魂は柱の様に

ROSE

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愛らしい異母妹

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 とても嫌な夢を見たような気がする。けれども夢の詳細は思い出せない。
 ぼんやりとした頭のまま朝食の席に着く。既に真新しい制服を身に纏ったアマンダは溢れんばかりの笑顔でメイドがお茶を淹れる様子を眺めていた。
「あ、お姉様! おはようございます」
 にこやかに声を掛けられ、対応に困る。数秒遅れた私の反応は消え入りそうなか細い声で「おはようございます」と返すのが精一杯だった。
 根暗にあの眩しさは辛い物がある。
 先に工房でヴァイオリンを回収するべきだったと後悔するも遅い。
「折角妹が挨拶をしているのになんだその態度は」
 父がこちらを睨む。
「も、申し訳ございません……」
 また蚊の鳴くような声しか出ない。寝起きだからというだけではない。妙にこの空間に緊張してしまっている。
 父は美しい。母を惑わした外見だけはとても美しいのだ。それは歳を重ねても崩れることなく保たれている。その美しさから放たれる威圧感というものはどうも苦手だ。きっと美しい殿下もまた不快を示せばこんな威圧感を放つのだろう。ああ、そうだ。今朝の悪夢はきっとそれだ。父の威圧が悪夢と重なったから手が震えてしまっているのだろう。
 頭は随分と冷めた。けれども震えというのは止まってくれない。
「お姉様? 顔色が悪いですわ。大丈夫?」
 心配そうに覗き込むアマンダがなぜかとてもおぞましいものに思えた。
「だ、大丈夫……わ、私、忘れ物をしてしまったから……先に食事を始めていて下さい」
 逃げるようにその場を立ち去り、一直線に工房へ向かう。
 あと少しで工房に着くというときに突然後ろから腕を掴まれ、思わず悲鳴を上げてしまう。
「おい、今日は学校に行く約束だろう。なぜ工房に駆け込む」
 不機嫌そうな声の主に少しだけ安堵した。恐れていた存在ではなく、いつもの少し気取ったクレメント殿下だった。
「昨日お預かりしたヴァイオリンのニスが乾いてると思うのでお渡ししようかと……」
 そう答えると一瞬首を傾げた彼は思い出したように手を離す。
「そう言えば預けてたな。昨日貰ったやつの方がしっくりくるから忘れてた」
 あっさりと言われ困惑する。良くも悪くも自由な人だ。
「まあ、折角直してくれたから持ってくか。ああ、そうそう、今日から座学はお前と同じクラスになった」
 よろしくなと言われるが、おかしい。彼は一つ年上だ。つまり一学年上のはずだ。私の成績は平均的だから飛び級と言うことはありえない。となるとつまり……。恐ろしい考えが頭を過る。
「いやー、留年したらしい。兄上に滅茶苦茶怒られたけど難しいこと考えるのは兄上の仕事だから僕は勉強なんて出来なくても問題ないと思わないか?」
 なぜか自信満々に留年報告をされてしまう。
 いやいやいや、一国の王子が留年って……。学校側の忖度はなかったのだろうか。そう考えたところで、彼の出来は忖度でどうこうなる次元ではないことを思い出す。そもそも入学自体が所謂スポーツ特待というやつなのだ。運動の成績だけで生き残っているようなものだ。逆に考えると一年目を進級出来たことを奇跡と呼ぶべきだろうか。
「これでヴィオラに宿題を写させてもらえるから問題ないな!」
 嬉しそうに笑っているが、それはお兄様に叱られるやつだろう。
「殿下、宿題は自分でしなくては意味がありません」
 顔だけは若い頃の父よりも数段良い。けれども殿下はおつむが残念なのだ。どの程度かというと、自分の名前すら時折スペルミスをする。楽譜が読めるのが不思議だと言われる次元だ。つまり読み書きが殆ど出来ない。
「あの、どうやって二年に進級したのでしょうか?」
 控えめに、それでもものすごく失礼なことを訊ねたが、彼は気にする様子がない。
