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1章 アルとの転機

1-6. 帰りたい気持ち

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 フスキのダンジョンのあふれは、発生から一か月ほどで鎮圧された。二つの街が潰され、多くの犠牲者を出したうえで。今までにない規模のあふれで、これが人の多い領で起きればもっと犠牲者は増えただろう。
 これは、二百年周期の始まりだ。その噂は一気に広がった。

 ダンジョンのあふれが数十年続く時期があり、それはだいたい二百年周期で起こるので、その時期は「二百年周期」と呼ばれている。
 モクリークは周辺国に比べてダンジョンが多く、二百年周期には毎回国中で被害が出てきた。そのために、国の方針として、優秀な冒険者を集めている。

 僕は国軍本体の野営地に物資を届けた後、すぐに王都ニザナに戻った。
 初めてのあふれの対応は、この世界で、この国で生きていくということがどういうことなのか、考えさせられる経験だった。
 ここは死が割と身近な世界で、僕の平和ボケした感覚は通用しない。
 今いるモクリークの国やギルドが僕を優遇してくれているのは、アイテムボックススキルがあるからだ。それはつまり、このスキルで国やギルドの期待に応えられなければ、待遇が変わる可能性も含んでいる。
 スキルは有用であっても、保持する僕次第で宝の持ち腐れになる。現に今回、僕は最前線まで物資を運べなかった。
 何ができて、何ができないのか、国やギルドに望まれていることは何で、それにどこまで応えるのか、きちんと把握しておかなければならない。

 フスキからの帰り道、そんな話をしてたとき、アルに聞かれた。

「付与スキルは使わないのか?」

 僕は「アイテムボックス」だけでなく「付与」というスキルも持っている。ブランと契約したことで「テイム」スキルも増えたが、ブラン以外と契約することはないので、置いておく。
 今まで僕は自分のスキルを磨くという努力をしてこなかった。

 スキルは、持っているだけでは使えない。
 通常何かの技能を身に付けようとするなら、まずやり方を学ぶ見習いから始まり、ひとりで一通りのことはできるが技術は未熟な新米になり、そこから努力を重ねて熟練となる。そこに至るまでの必要な努力の量は人によって違うが、この過程は変わらない。
 スキルは、この見習い期間を飛ばして新米にしてくれる。つまり、使い方を知った時点で新米にはなれるが、熟練になるには努力しなければならない。向き不向きはあるが、スキルがなくても技能を身に着けることはできるので、スタートにアドバンテージがあるだけで、努力を怠ればスキルを持たない人に追い抜かれてしまう。
 ただ、今までスキル無しで習得した人がいない技能も存在し、それは特殊スキルとも呼ばれる。その代表がアイテムボックスだ。

 僕は、カイドのギルドでスキル鑑定をし、スキルの使い方を教えてもらった。僕は使い方を教えてくれた彼らに感謝し、そのスキルをギルドのために役立ててほしいという言葉に了承してしまった。そこから搾取の日々が始まったので、僕は言われたこと以外にスキルを使うことはしてこなかった。
 ブランと出会ってからは、荷物を入れるために必要なアイテムボックスしか使っていない。

「……そうだね。使うようにしないと、だね」
「ユウ、使いたくないなら使わなくていい。でも、ギルドが何か言ってきたときのために、その理由は教えてくれ」
「スキルの訓練をするのは、日本に帰るのを諦めたみたいで……」

 カイドの日々を思い出したくないというのもあるけど、この世界でより良く生きていくための努力をしたくなかった。それは、日本に帰ることを諦めたようで、嫌だった。
 それを聞くとアルは、ギルドにはカイドで嫌な思いをしたからということにしよう、と提案して優しく背中を撫でてくれた。どんなときも、アルは僕の気持ちを尊重してくれる。その優しさに僕は支えられている。
 だけど、とアルは続けた。

