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聖女だったのに追放されました。

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「リアナ・アルタミラーノ。貴女に婚約破棄を言い渡す」

 聖女である私との結婚を義務づけられていた、第一王子のレアンドロ様。彼は冷たい瞳でそうおっしゃいました。
 まぁレアンドロ様とは政略でしたので、それは構いませんけども。
 隣にいるくりくりお目々のバレンシア様が我が物顔でレアンドロ様の隣に立っているのは、いい気分ではありませんわね。

「バレンシアに嫌がらせしている女を聖女だと思い込まされていた。許しておくれ、バレンシア」

 レアンドロ様は額に手を当て、大仰な仕草でなにやら嘆いておられますが……バレンシア様に嫌がらせ? 一体なんのことでしょう。
 むしろ嫌がらせをしてきたのは、彼女の方なのですが。
 バレンシア様はしおらしく目に涙を浮かべてまで、「殿下がわかってくださったなら、それだけで十分ですわ」とかなんとかほざいておりますね。脳みそがこの暑さでやられたのかもしれませんわ。

「私は嫌がらせなどしておりませんわ、レアンドロ様」
「軽々しく俺の名前を呼ぶな! この悪役令嬢が!」

 レアンドロ様が私を指差して罵るようにおっしゃいましたが……悪役令嬢? 初めて聞きましたわね、そんな役職。

「では殿下、私はもう聖女ではないとおっしゃるのでしょうか」
「その通りだ。占星術士は陽の年、涙の月に生まれた泣きぼくろのある女が聖女だと言っていたが、それは間違いだった。どうせお前の父親が占星術士を買収して嘘を言わせたのだろう」
「お父様はそんなこと致しませんわ」
「口ごたえをするな!」

 あらまぁ恐ろしいレアンドロ様の顔。隣でニヤニヤと笑っているバレンシア様には気付かないのでしょうか。まぁ癇癪持ちの殿下と別れられるなら、それでいいかもしれませんわね。

「ではバレンシア様が本当の聖女だったということですの?」
「そうだ。そしてお前は悪役令嬢だったのだ!」
「申し訳ありませんが、その悪役令嬢というのは?」
「お前がバレンシアに嫌がらせをしたように、他の令嬢にも嫌がらせをする役目を持つ者だ! まさにお前に相応しい!」

 つい昨日まで、聖女として奇跡をという名の魔法を使い、平和を説いていた私に悪役令嬢とやらの役目を押し付けるのですか。
 そもそもそんな役職は初めて聞きましたが、一体なんのために存在するのでしょうね? まったくもって謎ですわ。

「きちんと悪役令嬢の役目を果たすんだな。それでなくば、国外追放だ!」

 妙に小賢しい殿下はすでに陛下とも話をつけているのでしょうし、これ以上なにを言っても無駄ですわね。

「わかりましたわ。では私は今日から、悪役令嬢として生きていきますわね」

 満足そうな殿下とバレンシア様の顔。
 さすがにちょっと頭にきていますから、さっそくその悪役令嬢とやらになってみますわ。

「うふふ、バレンシア様、本当にうまくおやりになりましたのね」

 悪役、とつくからには、意地悪に振る舞ってみましょうか。
 私は一歩踏み出すと、なるべく上から目線でバレンシア様を見下しましたの。

「あなたは私にこれでもかと嫌がらせをしておいて、占星術士を買収、殿下に取り入って聖女の座を奪いましたのね! なかなかできるものではありませんわ! どこまでお腹の底が真っ黒でいらっしゃるの? 良心というものをお持ちではなくって?」
「そ、そんなことしておりませんわ……っ自分の悪行を私になすりつけるなんて、ひどいっ」
「貴様、バレンシアになんということを!」

 先にひどいことをなさったのは、そちらなのですけどね。
 こうなったら思っていることをぶちまけてやりますわ。なんたって私は、悪役令嬢なんですもの!