「ん? ああ、試験官が、自分の名前と婚約者の名前を書けたら合格だと言ってな。僕の名前はスペルミスがあったがヴィオラの名前は完璧に書けたから補講代わりの演奏で点をくれたんだ」
 それは実質演奏進級ではないか。
 彼の二人の兄たちは非常に優秀なのに、一体どうして彼だけこんなに残念なおつむになってしまったのだろう。気付かれないように小さく溜息を吐く。
 とにかくヴァイオリンだ。ニスの出来は問題ない。出来ればそうして音を確認して欲しいところだが、そんな時間はあるだろうか。
「試奏しますか?」
「いや、お前の腕は信用している。とりあえず昼休みにでも遊ぶか」
 昨日注意したからだろうか。しっかり楽器をケースにしまい、手に持つ姿はとても立派な演奏家だ。
「ふふっ、今日は音楽の時間があるんだ。お前の作ったヴァイオリンをみんなに見せびらかしてやる」
 とても嬉しそうに言われるとくすぐったいが、彼は得意科目以外にもっと力を入れるべきだ。
「ほら、さっさと行くぞ。初日から遅刻はみっともないぞヴィオラ」
 留年はみっともなくないのだろうか。そう言いたくなったがなんとか飲み込む。
 行くぞと強引に手を引く彼を少し早足で追いかけるとアノンがこちらに駆け寄ってきた。
「お嬢様、朝食を食べ損ねてしまったようでしたので軽食を用意しました」
 言われてからそうだったと思い出す。
「ありがとう」
「鞄もお忘れです」
「取りに戻るつもりだったから」
 危うく手ぶらで馬車に乗せられるところだった。
 クレメント殿下は悪い人ではないのだけれど、直線的過ぎるところがある。自分の見たい物しか見えない人だ。その分素晴らしい集中力が発揮される分野では伸びが素晴らしいのだけれど、ムラッ気がある。
「ヴィオラ、朝はしっかり食べないと力が出ないぞ」
「はぁ……一日一食でもなんとか生存できますが」
 食に関心がない私としてはそんなところだ。 
 少し不満そうな殿下に促され、馬車に乗ろうとしたところ、後ろから声が響く。
「お姉様~! 私もご一緒させてくださ~い!」
 とても元気で溌剌とした声だ。よく響く。けれども不快感はない。
「誰だあいつ」
 殿下は一瞬不快を示す。想像したとおり、父に負けない迫力がある。そのせいか、一瞬アマンダが怯んだ。
「異母妹のアマンダです」
 それ以上になにも伝えることが出来ずにそう紹介する。殿下はあまり興味がなさそうに「ふぅん」と返事をするけれど、どこか不快そうな声色だった。
「お姉様、そちらの方は?」
 アマンダが不思議そうに訊ねる。けれども視線は完全に殿下を向いていた。
「婚約者のクレメント殿下です」
 こちらもそれ以上紹介しようがない。
「ヴィオラ、もう少し紹介のしようがあるだろう。もっとこう、存分に僕を褒め称えて良いんだぞ?」
 うん。とてもおつむが残念な私の婚約者です。
 けれどもこういう部分に癒やされるのもまた事実だ。
「お姉様、婚約者がいらっしゃったの?」
 アマンダは大袈裟に驚きを見せる。
「祖父が存命の時にそう言った話が出て……殿下次第なのですが」
「ん? 僕は特にお前で不満はないぞ」
 殿下は当たり前のことを聞くなと言うような様子で言う。
 特に不満はない。まあ、政略結婚なんてそんな理由で十分だろう。
「愛人を囲うのは私の目に付かないところでして下さいね」
 そう言うと、彼は不満そうに頬を膨らませた。
「だから、僕はお前で不満はないと言っている」
 なぜ拗ねてしまったのか理解できない。
「まあいい。ついでだ。お前の妹も乗せてやる。感謝しろ」
 ふんぞり返って偉そう。いや、実際王族なのだからこれでいいのだろう。
「ありがとうございます」
 素直に礼を告げれば、白い肌が薔薇色に染まり照れくさそうな表情を見せられる。
 国一番の美貌を讃えられる王子なのに、子供のように感情表現が豊かだ。
 きっとこんなにも豊かな人だから私の心を揺さぶってくれるのだろう。
「殿下のおかげで創作意欲が湧きました」
「なに? 新作か! 一番に僕に試奏させろ」
