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13 与えられた役割
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あの日から、ルイスとはとても気まずい。
自分の即位だっていうのに、着る物のことはルイスに任せきりになってしまっているし、なんとなく、顔を合わせるのが怖かった。
まるでそれを誤魔化すように毎日自室に籠もって気を失うまで楽器を弾いている。それにたぶん、あの時一瞬手放しそうになったことへの贖罪も込めて。
即位が近づくごとにレイナはなんとも言えない恐怖を感じている。これは単に緊張しているだとか王という責任ある立場になることに怯んでいるだとかそう言ったこととはまた別の恐怖だ。
なんというか、王になったらレイナは今のレイナではなくなってしまうのではないかという漠然とした恐怖がある。
今だって、女に揺らぎそうになっている自分が恐ろしいのに、この先どうやってルイスと向き合えばいいのだろう。
音が乱れている。
今のレイナはとても不安定だ。それが完全に音に出てしまっている。
演奏中もルイスのことを考えてしまう。というよりは、彼が去ってしまう不安を。
黒咲凛の知識がどこまで正しいのかは最早わからない。けれども、きっといつかルイスを失ってしまう。そして、それはたぶん思っているよりもずっと早い。
また音が大きく乱れた。このままでは弦を切ってしまいそうな程、魔力が不安定だ。
いつからだろう。ルイスを失うのが怖い。彼に嫌われるのが、憎まれるのが恐ろしいと感じている。
言葉にしてしまうのが怖い。
けれども、言葉にしないままでいいのだろうか。
もう、何日もレイナの思考は同じところ反復し続けている。
このままではいけない。
そう思い立ち、楽器を片付ける。部屋から出るのは数日ぶりかもしれない。出た瞬間、当たり前の様に入り口のすぐ横に控えているホセに少し驚きつつも、ついでに弦の交換を要求しておく。使える物はなんでも使わないと損だ。一瞬飛び上がりそうになった自分を誤魔化しつつ楽器も持たずに練習室へ向かう。
アルベルトかルイスのどちらかはいるはずだ。あの二人は数少ないレイナの話し相手として用意されているのだから。
そう、用意されている。
この数日、ずっと考えていた。ルイスやアルベルトがなにかを誤魔化そうとしていたこと。そして、レイナが王宮を出られない意味。
マップを作っていなかったから。そう言われてしまえばそれまでだ。けれど、その辻褄を合わせようとなにかが働いている。
ルイスとアルベルトの立場は逆だったかもしれないと言っていた。片方は婚約者で、残ったもう片方は遊び相手だ。
アルベルトは婚約者候補から外れたからレイナの話し相手をしてくれているだけで、本当は友人と思ってくれていないのかもしれない。
そう、考えれば胸が痛む。
彼らは、二人とも与えられた役割を演じているだけなのだ。つまり、レイナがどんなに惹かれたとしても、ルイスの心は手に入らない。その真実だけで十分だ。
けれども、惹かれてしまった心というのはもう抑えられない。
それに……即位の際に継承されるのは王冠だけじゃない。なにかがあるはずだ。
王家は代々人の心を操る魔法を使う。その力をより高めるのは王冠ではないなにかだ。なにせ、父はオーボエひとつで子供達を洗脳しようとした。つまり、音楽魔法の力をより強力にするなにかがある。
そう考え、オーボエとチェロではなにもかもが違いすぎて、その共通点が思い浮かばない。一体どうやってその力を継承するというのだろう。
考えていると練習室に辿り着いてしまう。
「レイナ様? 難しい顔をしてどうしましたか……って……まさか、楽器をお忘れ? レイナ様が?」
練習室にいるくせにすっかり椅子で寛いでいたアルベルトが立ち上がって出迎えてくれたと思えば目にした物が信じられないと言う大袈裟すぎる驚き方をしてくれた。
「置いてきたの。ホセに弦を張り替えて貰ってるところよ」
「楽器を持たずに練習室に来るなんて、一体なにが……」