「ユウ、この世界に馴染もうと努力することと、家族の元に帰りたいと願うことは、相反することじゃないんだ。どちらも望んでいいんだ。ユウの家族は、ユウが家族から離された今、当面の安全な生活を手に入れようとすることを否定するような人たちなのか? どこにいようとユウが幸せであることを一番に願ってくれるような人たちじゃないのか?」

 アルの言うとおりだ。きっと、どこかで無事で生きていてくれればと願ってくれているはずだ。
 反対の立場なら、僕はそう願う。どうか無事でいて、どうか辛い思いをしていないで、と。

 まだ、スキルを使おうとは思えない。もう少し、時間がほしい。
 けれど、うつむいてしまった僕をアルとブランが優しく気遣ってくれるから、いつかは使おうと思えるだろう。


 ニザナでの日常に戻り、慣れ親しんだダンジョンに潜る日々を送っている。
 そんな中でふと、特に答えを期待もせず疑問を口にした。

「ダンジョンってなんなんだろう。なんであふれるんだろう」
『あふれるのは魔素の循環が阻害されるからだな』
「え?」
「どういうことだ?」

 まさかの身近に理由を知っている人がいた。人じゃなくてオオカミ、いや神様か。
 神様ブランの解説によると、ダンジョンでは一定量の魔素が循環しているのだが、何かの理由で魔素の循環が阻害され、条件がそろうと、魔素がモンスターとなり、ダンジョン内に収まりきらず地上にあふれてしまう。循環が阻害される理由で多いのは、ダンジョンが放置されること、らしい。僕は全然分からなかったけど、アルは理解できたみたいだ。

「それは、なぜ人に知られていないんだ? 隠されていることなのか?」
『特に隠してはないな』
「ダンジョンを放置しなかったら、あふれは起こらないってこと?」
『可能性は減るな』
「ブランがフスキのあふれはその地の住民が対応すべきことだと言っていたのは、そのためか?」
『そうだ。放置したのはそこの住民だ』
「なんで二百年周期なの?」
『もともと二百年周期で魔素の増減があるからだ』
「それは仮説として知られている」
「へえ、正解なんだ。じゃあ、特にこれからしばらくはダンジョン放置しないでって言ったほうがいいよね?」
「そうだな。だがどう伝えるかだな」

 ギルドに言おうにも、情報源を明かせないので正確性が疑われる、噂で流せば、上級ダンジョン周辺に住む住民が逃げ出すなどの集団パニックが起きる可能性もある。
 アルといろいろ考えたけれど適切な方法が思いつかず、とりあえずこの情報は誰にも教えないことにした。
 その代わりに、いろんなダンジョンを攻略して回ろうと決めた。

「ユウは優しいな」
「どうしたの?」
「いや、あふれの理由など、解消してもユウにメリットはないだろう?」
「でもたくさんの人の命がかかっているから」
「この世界はユウには優しくないのに、それでもユウはこの世界の人の命を守ろうとする」
「それは、だって、命は尊いものだって、命の重さに違いはないって、言われて育ったから」

 アルにそっと肩を抱かれ、ありがとう、とおでこにキスをされた。
 それに驚く。言葉よりもその行動に。アルは僕のことを好きだと言ったけど、それから少し距離が近くはなったと思ったけど、けれどそれ以上何も言わないし、何もしないので、あの話はもうなくなったのかなと思っていた。

「アルは、僕のこと、その、好きだって言ってたのに、フスキのお嬢様を連れて帰るか、とか、その、もう僕のことは……」
「……俺がどんな思いであのお嬢様と話をしてたと思ってる」

 いつもより低い声に驚いていると、ベッドの上に押し倒された。

『俺は隣で寝る』

 ブランが寝室を出ていった。ちょっと待って、ブラン。この状態で置いていかないで。

「ひどい奴だと思ったよ。俺の気持ちを知りながら、お嬢様の気を引くために使って。でもユウは女性が恋愛対象なんだろう。だから、ユウの幸せのためなら、そう思っていたのに」
「その、知らなかったとはいえ、ごめん」
「イヤならブランを呼べ」
「え?」

