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2、お茶会の支度
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今日、ユリアーナはお茶会を催すことになっている。
六月。季節は心地よい初夏だ。屋敷の庭には、薔薇やラベンダーが咲きほこっている。
招待しているのはベイレフェルト伯爵夫人だ。今日はクラーセン家にお泊りになる。伯爵夫人はユリアーナが子供の頃からの知りあいだが、粗相があってはならない。
今は社交の時季なので、貴族たちはそれぞれの領地ではなく、王都のタウンハウスで過ごしている。
「奥さま。茶葉はこちらでよろしいですか?」
厨房で、キッチンメイドが問いかけてくる。
「ええ。ありがとう」
ベイレフェルト夫人の好みを考慮して、ユリアーナは事前に紅茶をブレンドしておいた。
軽食もコックに作ってもらうメニューを伝えておく。
アプリコットジャムをのせた、白いムース。生クリームとカスタードクリームと生地を、マジパンで包んだタルト。セイボリー系はサーモンとハーブをサワークリームであえたサンドイッチ。これは爽快なディルの香りがして、夫人の好物だ。
次は着替えだ。
自室では侍女が、アフタヌーンドレスの着替えを手伝ってくれる。
「ここのところ、お忙しいですね」
「そうね。先週は侯爵夫人をお招きしたものね。タウンハウスに皆さまがいらっしゃるときは、どうしても予定が詰まるわね」
パーティや夜会だけではなく、家庭に夫人を招待しての交流も女主人の務めだ。
馬車の音が聞こえた。二階の窓からユリアーナは外を見る。
ちょうどブレフトとヘルダが、屋敷の車寄せにつけられた馬車に乗りこむところだった。
優しそうに微笑みながら、ブレフトがヘルダの肩に手をかける。
一度だって、夫はユリアーナに笑顔を見せたこともない。エスコートも必要最低限で、形ばかりだ。
「たしか、観劇は午後からだったわね」
ぽつりとユリアーナは言葉を洩らした。
女主人の紅茶に、雑巾の水を入れるメイドを、夫が可愛がる理由が分からない。たとえユリアーナのことを好きではなくとも、使用人としてありえないことだ。
「旦那さまにも困ったものですね。ヘルダをまるで愛人であるかのように、毎夜……」
はっとした様子で、侍女のシーラが口を手で押さえた。
ユリアーナは、不思議と心がざわつかなかった。
元々、夫婦の寝室は別だ。子どもができないことを、クラーセン家の親族は憂いているが。何もしていないのに、子どもができるはずもない。
「いいのよ。ヘルダは若いから、睡眠が足りなくても平気でしょうけれど。わたくしは夜はちゃんと眠らないとつらくって」
「まぁ。奥さまだってお若いですよ。何を仰ってるんですか。さぁ、髪を結いますので、お座りください」
鏡の前の椅子に、ユリアーナは腰を下ろす。シーラは、ユリアーナの絹糸のような淡い金色の髪を梳かし、手際よく結いあげてくれる。
「これをつけたいのだけれど」
「お綺麗ですね。初夏にぴったりの若葉の色ですね。奥さまの目のお色とも合っています」
ユリアーナが示したのは、澄んだ明るい緑のペリドットの首飾りだった。
「そういえば旦那さまのシャツのボタンを、奥さまが貝ボタンに変えた方がよいと仰ってましたね。あのボタンを付け替えてから、シャツがいっそう上等に見えるようになりましたね」
「そうね。木のボタンが外れかけていたから。いっそのこと、夜光貝のボタンにした方が見栄えがいいかしらと思って」
ユリアーナは椅子から立ちあがった。半袖のアフタヌーンドレスは軽やかだけれど、六月はまだ肌寒いこともある。だから肘の上までかくれる白いレースの手袋をはめた。
「真珠のブレスレットをつけた方がいいわね」
「白い手袋に白い真珠ですか? 目立たないように思うんですけど」
「色は控えめにした方が、首飾りのペリドットが引き立つわ」
「なるほど。確かに色が多いと主役の宝石が引き立ちませんね」
侍女は微笑んだ。
クラーセン家の使用人は、ヘルダ以外はユリアーナの味方だ。
ユリアーナの実家は領地が北にある。冬が寒くて暗いので、長い時間を過ごす室内や着る物のセンスが磨かれている。
ユリアーナが嫁いで来る前までは、クラーセン家では蝋燭はただの照明だったが。
彼女が、赤や青、琥珀色に蜂蜜色のキャンドルホルダーを並べて蝋燭を灯すことで、室内が一気に洗練された。
「奥さまのセンスはとても素敵です。他のメイド達も憧れてるんですよ」
「ありがとう。でも、ただ若いメイド達よりも少し長く生きているのと、育ったところが、夏が短く冬が長かっただけなのよ。家にいることが多かったから」