まだ信じられないと驚き顔が治まらないアルベルトはまるで身を守るかのように自分の楽器ケースを抱きしめている。
「あなたが居ると思って」
「え?」
「前から不思議だったのよね。あなた達、爵位もあるし、当然お仕事もあるはずなのにどうしてこんなに頻繁に王宮に居るのかしらって。私が居ないときはどうしているのだろうって思っていたの……これって所謂イベント待ちとかいうものかしら? 私が来るまで待機しているの? それともアリアを待っているのかしら?」
自分でも驚くほど早口でアルベルトに詰め寄る。
「レイナ様? 一体今日はどうしました?」
アルベルトは動揺しているように見える。けれどもそれはレイナだって同じだ。
「アルベルトは私の友人役だからずっと王宮に居るのよね? 昼間はずっと? 居ない日もあるの? 夜も探せば居るのかしら?」
大抵イベントは日中に起きるのだから夜は居ないと思ってはいる。けれども訊ねずには居られなかった。
「あー、レイナ様は僕じゃ友人としては不満ってことですか? まあ僕に与えられた一番の役目はレイナ様の話し相手なので他の貴族みたいに領地やら政治に関わる仕事は今のところそんなにはありませんよ? 有能な補佐官もいますしね。昼間はだいたい王宮のどこかにいますが、夜は屋敷に帰っています。これで満足ですか? それとも他に知りたいことが?」
アルベルトは子供時代に戻ったような口調になるほど動揺しているようだ。
「ルイスは? 彼もずっと王宮にいるの? 私の婚約者だから? えっと……あなたも、ルイスも……与えられた役目だから嫌々一緒にいてくれるだけなの?」
もう少しマシな訊ね方があったとは思う。けれども真実が知りたくて、レイナは抑えることが出来なかった。
けれどもアルベルトの反応を見て後悔する。彼は困惑し、そして傷ついているように見えた。
「……僕は……レイナ様と過ごす日々を楽しんでいました。その、身分は違いますが……結構いい関係だと、勝手に……思い込んでいました……」
とても傷ついたという様子を見せられれば、彼は嘘を吐いていないと信じてしまう。
けれども、黒咲凛の知識が、レイナを不安にしてしまう。
それと同時に……ルイスになら殺されても構わないと考えてしまう。
「ごめんなさい……私も、あなたと過ごすのは好きよ。でも……少し不安定になっていたみたい……」
アルベルトはなにも悪くない。レイナが勝手に不安になって傷つけてしまっただけだ。
「ルイスと、上手くいってないんですか? あいつ、即位式のドレスで結構張り切ってましたけど」
「……ううん。私が勝手に……動揺してるだけ。その……ちょっと焦りすぎて、ルイスを困らせてしまったから……嫌われていないかちょっと不安になってしまったの」
それは全てが真実ではないけれど、嘘でもない。
ただ、レイナが勝手に不安になっているだけだ。
「レイナ様が焦りすぎた? うーん、想像つかないな。けど、ルイスはあなたを嫌ったりしませんよ。あいつの執着はレイナ様もよく御存じでしょう?」
アルベルトはどこかからかうような笑みを見せる。それに少し安堵する。
アルベルトのこういう切り替えの早いところは好きだ。彼は自分をとても愛しているからいつも自信が溢れているように見える。
「音楽のことだけ考えて生きていたかったのに、ルイスはそうさせてくれないわ」
ルイスを失うのが怖くて動揺している。
「……ちょっと妬けるな。レイナ様、僕にはそこまで向き合ってくれない」
「そう? アルベルトだって私を乱すのが上手よ。本当にルイスのこと狙ってない?」
からかわれた仕返しだとそう口にした瞬間、ノックもなく扉が開く。
「レイナ!」
慌てた様子で駆け込んできたのはルイスだ。
「あら? ルイス、そんなに慌ててどうしたの?」
今日はなにも約束をしていなかった。けれどもこの後王宮内を探せば会えるかもしれないとは考えていた。しかし、彼の方から飛び込んできたのは予想外だ。
「どうしたのって……君は……楽器も持たずにこんなところでアルベルトとなにをしているんだい?」
ルイスの目がおかしい。あの演奏会の時と同じ……執着の目だ。
「君は、私の婚約者だろう? それとも……今更になって彼の方がよかったと?」