「分数サイズの予定です」
「だめだ。僕に相応しい新作を作れ」
 まるでわがままな子供のような殿下の姿に、馬車に乗り込んだアマンダが困惑している。
「この方、本当にクレメント殿下なのでしょうか?」
「残念ながら本人です」
 ひそひそとそう告げれば殿下に睨まれてしまう。
「ヴィオラ、僕と居る時は僕と楽器以外は見るな」
 なんという無茶を。
「楽器?」
 アマンダが首を傾げる。
「殿下はとても素晴らしいヴァイオリン奏者で……宮廷楽団のソリストを狙える程なんですよ」
 そう告げれば殿下はもっと褒めろと言わんばかりに胸を張る。とても残念な姿だ。
「ふふん、九歳から始めたにしては上達が早いと良く褒められる。ヴィオラももっと褒めろ」
 だからどうしてそんなに自分で褒めろと言ってしまうのだろう。これさえなければ、いや、あとはもう少し学力があれば完璧な王子なのに。
「九歳では遅いのですか?」
 アマンダは不思議そうに訊ねる。つい数日前までは殆ど平民だった彼女からすれば弦楽器など縁のないものだったのだろう。
「私は三歳から触れているし、貴族の教養としては遅くても六歳くらいから習い始めるかしら。子供のうちに基礎が出来た方が後々楽だから。でも、大人になってからでも素晴らしい演奏をする方はいるわ。殿下は別格だったけれど。趣味の一つくらいになってくれたらと思ったら……数日で家庭教師が逃げ出す程まで上達したとか……」
 普通は基本音階だけで何ヶ月もかかるはずなのに、殿下は数日で軽々と難曲を弾くようになったと聞く。
「楽器が良かったからな。それに、折角貰ったんだ。ちゃんと使わないと悪いだろ?」
 その言葉に思わず赤面する。
「お姉様?」
 不思議そうに首を傾げるアマンダは小動物のようだ。
「ヴィオラの作る楽器は凄くしっくりくる。けど、最初に音を鳴らしたときの感動にはいつまでも届かないな」
 殿下は自分の隣に並んだ二つの楽器ケースを眺める。片方は今朝渡した楽器だ。
「二つ? どうして二つもお持ちなんですか? あ、曲ごとに持ち替えるとか?」
 アマンダが興味津々と言った様子で訊ねると、殿下は更に得意気な様子を見せる。
「いや、今日は昨日ヴィオラに貰った楽器を使うつもりだったんだが昨日修理を頼んだ楽器をもう仕上げてくれたからな。昼休みに少し遊ぼうと思ったんだ。ヴィオラは作る楽器も良いが修理の腕もいい。貴族の令嬢にしては珍しい趣味だが、これなら店を出せると思うぞ」
 そりゃあ前世はそれ一本で食べていましたから。まあ、食事抜きすぎて死んだのだけど。
「まあ、お姉様は凄いのね」
 アマンダは感心したように言う。一体なにを考えて私を褒めたのだろう。
 居心地の悪いモヤモヤを抱えていると校門に着く。助かったと息を吐いたのも束の間、殿下ががっしりと私の手を掴んでいた。
「ほら、教室に行くぞ」
「殿下は三年棟じゃ……」
「今日から僕もお前と同じ学年だと言っただろ」
 そう言えばこの人留年してた。
 見世物になりたくない私としてはとても居心地が悪い。
 そしてぐいぐいと教室に引っ張られてしまった。



 昼休み、当然のように殿下は私にぴったりくっついて食堂に来た。普段は王宮の料理人が作る豪華なお弁当なのに珍しい。
「折角ヴィオラと同級生だからな。一緒に昼食を食べてやろう」
 一人寂しいヴィオラの為だと胸を張って言われるけれど私はどこか目立たない隅の方で、一人でひっそりゆっくり食事したい。殿下が一緒では見世物になってしまう。
「殿下、お気持ちは嬉しいのですがお友達がお待ちなのでは?」
「ん? そうか? おーい、ブルース! お前もこっち来い。僕が特別に許可してやる」
 殿下は大声で、しかも大きく手を振って友人を招く。
 だからどうしてここに誘ってしまうのか。
 大きな溜息が漏れた。
 ブルースと呼ばれた彼は宮廷音楽家の息子で殿下と同じくヴァイオリン奏者だ。同じ楽器同士気が合うのだろう。中等部に入学した当初からの友人だと聞く。そして王子相手にも全く遠慮せずクレメント殿下に思いっきり拳骨を食らわせられる数少ない人だ。
