を嵌めた。

「は?」

 俺を覗き込むアーヤとベスが悲鳴のような声を上げた。
 なんだか声がやけに遠く感じる。

 俺は意味が分からなかった。
 自分の左手を見下ろす。
 薬指には黄色の石のはめ込まれた指輪が存在感を放っている。
 いや、なんで??

「大事にしてほしい」
 魔王は目線を逸らすとそう呟く。
 心なしか顔が赤い。

 うん、これは皆まで聞かなくても俺にも分かるよ。

「「きゃー、婚約指輪!!」」
 アーヤとベスが叫ぶ。

 そうだよな。そう思うよな。
 俺も頭の中でチラッと横切ったわ。

 でもさ、俺たち、いつ婚約した?
 あれ? 俺が知らない間になんかそんな紙とか書いたかな?
 俺が知らないのに書けるわけないよな。
 じゃあさ、これ、何?

「俺たちそんな仲じゃないだろ! 誤解されるようなことするな!」

 俺は慌てて指輪を外そうとする。
 全然抜けない。どんなに力を込めても全くピクリともしない。

 結婚も婚約もしてないし、パートナーすらいないのに左手の薬指に指輪付けてるやつなんてなかなかいねぇよ!
 恥ずかしいだろうが!

「肌身離さず持ってもらいたいと思ってな」
「……いや、重い! 重すぎるわ! なんで指輪なんだよ! あと、場所、左手の薬指である理由ある?」
「どうせなら左手の薬指にしろと言っていたから……」

 そう言って魔王は師匠の方を見る。
 なるほどね。師匠が魔王を唆した犯人なのか。
 当の師匠の方を見れば、ニヤニヤしながら俺たちを見ていた。

 師匠の顔を見て確信した。
 間違いなく、師匠が犯人だ。
 面白半分でなんてことをするんだ!

「何か意味があるのか?」
 どうやら魔王は本当に理解していないらしい。
 その顔で、左手の薬指に嵌める指輪の意味を知らないのはおかしいだろ!

「大有りだよ!!」
 俺は叫ぶが、魔王はキョトンとした顔をしている。
 勝手に自ら豆鉄砲食らいにいくな!
 なんで、原因を作った本人がキョトン顔してるんだよ。

「そこは婚約指輪とか結婚指輪とか……パートナーがいる人が付ける場所なの! お前はそこに付ける指輪を贈ったんだよな? この行動が意味するもの、分かるか?」
「え?」

「「勿論、それはプロポーズよねえ!!」」
 アーヤとベスが楽しそうに声を合わせた。
 双子でもないのに息がぴったりだ。

 魔王の顔が急に赤くなる。
 あ、瞬間沸騰した。湯気が出てきそうな顔してるわ。
 察しが悪い魔王も漸く理解したようだ。

「式はいつ?」
「子どもは何人ほしい?」
「スピーチとかいる?」
「あ、服装はどうする?」
「そもそも、わたしたちも参加できるのかしら?」
 後ろからアーヤとベスが楽しそうに話しかけてくる。

「俺は、全然、知らないから!! そんな予定もないから!」
「そんなつもりはなかったのだが、そうか……責任は取らなければなるまい」
「俺の許可なく、勝手に責任を取ろうとするな! 俺は結婚しない!」
「いやいや、ルカよ。魔族の王は、わたしの弟子に手を出したのダ。責任を取らせる必要があるのだヨ。な、魔王?」

 師匠は悪そうな笑みを浮かべ、魔王の背中を叩いた。
 魔王は何となくバツの悪そうな表情で師匠を見下ろす。
 なんだろう、この二人の関係は。
 そういえば師匠、魔王に対してやけに馴れ馴れしいような……

「離れて暮らしてもいいのなら責任を……」
「真面目かよ! 責任もクソもねぇよ! 今日からお前とは会わない! だから、結婚もしない!」
「そうか……」

 魔王は落ち込むように下を見つめた。
 お前から離れようって言い出したくせに、その顔は反則だろうが。

「さて、三人は支度でもして馬車に向かってくれ。わたしたちはちゃんと話し合おうナ、魔族の王よ?」
 師匠は微笑みながら手を叩いた。

 魔王はこちらも見ずに黙って頷いてから、師匠の隣へと向かった。

 最後なのにちゃんと別れも言えなかった俺も俺だか、魔王の奴も何か一言くらい言ってくれたらよかったのに。
 俺は魔王の背中を一瞥してから、その場を去った。
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