急接近してきたルイスを恐ろしいと思ってしまう。
なにかが彼を蝕んでいる気配を感じた。
「待てよ、ルイス。レイナ様は……私がルイスを狙ってると思って釘を刺しに来たんだ……私は同性愛者ではないというのに……」
アルベルトがルイスを落ち着かせようと話しかけるが、たぶん彼の耳には届いていない。
「ルイス、楽器は……ホセに弦を張り替えて貰っているの」
疚しいことなんて……なにもない。はずだ。
けれども考えて見れば婚約関係にない未婚の男女が防音室で楽器を持たずに二人でいるのは少し問題だったかもしれない。
「私は王女よ。それに、ホセが常に監視しているわ。危険はないでしょう?」
落ち着かせようとしたその言葉がまずかったのかもしれない。
「……またホセ……いつもあいつだ……レイナ……どうしたら君が私だけを見てくれるようになる? 本当に……君を攫ってしまえれば……」
痛いほど強く抱きしめられた。
こんなにも錯乱状態にあるはずのルイスが「攫ってしまえれば」なんて言い方をしたことに疑問を抱く。
やはり、レイナは王宮から出られないのだ。
「ルイス……勘違いしているようだけど……私は誰の物でもないわ。あなたが、私の物なのよ?」
ここは少し強気に出るべきだ。
レイナはルイスの顎を撫で、そう告げる。
「私のルイスに手を出そうとする悪いアルベルトにはお仕置きが必要だもの」
こんな言葉でルイスは落ち着くだろうか。
いや、落ち着くはずがない。
そう思った次の瞬間には、レイナはルイスの顔を両手で掴む。
「私、怯えているわ……ルイスが誰かに奪われてしまわないか……初めは……王族なんだから政略結婚は義務で誰が相手でもいいと思っていたけれど……今はそんな風に思えない。私が欲しいのはルイスだけよ。あなたって酷い人。私の音楽しかない人生にずかずかと踏み込んで浸食していくのだもの」
滅茶苦茶なことを言っているとはわかっている。
けれども、ルイスの瞳が色を取り戻したように思えた。
「レイナ……すまない……どうしても私は……君のことになると冷静ではいられない」
「それはお互い様よ。アルベルト、私のルイスに手を出したら斬首にして胴と首の間にあなたの楽器を差し込んで晒すわ」
アルベルトを振り向けば、笑顔が固まって引きつっている。
「レイナ様……かわいいお顔でえげつないこと言わないで貰えますか?」
「私、ルイスのことになるとどんな悪事にでも手を染められそうよ。ね? ルイス。もう逃がしてあげないから、諦めて私の夫になりなさい」
彼と安全な関係を維持するためにはレイナの方が主導権を握らなくてはいけない。
なんて、とってつけた言い訳だ。
「諦めて、だなんて……私の心は最初からレイナのものだ」
優しく抱きしめ直されると、安心する。
「いけない。未婚の男女の距離じゃないわね。また叱られちゃう。でも……もう少しこのままでいたいわ」
そう、ルイスの背に腕を回せばまたきつくしめられる。
「あー、私は邪魔者かな? ってかこの練習室……いや、まぁ、レイナ様の所有物だから仕方がないな。私は今日は帰宅しますから、なにかありましたら音楽魔法で連絡を」
「別にアルベルトにもう用事はないわよ」
「……あー、はいはい。流石にこれはちょっと傷つくけど……まぁ、レイナ様が幸せならそれで……」
アルベルトはまだ少しだけなにかを言いたそうにレイナを見ていたが、今はルイスが優先だ。
そう思ったとき、急にアルベルトの舌が気になった。
「アルベルト」
思わず呼び止める。
「私にはもう用はないのでは?」
「お黙り。黙って舌を出しなさい」
「は?」
一瞬なにを言われたかわからないという表情を見せたアルベルトもレイナの気迫に負けたのか大人しく舌を出す。
魔力を集中して観察すれば、確かにルイスと同じおかしな色がある。
「……もういいわ。ルイスと同じ……本当に私のルイスに手を出してない? 意識がないときにこっそりなにかをしたりとか」
「しません! ってか今日のレイナ様、いろいろおかしいですよ? 一度医者に診て貰った方が……」
そもそも楽器をホセに預けて来た事自体がおかしいと言われてしまえばもう反論は出来ない。