「クレム、声がでかい。食堂は公共の場だ。少しは遠慮しろ」
「どうして王子の僕が遠慮なんてしなきゃいけないんだ。大体お前は常日頃から僕に対する敬いが足りないんだ」
 学校では少し気取っている(つもり)のクレメント殿下だけれどブルースの前では子供っぽさが強調される。実際、学園に通う人の大半は殿下のこの性格を知っている。中には知っていてからかう強者までいる。まだ辛うじて権力に守られてはいるが、留年の噂も広まっているだろうし、この先下級生にまで舐められないか少しばかり心配なところではある。
「留年するような馬鹿のどこを敬えば良いんだ」
 ブルースは溜息を吐く。
「運動は僕の方が得意だ。それに、ヴァイオリンだって」
 そう、ブルースは成績は良いけれど運動の成績は下から数えた方がはやい。具体的にはクレメント殿下の学力とブルースの運動能力は釣り合いそうなレベルなのだ。完全なる平均値を狙い続けているヴィオラとしてはあんなに極端な人間に生まれなくてよかったと心の底から思うところだが目の前で喧嘩をされるのは迷惑だ。
「私、テイクアウトにしますね」
「待て、ヴィオラ、お前の場所は僕の隣だ」
 そそそと逃げようとしたのに、袖を掴まれている。
「では、静かに食事をしましょう。あまり目立つのは好きではありません」
「なぜだ? 僕は注目を集めるのが気持ちいいぞ」
 この弱いおつむと図太さが少しばかり羨ましくなってしまう。
「聞いてよヴィオラ嬢、クレムのやつヴィオラ嬢と一緒に居たくて留年したんだぜ? それに国宝級の楽器を修復不能にならない程度に壊すし、異国の貴重な楽器とヴィオラ嬢の作品を交換しようとするし……こないだのは酷かったな。うちの教室の新入生がヴィオラ嬢の新作持っててさ、それに気付いたクレムのやつが外交官から貰った貴重な楽器とそれを交換しろと駄々を捏ねて止めるのが大変だった」
 ブルースは会う度に気安く声を掛けてくるが今回も中々濃い内容だ。
「冗談にしては笑えませんね」
「全部事実だからね」
 国宝級の楽器の下りも勿論困るが一番の問題は留年だろう。
「一国の王子が留年って……聞いたときは冗談だと私も思ったのですが……教室で隣に座るし、先生も注意しないし……普通に授業に出席されていたから思わず名簿を確認したら……殿下のお名前が……」
 夢なら早く覚めてくれ。
 留年だけでも問題なのにブルースが言ったような噂まで流れてしまっては私にまで注目が集まってしまう。
「おい、ブルース。席には誘ったが僕のヴィオラとそんなに長話をする許可は与えていないぞ」
 殿下は不機嫌そうに頬を膨らませている。これは拗ねている。
 どうやって機嫌を取ろうかと考えていると、そこに更に空気を読めない声が響いた。
「お姉様、私もご一緒させて下さい」
 アマンダだ。
「あれ? ヴィオラ嬢、妹いたっけ?」
 ブルースは驚いた様子で首を傾げる。
「最近出来た異母妹のアマンダです」
 そうとしか紹介できない。私が異母妹に対して言えるとしたら、愛らしいと懐っこいくらいだろうか。そのくらい彼女のことを知らない。
「お姉様、そちらの方は?」
 アマンダは愛らしく訊ねる。
「クラヴサン伯爵令息のブルース様です」
 こちらも私からはこれ以上言いようがない。あくまで殿下の友人であり私の友人ではないのだから。
「お前、家で散々ヴィオラと一緒のくせに昼まで割り込んでくるのか? 僕よりヴィオラと過ごす時間が長いとか生意気だぞ」
 殿下はと言うと、よくわからない理論でアマンダに不満を抱いているようだ。
「えっと……私、少しでもお姉様と仲良くなりたくて……その……お姉様、家ではとっても無口なので……」
 それは父と一緒に居たくないからだ。
「なにを言ってる。ヴィオラは楽器の話以外は基本無口じゃないか」
 呆れたように言う殿下に驚く。私はそんな認識なのか。そもそもはあなたが喋りすぎるから喋る隙がないのだと言おうとして、実際楽器の話以外に話題がないことを思い出し黙る。
