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安倍晴明

因縁

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 晴明の言葉に応えるよう、白虎は立ち直し道満の式神に狙いを定める。

『殺りなさい』

 な、けたたましい咆哮!! 耳が痛い!!!耳を塞いでも、脳に直接響いているみたいでまるで意味が無い。頭痛が酷い、体が震える。

 これが、神の力か!!


 ────ギャァァァァアアアアアア!!!!!


 咆哮に紛れ、悲痛の叫びが聞こえる。これは誰の声だ。いや、じゃない、この声は──

「牛鬼、陰摩羅鬼!!」

 道満の低い声が、式神の名前を呼んでいる。

 やっと咆哮が落ち着いてきた。頭痛や体の震えも消えていく。はぁ、呼吸がしにくい、苦しい。喉が締め付けられている感覚だ。

 もう、やめてくれ……。

「はぁ、はぁ……」

 紅音と琴平も肩を大きく動かし、何とか息を整えようとしている。相当辛かったんだな、そりゃそうか。

『なにが、起きた……』
『少し、やりすぎてしまったようだね』

 晴明は僕の前に移動し、見下ろしてきた。
 今僕が膝に手を付き、少し屈んでいる体勢だからか。自分に見下ろされる感覚って……胸糞悪いな。誰だろうと、見下ろされるのは嫌だ。

 僕を見ていた晴明は、また道満の方へと目線を移す。

 風に吹かれ、灰になって消えていく御札を見続けていた。自身の式神を破壊され、落ち込んでいるのか。それとも力の差に愕然としたのか。今のあいつの表情からは、読み取る事が出来ない。

「晴明よ、またか。また、ワシの式神を……許さぬ。許さぬぞ!!!」

 何も感じ取る事の出来なかった表情は、徐々に怒りを露わにしていき、顔を赤くしていく。歯を食いしばり、目を血走らせた。

 こんなに恨みを持っているなんて。道満と晴明の間には、一体何があったんだ。
 二人は生前、何をしていた。どんな事をしてきたんだ。

『やれやれ。道満、自分の欲に溺れると足がすくわれると何度言えば──』
「黙れぇぇええ!!! 貴様は許さぬ。必ず、必ず貴様の血を絶やし、永遠の死を……絶望を!! 貴様の子孫に味合わせる。それを見続ける事しか出来ない自分を嘆き、苦しみ、悶えろ!!! 安倍晴明ぇぇええええ!!!!」
『…………頼む、道満よ。これ以上君を、失望させないでくれ』

 道満の怒りや憎しみを目に、晴明はただ、哀れみの目を向けているだけ。心苦しそうに顔を歪め、ただただ悲観しているように見える。

 少しも動く事が許されない時間。いつまで続くんだ。
 息を吐く度、瞬きをする度。頭の中で再生されるのは、僕自身の死。
 
 息が白い、空気が冷えているのか。体の震え、止まってくれ。

 こんなの、僕じゃない。僕は、天才なんだ。怖いものなんて、ないんだ。僕は……僕は!!

『時間です。ここからは、君に託しましたよ。思っていたより早く目を覚ましてくれて助かった──牧野優夏』

 晴明が言うと、重苦しい空気は消えていき、白虎も主が居なくなったからか。その場から姿を消す。
 暗雲が風と共に流れ、月が神々しく輝き僕達を照らし出した。

 道満はまだ怒りが収まりきっていないようで、拳を震わせ、歯を食いしばり、目は開ききっている。

「逃げるな、逃げるな!! 安倍晴明!!!!!」
「っ、道満様!!」

 叫びながら道満は、セイヤに向かって走り刀を奪い取る。その足で今度は雰囲気が変わった僕の体へと向かい走った。

 今の状態が晴明なのか、優夏なのか分からない。
 先程からの微動だにせず、顔を俯かせ、なんの反応も見せない。

 晴明だった場合問題は無い。でも、もし優夏だったとしたら……。

 まずい!! このままでは、道満の刀が僕の体に突き刺さる!!

 誰だ、どっちなんだ。いや、どっちでもいい。僕の体を傷つけるな!!

 紅音と琴平が我に返り、僕の体を守ろうと走り出すが、到底間に合うわけもない。
 道満が奇声と共に振り上げた刀が、僕の体を切りさいっ──……

「っん? え、うぎゃぁぁぁぁああああ!!!!!」

 …………あぁ、一瞬でわかった。僕の体で変な声を出す奴、一人しかいない。
 というか、咄嗟に白刃取りするとか。さすが僕の体だね。

『情けない声を──』
「いや、いやいやいや。いやいやいやいやいや!!!!! な、なんですかこの状況?! あれ、俺はどうなっているの?! これが本場の白刃取り?!! 待って待って、頭の整理が追いつかない!!!」

 優夏の動揺っぷりに毒気が抜けたのか、道満はギリギリと押していた刀からふっ、と力を抜き、鞘へとゆっくりと戻した。
 まじまじと優夏を見下ろしている。その目に、ただ優夏は困惑。「え、え?」と、僕達に助けを求めているような目線を向けて来る。

 おい、そんな間抜け面を晒すな!!

「…………貴様は安倍晴明ではないな。誰だ、名前を教えろ」
「え、いきなりなんですか? えっと、おれっ──じゃなかった。僕の名前は安倍あんっ──」
「そっちでは無い。今の貴様の本名だ。教えぬのなら、今ここで殺しても良いのだぞ」
「へっ? いや、待って待って!! 教えます! 教えますから!! その少し鞘から抜いた刃を戻して!!」

 はぁぁぁああああああああ、情けない。本当に情けない。ここまで情けないなんて……。

 頭を抱えていると、セイヤが顔を俯かせ、ゆっくりと立ち上がった。怪我はもう治ったみたいだね。

『もう行くの?』
「関係ない」
『確かに関係ないね。でも、完全に関係ないわけでもなさそうだよ。特に、優夏と君はね』

 セイヤはそれ以上口を開かなかった。その瞳は、優夏へと向けられ、後悔の念を感じ取る事が出来る。

『君も大変だね。でも、安心しなよ。優夏は、君を救う事を諦めない。必ず、何があっても救うため、手を伸ばし続けるだろう。そうなれば、自然と僕は手を貸さなければならない。君を助けなければ、後に面倒臭い事となる。僕の勘が、そう言っている』

 セイヤは鼻を鳴らし「意味がわからん」と呟き、道満の方へと歩き始めた。
 素直じゃないって訳じゃないみたいだね。だって、少しだけ。本当に少しだけ、期待の眼差しを浮かべた。

「道満様。今日は……」
「わかった。今日はここまでとする。名前はしっかりと覚えたぞ。次は、このようにはならん。ワシが殺すまで、その体は大事にするがいい。牧野優夏」

 その言葉を最後に、暗闇へと二人は消えて行く。

 この、後味の悪さはなんなのか。胸元に引っかかっているものは何か。
 胸に手を置いても、それがわかる訳もなく、頭の中で渦巻く何かが晴れる訳でもない。

『……………………』

 ────安倍、晴明。

 先祖なんて全く興味なかったけど、そうも言ってられないみたいだな。
 優夏とセイヤの関係も面倒臭いけれど、晴明と道満の関係も面倒臭い。

 でも、これを解決しなければ、僕は僕の体に戻れないんだろうなぁ。はぁ、道のりが長い。

 空を見上げると、夜空いっぱいに星がちりばめられている。月明かりが、今の僕達を照らしている。
 澄んだ空気の中、憂鬱な気分が心を覆う。これから僕は、僕達はどうなってしまうのか。何をすべきか……。

 …………ここからはもう、流れに身を任せよう。疲れた。
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