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3、懐かしい思い出

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「奥さま。香水はこちらでよろしいですか?」

 侍女のシーラが、鏡の前に座るユリアーナに香水の瓶を差しだす。

 渓谷の百合とも呼ばれる、スズランから作られたものだ。白い小花にふさわしく、清潔感と透明感がある。シングルノートという香りが変化しないものなので、今日のようなお茶会にはぴったりだ。 


 午後、馬車が車寄せに着いた。

 供に導かれてワゴンから降りたのは、ベイレフェルト伯爵夫人だった。ユリアーナの母よりも年上で、子供の頃からよく知っている。「おばさま」と呼んでいい間柄だ。

「お久しぶりです、おばさま」

 ユリアーナは長い廊下を歩いて、応接室に夫人を案内した。

「あなたに会いたいなんて我儘を言って、ごめんなさいね」

 ベイレフェルト夫人は、やわらかく微笑んだ。彼女の三男であるレオンとユリアーナは幼なじみだ。

「あら。スズランね。素敵な香り」

 懐かしい夫人と白い花は、思い出をよみがえらせる。
 あの時は、スズランではなくシロツメクサだったけれど。

『ぼくね、ユリアーナをお嫁さんにするんだ。だからこれ、約束の指輪だよ』

 レオンが九歳、ユリアーナが七歳の時。春の花が咲き乱れるベイレフェルト家の野原で、レオンは確かにそう言った。
 シロツメクサで作った指輪を、ユリアーナの指にはめてくれたのだ。

 でも、七歳のユリアーナの指は細く。指輪はすぐに外れてしまった。
 一面のシロツメクサの中に落ちて紛れてしまい、どれがレオンがくれた指輪だったのか分からなくなってしまった。

『どうしよう。やくそくがきえちゃった』
『大丈夫。消えてないから』
『でも、レオンがせっかくゆびわをくれたのに』

 ユリアーナの緑の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
 優しいレオンは、女の子を泣かせるようなことはこれまでなかった。生まれて初めて、自分よりも小さなユリアーナを泣かせてしまって気が動転したらしい。

『いくらでも作るから大丈夫。待ってて』

 二人から離れた場所で控えているユリアーナのナースメイドが、慌ててやってくる。
 それよりも先に、レオンは自分の袖でユリアーナの涙を拭った。

『あ、どうしよう。ハンカチじゃなかった』

 レオンはおろおろと、濡れてしまった袖とユリアーナの顔を見比べた。淡いラベンダー色の瞳が揺らいでいる。

『えっと、大丈夫。洗濯してもらったばかりだよ。そうだ、ナースメイドにハンカチを借りようね』

 自分よりも二歳も上のレオンが慌てていることが、とてもおかしくて嬉しくて。ユリアーナは笑ってしまった。

 結局、レオンは指輪を十個、花冠に首飾りまで作ってくれた。
 たくさんの白い花で彩られたユリアーナは甘い香りがして。ミツバチが寄ってきてしまったのだ。

 思いだすだけで優しい気持ちになれるのに。
 三男のレオンは伯爵家を継ぐことはなく、法律家となった。
 ユリアーナの父はレオンよりも、若くして伯爵となったブレフトを選んだ。ブレフトの父親の強い勧めがあったからだ。

(お父さまも、わたくしをブレフトさまと結婚させたことを、今では後悔なさっているわ)

 結局、義父はブレフトに妻さえいれば、女遊びも治まるだろうと考たようだった。ブレフトが独身の頃の浮名は、義父が隠し通していたようだ。今はもういないので、真実は分からないが。

 ユリアーナが実家に戻ることを、ブレフトは禁じている。自分の不義がユリアーナの親族にばれないように。

 だが、噂は洩れるものだ。
 屋敷の中でも外でも、当主がメイドと戯れあっていれば、イヤでも目立つ。

 とにかくブレフトは若い女性が好きなのだ。胸が大きければなお良し。昼間は主人に仕える貞淑さを、夜はベッドの上で主人を翻弄する大胆さを重視している。

 そういう意味では、たゆんとした豊満な胸を持つヘルダは適任だ。

(あれはもう病気ね。女性の家柄も人柄も関係ないのだもの)

 どこの令嬢が妻となっても、ブレフトは女遊びをやめないだろう。

(もし、なんて考えても仕方がないけれど。レオンさまに嫁ぐことができていれば、こんな惨めな思いをせずにすんだのに)

 レオンはもう二十九歳だ。まだ結婚の話は聞かないけれど、婚約者の候補はいることだろう。
 伯爵夫人にレオンの話をすれば、きっと苦しくなってしまう。

 ユリアーナは想いを隠しながら、応接室で伯爵夫人に椅子を勧めた。
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