「……わかったわよ……ルイス……ついてきて」
思わずルイスの手を握る。
別に注射が怖いだとかそんなことではない。ただ、ルイスに側に居て欲しかっただけだ。
「レイナ? 医者をここに呼んで来るかい?」
「歩く分には支障がないわ……ただ、今日はちょっとヘンなことは認める。でも、ルイスが私の安定剤なのは本当よ」
ぎゅーっと彼を抱きしめて、息を吸い込んで匂いを集める。
ルイスの匂いは好きだ。ほんのり香のはたぶん香水。レイナはあまり香水に興味がないからあまり詳しくはないけれど、ルイスの匂いは落ち着く。
「ルイスの匂い、好きよ。これって香水? それともあなたの匂い?」
思わず訊ねると、なぜかアルベルトが笑い出す。
「ちょっと、なによ」
「いえ、レイナ様の反応があまりにも面白くてつい……それは【熱病】って香水ですよ。最近流行の調香師に作らせた品で……ああ、先日うちにその調香師を招いた際にルイスも誘って」
「私のルイスと二人でそんなことを? ルイス、浮気じゃないわよね?」
思わずルイスを問いただす。
「ご、誤解だよ……アルベルトが王配になるのであればもっと身嗜みに気を使うべきだと……着る物には気を使っているつもりだったが、香りは盲点だったから……いや、でも、レイナが気に入ってくれたなら感謝はするべきだな」
どうしても、アルベルトとルイスがこっそりいちゃいちゃしていたのではないかと考えてしまう自分にレイナは呆れる。
黒咲凛の知識ではアルベルトもルイスも同性愛者ではないはずだ。
「……私もそれ欲しい」
「え?」
「……ルイスの匂い、欲しい」
思わず飛び出た言葉は、まるでいじけているようだ。
「……アルベルト、医者を呼んできて。やっぱり、ものすごく疲れてるみたい。その間に……もうちょっとルイスを補給してるわ」
ぎゅーっと抱きついて胸に顔を埋めればルイスは落ち着かないようにそわそわし始める。
「レ、レイナ? 今日は本当に大丈夫?」
「ものすごく重症よ……あなたのせい」
認めたくないけど知識としては知っている。
だけど、まだ言葉には出したくない。
そのまま医者と一緒に現れた次兄に引き剥がされるまでルイスの匂いを堪能した。
自分の即位だっていうのに、着る物のことはルイスに任せきりになってしまっているし、なんとなく、顔を合わせるのが怖かった。
まるでそれを誤魔化すように毎日自室に籠もって気を失うまで楽器を弾いている。それにたぶん、あの時一瞬手放しそうになったことへの贖罪も込めて。
即位が近づくごとにレイナはなんとも言えない恐怖を感じている。これは単に緊張しているだとか王という責任ある立場になることに怯んでいるだとかそう言ったこととはまた別の恐怖だ。
なんというか、王になったらレイナは今のレイナではなくなってしまうのではないかという漠然とした恐怖がある。
今だって、女に揺らぎそうになっている自分が恐ろしいのに、この先どうやってルイスと向き合えばいいのだろう。
音が乱れている。
今のレイナはとても不安定だ。それが完全に音に出てしまっている。
演奏中もルイスのことを考えてしまう。というよりは、彼が去ってしまう不安を。
黒咲凛の知識がどこまで正しいのかは最早わからない。けれども、きっといつかルイスを失ってしまう。そして、それはたぶん思っているよりもずっと早い。
また音が大きく乱れた。このままでは弦を切ってしまいそうな程、魔力が不安定だ。
いつからだろう。ルイスを失うのが怖い。彼に嫌われるのが、憎まれるのが恐ろしいと感じている。
言葉にしてしまうのが怖い。
けれども、言葉にしないままでいいのだろうか。
もう、何日もレイナの思考は同じところ反復し続けている。
このままではいけない。
そう思い立ち、楽器を片付ける。部屋から出るのは数日ぶりかもしれない。出た瞬間、当たり前の様に入り口のすぐ横に控えているホセに少し驚きつつも、ついでに弦の交換を要求しておく。使える物はなんでも使わないと損だ。一瞬飛び上がりそうになった自分を誤魔化しつつ楽器も持たずに練習室へ向かう。
アルベルトかルイスのどちらかはいるはずだ。あの二人は数少ないレイナの話し相手として用意されているのだから。