「大体お姉様はお食事の時間以外殆ど別館に籠もっていらっしゃるじゃありませんか!」
 なぜか私が怒られる。納得がいかない。
「別館ではありません。工房です。ちゃんとヴィオラ弦楽器工房の看板だって付けています」
 作るのを失敗したチェロの表板を使って作った看板をぶら下げてある。祖父には大変気に入られたが殿下は一番初めに見たときに少しだけ不満そうだった。
「仕方ないだろう。ヴィオラの趣味は楽器作りなんだから。ヴィオラが工房に籠もらないと僕は新作を弾けないじゃないか」
 フォローのつもりだろうか。ここで一つ納得がいかないのは彼が私の作品は全て自分の物だと信じて疑わないところだ。
「ヴィオラは僕の専属職人だからな」
 胸を張ってドヤられても困る。一体いつ専属になったのだろう。
「ずるい! お姉様! 私にも楽器を作って下さい! そりゃあ経験はありませんがお姉様の手作りの楽器でしたら頑張って大切に練習します!」
 そこで張り合わないで欲しい。
 しかしこのアマンダ、中々に憎めない。なんというか、雰囲気こそ違えど殿下と近い物を感じる。
「今から新作を作ると何ヶ月もかかってしまいます。完成品がいくつかありますから、試奏して合う物を選ぶと良いかと。楽器との相性がありますし、お父様に楽器店で選んで頂くのも良いかと」
 新作を作るとなると三ヶ月くらい掛かってしまう。ニスを何度も塗って乾かす作業は好きだけれど一度にいくつも作ったりは出来ない。それに趣味でコツコツと作っている。欲しがる人に譲渡することはあるけれどそれは稀だ。
「私は、お姉様の手作りが欲しいんです!」
 がっちしと手を握られ驚く。この子はこんなに積極的な子だったのか。
「そ、そう……ええ、いくつか完成品があるから……好きな物を選んで……」
 なんというか、婚約を申し込んできた殿下と同じくらい勢いがある。あの時も驚いたけれど、どうも私は押しに弱い。
 そう言えば、なんとなくあげたヴァイオリンを気に入った殿下が短期間で難曲を完成させてきたから凄く驚いたのだけど、その直後に婚約を申し込まれて心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うくらい驚いたのだった。

「ヴィオラ、僕の妻になれ。この僕が嫁に貰ってやると言っているんだ。感謝しろ」

 なんという生意気なクソガキだっただろう。前世の記憶があるせいで一発くらいぶん殴った方が良いのではないかという物騒な考えが過ったけれど、ヴィオラの部分は完全にビビってしまっていた。なにせ、遊びに来た祖父の友人の子供が我が国の王子だと知ったのだから。
 懐かしい記憶に現実逃避している間、殿下とアマンダは額をぶつけ合いそうな程に張り合い続けていた。
「ヴィオラは僕の専属だ! 後から湧いてきたお前なんかには渡さんぞ」
「残念でした、お姉様はもう私のお姉様よ! 姉妹の仲良しの時間を邪魔しないでくださ~い」
 どっちもどっちだ。
 私は殿下の専属になったつもりもアマンダの仲良しな姉になったつもりもない。
「……帰りたい……」
 帰って作りかけのチェロにニスを塗りたい。いや、作りかけのヴァイオリンをノミで削る作業でも良い。とにかくこの空間から逃げ出したい。
「はいはいそこまで。ヴィオラ嬢が困っているじゃないか。下らないことで喧嘩しない。仲良く仲良く」
 ブルースが手を叩きながら仲裁に入ってくれる。ほっと安心したのも束の間、殿下の標的がブルースになってしまった。
「お前、ヴィオラは僕の婚約者だぞ。なに騎士役みたいになってるんだこの運動音痴」
「いや、クレムが大事な婚約者を困らせているんだろう? ただでさえ目立つのが嫌いな彼女の前で彼女の妹と喧嘩して注目を集めすぎなんだよ」
 その通りですと拍手を送りたい。
「……僕が悪いみたいに言うな」