「ご謙遜なさらなくとも」と、侍女のシーラは言ってくれた。その気持ちがユリアーナには嬉しかった。
六月。季節は心地よい初夏だ。屋敷の庭には、薔薇やラベンダーが咲きほこっている。
招待しているのはベイレフェルト伯爵夫人だ。今日はクラーセン家にお泊りになる。伯爵夫人はユリアーナが子供の頃からの知りあいだが、粗相があってはならない。
今は社交の時季なので、貴族たちはそれぞれの領地ではなく、王都のタウンハウスで過ごしている。
「奥さま。茶葉はこちらでよろしいですか?」
厨房で、キッチンメイドが問いかけてくる。
「ええ。ありがとう」
ベイレフェルト夫人の好みを考慮して、ユリアーナは事前に紅茶をブレンドしておいた。
軽食もコックに作ってもらうメニューを伝えておく。
アプリコットジャムをのせた、白いムース。生クリームとカスタードクリームと生地を、マジパンで包んだタルト。セイボリー系はサーモンとハーブをサワークリームであえたサンドイッチ。これは爽快なディルの香りがして、夫人の好物だ。
次は着替えだ。
自室では侍女が、アフタヌーンドレスの着替えを手伝ってくれる。
「ここのところ、お忙しいですね」
「そうね。先週は侯爵夫人をお招きしたものね。タウンハウスに皆さまがいらっしゃるときは、どうしても予定が詰まるわね」
パーティや夜会だけではなく、家庭に夫人を招待しての交流も女主人の務めだ。
馬車の音が聞こえた。二階の窓からユリアーナは外を見る。
ちょうどブレフトとヘルダが、屋敷の車寄せにつけられた馬車に乗りこむところだった。
優しそうに微笑みながら、ブレフトがヘルダの肩に手をかける。
一度だって、夫はユリアーナに笑顔を見せたこともない。エスコートも必要最低限で、形ばかりだ。
「たしか、観劇は午後からだったわね」
ぽつりとユリアーナは言葉を洩らした。
女主人の紅茶に、雑巾の水を入れるメイドを、夫が可愛がる理由が分からない。たとえユリアーナのことを好きではなくとも、使用人としてありえないことだ。
「旦那さまにも困ったものですね。ヘルダをまるで愛人であるかのように、毎夜……」
はっとした様子で、侍女のシーラが口を手で押さえた。
ユリアーナは、不思議と心がざわつかなかった。
元々、夫婦の寝室は別だ。子どもができないことを、クラーセン家の親族は憂いているが。何もしていないのに、子どもができるはずもない。
「いいのよ。ヘルダは若いから、睡眠が足りなくても平気でしょうけれど。わたくしは夜はちゃんと眠らないとつらくって」
「まぁ。奥さまだってお若いですよ。何を仰ってるんですか。さぁ、髪を結いますので、お座りください」
鏡の前の椅子に、ユリアーナは腰を下ろす。シーラは、ユリアーナの絹糸のような淡い金色の髪を梳かし、手際よく結いあげてくれる。
「これをつけたいのだけれど」
「お綺麗ですね。初夏にぴったりの若葉の色ですね。奥さまの目のお色とも合っています」
ユリアーナが示したのは、澄んだ明るい緑のペリドットの首飾りだった。
「そういえば旦那さまのシャツのボタンを、奥さまが貝ボタンに変えた方がよいと仰ってましたね。あのボタンを付け替えてから、シャツがいっそう上等に見えるようになりましたね」
「そうね。木のボタンが外れかけていたから。いっそのこと、夜光貝のボタンにした方が見栄えがいいかしらと思って」
ユリアーナは椅子から立ちあがった。半袖のアフタヌーンドレスは軽やかだけれど、六月はまだ肌寒いこともある。だから肘の上までかくれる白いレースの手袋をはめた。
「真珠のブレスレットをつけた方がいいわね」
「白い手袋に白い真珠ですか? 目立たないように思うんですけど」
「色は控えめにした方が、首飾りのペリドットが引き立つわ」
「なるほど。確かに色が多いと主役の宝石が引き立ちませんね」
侍女は微笑んだ。
クラーセン家の使用人は、ヘルダ以外はユリアーナの味方だ。
ユリアーナの実家は領地が北にある。冬が寒くて暗いので、長い時間を過ごす室内や着る物のセンスが磨かれている。
ユリアーナが嫁いで来る前までは、クラーセン家では蝋燭はただの照明だったが。
彼女が、赤や青、琥珀色に蜂蜜色のキャンドルホルダーを並べて蝋燭を灯すことで、室内が一気に洗練された。
「奥さまのセンスはとても素敵です。他のメイド達も憧れてるんですよ」
「ありがとう。でも、ただ若いメイド達よりも少し長く生きているのと、育ったところが、夏が短く冬が長かっただけなのよ。家にいることが多かったから」
「ご謙遜なさらなくとも」と、侍女のシーラは言ってくれた。その気持ちがユリアーナには嬉しかった。
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