「あら、癇癪持ちの王子殿下。悪巧みの聖女様とお並びになると、とーってもお似合いですわよ。どうぞ、末長くお幸せに」

 ほっほっほと悪役らしくその場を去ろうと思いましたら、殿下から合図があったのか、騎士たちに取り囲まれてしまいましたわ。

「その悪役令嬢を摘み出せ。国外追放だ!!」

 あら? 悪役令嬢としての役目をまっとうすれば、国外追放などしないのではなかったのかしら。
 私は言われたままに役目を果たしていただけだというのに、この殿下は本当に自分勝手な男ですわ。
 ところでこの男の名前はなんだったかしら。もう覚えておく必要もありませんでしたわね、すっきり忘れてしまいましょう。


 かくして私は、国外に追放されてしまいました。困りましたわね、どうしましょう。

 ここは元いたカパーザ王国の隣、ルチアノ王国のようですわ。
 生まれて五歳の時から聖女認定されて王都に閉じ込められていた私は、もちろん初めて来る国です。
 馬車からぽーいと放り出されて、無一文。あらまぁどうしましょう。

「あら、あそこに村らしきものがありますわね。とりあえず行ってみましょう」

 目の届く範囲に家や畑が見えて、ほっとしましたわ。
 でも歩くとやっぱり遠いんですのね。辿り着く頃にはすっかり夜になってしまいましたの。

 村の入り口にたどり着くと、ひとりの騎士様が立っていました。
 こんな田舎にも見張りの騎士様がいらっしゃるとは思いませんでしたわ。

「どうかなさいましたか、お嬢さん」

 月明かりでも映えるほどの金髪碧眼で美麗な顔立ちをした騎士様は、私を見つけるなり駆け寄ってくださいました。
 私は聖女だったことを隠しながら、ここに着いた事情を話しました。するとその騎士様はたいそう傷ついたお顔をされているではありませんか。
 同情を誘うような話し方をしたつもりはありませんでしたが、感受性が豊かな方なのでしょうね。

「僕の名前はアルフィオ。なにかあったら僕を頼ってください」

 そういってアルフィオ様は、私を村の老夫婦の元へ連れて行ってくださいました。
 田舎に悪い人はいないっていうのは本当ですわね。その老夫婦にも事情を話すと、畑仕事を手伝ってくれるならという条件付きでしたが、家に住んでも良いといってくださって……涙が出ましたわ。
 働くのは当然ですが、なにもかもが未経験のこと。
 老夫婦はそんな私に農業のいろはを教えてくださいましたの。家事ももちろん頑張りましたわ。
 はじめての経験をたくさんさせていただいて、私は失っていた色を取り戻したような……そんな気がいたしました。

 そうして明るい日差しの中、今日も今日とて畑仕事にいそしんでいますと、アルフィオ様が声をかけてくださいます。

「リアナさん、朝早くから精が出ますね」
「うふふ、こうしているのが楽しいんですの。アルフィオ様も、毎日見回り大変ですわね」
「最近は魔物がやってこないから、暇なんだよ。そういえば魔物が畑を荒らしに来なくなったのは、君が来てからかな」
「ふふっ」

 実は聖女の魔法を使って、村に結界を張りましたの。レベルの低い魔物くらいなら、入ってこられないのですわ。
 私はここで第二の人生を得ましたの。一生ここで、スローライフを楽しんでいきます!

「リアナ、この野菜はあっちに運んでいいのかい?」

 気づけば、アルフィオ様が収穫した野菜のかごを運んでいるではありませんか!

「アルフィオ様、それは私の仕事ですわ!」
「最近は暇だから、少しくらいなら手伝えるよ」
「ですが……」
「それよりリアナ。僕のことはアルって呼んでくれるかな」
「アル……様?」
「アル、だよ」

 いつのまにか私を呼び捨てていたアルフィオ様に、そんな要求をされてしまいました。けれども呼び捨てにされるのは、ちっとも苦痛ではありません。
 むしろ親しみが湧き、胸の内から温かいものが溢れてくるようです。

「わかりましたわ。では……アル」
「うん」

 にっこりと太陽のように笑うアルに、胸が勝手に高鳴ったのは内緒ですわ。
 でももう、私は恋愛などもうこりごり。
 好きだの嫌いだの、とっただとられただのの騒ぎとは、無縁に生きていく所存です!