そう、用意されている。
この数日、ずっと考えていた。ルイスやアルベルトがなにかを誤魔化そうとしていたこと。そして、レイナが王宮を出られない意味。
マップを作っていなかったから。そう言われてしまえばそれまでだ。けれど、その辻褄を合わせようとなにかが働いている。
ルイスとアルベルトの立場は逆だったかもしれないと言っていた。片方は婚約者で、残ったもう片方は遊び相手だ。
アルベルトは婚約者候補から外れたからレイナの話し相手をしてくれているだけで、本当は友人と思ってくれていないのかもしれない。
そう、考えれば胸が痛む。
彼らは、二人とも与えられた役割を演じているだけなのだ。つまり、レイナがどんなに惹かれたとしても、ルイスの心は手に入らない。その真実だけで十分だ。
けれども、惹かれてしまった心というのはもう抑えられない。
それに……即位の際に継承されるのは王冠だけじゃない。なにかがあるはずだ。
王家は代々人の心を操る魔法を使う。その力をより高めるのは王冠ではないなにかだ。なにせ、父はオーボエひとつで子供達を洗脳しようとした。つまり、音楽魔法の力をより強力にするなにかがある。
そう考え、オーボエとチェロではなにもかもが違いすぎて、その共通点が思い浮かばない。一体どうやってその力を継承するというのだろう。
考えていると練習室に辿り着いてしまう。
「レイナ様? 難しい顔をしてどうしましたか……って……まさか、楽器をお忘れ? レイナ様が?」
練習室にいるくせにすっかり椅子で寛いでいたアルベルトが立ち上がって出迎えてくれたと思えば目にした物が信じられないと言う大袈裟すぎる驚き方をしてくれた。
「置いてきたの。ホセに弦を張り替えて貰ってるところよ」
「楽器を持たずに練習室に来るなんて、一体なにが……」
まだ信じられないと驚き顔が治まらないアルベルトはまるで身を守るかのように自分の楽器ケースを抱きしめている。
「あなたが居ると思って」
「え?」
「前から不思議だったのよね。あなた達、爵位もあるし、当然お仕事もあるはずなのにどうしてこんなに頻繁に王宮に居るのかしらって。私が居ないときはどうしているのだろうって思っていたの……これって所謂イベント待ちとかいうものかしら? 私が来るまで待機しているの? それともアリアを待っているのかしら?」
自分でも驚くほど早口でアルベルトに詰め寄る。
「レイナ様? 一体今日はどうしました?」
アルベルトは動揺しているように見える。けれどもそれはレイナだって同じだ。
「アルベルトは私の友人役だからずっと王宮に居るのよね? 昼間はずっと? 居ない日もあるの? 夜も探せば居るのかしら?」
大抵イベントは日中に起きるのだから夜は居ないと思ってはいる。けれども訊ねずには居られなかった。
「あー、レイナ様は僕じゃ友人としては不満ってことですか? まあ僕に与えられた一番の役目はレイナ様の話し相手なので他の貴族みたいに領地やら政治に関わる仕事は今のところそんなにはありませんよ? 有能な補佐官もいますしね。昼間はだいたい王宮のどこかにいますが、夜は屋敷に帰っています。これで満足ですか? それとも他に知りたいことが?」
アルベルトは子供時代に戻ったような口調になるほど動揺しているようだ。
「ルイスは? 彼もずっと王宮にいるの? 私の婚約者だから? えっと……あなたも、ルイスも……与えられた役目だから嫌々一緒にいてくれるだけなの?」
もう少しマシな訊ね方があったとは思う。けれども真実が知りたくて、レイナは抑えることが出来なかった。
けれどもアルベルトの反応を見て後悔する。彼は困惑し、そして傷ついているように見えた。
「……僕は……レイナ様と過ごす日々を楽しんでいました。その、身分は違いますが……結構いい関係だと、勝手に……思い込んでいました……」
とても傷ついたという様子を見せられれば、彼は嘘を吐いていないと信じてしまう。
けれども、黒咲凛の知識が、レイナを不安にしてしまう。
それと同時に……ルイスになら殺されても構わないと考えてしまう。