「実際クレムが大人げない。彼女一年だろう? 二つも年下の女の子と張り合ってどうするんだ。仮にも王子だろう? ヴィオラ嬢が自慢の婚約者と思えるくらい堂々としていないと捨てられてしまうよ。もしかしたらもっと優秀な奏者を見つけてしまうかもしれない」
「なに?」
 殿下はブルースの言葉に不貞腐れたり慌てたり忙しい。
「ヴィオラ、僕以外と結婚したりしないよな?」
「え? はぁ……たぶん。殿下の気がお変わりなければ……」
 随分と気の抜けた返事をしてしまった。
「当然だ。僕はお前の婚約者だからな。大体この国に僕より美しい男なんていない。だろう?」
 ああ、ついに外見に頼ろうとしてしまった。
 確かに顔がいい。ものすごくいい。貴族や王族にとって顔が良いことは一種の才能でもある。父もそうだ。けれど、顔だけしか誇れないというのはいかがなものだろう。
「……外見だけを誇られても困ります。殿下……」
 決して悪い人ではない。けれどもとても頭が残念なのだ。そして私はそんな残念なあなたに惹かれている更に残念な女。
「お姉様、この婚約、考え直された方がよろしいのでは? ものすごく、馬鹿丸出しじゃないですか」
「仮にも自国の王子にそんな口を利いてはいけません」
 そう、アマンダを叱って、しまったと思う。たった今私も殿下を貶してしまった。
 おそるおそる殿下を見れば彼にも伝わってしまったらしい。
「ヴィオラ! お前まで僕を馬鹿にするな!」
「も、申し訳ございません……」
「週末一日空けとけ。それで許してやる」
 拗ねた様子を見せながら要求を突きつけてくるところは出会った頃から全く変わらない。
 可愛らしいとは思う。けれども、いい加減少しくらい成長して欲しい。
 実際のところこの末っ子王子は二人の兄に散々甘やかされて生きてきたのだ。たぶん出会った頃から精神年齢が成長していない。
「だめよ。週末は家族で出かけるんだから」
 アマンダが口を挟む。
 これは参った。正直なところ、家族で出かけるくらいなら殿下に一日付き合う方がマシだ。けれどもここで殿下を優先させればアマンダは父になにかを吹き込むかもしれない。本人は悪気なく。
「お前! 僕はこの国の王子だぞ! 少しは敬え。ヴィオラは僕の婚約者だ。僕を優先させるべきだろう」
 完全に駄々を捏ねている子供ではないか。
 殿下の大声にどんどん人が集まってくる。気付かないふりをして食事を続けようとしたが無理だ。
「……では、未来の家族と言うことで、殿下も一緒にいかがでしょうか」
 苦肉の策だ。父だって殿下が居れば大人しいだろうという不純な考えもある。
 殿下は一瞬不貞腐れたように頬を膨らませたけれど、少し考えてそれから仕方ないなと口にする。
「仕方ないからお前の家族の同行も許すがお前の場所は僕の隣だからな!」
 だからどうして常に尊大なドヤ顔を見せてくるのだろう。そしてそれをかわいいと思ってしまう自分もどうかしている。
 これは遺伝だろうか。顔だけいいダメ男に惹かれるようにできているのだろうか。けれど、殿下は基本的にはいい人だ。少し子供っぽいだけで。
「ありがとうございます。殿下」
 素直に礼を言えば得意気な顔を見せる。参った。一つ年上の婚約者のはずが十歳年下の男の子と過ごしているような気分だ。
「お姉様、本当にこの方が一緒なんですか?」
 今度はアマンダが不満の声を上げる。
「殿下は私の婚約者ですもの。家族ぐるみのお付き合いがあった方が良いのではないかと」
 単に父と一緒に出かけるのが辛いから殿下に同行して欲しいだけなのだけれど、この言い訳は殿下のお気に召したようだ。
「ふんっ、当然だ。卒業したらすぐにでも結婚するんだからな。王宮に専用の工房を作ってやるぞ」
 時々思うのは、殿下は王宮の職人を怒らせてしまったから代わりに修理点検をする職人が欲しいだけなのではないだろうか。
 なんとか口にせずに飲み込んだけれど、その考えは付けすぎたインクのように少しずつ、それでも確実に私の中で広がっていった。






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