 そうしてスローライフを満喫していたある日のこと。
 大仰な馬車が村の中に入ってきました。アルが止まるように指示していますが、その馬車は無遠慮に村の中を闊歩しているのです。
 私はその馬車のエンブレムを見て、目眩がしそうになりました。
 それは隣の国……つまり私が元いたカパーザの王章がついた馬車だったのですから!

「リアナ!」

 そういって馬車から降りてきたのは、やはりレアンドロ様でした。名前を忘れたと思っていたのですが、覚えているものですわね。
 いまさらなんの御用でしょうか。正直、顔も見たくはないのですけど。

「久しぶりだな、リアナ」
「ええ、まぁ……」

 馬車から降りてきたレアンドロ様は、相変わらず偉そうな態度でした。まぁ王族を偉い人と称するなら、偉い方ではあるのですけれどね。

「さあ、今すぐ国に帰って、俺との結婚式を挙げるんだ!」
「え……きゃあ!」

 レアンドロ様がそう言ったかと思うと、乱暴に手首を引かれてしまいました。いきなり何を言い出すのかこの王子は、さっぱり意味がわかりません。

「さっさと来い!」
「い、痛……っ」

 ぐいっと引っ張られたと思った瞬間、私とレアンドロ様の間に影が入りました。
 掴まれていた私の腕は、その影により引き剥がされたのです。

「アル……!」
「リアナはもう、あなたの物ではないのです。他国の者に手出しなどさせない。彼女は僕の大事な、守るべきこの国の民だ!」

 アルの言葉に、胸が熱くなりました。
 ここにきてからたった二ヶ月ですが、この村の住人だと認めてくれている。そのことがなにより嬉しかったのです。

「俺はカパーザ王国の第一王子だぞ! そんな無礼が許されると思っているのか!」
「ならばちゃんと手順を踏んで来られることです。一国の王子が他国の民を拐うようなことがあれば、どうなるかくらいは想像がつくでしょう」

 アルはいつもとは違った怖い顔で殿下を睨んでいるわ。
 怖いはずなのに……どうしてこうも凛々しく見えてしまうのでしょうか。

「っく、違うんだ、聞いてくれリアナ!」

 殿下は視線を私に移されました。まぁ、話くらいは聞かなくもありませんが。

「あいつは、バレンシアは俺を騙していたんだ! 真の聖女はやはりリアナだった!」

 いまさら気づかれたんですのね。騙されたというよりは、洞察力がなさすぎるのでは?
 彼女がひけらかしていた奇跡は、ただの手品でしてよ。

「あいつは、俺の王妃になりたいがために占星術士を買収していたんだ……本当の悪役令嬢は、バレンシアの方だった!」

 なんだか必死な顔をしていますが、謝罪の言葉が出てきませんわね。

「だから、リアナが本当の聖女だ! 今すぐ国に戻り、俺と結婚する必要がある!」

 さすがにキレそうですわ。いっそのこと、悪役令嬢のままで良かったですのに。

「殿下、私はこの村での生活を楽しんでおりますの。王妃の地位に未練などありませんわ」

 もともと王妃の地位に興味などありませんでしたが。

「お前の気持ちなどどうだっていいんだ! 聖女は俺の物になる決まりなんだから、さっさと来い!」

 再度私に伸ばした手を、バシッとアルが捕まえてくれました。その素早い動きに、惚れ惚れしてしまいますわ。

「貴殿は先に、リアナへ謝罪すべきなのではないですか……っ?」

 あら、アルのこめかみに、青筋が立っています。嬉しいですが、どうしてそんなにも怒ってくれるのでしょう。

「騎士風情が、リアナを呼び捨てにするな!」
「リアナの言い分を信じず、聞こうともせず、他国へ身一つで放り出したことへの謝罪は!!」
「俺の方が被害者だ!! 悪いのは俺じゃない、バレンシアなんだぞ! 国に戻ったら、あいつにいくらでも謝罪させてやる! それでいいだろう!」

 その言い分を聞いたアルの目がいっそう吊り上がり、殿下の手首に力を入れています。

「い、痛……っ離せ!!」

 私はハッとして、アルを止めに入ろうと、その腕に手を置きました。
 別に殿下がどうなろうと知ったこっちゃありませんが、こんな人でも一国の王子。彼を傷つけてしまえば、国際問題に発展してしまいますわ。