 気が付いたら、唇にキスをされていた。優しい、ただ触れるだけのキス。
 唇を離したアルが、まっすぐに俺を見てくる。
 こんな近距離でアルの顔を見たことはなかったな。髪が黒じゃないとまつ毛も黒じゃないんだな。なんて考えていたら、目を閉じて、と優しく囁かれた。
 アルは、今まで見たことのない、強い、でも優しい眼差しで、僕を見つめている。出会ってからいつも、僕を支え守ってくれた、優しい眼差し。
 僕は、アルの言葉に従い、目を閉じた。



 目が覚めて、昨日のことを思い出して、再度ベッドに潜り込んで頭を抱える。やってしまった。寂しさに流された。
 身体が辛いのか、とブランが気遣ってくれるけど、そういうことは聞かないでくれると嬉しい。ちなみに、アルは優しかったし、初心者に合わせてくれたというか、僕の戸惑いに遠慮してくれたので、身体は辛くない。

「ブラン、どうしよう、流されちゃった」
『何か問題があるのか?』
「だって、僕は、アルの気持ちには答えられないよ」
『なぜだ?』
「僕は、帰りたいよ。日本に帰りたい。それは、アルへの裏切りにならないのかな」
『本人と話せ』

 そう言い残して、ブランが部屋から出ていった。ブランが冷たい。というより、アルとのことで甘やかしてくれない。
 ブランが出ていくとすぐに、入れ替わりにアルが入ってきた。

「ユウ? 起きたと聞いたが、大丈夫か? ユウ?」

 ベットの脇に座って、ベッドに潜り込んだままの僕をアルがそっと覗き込む気配がするけど、顔を出せない。どんな顔をしていいのか分からない。

「嫌だったのか? 怒ってるのか? どこか痛いのか?」
「……」
「ユウ、お願いだから、顔を見せて」

 アルの懇願に負けて、ベッドから這い出たけれど、アルの顔が見られない。

「アル、ごめん。僕はやっぱりアルの気持ちには答えられない。ごめんなさい……」
「ユウ、悪かった。もう二度としないから、泣かないでくれ」
「違うよ、僕が悪いんだ。ごめん」
「いや、俺が強引だったんだ。すまない。ユウが嫌なら、パーティーを解消しよう」

 その言葉に驚いて顔を上げると、アルが辛そうな顔で僕を見ていた。
 そして、僕の涙を拭こうと手を出して、でも頬に触れる前に、手を引いた。

 僕は、なんて自分勝手なんだろう。
 帰りたい。だからアルの気持ちは受け取れない。でもずっと僕を支えてくれたアルを失いたくない。

「僕はずるいんだ。アルにそばにいて欲しい。でも恋人にはなれない。僕は日本に帰りたい。家族に会いたい。父さんや母さんに会いたいんだ」
「構わない。ユウが帰りたいのは知っている。帰り道を探すと約束しただろう?」

 でも、だったら、アルの気持ちはどうなる? 僕は、アルを置いて日本に帰りたいと言っているのに。

「だけどアルは、僕が帰ったらアルは」
「分かってる。ユウ、分かってるから。だからそのことでユウが苦しむ必要はないんだ。大丈夫、大丈夫だから」

 アルがそっと僕の肩を撫でてくれる。悪夢にうなされて飛び起きたときはいつも、こうして大丈夫だと撫でてくれた、優しい手。
 この気持ちが、恋なのか、庇護してくれる人を失いたくないだけなのか、吊り橋効果の果てなのか、僕には分からない。
 でもこの手は、いつだって僕を守ってくれる、大切な人の優しい手だ。それだけは確かだ。

 もしいつか、帰る方法が見つかったときに、僕はこの手を離すことができるのか。自分でも分からない。
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