「ごめんなさい……私も、あなたと過ごすのは好きよ。でも……少し不安定になっていたみたい……」
アルベルトはなにも悪くない。レイナが勝手に不安になって傷つけてしまっただけだ。
「ルイスと、上手くいってないんですか? あいつ、即位式のドレスで結構張り切ってましたけど」
「……ううん。私が勝手に……動揺してるだけ。その……ちょっと焦りすぎて、ルイスを困らせてしまったから……嫌われていないかちょっと不安になってしまったの」
それは全てが真実ではないけれど、嘘でもない。
ただ、レイナが勝手に不安になっているだけだ。
「レイナ様が焦りすぎた? うーん、想像つかないな。けど、ルイスはあなたを嫌ったりしませんよ。あいつの執着はレイナ様もよく御存じでしょう?」
アルベルトはどこかからかうような笑みを見せる。それに少し安堵する。
アルベルトのこういう切り替えの早いところは好きだ。彼は自分をとても愛しているからいつも自信が溢れているように見える。
「音楽のことだけ考えて生きていたかったのに、ルイスはそうさせてくれないわ」
ルイスを失うのが怖くて動揺している。
「……ちょっと妬けるな。レイナ様、僕にはそこまで向き合ってくれない」
「そう? アルベルトだって私を乱すのが上手よ。本当にルイスのこと狙ってない?」
からかわれた仕返しだとそう口にした瞬間、ノックもなく扉が開く。
「レイナ!」
慌てた様子で駆け込んできたのはルイスだ。
「あら? ルイス、そんなに慌ててどうしたの?」
今日はなにも約束をしていなかった。けれどもこの後王宮内を探せば会えるかもしれないとは考えていた。しかし、彼の方から飛び込んできたのは予想外だ。
「どうしたのって……君は……楽器も持たずにこんなところでアルベルトとなにをしているんだい?」
ルイスの目がおかしい。あの演奏会の時と同じ……執着の目だ。
「君は、私の婚約者だろう? それとも……今更になって彼の方がよかったと?」
急接近してきたルイスを恐ろしいと思ってしまう。
なにかが彼を蝕んでいる気配を感じた。
「待てよ、ルイス。レイナ様は……私がルイスを狙ってると思って釘を刺しに来たんだ……私は同性愛者ではないというのに……」
アルベルトがルイスを落ち着かせようと話しかけるが、たぶん彼の耳には届いていない。
「ルイス、楽器は……ホセに弦を張り替えて貰っているの」
疚しいことなんて……なにもない。はずだ。
けれども考えて見れば婚約関係にない未婚の男女が防音室で楽器を持たずに二人でいるのは少し問題だったかもしれない。
「私は王女よ。それに、ホセが常に監視しているわ。危険はないでしょう?」
落ち着かせようとしたその言葉がまずかったのかもしれない。
「……またホセ……いつもあいつだ……レイナ……どうしたら君が私だけを見てくれるようになる? 本当に……君を攫ってしまえれば……」
痛いほど強く抱きしめられた。
こんなにも錯乱状態にあるはずのルイスが「攫ってしまえれば」なんて言い方をしたことに疑問を抱く。
やはり、レイナは王宮から出られないのだ。
「ルイス……勘違いしているようだけど……私は誰の物でもないわ。あなたが、私の物なのよ?」
ここは少し強気に出るべきだ。
レイナはルイスの顎を撫で、そう告げる。
「私のルイスに手を出そうとする悪いアルベルトにはお仕置きが必要だもの」
こんな言葉でルイスは落ち着くだろうか。
いや、落ち着くはずがない。
そう思った次の瞬間には、レイナはルイスの顔を両手で掴む。
「私、怯えているわ……ルイスが誰かに奪われてしまわないか……初めは……王族なんだから政略結婚は義務で誰が相手でもいいと思っていたけれど……今はそんな風に思えない。私が欲しいのはルイスだけよ。あなたって酷い人。私の音楽しかない人生にずかずかと踏み込んで浸食していくのだもの」
滅茶苦茶なことを言っているとはわかっている。
けれども、ルイスの瞳が色を取り戻したように思えた。
「レイナ……すまない……どうしても私は……君のことになると冷静ではいられない」
「それはお互い様よ。アルベルト、私のルイスに手を出したら斬首にして胴と首の間にあなたの楽器を差し込んで晒すわ」