「やめて、アル……!」
「しかし……」
「いいの。謝罪なんて、もうどうでもよくなったわ」

 アルが、こんなにも気にかけてくれていたんですもの。私の溜飲は下がりました。心の底から、なにやら温かいものが溢れてきます。
 私の気持ちがアルに届いたのか、彼は殿下の腕を離してくれました。これでアルが咎められることはないだろうと思うと、ほっと息が出てきます。

「よし、では帰るぞリアナ。馬車に乗れ」

 そしてこの男は、一体なにを聞いていたのでしょう。私がアルを止めたのは、自分を庇ってのものだとでも勘違いしたのでしょうか。謝罪の要求を取り下げたせいで、自分が正しいと思い込んでしまっているのかもしれないですわね……。

「リアナをあなたの国へは行かせません」
「なんなんだ、貴様はさっきから!!」

 イライラとしている殿下。なにをしてくるかわからない人ですから、あまり怒らせないようにしなくては……

「アル、あなたの気持ちを本当に嬉しく思います。今まで、ありがとう……」
「……リアナ?」
「ふん、ようやくわかったか」

 殿下はこれでも剣の技術は一級品。アルがどれだけの技量を持っているかはわかりませんが、他国とはいえ王族に剣を向けるようなことがあってはならないのです。

「お世話になりましたわ。おじいさんとおばあさんにも、突然去ってしまうことを申し訳なく思っているとお伝えください。ここでの生活はとても楽しかった……一生忘れませんと」

 村の生活はとても心地よくて、去りたくなんかありませんわ。けれどこの村の人たちに……アルに、迷惑をかけるわけにはいきませんもの。
 私が殿下の元に戻るのが、一番円満に終わるというなら、そうしましょう……。

「リアナ!」

 いつもの太陽のような笑みを悲しみに変えて、私の手を掴むアル。

「離せ、下郎!」

 その瞬間、殿下の怒りが頂点に達したのか、あろうことか剣を抜き放ちました。
 そしてその剣を、アルの顔へと……っ

「アルッ!!」
「っく!」

 ポタリ、とアルの頬から血が滴り落ちています。アルの美麗な顔に傷が……!

「アル、アル!!」
「大丈夫だよ、リアナ」

 どうやら切先を掠めただけのようですが、それにしても殿下のこの横暴は許せません!

「殿下、なんということを……! それでもあなたは第一王子なのですか!!」
「さっさと来い、リアナ。この男の顔に傷を増やしたくなければな」
「っく……」

 私はなんて無力なのでしょうか。聖女の力を使えばこの程度の傷は治せますが、大きな傷は治せません。
 今すぐアルの傷を治してあげたい気持ちに駆られますが、それを見た殿下がさらに逆上してさらに深い傷を負わせる恐れがあるため、使えない状況ですわ……。

「アル、私は行きます……私のことはもう、気にしないほしいの」
「そんなわけにはいかない。僕は、君に惚れているんだ」
「……え?」

 唐突の告白に、私は目を瞬かせました。
 目の前には真剣なアルの顔。美麗な顔に傷と血がついて、いつもよりとってもワイルド。胸のドキドキがおさまりません。

「僕と結婚してほしい。そこにいる男ではなく、僕と」
「あ、アル……?」

 結婚に夢など持てなかったというのに、なぜかアルに言われると耳が燃えるように熱くなりました。
 嬉しいと素直に思う反面、彼と結婚できない状況に苦しみを覚えます。
 もしここで『はい』と言ってしまえば、逆上した殿下になにをされるかわかりませんもの……。

「ごめ……なさい……私は……」
「大丈夫だ、リアナ。ここでは君の本当の気持ちをいっても、否定する者はいないんだよ」
「けど、そうすればアルが……」
「それとも、リアナは僕のことが嫌いかい?」
「いいえ!! 大好きですわ!!」

 あら? なぜか勝手に口が動きましたわ。
 恋愛などもうこりごりだと、そう思っていましたのに……。
 もしかして、これが本当の恋だったのでしょうか? いつものように心のコントロールが効きませんの。
 顔が熱くて焼けごげそうになっていますわ……恥ずかしい。

「リアナ……」

 嬉しそうなアルを見ると、とろけていくようです。このまま彼の腕に飛び込めたら、どんなにか良かったでしょう。

「貴様ぁ!! 王子である俺の婚約者に手を出して、ただではすまさんぞ!!」

 今まで見た中での一番の逆上具合。私はどういう行動を取ることが正解なのでしょうか。
 でもアルの気持ちを知ってしまった以上、殿下の元へ行く気などもう起こりません!

「アル……」

 殿下が怖くて、アルにしがみついてしまいました。
 アルはそんな私を渡すまいというように、ぎゅっと抱きしめてくれます。

「カパーザ王国の王子、一度お引き取り願いましょう。国際問題にされたいならそれで結構です。そんなにリアナを欲するなら、こんな強引な方法よりも正攻法でいらしてください」

 私はなにを言っているのかとアルを見上げました。
 正攻法で来られては、アルにはどうしようもないはずです。
 そんな私の心を見透かしたのでしょう。アルは私に視線を向けると、いつもの太陽のような笑顔を見せてくれました。それだけで私は安心してしまいます。
 殿下はというと、勝ち誇った顔をしてマントを翻しました。

「ふんっ、正攻法でならすぐに取り返してくれる! 貴様には我が国の聖女をかどわかした罪をくれてやるからな!」

 そんな捨て台詞を吐きながら帰ってくれてホッとしましたが、同時に不安も募ります。
 明らかに不利なのは一般の騎士であるアルの方。いわれなき罪を被らされること、間違いなしです。

「アル……ッ! ごめんなさい、私のせいで……私が殿下の元に帰っていれば……っ」
「あんな奴の元に戻る必要なんてない。それに君は……僕が、娶りたい」

 きゅんと胸が鳴いたように思えました。
 嬉しい反面、これからどうなってしまうのかという恐怖が徐々に私の心を侵食していきます。
 アルは頬の傷をぐいっと手の甲で拭いました。まだ血は止まりません。

「アル、私の力で治癒をしますわ!」
「いや、いい。これは、彼に傷つけられたという証拠になる」

 そう言われ、私はハンカチを取り出すとアルの頬に当てました。
 アルの瞳が優しく細められ、でもなぜか少し悲しく歪みました。

「リアナ……君はやっぱり、聖女だったんだね」

 私はハッとしてアルを見上げます。
 聖女ということは、できれば隠しておきたかったのです。他国ではどういう扱いになるのかはわかりませんが、政治利用をされてはまた私に自由などなくなりますもの。

 でも……知られてしまいました。

「そんなに悲しい顔をしないでほしい、リアナ」
「私はどうなるのでしょう……」
「聖女はこの国でも、王族の誰かと結婚することになっている」
「そん、な……」

 絶望という言葉が私の頭に浮かびました。
 私はこの村で、アルと一緒に静かに暮らしていきたいだけ。それなのに、聖女の力はそれを許してくれないというのでしょうか。
 見知らぬ土地で、見知らぬ王子と結婚し、時に奇跡を披露し、平和を説いていくだけの毎日。
 そこに私の意思などありはしないというのに。

「私が聖女だということは、秘密にしておいてください……!」

 私の必死の懇願に、アルは首を左右に振ります。

「それは無理だよ。カパーザ王国の第一王子は、聖女がここにいることを我が国ルチアノの王に伝えることだろう。隠し通せない。黙っていれば報告義務を怠ったとして、僕自身もどうなるかわからない」
「あ……」