アルベルトを振り向けば、笑顔が固まって引きつっている。
「レイナ様……かわいいお顔でえげつないこと言わないで貰えますか?」
「私、ルイスのことになるとどんな悪事にでも手を染められそうよ。ね? ルイス。もう逃がしてあげないから、諦めて私の夫になりなさい」
彼と安全な関係を維持するためにはレイナの方が主導権を握らなくてはいけない。
なんて、とってつけた言い訳だ。
「諦めて、だなんて……私の心は最初からレイナのものだ」
優しく抱きしめ直されると、安心する。
「いけない。未婚の男女の距離じゃないわね。また叱られちゃう。でも……もう少しこのままでいたいわ」
そう、ルイスの背に腕を回せばまたきつくしめられる。
「あー、私は邪魔者かな? ってかこの練習室……いや、まぁ、レイナ様の所有物だから仕方がないな。私は今日は帰宅しますから、なにかありましたら音楽魔法で連絡を」
「別にアルベルトにもう用事はないわよ」
「……あー、はいはい。流石にこれはちょっと傷つくけど……まぁ、レイナ様が幸せならそれで……」
アルベルトはまだ少しだけなにかを言いたそうにレイナを見ていたが、今はルイスが優先だ。
そう思ったとき、急にアルベルトの舌が気になった。
「アルベルト」
思わず呼び止める。
「私にはもう用はないのでは?」
「お黙り。黙って舌を出しなさい」
「は?」
一瞬なにを言われたかわからないという表情を見せたアルベルトもレイナの気迫に負けたのか大人しく舌を出す。
魔力を集中して観察すれば、確かにルイスと同じおかしな色がある。
「……もういいわ。ルイスと同じ……本当に私のルイスに手を出してない? 意識がないときにこっそりなにかをしたりとか」
「しません! ってか今日のレイナ様、いろいろおかしいですよ? 一度医者に診て貰った方が……」
そもそも楽器をホセに預けて来た事自体がおかしいと言われてしまえばもう反論は出来ない。
「……わかったわよ……ルイス……ついてきて」
思わずルイスの手を握る。
別に注射が怖いだとかそんなことではない。ただ、ルイスに側に居て欲しかっただけだ。
「レイナ? 医者をここに呼んで来るかい?」
「歩く分には支障がないわ……ただ、今日はちょっとヘンなことは認める。でも、ルイスが私の安定剤なのは本当よ」
ぎゅーっと彼を抱きしめて、息を吸い込んで匂いを集める。
ルイスの匂いは好きだ。ほんのり香のはたぶん香水。レイナはあまり香水に興味がないからあまり詳しくはないけれど、ルイスの匂いは落ち着く。
「ルイスの匂い、好きよ。これって香水? それともあなたの匂い?」
思わず訊ねると、なぜかアルベルトが笑い出す。
「ちょっと、なによ」
「いえ、レイナ様の反応があまりにも面白くてつい……それは【熱病】って香水ですよ。最近流行の調香師に作らせた品で……ああ、先日うちにその調香師を招いた際にルイスも誘って」
「私のルイスと二人でそんなことを? ルイス、浮気じゃないわよね?」
思わずルイスを問いただす。
「ご、誤解だよ……アルベルトが王配になるのであればもっと身嗜みに気を使うべきだと……着る物には気を使っているつもりだったが、香りは盲点だったから……いや、でも、レイナが気に入ってくれたなら感謝はするべきだな」
どうしても、アルベルトとルイスがこっそりいちゃいちゃしていたのではないかと考えてしまう自分にレイナは呆れる。
黒咲凛の知識ではアルベルトもルイスも同性愛者ではないはずだ。
「……私もそれ欲しい」
「え?」
「……ルイスの匂い、欲しい」
思わず飛び出た言葉は、まるでいじけているようだ。
「……アルベルト、医者を呼んできて。やっぱり、ものすごく疲れてるみたい。その間に……もうちょっとルイスを補給してるわ」
ぎゅーっと抱きついて胸に顔を埋めればルイスは落ち着かないようにそわそわし始める。
「レ、レイナ? 今日は本当に大丈夫?」
「ものすごく重症よ……あなたのせい」
認めたくないけど知識としては知っている。
だけど、まだ言葉には出したくない。
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