 考えればすぐわかることだというのに、私の頭はちっとも回っていなかったようですわ……。
 落ち込む私の肩を、アルはそっと撫でてくれました。

「ともかく、僕は急いで王都に報告に行ってくるよ。絶対悪いようにはしない。ここで、僕の帰りを待っていて欲しい」

 行ってほしくない……そんなわがままは言えないと、ちゃんとわかっています。けれども、苦しくて……。

「信じて、よいのですか……?」

 出てきたのは、そんな言葉。
 アルは私を見捨てないと……信じたくて。

「僕を、信じて」

 真剣な瞳で見つめられると、私の目からは熱いものが流れました。

「はい……信じて、待っていますわ」

 私がそう伝えると、アルは馬に跨り王都へと行ってしまいました。
 その姿はまるで……そう、物語に出てくる王子様のようでしたの。


 アルが村を出て行って一週間後。
 私は一緒に暮らしているおじいさんに新聞を見せられて、目を見張りました。
 そこにはこんなことが書いてあったのです。

 隣国のカパーザ王国の第一王子が、このルチアノ王国第七王子に剣を向けて傷つけ、国際問題に発展していると。

「え……どういう、こと?」
「アルは、この国の第七王子でワシらの孫だよ」
「ええっ?!」

 老夫婦の話によると、王宮の下働きとなった彼らの娘……つまりアルの母親は王に見染められたそうなのです。
 第三夫人となったその方は、出産の予後が悪く、亡くなってしまわれたと……。

「アルは十五まで王都におったが、その後王位継承権は自ら手放してこの村で騎士となることを選んだのだよ」

 ということは……アルは継承権がないというだけで、王族には変わりないのでしょうか。
 頭が混乱しますわ。アルと結婚できるなら嬉しいのですが、彼は継承権を捨てた第七王子。
 私はいったい、誰の元に嫁がなくてはいけないのでしょう……。

 その日の夜、私は馬のいななきを聞いた気がして外に飛び出しました。
 するとそこには、アルの姿が……

「アル……!」
「リアナ!」

 私は思わず駆け出しました。アルも馬から降りて、私に走り寄ってくれます。
 お互いの顔がしっかりと確認できる距離までくると、私たちは見つめ合いました。

「アル……、アルは、この国の第七王子だったのですか?」
「うん……黙っていて、ごめん」

 彼は一介の騎士ではなかったのです。その端正な顔の頬には、一筋の傷。

「カパーザ王国の第一王子とは話がついたよ。ルチアノ王国の第七王子を傷つけたために、ともすれば戦争にもなりかねないところだったけどね」
「ど、どうなったんですの?」
「こちら側からは第一王子の王位継承権の剥奪を求めたよ。あちらの王は賢明だね。すぐにそれを認めてくださった」

 戦争になるよりは、わがままな王子を失脚させる方がよほど益があったに違いないでしょう。
 殿下には聡明な弟君がいらっしゃるし、良い機会だったと踏んだのかもわかりませんわね。

「彼と、彼をそそのかしたとされる嘘の聖女は、地位を剥奪して王都から追放したそうだ」
「まぁ」

 カパーザ王国は素敵な国に生まれ変わってほしいですわね。膿や毒を出してしまえば、それも可能な気がいたします。

「そして、君を……リアナを、この国の民だと認めさせたよ」
「……本当ですの?」

 アルを見上げると、月明かりの下、太陽のような笑顔が煌めきます。
 けれど私には、一つだけ引っかかるものがあったのです。

「アルは私が聖女だと……いつから気づいていたのですか……?」
「……最初からだよ」

 その言葉に、私の胸に不安が募ります。

「最初、から……? どうして」
「ルチアノの占星術士が、この村に聖女が現れると予言していたんだ」
「じゃああの日、夜遅くまでアルが見張りをしていたのは……」
聖女を、保護するためだよ……」

 どこか悲しそうなアルの顔を見て、私はわかってしまいました。
 彼の役目は、聖女を保護し……そして結婚して、聖女の力を王族の支配下に置くことだったのだと。

「やはり私の力を……利用なさるつもりなんですね……」
「ち、違う!!」

 そう否定した直後、アルはハッとして私から視線を逸らしたのです。それはきっと、後ろめたいことがある証拠。
 私の胸はしくしくと痛みを訴えてきます。そしてアルもまた、とても苦しそうな顔をしていました。

「たしかに僕は、王命により聖女と結婚するように言われていた……占星術士の言った通り、本当の聖女なのかの確認もしなくてはならなかった」

 アルの告白は、私の思った通りでした。
 思えば、アルも可哀想な人ですわね……母親を早くに亡くし、会ったこともない聖女を娶るよう命令されていただなんて。
 そこに気持ちなどなくても、結婚しなければならないアルに同情してしまいます。
 そして……私を好きだと言ったのは、きっと他国に聖女を渡してはならないというただの義務からでしたのね……
 いえ、泣いてはいけないわ、リアナ。こんなこと、大したことではないのですもの……。

「わかりましたわ、アル。あなたも辛い立場でしたのね」
「リアナ?」
「利用されることには慣れていますわ。王都でもどこへでも参りましょう。存分に聖女としての私をお使いくださいませ」
「……リアナ」

 聖女の私に、自由なんて与えられるわけがなかったのです。
 国が変わっただけでやることは同じ。この国では王族の多妻は認められているようですので、アルもいつかは本当に好きな人と結婚できることでしょう。
 私は一生、聖女として利用され生きていくだけですわ……。

「リアナ、泣かなくていい」

 アルの言葉に、私は視界が歪んでいることに気がつきました。
 彼の指が、私の頬をなぞっていきます。

「アル……」
「聞いてほしい。僕は確かに、聖女と結婚せよという王命を受けていた。それに反発しなかったと言えば嘘になるけど、これも王族の定めだと思って諦めた」

 どの国でも、王命に背くことなどできませんわ。たとえ不本意だったとしても、アルは受け入れるしかできなかったのでしょう。

「けれど、君と会って……君と過ごして、リアナが本当の聖女であることを願うようになった」
「どうして……」
「言っただろう? リアナに、惚れてしまったからだよ」

 夜だというのにきらきらと眩しい笑顔を向けられると、くらくらとしてきました。
 あの時の言葉は、隣国に聖女を取られないようにするための嘘ではなく……心からの言葉だったというのです!

「元々僕は、王都が苦手で逃げ出してきた人間だ。僕と結婚するということは、一生をこの村で過ごすということ。それは、父上も承知している」

 私はぽうっとアルを見上げました。
 王都に行き、聖女としての責務を果たさねばならないと思っていましたが……ここで過ごすことができる?
 それも、好きな人と一緒に……?

「けれど、聖女としての仕事は……」
「知っているかい? この国には聖女が、五人いるんだよ。王妃と、第一王子の兄のパートナー。腹違いの姉二人に、そして君だ」

 聖女とは、ごく稀に高い魔力を持って生まれてくる女性のこと。
 ひとつの国に一人いれば良い方といわれているけれど、まさかこの国にはたくさんいただなんて、知りませんでしたわ。

「必要なときには君にも働いてもらうことになるかもしれない……それは許して欲しい。けど」

 アルは、私の顔をしっかりと覗き込んで。

「それ以外は、僕と一緒にここで暮らして欲しいんだ。これは、王命だから言っているんじゃない。妻も、君以外にはいらない」

 そう、おっしゃいました。
 細められた目は、とても優しくて愛おしくて……。

「リアナ、貴女を愛しています。僕と結婚してください」

 私は、諦めていましたの。相思相愛の結婚なんて。
 聖女として利用されない結婚なんて。
 田舎で自由に生きる結婚なんて。

「答えを聞かせて、リアナ……」

 胸がいっぱいで声を出せない私に、少し不安そうなアルが語りかけてきます。

「アル……嬉しいですわ。私もアルと一緒になりたい……ここで一緒に暮らしていきたい……!」
「リアナ……!」

 私はアルの腕に包まれました。
 強く、でも優しく……。

「ありがとう……大好きだよ」

 そういったアルの唇を、私は受け入れました。
 幸せとは、きっとこういうことをいうのでしょう。
 母親になっても、おばあさんになっても、この地でアルと一緒に笑い合って暮らしている映像が頭に浮かびましたの。
 これは、聖女の予知能力だったのでしょうか?

「アル、大好きですわ……!」

 叶わないと思っていた夢を、アルが叶えてくれる。いいえ、アルと一緒に叶えていく……!

 そう……私の幸せなスローライフは、これから始まるのです!



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みんなの感想(1件)

おゆう
2022.03.30 おゆう
ネタバレ含む
長岡更紗
2022.03.30 長岡更紗

◆おゆうさん

両方読んでくださってありがとうございます!
こちらの方がスカッとした王道ですね♪
こちらの方が好きという方が多いのではないかな? と思っています。
教えてくださってありがとうございました!!

解除
1 / 5

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ですがそれは私には関係ないことですので

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